vol.23 大学…

◆大学中退とうつ病

「もう生きていく意味がない」

 

20歳の秋、娘は大学を中退し、暗い言葉ばかりを口にするようになりました。

 

せっかく希望して入った大学を辞めてしまったことで自己肯定感が急落。

夜は眠れず、昼間もずっと自分を責め続けているようなのです。

 

病院に行くと「うつ病」と診断されました。

 

 

【お母さんのプロフィール】

2人のお子さんのお母さん。上のお嬢さんは大学の中退をきっかけに、うつ病になってしまう。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが21歳になった頃。

◆一人暮らしへの執着

ところが、驚いたことに娘は「一人暮らしを続けたい」というのです。

 

「それは……」

メンタルの状態を考えると、さすがに抵抗がありました。

事故につながってしまうのではないか、そのまま引きこもりになってしまわないか……。

 

普通に考えれば、止めるべきだと思いました。

けれども、母親の直感が「娘の意思を尊重した方がよい」と訴えてくるのです。

厳しくものを言うタイプの夫との暮らしは、かえって娘を追い詰めてしまうのではないか——。

 

そう感じたわたしは、悩んだ末に専門学校への転向を提案しました。

 

 

◆短かった専門学校生活

「アパレルの専門学校に行ってみたら?」

娘は洋服が大好きで、アパレル業界に興味がありました。

本人も「やってみたい」とうなずき、テストや面談を受けることに。

 

そして迎えた4月、無事に入学が決まりました。

 

——これを機に、前向きな娘にもどってくれますように。

新しい学生生活を謳歌している様子を見て、胸をなでおろしていました。

 

ところが、楽しそうに過ごしていたのに、突如、学校に通えなくなってしまったのです。

夜遅くまで遊ぶこともあったせいか、起立性調節障害の症状が悪化。

 

入学してまだ間もない6月のことでした。

 

 

◆どん底のメンタル

娘のメンタルは急降下していきました。

 

「大学だけでなく専門学校も行けなくなっちゃって。迷惑ばかりかけて……もう死にたい」

 

毎晩かかってくる電話では、「消えてしまいたい」という言葉がひんぱんに出てきます。

そのたびに恐ろしい想像が頭をよぎり、心が押しつぶされそうでした。

 

客観的にみれば、家に呼び戻した方がいいのはわかっています。

それでも、娘には同居が合わないのではないかと肌で感じていて、どうしても踏ん切りがつきませんでした。

 

蘇ったのは、中学時代の記憶です。

不登校だった娘は、厳しい言葉で叱る夫に猛反発。

いつもバチバチにぶつかり合っていました。

 

メンタルがどん底に落ちている今、同じ調子で夫に強く叱られたら——。

娘の心の糸がぷつんと切れてしまわないか心配でした。

 

とはいえ、ともすれば命にもかかわるような、自分ひとりで背負うにはあまりに重すぎる判断です。

そこで、その頃受講しはじめた「子育て心理学カウンセラー養成講座」で、思いきって相談してみることにしました。

 

 

◆ちひろ先生の励まし

「無理やり連れ戻しても、出てっちゃうしね」

そう言って、ちひろ先生がわたしの考えを肯定してくださったときは、心の底からホッとしました。

 

実際、娘が一時的に里帰りしていたときに、夜中に突然家を出ていってしまったことがありました。

ためらう様子もなく玄関を飛び出し、真っ暗な道をすたすたと歩いていくのです。

女の子ですし怖くて、あわてて後を追いました。

 

かなり離れた公園でボーッとしている娘を見つけ、ようやく一緒に帰ってきたこともあります。

 

こうした話に耳を傾け、常識にとらわれずに背中を押してくださった、ちひろ先生の温かさが身に沁みました。

 

「一般的な正解」と、 この子にあったやり方は違うよね。

娘の希望どおりに一人暮らしは継続させて、遠距離でココロ貯金をためていこう。

 

やっと覚悟が決まりました。

 

幸いなことに、娘の住まいの近所には仲のよい友達も住んでいて、それが小さな安心材料になりました。

 

 

◆不安と闘いながら

こうして、遠隔ココロ貯金の挑戦がはじまりました。

 

お友達とは連絡をとり合っている気配があるものの、毎晩かかってくる電話は、相変わらず気の滅入るような内容ばかり。

自分を責める言葉、眠れない夜の苦しさ、そして「生きている意味がない」というつぶやき……。

 

電話を切ったあとは、胸の奥に重たい石がずしんと残ります。

「私がやっていることは、本当に合っているのかな」

不安ばかりが募って、心が押しつぶされそうになることもありました。

 

——でも毎日電話がくることは、いいことだよね。

できるだけポジティブに捉えて、自分を励まします。

 

「話すことで、荷物を降ろしているんですよ」

そう教えていただいてからは、「少しでも荷物を預けてもらえたら」という思いで娘の話に耳を傾けました。

 

「え?」と思うような言葉もたくさんありましたが、口をはさまずに

「そうなんだね」

「しんどかったね」

と、ただ気持ちを受けとめようと心がけます。

 

すると不思議なことに、娘の様子にわずかな変化が見えるようになったのです。

 

——子どもは親の変化をちゃんと感じ取り、少しずつ変わってくれるのだ。

 

ひと筋の光が射して、暗闇の中にも歩いていける道があるように感じました。

 

 

◆もっとココロ貯金

毎日の電話に加えて続けていたのは、毎朝の挨拶LINEでした。

まず名前を呼びかけ、そのあと「おはよう」と送るだけ。

たったそれだけのことでしたが、確かな手ごたえがあった気がします。

 

「会えなくても会いに行くことが大事ですよ」

ちひろ先生がそうおっしゃっていたので、しばしば娘のアパートを訪ねていきました。

 

昼も夜も静まりかえっていて、いるんだか、いないんだか。

「今は会いたくない」と言われて追い返されたこともありますし、虚ろな表情を目の当たりにして心配ばかりを募らせながら帰ってきたこともありました。

 

——それでも、会いに行ったことに意味があるはず。

必死で自分に言い聞かせました。

 

もっと気持ちを伝える方法がないかと考え、わたしとお揃いの小物入れを作って送ったこともあります。毎日使うものを通して「いつも見守っているよ」「あなたの味方だよ」というメッセージが伝わるような気がしたのです。

 

数日後、ピコンとLINEが届きました。

「ありがとう」という言葉に添えられていたのは、化粧ポーチとして使ってくれている写真。

心がほわっと温かくなりました。

 

こうして迷い悩みながらも小さな前進を重ね、ささやかなココロ貯金をコツコツと積み重ねていきました。

 

 

◆アルバイト生活

最終的に、娘は専門学校も辞めることになりました。

 

それでも、夫に届いたメールには前向きな想いが滲んでいました。

「資格は取らなくても、自分でやっていける仕事にちゃんとつくから」

 

「一人暮らしをさせてもらっているし、働かないと」

娘はそう思っていたようです。

 

ただ、朝起きられないと仕事には支障が出ます。

知り合いに紹介してもらいアパレルの仕事をはじめましたが、仕事ぶりを批判されてクビになってしまいました。

起立性調節障害の症状はなかなか治らず、苦しい日々は続きます。

 

落ち込んでいた娘でしたが、ありがたいことにまた知り合いが紹介してくれて、今度は飲食店で働きはじめました。

はじめのうちは週に1~2回、体調と相談しながら働いて、徐々にフロアに4時間ほど立てるようになりました。

 

一度ランチタイムの様子をのぞいてみたところ、一番忙しい時間帯にもかかわらず、意外なほどちゃきちゃきと仕事をさばいていました。

 

——わあ、ちゃんと仕事している!

胸が熱くなったのを覚えています。

 

 

◆22歳、娘の今

娘は今、週に4日、朝から晩まで働いています。

派遣ですがお給料がよいらしく、家賃だけでなく光熱費まで送ってくれるようになりました。

「お友達はまだ学生なんだから、そこまでしなくてもいいよ」

と言うと、

「ちゃんと5万円貯金していて、お小遣いも5万円あるんだよ。でも、食費だけはお願いします」

なんて言って笑っています。

 

派遣先は、表参道の高級ショップ。

自分の好きなファッションを取り扱っているお店です。

 

洋服には強いこだわりがあるので、自分で見つけてきて、応募して、採用を勝ち取りました。

面接から帰ってきた日は

「あたし、たぶん勝った」

と、自信たっぷりでした。

 

娘の情熱が伝わったのか、採用前から「よかったら社員にしようと思っているんだよ」と言っていただいたそうです。

 

仕事を覚えることにも積極的で、

「もっと先のことも教えてほしいんですけど」

などと伝えて、重宝されているとのこと。

 

そんなに熱い気持ちで働いているのにもかかわらず、

「将来はもっと違うことやるかも。今はお金をためて、スキルを磨いてる」

なんて言っています。

 

すごいなあ、目覚ましいなあ、と。

かつて「死」という言葉ばかりを口にしていた娘が、未来の話をしている——そのたくましさ、変貌ぶりに胸が熱くなりました。

 

 

◆毎日の電話も変わった

相変わらず、電話は毎日かかってきます。

けれども、悲痛な言葉をきくたびに暗い気持ちになっていたあの時間はどこかに消えて、明るいおしゃべりの時間になりました。

 

「『わたしのお母さん、わたしのために心理学まで学んでくれたんだよ』って言ったら『すごいね』ってほめられちゃった」

「お父さんがやるって言って買った水槽のそうじ、結局やってあげてて、お母さんって本当にえらいね」

小さなことをいちいちピックアップして、ほめてくれる娘。 

 

なんだかココロ貯金を返してもらっているようで……。

くすぐったさを感じながら、幸せな毎日をかみしめています。

 

 

お母さんが実践したココロ貯金

・ネガティブな言葉も受けとめて“聴く”
・名前呼び+挨拶のLINE
・会えなくても、一人暮らしのアパートを訪問
・手づくりのプレゼント

vol.22 登校…

◆登校しぶりのはじまり

「いってらっしゃい」

夏休みが明けて、9月も半ばを過ぎたある朝のこと。

いつものように、小学2年生の娘を送り出しました。

 

