
突然の告白
「体調がおかしい」
中学1年も終わりが近づいてきた2月、暗い表情で息子が訴えてきました。
「学校でうまく話せない。ゴクンと飲み込む音がまわりに聞こえそうなほど、唾がたまってしまう」
この告白を機に、たびたび学校を休むようになりました。
息子は真面目で大人しいタイプの男の子。小学生の頃から学校の友達とはあまり遊ばず、目立たない存在だったと思います。スイミングに打ち込んでいて、力を発揮できなかった試合の翌日は「学校に行きたくない」と言ったり練習中に泣き出したり、不安定になることもありました。
ただふだんはニコニコしており、小学校を休むこともほとんどなかったのです。ですからあまり深刻には捉えておらず、たまに登校をしぶっても
「水泳で学校を休むとか、違うやろ」
「学校ありきの水泳でしょ」
といった言葉でハッパをかけてきました。

【おかあさんのプロフィール】
中学2年生の長男さんと妹さんのお母さん。
まじめで大人しい性格の長男さんは中学1年の3学期に体調不良から学校を休みがちになり、中学2年の夏、完全不登校に。同年7月から、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講
気づけなかったサイン
中学に入ってからも学校とスイミングの二刀流はつづき、がんばっているなと思っていました。
ところが実は、入学して間もない頃から体調不良があったそうです。わたしにも伝えていたそうなのですが、しっかりキャッチできずに「気にしなくても大丈夫だよ」と軽く流してしまったようなのです。
息子は半年以上ひとりで悩み、我慢も限界に達してしまったのだと思います。彼のSOSに気づいてあげられなかった後悔は大きく、わたしは自分を責めました。
完全不登校
2年生にあがると、息子のメンタルをさらに追いこむ出来事がありました。やりたい子が誰もいなかった「学級委員」に、多数決で選ばれてしまったのです。生徒会にも属する責任の重いポジション。息子の性格的に、ものすごく負担が大きかったと思います。もう一人の候補者に「前期はやりたくないから、僕は後期にやる」と宣言され、強く主張できない息子は押しつけられたような形で委員をつとめることになりました。
忘れもしない、6月の終わり頃。
「人生やり直したい」
そう言ってわっと泣き出し、壁を殴りはじめました。
やり場のない気持ちを爆発させ壁を叩きつづける息子。どんな言葉をかければよいのかわからず、ただ見守るばかりでした。
以後、糸がぷっつりと切れたように、息子は学校に行かなくなってしまいました。
みんな、うるさい
朝、声をかけても布団から出てきません。
「今日は学校行くの? 行かないの?」
たずねても返答はなし。
やっとごそごそと起きてきても、表情が暗く目もどんよりしています。
「行かない」
「頭が痛い」
特定の誰かが嫌だというわけではなく、“学校” そのものへの強い嫌悪感が見てとれました。
「生徒は嫌い」
「先生も嫌い」
「みんな、うるさくて嫌い」
といった具合です。
もともと口数の少ない息子でしたが、黙りこくったまま一日中リビングでぼうっとしています。
——どうすればこの状態から抜け出せるのだろう。
途方にくれていたときに「ココロ貯金」に出会いました。タイミングよく、7月スタートの「子育て心理学カウンセラー養成講座」を受講できることになったのです。
思春期の子にできるココロ貯金
子育て心理学カウンセラー養成講座では、会話がなくてもココロ貯金ができる「現実的な方法」を教えていただけて、とてもありがたかったです。息子とコミュニケーションがとれなかったわたしは「できること」があるのがうれしく、一つずつ教えを実行していきました。
ささやかな関わりでもココロ貯金はたまります。
「〇〇、おはよう」
一日のはじまりは、名前を呼んであいさつ。
次は“実況中継”です。
「着替えたね」「そのシャツいいね」「食べたね」……。
見たままを言葉にすればよい“実況中継”は、本当によくやりました。
他にやりやすかったのは“腹貯金”。
買い物に出たときは、息子の好きな食べものをお土産にしました。
「〇〇の好きなパン買ってきたよ」などと言って手渡すと、かすかに顔がほころびます。ご飯のおかずも、彼の好きな唐揚げをよく作りました。
それから“マッサージ”。
ある日、ゴロンとしていた息子に「今日もお疲れさま」と言って、ふくらはぎをさすってみました。意外にも嫌がりません。「これはいいかも!」と思い何度かトライしていくうちに習慣となり、楽しい時間になっていきました。
兆し
ココロ貯金をつづけているとなぜか気持ちがゆったりして、夏休みは家族でのんびり過ごしました。すると不思議なことに、息子の顔つきが変わってきたのです。