いつもなら登校班のお友だちと一緒に学校へ向かうはずなのですが……しばらくして娘がひとりで戻ってきました。

忘れものでもしたのかなと様子を見にいったその瞬間、ぽろぽろと涙をこぼしながら、

「やっぱり、行きたくない」

とつぶやいたのです。

 

「どうした?」

動揺を隠しながら問いかけても理由は述べず、ただ「行きたくない」と繰り返すばかり。

その日は定時の登校をあきらめ、途中から学校へ行かせることにしました。

 

まさか、これが長く続く登校しぶりのはじまりになろうとは――

このときのわたしには、想像もつきませんでした。

 

それから娘の登校しぶりは、日ごとに悪化していったのです。

 

【お母さんのプロフィール】

小学3年生の女の子のお母さん。小学2年生の夏休み明けに、お嬢さんの登校しぶりがはじまる。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが小学2年生の冬。

◆強まっていく母への依存

「お母さん、どこっ?」

切羽詰まった娘の声が、家の中に響きます。

登校しぶりが深刻になるにつれ、娘のわたしへの依存は強まっていきました。

 

トイレや洗濯などで、ほんの少しわたしの姿が見えなくなるだけで、激しく動揺して探しはじめるのです。

まるで、必死で母親を追いかける幼い子どものようでした。

 

「ちょっと2階に行ってくるね」

声をかけると、不安そうに2階までついてきます。

四六時中、わたしにぴったりくっついている状態でした。

 

10月の終わり頃、学校に行けない子を受け入れている「教育支援センター」に通うようになりましたが、

ここでもわたしと離れることを強く嫌がり、泣き叫んで抵抗しました。

 

それでも、「家の中に閉じこもってほしくない」という思いから、胸が締めつけられるような気持ちで、娘を引きはがすようにしてセンターへ送り出していたのです。

 

◆2つの拠点の“送迎”係

今日はどうするんだろう。

すんなりと行けるかな? それともまたしぶるかな?

何時になったら行くんだろう。

 

支援センターには、行けたり行けなかったり。

10時の始業に間に合う日もあれば、午前中2時間のうち1時間だけ行くこともあり、結局「今日はお休みしようか」となることもありました。

 

下手に「どうする?」などと聞けば娘を追いつめてしまう気がして、いつも彼女の表情を探りながら過ごしていました。

毎朝心が落ち着かず、空気を読むことに神経をすり減らす日々でした。

 

不思議なことに、娘は「給食だけは学校で食べたい」と言いました。

そのため午前は支援センター、午後は学校、と2つの拠点を“はしご”する生活。

学校とのつながりが完全に途切れないのはありがたい反面、送迎の負担はかなりのものでした。

 

「給食が終わったら戻ってきてね」と言われるので、教室まで送り届けたら急いで車に戻り、慌ただしく自分のごはんをかきこみます。

 

——何がいけんかったんだろうな。

 

ひとり必死にごはんを詰めこむ自分がみじめで、涙が出そうになることもありました。

よそのお母さんたちはきっと、子どもを送り出したあとの時間を、少しリラックスして過ごしていることでしょう。

 

娘のコンディションに振りまわされる生活は不規則で、今までのように勤めに出るのがしんどくなっていきました。

悩んだ末に、会社の制度を使って、しばらく仕事を休ませてもらうことにしました。

 

 

◆ココロ貯金との出会い

娘中心の生活に心も体も疲れきっていた頃、偶然出会ったのがココロ貯金でした。

 

子育て心理学カウンセラー養成講座を受講して、最初に取り入れたのは、“名前呼び”だったと思います。

朝「おはよう」と声をかけるときには、必ず名前を添える。

娘がなかなか起きられないときは、やさしく肩に触れたり髪をなでたりしながら、目覚めるのを待ちました。

 

そんなある日、ちひろ先生がおっしゃった言葉が、わたしの心にすっと入ってきたのです。

 

「離れない子どもは、カンガルーみたいにくっつけておいたらいいんですよ」

「“離れよう”ではなく、“離すものか”くらいの気持ちでいいんです」

 

——あ! それかもしれない。

 

聞いた瞬間、一筋の光が射しこんだ気がしました。

ちひろ先生の言葉はまるで何かの啓示のように、まっすぐにわたしの心を照らしたのです。

 

 

◆カンガルーの親子

それまでは、「娘の望むままに、ずっと一緒に行動するのはよくないのではないか」「ときには心を鬼にして突きはなすべきなのではないか」と心のどこかで思っていたのです。

 

でも、迷いが消えました。

 

支援センターに行くのも一緒。

家の中でも一緒。

ちょっとした私用にもついてくるので、もちろん一緒。

 

まるでカンガルーの親子のように、ごはんも、お風呂も、寝るときも、ぴったりくっついて過ごしました。

 

心がけたココロ貯金は、とにかく“触れる”ことでした。

支援センターへ向かうときやお友達と遊びにいくときには、挨拶がわりにハイタッチ。

ソファに並んで座っているときには、マッサージをしたり、おんぶしたり。

 

すると、少しずつ変化が見えはじめました。

「お母さん、どこ?」と娘に探されることはしだいに減っていき、外食ができるようになり、娘が外に出られる機会は着実に増えていったのです。

 

 

◆つきそい登校

2年生の3学期が残りわずかになってきた頃。

娘は少しずつ、給食だけでなく授業にも顔を出せるようになっていました。

 

お勉強のカリキュラムがひと通り終わり、リラックスした雰囲気の“体験型”の授業がふえていたのも、背中を押してくれたのかもしれません。

 

終日学校で過ごすのはまだむずかしかったのですが、わたしがつきそいながら、2~3時間授業を受けて給食の前に帰る。

そんな日々をひと月ほど続けました。

 

保育園から一緒の子が多いので、わたしが教室にいると屈託なく聞いてきます。

「おばちゃんどうしたの?」

「ちょっと一緒におらしてな」

 

はじめは不思議がっていた子どもたちも、しだいに慣れていきました。

 

町探検や防災訓練。

子どもに混ざって、さまざまな行事に参加させてもらったのは、今となってはかけがえのない経験です。

けれど当時は、先の見えない不安の方がふくらんでいました。

 

つきそいは、いつまで続くんかな。

これからどうなるんかな。

 

会社の規定で定められた休暇の期限が迫り、4月からは復帰しなければなりません。

 

——娘が普通の生活に戻れなかったら、わたしは仕事をやめるんかな。

 

得体のしれない未来がぱっくりと口をあけているようで、今にも飲みこまれそうな恐ろしさを感じていました。

 

 

◆不安を越えてその先へ

「始業式が終わった次の日から、お母さんは仕事に復帰するからね」

「お迎えは、今までみたいに早くいけんからね」

「お母さんもがんばるから、一緒にがんばろう」

 

春休みのあいだ、くり返し娘と話しあいました。

少しずつ教室にいられるようになっていたとはいえ、 春休みで2週間のブランクがあります。

「どうかな、どうかな」と胸がざわつき、不安と期待が入り混じった気持ちで過ごしていました。

 

——そして迎えた4月。

 

なんと娘は、毎日、朝から学校に通えるようになったのです。

 

登校班ではなくわたしが送っていきますが、児童玄関で「いってらっしゃい」と手を振ると、そこからは娘ひとりで教室へ。最後まで授業を受けて、そのまま学童へ行き、夕方わたしが迎えにいきます。

 

ありふれた日常が戻ってきた幸せを、今じんわりとかみしめています。

 

娘は明るい表情で、学校の話をたくさんしてくれるようになりました。

「先生がこんなこと言ったよ」

「友達とこんなふうに遊んだよ」

「理科の実験が面白かった!」

「リコーダーを習った」「ローマ字を習った」……

愚痴も笑い話もひっくるめて、なんでも話してくれる。

学校生活を楽しんでいる様子が伝わってきて、わたしも安心して過ごせるようになりました。

 

 

◆わたしの変化

以前のわたしは、話を聞かなかったわけではないのですが、

「え、そんなん言ったの?」

「それは、こういうことじゃないのかな」

と、つい途中で口をはさんでしまいがちでした。

 

けれども、まずは否定せずに娘の話を受けとめるようにしてみたら、娘との関係が変わったように思います。

 

ココロ貯金はわたしにとって、子育ての“拠りどころ” であり“軸”でもありました。

娘にしてあげられることがわからずに、やみくもに心配して自分を責めてばかりだった過去のわたし。

 

今は、「子どもを優先してあげられない日」があっても「そのあとにどう寄りそってあげるか」が大事だと思えるようになり、穏やかな気持ちで過ごせるようになりました。

 

 

◆東京往きの飛行機で

6月。

子育て心理学協会の10周年パーティが、東京で開かれることになりました。

絶対に参加しようとは決めてはいたものの、丸1日娘と離れて過ごすのは本当にひさしぶりです。

 

やっと学校に行けるようになったのに、また不安定になってしまったらどうしよう。

本当にわたし、何ごともなく行けるんかな。

 

前日まで、心配で胸がいっぱいでした。

 

だからこそ、無事に飛行機に乗れたときは感無量。

 

——こんな日が来るなんて、あの頃は考えられなかったな。

 

肩の力がふっとぬけて、しばし放心してしまいました。

 

娘の気がすむまでずっと、つきそってあげてよかった。

本当によかった。

 

つらかった日々も、みじめで泣きたい夜も、ただ目の前の一日を必死に過ごしたあの頃も——。

すべてが、この瞬間へとつながっていたのだと思えました。

 

気づくと涙が頬をつたっていました。

あたたかな涙はとめどなく流れ、ひとり静かに祝杯をあげたのです。

 

 

お母さんが実践したココロ貯金

・あいさつ+名前呼び

・カンガルーの親子のような触れあい

・子どもに求められるままのつきそい

vol.21 薬を…

◆泣きながら迎える朝

——今日は行けるだろうか?

 

高校2年の夏が終わった頃から、娘は登校できない日が増えていきました。

もともと真面目な性格で、「学校に行かなきゃ」という気持ちは人一倍あるタイプ。ところが朝になると……体が動かなくなってしまうのです。

 

まず起き上がれない。
それでもなんとか布団からぬけ出し、ゆっくり着替えはじめます。

顔色がわるいまま、やっとの思いで制服に着がえたのにそれ以上動けず、泣きながら部屋にもどってしまうこともありました。

 

不思議なのは夕方。

わたしが仕事から帰ってくると、娘はまるで別人のように元気になっているのです。

「明日は行ける気がする!」

前向きな言葉に、こちらも「よかった。明日こそは」と希望を抱きます。

 

けれども朝になると、また同じことのくり返し。

何とか登校しようと泣きながら支度をするのに、大抵は途中で力尽きてしまうのです。

暴言を吐くことはありませんでしたが、娘の発する空気は鋭くて、「近寄らないで」「察して」というサインがビリビリ伝わってきました。

 

それでも、親としては放っておけず、声をかけます。

「大丈夫?」

するとスイッチが入って、不機嫌さが増幅してしまうのです。

全身をトゲで覆われているようで、手を伸ばしたくても届かない。そんな感じでした。

 

——どうして、こんなことになってしまうのだろう。

いろいろと調べましたが原因はわからず、時間だけが過ぎていきました。

 

 

【お母さん(真由美さん)のプロフィール】

大学1年生のお嬢さんのお母さん。お嬢さんは、高校2年生のときに学校に行けたり行けなかったりの生活になり、後に起立性調節障害が判明。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが高校3年生の秋。

◆不調の原因

ギリギリの出席日数でどうにか進級し、高校3年生の夏を迎えた頃。

ある偶然から、娘の不調の正体が見えてきました。

 

「友だちが“起立性調節障害”と診断されたんだけど、症状がわたしと似ているの」

娘のそんなひと言をきっかけに、小児科を受診。

同じ病気だと診断され、薬を処方してもらえることになりました。

 

——これでやっと……何かが変わるかもしれない!

胸の奥に、小さな光が灯った気がしました。

 

けれども、現実は甘くありませんでした。

 

まず、お医者さまの指示どおりに薬を飲ませるだけでもひと苦労だったのです。

指示された服用のタイミングは、起床の「1時間半前」。「5時半には起きたい」という娘の希望をかなえるためには、朝4時に、眠っている彼女の口元に薬を運ばなければなりません。

 

寝過ごしてはいけない。

飲ませ忘れなんて、もってのほか。

 

毎朝3時45分に目覚まし時計をセットしてがんばりましたが、想像以上のプレッシャーから眠りも浅くなり、「次はわたしの自律神経がやられるかも……」と本気で思うほど、心も体も張りつめていました。

 

何よりつらかったのは、そこまで大変な思いをして薬を飲ませても、はっきりした効果が見られなかったことでした。9月になっても状況は変わらず、じわじわと焦りが広がっていきました。

 

——このまま変わらなかったらどうしよう。

——出席日数が足らずに卒業できなかったら、娘の将来はどうなってしまうんだろう。

 

暗い想像ばかりが頭をよぎり、何か手がかりはないかと必死でもがいていたときに出会ったのが、「ココロ貯金」でした。

 

 

◆娘とわたしの変化

子育て心理学カウンセラー養成講座を受けて、まずありがたかったのは、ちひろ先生や受講仲間のみなさんに話を聴いていただけたこと。ずっと孤独にがんばってきたので、同じような悩みを抱えた方たちと気持ちを分かち合え、救われた気がしました。

 

心の中のざわつきが静まって自分の気持ちが穏やかになるにつれ、娘との関係も変化していきました。

 

「一緒に寝よ」

いつの頃からか、娘が誘ってくれるようになったのです。

「いいね、寝よう寝よう」

狭いシングルベッドでぴったりと寄り添って眠る時間は、娘のぬくもりがたまらなく愛おしく、どこか安心できるものでした。娘もきっと、同じように感じてくれていたと思います。

 

“腹貯金”もよくしました。

娘が好きなお菓子を見つけてきては、「あなたのために買ったのよ」と笑って渡すと、はにかんだ笑顔を返してくれます。小さなやりとりの積み重ねが、わたしたち親子の距離を少しずつ縮めてくれました。

 

また、「聴く」貯金も心がけました。

以前のわたしは娘の話を途中で区切って、ついアドバイスをしてしまいがちでした。でも、ココロ貯金を学んだことで「最後までしっかり聴こう」と意識するようになり、“否定せずに聴く”ことを大切にするようになりました。

 

すると——

娘のほうから話してくれる機会が、増えていったのです。

 

以前はわたしが忙しそうなときは遠慮していました。「今なら聴いてもらえそう」とタイミングを見て話してくる感じでしたが、自分が話したいときに自然に話してくれるようになった気がします。

 

そして、不思議な変化が訪れました。

薬を飲んでも改善しなかった起立性調節障害の症状が、少しずつ和らいでいったのです。

朝、「しんどそう」な日が少しずつ減り、登校できる日が徐々に増えていきました。

 

 

◆そして、大学生に

この春、娘は大学生になりました。

 

真面目な彼女にとって、大学受験も大きなプレッシャーだったのでしょう。

受験が終わったこと。

時間をかけてココロ貯金がたまってきたこと。

2つのタイミングが重なった高校3年生の終わり頃、見違えるほど元気になりました。

 

今の娘をひと言で表すなら「自由にやってる」感じです。

メンタルもだいぶ回復し、大学の講義にはすべて出席。

前向きな気持ちで学校生活を送っています。

 

サークルは2つかけもち。

驚いたのは、高校でプレッシャーの一因になっていたカルタのサークルに入ったことです。はたから見ると、“触れたくない過去”になっているイメージだったので、入部したときには本当に驚きました。

「あまり根詰めず、気楽にやる」のだと笑っています。

 

 

◆今、思うこと

あともう少しで、娘は巣立っていきます。

子育ての最後の最後にココロ貯金を学び、親子の関係を見直す機会をいただけたことには、感謝しかありません。

 

今思えば、娘が思春期になったときに関わり方を変える必要があったのに、わたしはそれに気づけなかった。娘の不調をきっかけにココロ貯金に出会い、小さな関わりを重ねていくことで自分を変えられたというか、何かをつかめた気がしています。

 

学校に行きたいのに体が動かず、泣いていた娘はもういません。

ひとまわりたくましくなった笑顔を見ていると、胸がいっぱいになるのです。

お母さんが実践したココロ貯金

・「一緒に寝よ」と言われたときの添い寝

・好きなお菓子で腹貯金

・話を遮らずに「聴く」貯金

vol.20 ゲー…

バーチャルな世界に潜った息子

午前0時すぎ。
今日も息子の部屋の明かりは消えることがなく、ボソボソと話し声が聞こえてきます。
オンラインゲームでチームを組んだ仲間たちと、ボイスチャットで盛り上がっているようです。

「うおーっ」
暗闇の中、時折ひびく雄たけび。

息子の感情が動くのは、ネットの世界だけなのかもしれない。

そう思うと、ぎゅっと胸がしめつけられました。
ふだん見慣れた、覇気のない硬い表情が、脳裏に浮かびます。

朝は眠り、夜になるとひとりネットの世界へと潜っていく息子。

——このままゲームに依存してしまったらどうしよう。

息子の未来が見えなくて、不安ばかりが心の中で渦を巻いていました。

 

【南河ゆきさんのプロフィール】

2人のお子さんのお母さん。現在高校3年生の長男さんは、小学4年から中学校の間、ほぼ不登校。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは長男さんが中学2年生の頃。

 

 

「もがいては挫折」のくり返し

息子の不登校がはじまったのは、小学校4年生の頃。
それでもがんばって私立の有名中学に入ったのですが、入学後の小さなトラブルにつまずき、またもや学校に行けなくなってしまいました。

家では、ずっとゲームに没頭。息子の昼夜は完全に逆転してしまいました。
顔色も冴えず、とにかく元気がありません。

自宅学習の助けになればと考えてパソコンを購入しましたが、パソコンが開かれることはなく、結局ゲーム用の機器が増えただけ。
月に一度通っていたカウンセリングも、午後の遅い時間帯に予約しているにもかかわらず、体調がすぐれずキャンセルしてしまった日が度々ありました。

それでも何とか学校に戻りたいと、息子ももがいていたのでしょう。
「地元に戻るわ」と言い出して、中学2年生で地元の中学に編入しました。
しばらくはがんばって登校していたのですが、夏のテストが終わったあたりから、また少しずつ、学校から足が遠のいていきます。

かなり無理している様子がこちらにも伝わり、体調も芳しくなく、ギリギリに車で送っていくのが精いっぱいの日々でした。

ココロ貯金との出会い

ずっと暗い迷路の中で、同じ場所をさまよっているような焦燥感がありました。

——親にできることは、何もないのだろうか。
息子のために何かしたいのに、何もできない自分が情けなくて、苦しくて。
わたしの心も疲弊していた、息子が中学2年生の夏、“ココロ貯金”という考え方に出会いました。

そして、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したことをきっかけに、子育てへの向き合い方が少しずつ変わっていったのです。

講座で学んだココロ貯金を試してみると、息子の表情がわずかに動く。
「あ、これがいいんだ」と腑に落ちる。

チャレンジして、手応えを感じて、また試して——
講座と実践の過程をとおして、深い学びがありました。

 

“導く”ことを、やめてみた

ある日、ふと気づいたのです。

わたしはずっと、「こうあるべき」という道へ息子を連れて行こうとしていた。
引っぱったり、背中を押したり、それが親のつとめだと信じて疑わなかった。
でも……もしかしたら、がんばり方が違っていたのかもしれない。