表情は穏やか。ときどき鼻歌も聴こえてきます。朝も自分で起き、スイミングの試合で凹んでも立ち直りが早くなりました。私の友人が遊びにくるとおしゃべりの輪に入ってきます。今までは見たことがない光景でした。よく笑い、話しかけてくる機会が増え、布団から出なかったときとは空気がまるで違うのです。
「よく話すようになったねえ」
単身赴任先から帰省してきた夫が、驚きの声をあげたほどでした。
2学期が始まると、学校には行かないものの自分で起きて、登校時間に間に合うように着替えるようになりました。
足踏み
「遅刻して行ってみようかな」
「毎日電話をくれる先生に申し訳ないな」
「学級委員の仕事もやらないとあかんな」
そのうちに、前向きな言葉が出てくるようになりました。
「学校に戻るタイミングは子どもが教えてくれる」
ココロ貯金の教えどおり、息子が自ら“スモールステップ”を踏みだしたように感じました。
正直、そこまで用意するなら行けばいいのにと歯がゆく、校内にあるフリースクールのようなスペースに誘ってみたこともあります。しかし、
「授業は受けたいから、そういうところには行かなくていい」
と断られ、もう待つしかないと覚悟を決めました。
歯みがきまで終えて「あとは出発するだけ」という状態での足踏みは、約1か月つづきました。
葛藤
10月に入ったある日のこと。
「今日、学校行こっかな」
息子の言葉を受けて、車で学校まで送っていきました。実は前日も同じ流れで学校までは行ったのですが、結局車から降りられずに帰ってきたのです。ですから期待が半分、不安が半分。車内で待機していると、むなしく時が過ぎていきました。
——そろそろ6時間目だな。
さりげなく時計を確認し「今日もダメかな」とあきらめかけたとき、息子がわーっと泣き出しました。
「ママが学校休めって言ったから休んだのに、全然よくならんかった!」
「え? 休めとは言っていないぞ」と思いましたが、講座の学びを思い出しました。
「思春期は言葉のチョイスをまちがえる」のだな。
「そんなこと言っちゃってごめんね」
言った記憶のない言葉について詫びてから、つづけました。
「でも、顔つきが穏やかになったし、楽しく会話もできるし、ママはすごくいいと思うよ」
「いや、演技で笑っていただけで、治ってない」
憎たらしい言葉に反論したい気持ちをぐっとこらえました。
出発のとき
「そっか。ママのために笑ってくれていたんだね。ありがとう」
言葉を否定せずに受けとめていくと、息子はしだいに落ち着きを取り戻していきました。
そしてスッと顔をあげ、
「出発する」
と言ったのです。
最後は一人では無理だと思ったのでしょう。
「先生を呼んでほしい」
と頼まれ、急いで電話をかけました。
「すぐ行きます」
駐車場まできてくださった先生に「お願いします」と頭を下げたときは、駅伝のパトンを渡したような気持ちになりました。
息子はついに、再登校をはたしたのです!!
その後
「そっか。ママのために笑ってくれていたんだね。ありがとう」
言葉を否定せずに受けとめていくと、息子はしだいに落ち着きを取り戻していきました。
そしてスッと顔をあげ、
「出発する」
と言ったのです。
最後は一人では無理だと思ったのでしょう。
「先生を呼んでほしい」
と頼まれ、急いで電話をかけました。
「すぐ行きます」
駐車場まできてくださった先生に「お願いします」と頭を下げたときは、駅伝のパトンを渡したような気持ちになりました。
息子はついに、再登校をはたしたのです!!
再登校を終えて帰宅した息子は、一言「よかった」と言いました。
そして、翌日からはごく自然に「いってきます」と出ていき、普通に帰ってくるようになりました。穏やかに過ごしている様子が感じとれ、「今日はこんなことがあったよ」と学校の話もしてくれます。
週明けだけは弱く休む日もありますが、火曜日以降は普通に登校します。休んだ月曜日も「学校に行けない」と落ちこんでいる様子はなく、昼寝や好きなことをして、機嫌よく過ごしています。
「学校が嫌い」だとか「スイミングが嫌」だとかネガティブな発言もありますが、外で言えない分、家でゆるめているのでしょう。
振り返れば、ほんの数か月だった息子の不登校。
けれども、ココロ貯金を学んで息子と向きあった経験は、わたしの武器になりました。
予期せぬ困りごとが起こっても息子が何も話さなくても「何をすべきかわからない」と悩むことはもうありません。武器をしまった引き出しがたくさんあり、そのときどきに適したツールを「今回はこれ!」と引っぱり出してくるだけ。
これからも、ココロ貯金をためつづけたいと思います。
おかあさんが実践したココロ貯金
・“名前呼び”や“実況中継”で「認める」
・好きな献立やおやつで「腹貯金」
・ふくらはぎのマッサージで「ふれる」
・子どもの発言を否定せずに「聴く」
・子どもの機が熟するのを辛抱づよく待つ