——息子を導こうとするのを、いったん手放してみよう。

ゲーム依存になって「ゲームで食べていきたい」などと言い出したらどうしようと、あれこれ先回りして不安になっていた過去の自分。でも、もしそうなっても構わない。

腹をくくると、心がふっと軽くなりました。

まずは、笑顔で接する。
否定せずに、話を聴く。
すごいと思ったことは、ちゃんと言葉にして伝える。
息子の好きなごはんを、沢山つくる。

立派なことはできなくてもいい。
等身大のわたしのままで、
「大好きだよ」「大事に思っているよ」
とまっすぐに伝えよう。

そして、いつも味方でいる。

たったそれだけを心に決めて、再出発したのです。

なだらかな変化

結果として、息子の中学生活は不登校のまま終わりました。
けれども、ココロ貯金がたまるにつれて外の世界との接点が増え、こちらの気持ちまで明るくなるほど、息子の活力は回復していったのです。
表情もおだやか。
不登校の子が通いやすい塾を見つけたので連れて行くと、通いたいと言いました。一番苦手そうな英語をやるといって、その後は数学も習いたいと言い出して、結局2つの塾に通うようになりました。

行けない時期もありましたが、「ちょっと今、メンタル落ちてるから休みたい」とか、「このぐらいまで休んだらまた行けると思うから」などと、行けない理由や期限を申告してきて、約束どおりにまた戻っていくのです。
驚きながら見ていましたが、そうやって期限をもうけて戻れるきっかけを作っていたのかな、とも思います。

月に一度は、美容院にも行くようになりました。
また、クラス担任の先生がいい先生で、講座で教わった方法でお願いすると頻繁に家庭訪問してくださるようになりました。先生との1 時間ほどの雑談は、とてもよい足慣らしになったと思います。
このようにして少しずつ、息子の世界は広がっていったのです。

明るい世界

ダダダダダッ。
勢いよく階段を駆け下りてきたのは、息子。
いつの間にか、高校3年生になりました。
学校には、毎日休まずに通っています。

選んだのは、比較的ゆるめの全日制の高校。
決して順風満帆だったわけではなく、入学してからも紆余曲折がありました。毎日通えるようになったのは、つい最近のこと。
それでも今——
ふざけたり鼻歌を歌ったり。
あの頃とはまるで違う、軽やかな時間が流れています。

高校からはじめた軽音部では、なんと部長を任されました。
重たいギターを担いで、電車とバスを乗り継いで通学。
ボイストレーニングに通いたいと言い出すなど、息子の世界はますます広がっています。

慣れない毎日の登校は、たぶん身体にこたえているはず。
けれども、中学の頃のような「無理している」感じは、まったくありません。
少しだけ早く眠るようになり、朝ごはんもふつうに食べて出かけていきます。

高校1年生のときにはじめたアルバイトは、家で愚痴をこぼしながらも、高校2年の終わりまで続きました。

そして、あんなに悩まされていた深夜のチャットの話し声は……、
いつの間にか、すっかり聞こえなくなったのです。

未来に向かって

先日、用事があって息子の部屋に入ったところ、机の上には沢山の書き込みがあるノートが広げられていました。本人いわく、動画を見ながら、要点をまとめているのだとか。
本棚には、ズラーッと参考書が並んでいます。

大学には行きたいと、ずっと前から言っていて。
高2の途中ぐらいから、自分なりの受験勉強の計画を話してくれるようになりました。
「この単元は、〇月までに終わらせるつもり」
「英検は受けておいた方が良さそう」
そう言って、高2の終わりには本当に英検を受けに行きました。正直、あまり勉強しているようには見えなかったのに——見事合格。
よく受かったね、と家族みんなで驚きました。

親が何も言わなくても、塾や学校の自習室で相談して、大学や受験についての情報を積極的に集めている様子。進学校ではないため学校で模試がなく、「調べて申し込んだから、お金払って」と、頼まれたこともありました。

最初は有名校ばかりを挙げていた志望校も、ここがダメだったらここ、ここがダメだったらここ……と、すべり止めまで計画するようになりました。

卒業後は一人暮らしをしたいと言い出したので、
「家賃ってどれくらいなんだろうね」
と一緒に調べて、
「こういう部屋がいいねえ」
と、楽しく語り合いました。

ココロ貯金がくれたもの

わたしにとってココロ貯金は、“ありのままの愛情”を息子に伝える術でした。

子どもは親とはちがう人格をもった、ひとりの人間。
そして、親だって完璧じゃなくていい。

当たり前のようで見失いがちなことを、ごく自然に受け入れられるようになりました。悩み苦しんだあの頃の時間も、今思えば必要な通過点だったのかもしれません。

「あなたが大好き」
その気持ちさえ届いていれば、子どもは元気いっぱいに、自分の人生を生きていく。

自ら未来を切り開こうと奮闘する息子の姿を、頼もしい気持ちで見守っています。

南河ゆきさんが実践したココロ貯金

・笑顔で接する
・否定せずに、話を聴く
・すごいと感じたら、言葉にして伝える
・好きなメニューで、腹貯金

 

vol.19 「う…

息子の異変

「ちょっと様子がおかしいから見に来な」

 

涼しい秋風が吹きはじめた10月のある日、息子を預けている実家の父から連絡がありました。

息子は東大を目指して浪人中。幸いわたしの実家が東京にあったため、下宿しながら東京の予備校に通っていたのです。

 

しかし、浪人生活がはじまると同時にコロナが蔓延。会いたくても簡単には会えない状況でしたが心配でたまらず、緊急事態宣言のすき間をぬって、新幹線に飛び乗りました。

 

再会した息子は、頬がこけ目元もくぼんでいるように見えました。全身から緊張感がにじみ出ていて、追い詰められた心の内がひしひしと伝わってきます。

 

——父が気づいてくれて、本当によかった。

 

週末の3日間でなんとか彼を励ますと、一時は元気を取り戻したように見えました。けれども、それほど簡単なことではなかったのです。

 

【石橋やえさんのプロフィール】

2人のお子さんのお母さん。現在大学院の1年生の長男さんは、浪人生活がコロナ禍と重なり、精神的に落ち込みがちに。サポートの甲斐あって見事第一志望の東大に合格するも、学部内の激しい競争からメンタルダウン。やがて「うつ」の診断を受けてしまう。やえさんが子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男さんが浪人生の頃

 

 

息子の異変

「ちょっと様子がおかしいから見に来な」

 

涼しい秋風が吹きはじめた10月のある日、息子を預けている実家の父から連絡がありました。

息子は東大を目指して浪人中。幸いわたしの実家が東京にあったため、下宿しながら東京の予備校に通っていたのです。

 

しかし、浪人生活がはじまると同時にコロナが蔓延。会いたくても簡単には会えない状況でしたが心配でたまらず、緊急事態宣言のすき間をぬって、新幹線に飛び乗りました。

 

再会した息子は、頬がこけ目元もくぼんでいるように見えました。全身から緊張感がにじみ出ていて、追い詰められた心の内がひしひしと伝わってきます。

 

——父が気づいてくれて、本当によかった。

 

週末の3日間でなんとか彼を励ますと、一時は元気を取り戻したように見えました。けれども、それほど簡単なことではなかったのです。

コロナ禍の予備校生活

東大専門の有名なクラスに入学した息子。ところが、講義はすべてリモート授業です。前例のない事態なので仕方がないとはいえ、高い授業料に見合ったサポートが得られないような状況でした。

 

「こんな勉強の仕方で、大丈夫なんだろうか……」

わたしですらそう感じていたのですから、本人はどれほど不安だったことでしょう。さらに追い打ちをかけるように、担任の先生からこんな言葉をかけられたそうです。

 

「今年のクラスは出来が悪いから、受かるのは3割だな」

——それって、ほとんどの子が受からないってこと?

 

コロナの閉塞感と慣れない環境、そして将来への不安……。疑心暗鬼になりながらも必死に勉強を続けるうちに、息子の心は少しずつ追い詰められていったのだと思います。

 

息子、逃げ帰る

「疲れたから帰りたい」

息子から連絡があったのは、共通テストが目前に迫った12月のことでした。

 

——え? 何があったの?

動揺しながらも、努めて平静を装います。

「いいよ。帰っといで」

不安を悟られないように、いつも通りの声でそう返しました。

 

今、どんな気持ちでいるのだろう?

考えるたびに、胸の奥がぎゅっと締めつけられます。

 

里帰りの予定は約1週間。短い時間だけれど、わたしにできることを、できるかぎりしてあげよう——そう心に決めました。

5日間のココロ貯金

——とにかく、ココロ貯金を貯めよう。

ふだんは何もしてあげられない分、愛情を伝え、寄り添ってあげたい。

 

まずは、息子の好物を作って食べさせることから。

疲れた体を整えるために、整体にもつき添いました。

「共通テストまで日があるんだから、焦らなくて大丈夫。回復してから、がんばればいいじゃん」

整体師の先生の温かな励ましに、勇気づけられたようでした。

 

「日に当たりな」とも言われたので、毛布にくるまりながら、庭先で一緒に日向ぼっこ。

天気のよい日には、ちょっとしたドライブにも出かけました。近くの湖で東京にはない自然にふれて、ちょっと贅沢なホテルに寄ってケーキを食べて。

 

息子が「落ち着かないから」と勉強をはじめたときは、「 暇だったらピアノでも弾いてみたら?」と勧めてみました。今だけは勉強から離れ、リラックスした時間を過ごしてほしかったのです。

 

彼の奏でるピアノの音に耳を傾けながら、わたしの心は遠い日々へとさかのぼっていました。二人三脚でコンクールに挑んだあの時間。そう、あなたは昔から“がんばれる子”だったよね。

 

5日ほど穏やかに過ごしたところで、息子が言いました。

「そろそろ帰るよ」

再出発

息子を駅まで送った日。

ゆっくりと動き出す新幹線を見つめていたら、不覚にも涙があふれてしまいました。もし息子がひとりっ子だったら、きっと一緒に東京に行ったでしょう。でも、家には娘もいるし、仕事もある。

 

——がんばれ。頑張って。

どうか、体だけは大事にして。

 

結局、わたしにできるのは祈ることだけ。

精一杯の想いをこめて、手を振り続けました。

母のおにぎり

「お母さんのおにぎりが食べたい」

いつだったか、息子が言ったことがありました。梅干しやおかか、鮭などを入れたごく普通のおにぎり。けれど、彼にとっては何かが違うらしいのです。

 

そこで、たっぷりお米を炊いておにぎりをたくさん握って、冷凍して送ることにしました。いつも使っている塩がついた長い海苔も同封し、「ラップじゃなくてアルミホイルで巻いてね」というメッセージをひと言添えて。

 

子育て心理学カウンセラー養成講座で教わった「腹貯金」の遠隔バージョンです。授業の合間にお母さんのおにぎりを食べると、元気が出てくるんだよ——と、息子が笑って教えてくれました。

 

こうして、あの手この手で心と体を支えながら、浮き沈みの激しい日々を乗り越えていったのです。

そしてついに、第一志望だった東京大学に合格。

知らせを聞いたときは、心の底からホッとしました。

 

ところが——、

残念ながら穏やかな日々は、長くは続かなかったのです。

深夜の電話

第一志望の大学に合格し、念願のひとり暮らしをスタートさせた息子。

けれども、大学生活の1年目は、決して順風満帆ではありませんでした。

 

当時はまだ、コロナ禍の真っただ中。

友達と顔を合わせる機会もほとんどなく、外出するのは、かなりブラックだった塾講師のアルバイトのときくらい。

そのような環境の中で、息子のメンタルは徐々に落ち込んでいきました。

 

あの頃、わたしがよくしていたのは、「話を聴く」ココロ貯金です。

「夜、電話していい?」

ピコンと届くLINEのメッセージ。

「何時ごろ?」とたずねると「23時」と返ってきます。

23時から3時間……。日付が変わっても、息子の話は止まりません。

 

「もう、お母さん眠いんだけど……」と言いたい気持ちをぐっと飲み込み、相槌をうちながら、ひたすら耳を傾けました。

 

モヤモヤを吐き出すことで、少しでも心が軽くなるなら。

 “安心できる場所”があると、少しでも感じてくれるなら——そう願いながら、話を聴き続けた日々でした。

見えなくなった未来

東大では、1・2年生の間は全員が「教養学部」に所属し、幅広く基礎的な知識を学びます。

そして2年生になると「進学選択(通称:進振り)」という制度で、3年生からの専門の学部を選ぶのですが——

この進振りの競争が、想像を超えるほど熾烈なのです。

 

息子が希望していたのは、人気の学部。

わずか5名の枠に、なんと400人が殺到したそうです。

 

結局、彼に与えられたのは「第8希望」だった学部。

あまりにも無残な現実に、体中の力が抜けてしまったようでした。

 

「なんのために、今までがんばってきたんだろう……」

 

そんなことを考えながら歩いていた通学中に、突然目の前が真っ白になり、そのまま倒れそうになったと言います。

 

「病院に行ったら、“うつ”って言われた」

 

彼の報告を聞いたわたしは、またしても東京行きの新幹線に飛び乗りました。

 

親子で過ごした週末

それから半年あまりは、月に一度のペースで、週末は東京の息子のもとへ通いました。

そうじや洗濯を手伝って、ごはんをつくったり、一緒に外食したり。向かい合って食事をしながら、たくさん話し合いました。

 

「例えばさあ、希望の学部に行くために、あえての留年ってアリかな?」

「うーん……アリかも。いや、やっぱりそれはナシかな」

 

会話を通して考えることで、息子の心は整理されていったのかもしれません。

胸に秘めた思いを言葉にしていくうちに、少しずつ前向きさを取り戻していきました。

 

その後の話

その後の息子は目立ったスランプもなく、3年生、4年生と、粛々と学業に打ち込みました。

 

そして——

驚いたことにあのとき息子は、大学院へのステップアップを考えはじめていたのです。

 

「やっぱり、本当にやりたい分野を学びたい」

そう考えた彼は院試に有利な研究室を自ら選び、しっかりと準備を重ね、見事に合格を勝ち取りました。

 

おそらく、わたしには想像もつかないような努力を重ねてきたことでしょう。

今は毎日がとても充実しているようで、忙しそうにしています。

心配は尽きないけれど

息子が巣立って、娘も成人しました。

「立派に育てられて」と言ってくださる方もいますが、正直なところ、まだまだ心配の連続です。

 

いくつになっても、子どもは子ども、母は母。

きっと、心配が尽きる日はこないのだと思います。

 

誰だって「がんばり続ける」のは、むずかしい。

心がポキッと折れそうになったとき、“ココロ貯金” を学んでいたから、息子は軽傷で踏みとどまれた。

そう感じています。

 

小さなつまずきをココロ貯金で乗り越えるたびに、息子の心の幹は少しずつ、太くなっていきました。

子ども自身がもつ力に感動し、その輝きに目を細めながら、いつまでも見守っていきたいと思います。

 

石橋やえさんが実践した“遠距離”ココロ貯金

・「否定せずに」話を聴く・息子が弱ったときには、即・上京
・会えたときには、てんこ盛りのココロ貯金
・おにぎりを冷凍して、宅配便で“腹貯金”
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vol.18 不登…

突然の不登校

小学3年生の始業式が終わった翌朝。

いつもなら自分で目を覚まし、元気に起きてくる息子がなぜか部屋から出てきません。

 

不思議に思って様子を見に行くと、布団にくるまり、小さく震えながら泣いていました。

 

「どうしたの? 何かあった?」

 

規則正しい生活を送ってきた、真面目な息子。夜9時に寝て、朝6時に起きる生活が当たり前だったのに——。

突然の変化に、わたしは驚き戸惑うばかりでした。

 

どれだけ声をかけても、息子は涙を流し続けます。

布団の中から出ようともせず、その日、学校へ行くことはできませんでした。

 

【お母さんのプロフィール】

二人兄弟のお母さん。長男さんは小学3年生の始業式の翌日から不登校になってしまう。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男さんが不登校になってまもない頃。

 

 

涙の理由

なぜ、息子は学校に行けなくなったのか——。

理由は複合的なものだったと思います。

 

初めてのクラス替えで仲のよいお友達と離れてしまったこと。

大好きな親友が転校してしまったこと。

そして決定的だったのは、担任の先生が変わったことでした。

 

1、2年生のときの先生は、温かくて優しくて息子にとって安心できる存在。

その先生のクラスでのびのびと過ごしてきた彼にとって、新たな担任の先生は、あまりにも違いました。

怖くて厳しくて、大きな声でどなって叱る。

始業式の日にその洗礼を受けてしまったことが、不登校の引き金になってしまったようでした。

 

 

軽くとらえていた最初の1週間

「大丈夫。行ってみれば何とかなるよ」

最初のうちは、そう思っていました。

説得すれば息子の気持ちも落ち着き、また学校に行けるようになるだろうと。

 

「先生もクラスも、最初はみんなイヤだって思うものだよ」

「行きたくないって思うのも、普通だよ」

 

夫と二人で1週間、言葉をつくして励まし説得を続けました。

ところが、息子の心には届かなかったのです。

 

こちらが焦って必死になるほど、息子の気持ちは学校から遠ざかっていくようでした。

そしていつの間にか、学校に行かない日々が日常になっていきました。

 

途切れていく社会とのつながり

親としてつらかったのは、不登校だけではありませんでした。

それまでがんばってきた、サッカー、ピアノ、お勉強、といった習いごとまで、辞めざるを得なくなったのです。

 

唯一続けられていたのは、大好きな先生のいるピアノ。

優しく寄り添ってくれる先生のおかげで何とか続けていたのですが、ついにそれさえも行けなくなりました。

 

「学校に行っていないのに、誰かに会ったらどうしよう」

そんな不安から、外に出ること自体がむずかしくなってしまったのです。

 

今まで積み上げてきたものを、一つずつ失っていく感覚。

学校には行けなくても、何か息子のやりがいになるものや、人とのつながりを残したい——。

そんな願いもむなしく、息子を見守るしかない苦しい毎日でした。

 

「先生が変わらない限り、復帰は難しいかもしれないね」

そんな周囲の声に、わたし達も次第に「このまま3年生が終わってしまうかもしれない」と、あきらめの気持ちを抱くようになっていました。

ココロ貯金との出会い

「学校に行けないなら、それでもいい。朝はちゃんと起きよう」

「起きてご飯を一緒に食べよう」

 

息子にそんな言葉をかけ始めた頃、「ココロ貯金」というメソッドに出会いました。

ちょうど「子育て心理学カウンセラー養成講座」が始まることを知り、少しでも息子のためになればと、思いきって受講してみることにしました。

 

まず取り組んだのは、毎朝毎晩欠かさずに名前を呼んで挨拶すること。

それから「大好きだよ」と素直に気持ちを伝えることでした。

寝る前に言葉で伝えたり、お互いにぎゅっと抱きしめ合ったり。

息子の温もりに愛しさがつのり、気持ちはきっと息子にも伝わっていると感じられました。

 

そしてもう一つ、とても苦手だけれどもがんばったココロ貯金があります。

それは「否定しないで聴く」こと。

 

わたしは、ネガティブな話を聴くのが大の苦手。

後ろ向きの発言には「でも……」と反論したくなってしまうのです。

 

「そうじゃないよ」と正して、前向きなアドバイスをしたくなる。

でも、それでは何も変わらなかったのが過去の教訓でした。

 

「そう思ったんだね」

と気持ちを受けとめて、否定せずに聴く。

 

わたしにとっては大変むずかしいことでしたが、一生懸命取り組みました。

わたしの気づき

ココロ貯金という考え方を知り改めて子育てに向き合うと、たくさんの気づきがありました。

 

1年生・2年生と多くの習いごとをこなしてきた息子。

「学校から帰ったらすぐ習いごと」という生活は大変だっただろうな、そのがんばりを認めてあげられていなかったな、と振り返りました。

 

「がんばれ、がんばれ!できる、できる!」と明るく励ましてきたけれど、それも違ったのかもしれない。

息子の気持ちを最後まで聴かず、親の勝手でポジティブに変換していただけだったのではないだろうか。

 

気づけば、これまでの自分の言葉や関わり方を、さまざまな角度から見つめ直していました。

それは、大きな学びの時間でした。

先生とのコミュニケーション

家庭でココロ貯金を続ける一方で、先生との連携も少しずつ試みていました。

 

不登校の理由を取り繕うことはできません。

息子からきいたこと、先生を怖いと感じたことなどを率直に伝えました。

 

「申し訳ないのですが、息子はこんな話をしています」

 

勇気がいりましたし、迷いもありました。

けれども、どなったりみんなの前で叱ったりすることについては、お伝えすることで緩和していただけるのではないか——そう考えて、思いきって相談しました。

 

また、「どのように過ごしていけば、先生との距離が縮まるか」という課題について、教頭先生、担任の先生、夫とわたしの4人で話し合う場も設けていただきました。

 

「息子はサッカーが好きなので、一緒にサッカーをしていただけませんか?」

お願いすると快く応じてくださり、放課後に教頭先生をまじえて何度かサッカーをしてくださったのです。そのときの担任の先生はいつもの厳しい表情ではなく、楽しそうにニコニコと笑って接してくださいました。

 

「先生ってこんな風に笑うんだね」

「足が早いんだね」

 

息子はたくさんの発見をしながら、うれしそうにボールを追いかけていました。

 

サッカー以外にも体を動かす遊びに何度かおつきあいいただいて、少しずつ距離が縮まっていきました。

 

 

サイン

8月の終わり。

夏休みが明けた始業の日、驚いたことに息子は抵抗なくすんなりと登校したのです。

「もしかしてこのまま……?」

希望がよぎりましたが、残念ながら翌日からはまた“行けない日々”に戻ってしまいました。

 

その少し前、息子とこんな話をしていました。

「これからどうしようね」

「このまま4年生になるのかな」

 

本人にも、このままでは4年生になれないかもしれないという焦りがあって、

「やはり行かなきゃいけない」

「行こう!」

「でも……」

といった葛藤があったのかもしれません。

 

そして——忘れもしない9月25日。

息子は突然、はっきりと言ったのです。

 

「明日から行くよ」

再登校

「明日から行く」という宣言はきいたものの、わたしは半信半疑でした。

なぜならそれまでは、洋服に袖を通すという身支度すらできない状態だったからです。

 

——6時間もある日だけれど、本当に行くのだろうか。

 

そんな思いで迎えた9月26日の朝。

息子は淡々と着替えを済ませると、何の迷いも見せずひとりで玄関を出て行きました。

 

そして6時間の授業を終え、すっきりと晴れやかな表情で戻ってきたのです!

 

自宅では一切勉強していなかったので、授業の進み具合もわからない状態だったはず。

それも隣のお友達に教えてもらいながら、無理なく一日を過ごせたそうです。

そして、好きな漢字の授業では——なんと、手を挙げて発表までしたのだとか。

 

この日を境に、息子は毎朝自然に登校するようになったのです。

 

成長

学校に通う日々が戻ってくると、息子の中に積極性が芽生えてきました。

 

「やっぱりサッカー、やりたいな」

ある日そう言い出した息子はチームを探して体験を受け、「このチームでやりたい」と入団するチームを自分で決めました。

 

それだけではありません。

サッカーと並行して、週2回のバスケットにも挑戦することに。

最初はお友達に誘われて「ちょっと体験行ってくるわ」という感じでした。

 

サッカーだけでなくバスケまでやるの? と驚きましたが、今でも楽しく続けています。

あれほど動けなかった日々が嘘のように、息子は軽やかに新しい世界へ踏み出していきました。

 

ふと気になり、担任の先生についてたずねてみました。

「なんか、やさしくなったよ」

 

もちろん、厳しく叱られることもあるそうです。けれども息子のキャパシティが広がったようで、「こういう先生なんだ」と受け入れられるようになったのだとか。もしかすると先生側も、叱り方がマイルドになるように意識してくださったのかもしれません。

 

今、思うこと

息子が学校に行けなくなったとき、最初は焦り、その後は途方にくれました。

 

けれども運よくココロ貯金に出会い、愛情の伝え方を知ることができました。

話を否定せずに最後まで聴き、ただ寄り添う——自分の中にはなかった関わり方を学び、実践できるようになったのです。

 

半年という不登校の期間は、もしかすると短い方なのかもしれません。

けれども渦中にいるときは、ゴールが見えず何度も心が折れそうになりました。

 

——それでも、息子の力を信じてよかった。

 

ココロ貯金を頼りに、実践してきてよかった。

学校に行けなかった半年間で、息子もわたしも、少しだけ成長できた気がします。

おかあさんが実践したココロ貯金

・毎日「名前を呼んで」挨拶する

・「大好きだよ」と素直に伝える

・「否定せずに」話を聴く

vol.17 「「…

ネガティブなメモ

「生きているのがつらい」

 

ふと気になってのぞいた娘のノート。

そこには、胸を締めつけるようなネガティブな言葉が並んでいました。

 

中学校に行けない日々のなかで、娘が綴ったもの。 まるで、生きる意欲そのものを削るような言葉たち。

ページをめくるたび、暗い未来ばかりが心をよぎり、胸がぎゅっと痛みました。

 

——どうしたらいいの?

 

答えが見つからないまま、不安を抱え続けた中学生活は、静かに幕を閉じました。

 

【お母さんのプロフィール】

大学1年生のお嬢さんと高校1年生の息子さんのお母さん。お嬢さんは中学時代不登校で、通信制の高校を卒業。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが大学生になってまもない頃。

 

 

消えない不安

中学を卒業した娘は、通信制の高校へ入学。

「今日は行きたくないから休む」と、登校する・しないを自由に選べるシステムがうまくフィットして、無事卒業できました。その後は、短大よりもゆっくり学べそうだと大学に進学……。

 

このように書くと順調のように見えますが、不安はなくなりませんでした。

 

神経が細く生きづらさを感じやすい娘です。

はたから見れば普通の大学生に見えたはずですが、娘の“我慢のコップ”が今にもあふれてしまいそうな危うさをいつも感じていました。

 

課題をしながら「もうやだあ」と泣き出したり、朝、支度しながら「ああーーっもう時間ないっ」とヒステリーをおこしたり。朝 5 時起きで課題を終わらせた後、「10 分だけ寝てくる」と寝室に行ったまま起き

 

られないこともありました。消耗が激しく、見るからに不安定。

 

娘は「こうありたい」「こうあるべき」というこだわりが強く、あるべき姿に向かってアクセルをどんどん踏むタイプ。スピードに耐える体力も精神力も持ち合わせていないので、最終的にダウンしてしまうのだと思います。

 

⾧くても 15 時までで週 3 回程度の通学ですんだ通信制高校の生活と、大学生活はまったく違います。そのうちパタッと電池がきれてしまわないか心配でした。

 

そんなときココロ貯金に出会い、子育て心理学カウンセラー養成講座を受けてみることにしました。

 

 

ココロ貯金による変化

今まで自分なりに考えて娘に接してきましたが、本当にこれでよいのか自信がありませんでした。なんとか進学をかなえてきたものの、同級生に比べてできていないことも多く、親としてどう接するべきかいつも迷ってきたのです。

 

講座を受講すると心のザワザワが薄れ、娘ができないことではなく、できることにフォーカスするようになった気がします。

 

よくしたのは「聴く」ココロ貯金。

大学の教授の話、授業の話、図書館司書の話……、娘は 30 分、1時間と話し続けるので、相槌をうちながらひたすら聴きました。

 

「触れる」貯金もしました。寝る前に寝転がって頭や足をマッサージしてあげたり、タイミングをみてぎゅっと抱きしめたり。

 

がんばりすぎて倒れてしまっては元も子もないので、「休む」ことを肯定的にとらえた関わりも心がけています。差しさわりのない日に学校を休んだときは、「よく計画を立てて休んだね。よかった、よかった」と、計画できたことにフォーカス。

機嫌が悪くて部屋にこもったときも、なるべくそっとしておきます。

 

ありのままの娘を認めていくうちに、前期は荒れて起伏が激しかった情緒が、後期になると見違えるように安定していきました。課題についても、前期はギリギリになってイライラしながらやっていたのが、1ヶ月前ぐらいから計画的にできるようになりました。

娘へのメッセージ

ある日、憤然とした表情で娘が言いました。

「いっぱい勉強したのに、どうしてもレポートがうまく書けない。くやしい」

 

—–あれ? “くやしい”っていう言葉を聞いたの、何年ぶりだろう。

 

くやしがる娘を横目に、わたしはひとり感慨にひたっていました。

ゼロか 100 かで判断し、できないことにフォーカスしがちだった娘は、今までなら「もうやりたくない」

「自分なんてこんなもの」とあきらめていたでしょう。

 

そんな娘に対し変わらず心がけてきたのは、できないことを「悲観的にとらえない」こと。

 

「ま、そんなこともあるよ」と軽く受けとめ、言葉の奥に

 

——今はできなくても「自分はダメ」だと思わなくてもいい

——ダメなときもあるけれど、また次にがんばればいいというメッセージを込めてきました。

負けん気みたいな、負けず嫌いみたいな、意欲があるからこそ生まれる“くやしい”という感情。

娘の口からこぼれた「くやしい」という言葉は、できない自分を否定するのではなく、「できるようになりたい」と願う向上心のあらわれに思えたのです。

 

——メッセージ、届いたね。

温かな感情がわたしを包み、一筋の希望の光がそっと心に差し込むのを感じていました。

おかあさんが実践したココロ貯金

・⾧い話も相槌をうちながら「聴く」

・頭や足のマッサージで「触れる」

・休むことを肯定的にとらえた関わり

・人と比べず、できることにフォーカス

vol.16 ネガ…

冬の季節

「朝が来るのが嫌だから、寝たくない」

 

息子の登校しぶりが重くなったのは、小学5年生の冬でした。

幼稚園の頃から登園前にぐずる子で、小学校入学、クラス替えなど環境の変化に弱いタイプ。

5年生になると転校という大きな変化があり、転校先の様子が徐々につかめてきた頃からネガティブな言葉が増えていきました。

 

「クラスの子と話が合わない」

「勉強はひとりでもできるじゃん」

 

——気を許せるお友達ができないのかな。

学校でひとりポツンと過ごすわが子を想像し、胸が痛みました。

 

いつも沈んだ表情で、情緒も不安定。

その日その日で息子の様子を見ながら、「もうしんどい」というときは学校を休ませました。

朝から登校できる日は少なく、学校がはじまってから送っていくことが多かったように思います。

 

寒々とした冬空は、当時のわたしの心境そのもの。

「行くのか、行かないのか、それとも途中から行くのか」

ギリギリまでわからない生活の疲れは、少しずつ沈殿していきました。

 

 

 

【おかあさんのプロフィール】

小学6年生、小学4年生の兄弟のお母さん。長男さんが小学校5年生の冬から、登校しぶりに悩むように。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男さんが6年生になってまもない頃。

 

がんばりの反動

春がきて6年生になった息子は「気を取り直して頑張ろう」という心境になったようです。

「遅刻して行くよりは、朝から行った方が教室に入りやすい」

と言って、朝登校するようになりました。

しかし、どこか無理をしている様子が伝わってきて、ポキンと折れてしまわないか心配でした。

 

残念ながら、予感は的中。

「休むか行くか」に選択肢を狭めてがんばりすぎた結果、「休む日」が増えてしまったのです。

常に頭のどこかに学校のことがあり、息子もわたしも鬱々とした気持ちで過ごしていました。

 

ちょうどその頃、東ちひろ先生が主宰される子育て心理学カウンセラー養成講座の募集を知り、受講してみることにしました。

 

 

“簡単”以上のココロ貯金

子育て心理学カウンセラー養成講座を受けてうれしく思ったのは、ココロ貯金がとても身近な感じで、むずかしくなかったこと。誰でもどこでも今すぐはじめられる、温かなものだと思っています。

 

そして続けていくうちに、“簡単さ”だけではない魅力を感じるようになりました。

それは「親が変われる」こと。わたしの心境も、いつの間にか変わっていったのです。

 

以前は「学校が嫌だ」という話を聞きたくなくて、ネガティブな言葉が出はじめると話をそらしていました。それが「どうぞ話して」という気持ちに変わり、「話すことで、息子がすっきりしてくれたらうれしい」と思えるようになったのです。

 

クッションのようにフワッと息子の愚痴を受けとめていくと、講座を受講して2~3か月経った頃には学校を休まなくなり、登校班で登校できるようになりました。

 

「学校が嫌」という気持ちが消えたわけではないようですが、「ほんっと嫌」などと言いながらも着替え、着々と準備が整っていきます。

 

もう一つの変化

学校に行けるようになっただけではありません。

活力が宿り、こちらは何も言わないのに、勉強に力を入れるようになりました。

お友達が漢字検定に受かったと聞くと自分も受けたいと言ってきたり、好きな算数については中学の問題集を買ってきたり。当然、問題集を見ても意味がわからないので、次は参考書を買ってきて問題を読み解き、勉強を楽しんでいるようにすら見えます。

 

学校でもお友達ができて、お気に入りのYouTuberさんの話題で盛り上がっているようです。

 

わが子が元気に過ごせているだけで、親は明るい気持ちになれるのですね。

うつむいて過ごしていた5年生の冬がうそのように、今、幸せな毎日を送っています。

 

 

 

おかあさんが実践したココロ貯金

・「学校が嫌」などネガティブな言葉も、しっかり聴く。

vol.15 不登…

突然の告白

「体調がおかしい」

中学1年も終わりが近づいてきた2月、暗い表情で息子が訴えてきました。

 

「学校でうまく話せない。ゴクンと飲み込む音がまわりに聞こえそうなほど、唾がたまってしまう」

この告白を機に、たびたび学校を休むようになりました。

 

息子は真面目で大人しいタイプの男の子。小学生の頃から学校の友達とはあまり遊ばず、目立たない存在だったと思います。スイミングに打ち込んでいて、力を発揮できなかった試合の翌日は「学校に行きたくない」と言ったり練習中に泣き出したり、不安定になることもありました。

ただふだんはニコニコしており、小学校を休むこともほとんどなかったのです。ですからあまり深刻には捉えておらず、たまに登校をしぶっても

「水泳で学校を休むとか、違うやろ」

「学校ありきの水泳でしょ」

といった言葉でハッパをかけてきました。

 

 

 

 

 

【おかあさんのプロフィール】

中学2年生の長男さんと妹さんのお母さん。

まじめで大人しい性格の長男さんは中学1年の3学期に体調不良から学校を休みがちになり、中学2年の夏、完全不登校に。同年7月から、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講

気づけなかったサイン

中学に入ってからも学校とスイミングの二刀流はつづき、がんばっているなと思っていました。

ところが実は、入学して間もない頃から体調不良があったそうです。わたしにも伝えていたそうなのですが、しっかりキャッチできずに「気にしなくても大丈夫だよ」と軽く流してしまったようなのです。

 

息子は半年以上ひとりで悩み、我慢も限界に達してしまったのだと思います。彼のSOSに気づいてあげられなかった後悔は大きく、わたしは自分を責めました。

 

完全不登校

2年生にあがると、息子のメンタルをさらに追いこむ出来事がありました。やりたい子が誰もいなかった「学級委員」に、多数決で選ばれてしまったのです。生徒会にも属する責任の重いポジション。息子の性格的に、ものすごく負担が大きかったと思います。もう一人の候補者に「前期はやりたくないから、僕は後期にやる」と宣言され、強く主張できない息子は押しつけられたような形で委員をつとめることになりました。

 

忘れもしない、6月の終わり頃。

「人生やり直したい」

そう言ってわっと泣き出し、壁を殴りはじめました。

やり場のない気持ちを爆発させ壁を叩きつづける息子。どんな言葉をかければよいのかわからず、ただ見守るばかりでした。

 

以後、糸がぷっつりと切れたように、息子は学校に行かなくなってしまいました。

 

みんな、うるさい

朝、声をかけても布団から出てきません。

「今日は学校行くの? 行かないの?」

たずねても返答はなし。

やっとごそごそと起きてきても、表情が暗く目もどんよりしています。

「行かない」

「頭が痛い」

 

特定の誰かが嫌だというわけではなく、“学校” そのものへの強い嫌悪感が見てとれました。

「生徒は嫌い」

「先生も嫌い」

「みんな、うるさくて嫌い」

といった具合です。

もともと口数の少ない息子でしたが、黙りこくったまま一日中リビングでぼうっとしています。

 

——どうすればこの状態から抜け出せるのだろう。

 

途方にくれていたときに「ココロ貯金」に出会いました。タイミングよく、7月スタートの「子育て心理学カウンセラー養成講座」を受講できることになったのです。

思春期の子にできるココロ貯金

子育て心理学カウンセラー養成講座では、会話がなくてもココロ貯金ができる「現実的な方法」を教えていただけて、とてもありがたかったです。息子とコミュニケーションがとれなかったわたしは「できること」があるのがうれしく、一つずつ教えを実行していきました。

 

ささやかな関わりでもココロ貯金はたまります。

「〇〇、おはよう」

一日のはじまりは、名前を呼んであいさつ。

次は“実況中継”です。

「着替えたね」「そのシャツいいね」「食べたね」……。

見たままを言葉にすればよい“実況中継”は、本当によくやりました。

 

他にやりやすかったのは“腹貯金”。

買い物に出たときは、息子の好きな食べものをお土産にしました。

「〇〇の好きなパン買ってきたよ」などと言って手渡すと、かすかに顔がほころびます。ご飯のおかずも、彼の好きな唐揚げをよく作りました。

 

それから“マッサージ”。

ある日、ゴロンとしていた息子に「今日もお疲れさま」と言って、ふくらはぎをさすってみました。意外にも嫌がりません。「これはいいかも!」と思い何度かトライしていくうちに習慣となり、楽しい時間になっていきました。

 

兆し

ココロ貯金をつづけているとなぜか気持ちがゆったりして、夏休みは家族でのんびり過ごしました。すると不思議なことに、息子の顔つきが変わってきたのです。

 

表情は穏やか。ときどき鼻歌も聴こえてきます。朝も自分で起き、スイミングの試合で凹んでも立ち直りが早くなりました。私の友人が遊びにくるとおしゃべりの輪に入ってきます。今までは見たことがない光景でした。よく笑い、話しかけてくる機会が増え、布団から出なかったときとは空気がまるで違うのです。

 

「よく話すようになったねえ」

単身赴任先から帰省してきた夫が、驚きの声をあげたほどでした。

2学期が始まると、学校には行かないものの自分で起きて、登校時間に間に合うように着替えるようになりました。

 

足踏み

「遅刻して行ってみようかな」

「毎日電話をくれる先生に申し訳ないな」

「学級委員の仕事もやらないとあかんな」

そのうちに、前向きな言葉が出てくるようになりました。

 

「学校に戻るタイミングは子どもが教えてくれる」

ココロ貯金の教えどおり、息子が自ら“スモールステップ”を踏みだしたように感じました。

 

正直、そこまで用意するなら行けばいいのにと歯がゆく、校内にあるフリースクールのようなスペースに誘ってみたこともあります。しかし、

「授業は受けたいから、そういうところには行かなくていい」

と断られ、もう待つしかないと覚悟を決めました。

歯みがきまで終えて「あとは出発するだけ」という状態での足踏みは、約1か月つづきました。

 

 

葛藤

10月に入ったある日のこと。

「今日、学校行こっかな」

息子の言葉を受けて、車で学校まで送っていきました。実は前日も同じ流れで学校までは行ったのですが、結局車から降りられずに帰ってきたのです。ですから期待が半分、不安が半分。車内で待機していると、むなしく時が過ぎていきました。

 

——そろそろ6時間目だな。

さりげなく時計を確認し「今日もダメかな」とあきらめかけたとき、息子がわーっと泣き出しました。

「ママが学校休めって言ったから休んだのに、全然よくならんかった!」

 

「え? 休めとは言っていないぞ」と思いましたが、講座の学びを思い出しました。

「思春期は言葉のチョイスをまちがえる」のだな。

 

「そんなこと言っちゃってごめんね」

言った記憶のない言葉について詫びてから、つづけました。

「でも、顔つきが穏やかになったし、楽しく会話もできるし、ママはすごくいいと思うよ」

 

「いや、演技で笑っていただけで、治ってない」

憎たらしい言葉に反論したい気持ちをぐっとこらえました。

 

出発のとき

「そっか。ママのために笑ってくれていたんだね。ありがとう」

 

言葉を否定せずに受けとめていくと、息子はしだいに落ち着きを取り戻していきました。

そしてスッと顔をあげ、

「出発する」

と言ったのです。

最後は一人では無理だと思ったのでしょう。

「先生を呼んでほしい」

と頼まれ、急いで電話をかけました。

 

「すぐ行きます」

駐車場まできてくださった先生に「お願いします」と頭を下げたときは、駅伝のパトンを渡したような気持ちになりました。

息子はついに、再登校をはたしたのです!!

 

 

 

その後

「そっか。ママのために笑ってくれていたんだね。ありがとう」

 

言葉を否定せずに受けとめていくと、息子はしだいに落ち着きを取り戻していきました。

そしてスッと顔をあげ、

「出発する」

と言ったのです。

最後は一人では無理だと思ったのでしょう。

「先生を呼んでほしい」

と頼まれ、急いで電話をかけました。

 

「すぐ行きます」

駐車場まできてくださった先生に「お願いします」と頭を下げたときは、駅伝のパトンを渡したような気持ちになりました。

息子はついに、再登校をはたしたのです!!

 

 

再登校を終えて帰宅した息子は、一言「よかった」と言いました。
そして、翌日からはごく自然に「いってきます」と出ていき、普通に帰ってくるようになりました。穏やかに過ごしている様子が感じとれ、「今日はこんなことがあったよ」と学校の話もしてくれます。

週明けだけは弱く休む日もありますが、火曜日以降は普通に登校します。休んだ月曜日も「学校に行けない」と落ちこんでいる様子はなく、昼寝や好きなことをして、機嫌よく過ごしています。
「学校が嫌い」だとか「スイミングが嫌」だとかネガティブな発言もありますが、外で言えない分、家でゆるめているのでしょう。

振り返れば、ほんの数か月だった息子の不登校。

けれども、ココロ貯金を学んで息子と向きあった経験は、わたしの武器になりました。

予期せぬ困りごとが起こっても息子が何も話さなくても「何をすべきかわからない」と悩むことはもうありません。武器をしまった引き出しがたくさんあり、そのときどきに適したツールを「今回はこれ!」と引っぱり出してくるだけ。

 

これからも、ココロ貯金をためつづけたいと思います。

 

おかあさんが実践したココロ貯金

・“名前呼び”や“実況中継”で「認める」

・好きな献立やおやつで「腹貯金」

・ふくらはぎのマッサージで「ふれる」

・子どもの発言を否定せずに「聴く」

・子どもの機が熟するのを辛抱づよく待つ

vol.14 娘の…

毎夜の炎上

「お母さん、ちょっとコーヒーショップに行ってくる」

 

以前のわたしは、頻繁にコーヒーショップに避難していました。頭にカッと血が上り、ひどい言葉を子どもに吐き捨てそうになると家を出て、なんとか心を落ち着かせていたのです。

 

息子はハイパーなADHDで、とにかく「言うことを聞けない」子。

物心ついた2歳頃からずっと、人に指示されるのが大嫌い。言うことを聞かされそうになると、逆方向に全力で走ってしまうタイプです。

特に、宿題・入浴・歯磨き……と、タスクが多い夕方からは大炎上が日課でした。

 

「次はコレをしないと、寝るのが遅くなっちゃうよ」

伝えたそばから、お姉ちゃんの勉強を邪魔して、犬を起こして、嫌がらせをしながら竜巻のように部屋中を駆けまわる。簡単に見えることが思うように運ばず、毎晩ヘトヘトになっていました。

 

成長した息子の腕力が強まり、ますます手を焼くようになってきた頃、まじめでいい子だった5歳上の娘まで、様子がおかしくなってきたのです。

 

 

【おかあさんのプロフィール】

高校3年のお嬢さんと中学1年の息子さんのお母さん。

お嬢さんはASD(自閉スペクトラム症)の傾向があり、息子さんは注意欠如や多動の特性が強めのADHD(注意欠如・多動症)。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが高校2年生、息子さん小学6年生の秋冬。

娘の引きこもり

優等生だった娘が朝起きられなくなってきたのは、中学の終わり頃。高校に入ってからは頻繁に学校を休むようになりました。

とにかく疲れやすく、自室に引きこもり、大抵は寝ているか寝そべって携帯電話を見ているか。

学校から帰ってきてゴロンと横になったまま、朝まで起きないこともありました。ずっと続けてきたスポーツもやめ、定位置はベッドの上……。

「今日は学校に行けてよかったな」と思っていると、「具合が悪い」と帰ってくることも度々ありました。

 

その頃からわたしへの反発が強まり、親を寄せつけない空気をまとうようになりました。呼びかけても無反応、もしくは「何?」と険しい顔でにらまれて、言葉のキャッチボールができません。

 

「もうお母さんの言うことなんて、聞かなくっていいってわかったんだから!」

激しい言葉に、胸をえぐれられた気がしました。

 

ずっと“いい子”だった娘。

これまで色々と我慢させてきたのかもしれない。

これからどうなってしまうのだろう。

 

不安がつのり、娘への接し方がわからなくなりました。

その状態は高校2年生までつづき、あと2日休むと進級が危ないところまで出席日数が減ってしまったのです。

 

ココロ貯金との出会い

毎晩の息子の炎上に加えて、娘まで自室に引きこもり。

実はマイルドなASDの傾向があった娘と、ADHDの息子との共存はなかなかむずかしく、悩みは深まるばかりでした。

 

ただ穏やかな毎日を過ごしたい。

事態が好転する日はくるのだろうか。

 

未来が見えずに苦しかった頃、ココロ貯金に出会いました。

 

声がけを変えたら、娘が変わった!

子育て心理学カウンセラー養成講座を受けていくと、少しずつ「あるがままの子ども」を受けいれられるようになっていった気がします。

 

例えば、娘が眠っているときは「寝かせておこう」と思えるようになりました。

眠いのはわたしがどうにかできる問題ではないと、わかってきたからです。

 

講座を受ける前のわたしは「何とかしなければ」という気持ちが強く、「寝てばっかりいてどうするの?」などと発破をかけてきました。そのような娘のお尻をたたく声がけを「ああ、疲れちゃったんだね」とねぎらいの言葉に変えました。

 

すると、娘をまとう空気がやわらかく変わっていったのです。

 

「わ、怖っ」

呼びかけて怖い顔をされたとき、冗談っぽく言えるようになりました。すると

「あ、ごめん。怒ってないよ」

などとこちらを気づかってくれます。

ごく普通のコミュニケーションがとれるようになり、娘の情緒の安定を感じるようになりました。

 

はじめて聞いた「〇〇」

同じく、息子に対しても「言うこと聞かせよう」という気持ちがなくなりました。

すると驚いたことに、約10年も手を焼いてきた「炎上騒ぎ」が消滅したのです!

 

「そろそろ歯を磨いてきちゃおうか」

「はい」

 

——え、今「はい」って言った!?

 

それまで聞いたことがなかった2文字でした。

 

炎上がなくなると暴言に違和感をおぼえるようになったらしく、不適切な言葉を吐いた後に「ちょっと悪いこと言っちゃったな」みたいな表情を見せるようにもなりました。

 

息子に効いたココロ貯金

もう一つ息子に有効だったのは「聴く」ココロ貯金です。

おしゃべりが大好きな彼の話を一生懸命「聴く」ことを心がけると、わたしの後ろについてまわって話しをするようになりました。

 

切れ間のないおしゃべりにつきあってばかりでは家事が進まないので、一緒に洗濯物をたたんだり、テーブルをセットしたり、会話しながらお手伝いを頼みます。

「話せるんだったら全然やるよ」といった感じで、嫌がらずに手伝ってくれるのが新鮮でした。

 

また、食べることが大好きなので「腹貯金」も沢山しました。

 

先生達の協力

娘と息子の好転には、学校の先生方のご協力も大きかったと思います。

 

特性上、娘はどうしても人や音に疲れてしまうようです。

ASDの診断を受けてお医者さまからレポートを書いていただけたことで、授業中にノイズキャンセリングイヤホン(AirPods)を使うことを許され、席も好きな場所に座ってよいことになりました。

「このメンバーでこの先生だったら、ここに座りたいな」と自分で選べると落ち着いて勉強できるようで、負担が軽くなったのがわかります。

なんとアルバイトまではじめ、アイスクリーム屋さんで夜9時まで働いてくることもあります。

 

息子については、6年生のときの担任がすごくいい先生で、中学の先生に申し送りをしてくださったことが大きかったと思います。息子の特性上「ペナルティを与えるような指導は逆効果」だということ——例えば「これをやり終えないと次のいいことはないよ」ではなく「これをやり終わるとこういういいことがあるよ」という言葉を使ってください、といった実用的なアドバイスを伝えてくださいました。

おかげでスムーズに中学校生活に入れ、おしゃべり好きならではのリーダーシップを発揮。息子に合った舞台を作ってもらって、長所を伸ばしてもらっている感じです。

 

穏やかな日々

家族それぞれが持つエネルギーを、ようやくポジティブな方向に使えるようになりました。

かつて「逃げ場」だったコーヒーショップは、もう必要ありません。

 

まじめで努力家の娘は、大学受験に向けて勉強中。

相変わらず朝は苦手なのですが、部屋の外に目覚まし時計を2つ置き、這って出てきて止めています。

毎日学校に通い、目標に向かって一歩ずつ進んでいます。

 

息子には自制心が芽生え、炎上しかけても自分で回収するようになりました(笑)。

炎上の嵐だった日々は、思い出になりつつあります。

 

思い返せば、適切な方法を知らず、ただがむしゃらに奮闘していたあの頃。

 

もしあの頃のわたしに会えるなら、伝えてあげたいと思います。

「あなたはココロ貯金に出会うんだよ」

「未来はね、こんなにも明るいよ」

と。

おかあさんが実践したココロ貯金

・ありのままの子どもを「認める」

・コントロールできないことには、がんばらない

・子どもの話を一生懸命に「聴く」

・腹貯金