vol.27 AS…

◆学校はおばけ屋敷

息子が小学校に入学した年は、コロナ禍の真っただ中でした。
3か月の休校からはじまった小学校生活……。

 

「明日は学校あるの? ないの?」

「ぼくは保育園生なの? 小学生なの? 全然わかんないよ」

「ママ、ママ、ぼくはどうしたらいいの?」

 

ルーティンが大好きな息子にとって、先の見えない毎日はとても苦しいものだったようです。不安が積み重なり、やがて混乱へと変わっていきました。

 

通常登校がはじまってもパニック状態はおさまらず、毎日登校をしぶります。わたしも仕事があるので、息子の手を引っぱって無理やり登校させていました。

 

ところが、やがて——

校舎を見るだけでブルブル震えるようになってしまったのです。

「学校はお化け屋敷だ。こわいから行かない」

【宮治ゆみさんのプロフィール】

3人のお子さんをもつワーキングマザー。

まん中の長男さんは現在小学6年生で、ASD・ADHDの特性をもつ。

子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男さんが小学2年生の秋。

◆荒んでいく心

「学校は、何があっても行くもの」

当時のわたしはそう信じていたので、“不登校”をすんなりと受け入れることはできませんでした。同居している両親も気持ちは同じ。

 

家族みんなに「学校に行きなさい」と言われ続けた結果、息子はさらに心を閉ざし、学校への拒否感は日に日に強くなっていったのです。「行きたくない」は「行かない」に変わり、息子は家に閉じこもるようになりました。

 

家で過ごすようになっても、息子の心はどんどん荒れていきました。

お姉ちゃんと弟にちょっかいを出してはケンカになり、おじいちゃんに暴言を吐いて叱られる。

レゴブロックを、まるで豆まきのように部屋中にばらまいてしまったこともありました。人を傷つけ怒らせるような言葉を、わざと使っているような印象なのです。

 

そうかと思うと、幼い1年生らしからぬ悲しい言葉を口にします。

「困らせちゃってごめんなさい」

「ぼくなんて、生きている価値がない」

 

胸がしめつけられました。

この子の自己肯定感をこんなにも下げてしまったのは、母であるわたしなのかもしれない——。

 

それでも、やっぱり学校には行ってほしい。

先生やお友だちとの関わりの中で、たくさんのことを感じて学んでほしい。

 

願いと現実のあいだで、わたしの心は揺れに揺れていました。

迷いと葛藤の中でもがいていたとき——出会ったのが、ココロ貯金でした。

◆シンプルだったココロ貯金

すがるような思いで東ちひろ先生の本やブログを読み、無料カウンセリングにも参加、3カ月の子育て心理学カウンセラー養成講座を受けてみることにしました。

 

「えっ、これだけでいいの?」

講座を受けて驚いたのは、ココロ貯金の方法が想像以上にシンプルだったこと。

こんな簡単なことで本当に変わるのかと、正直、半信半疑でした。

 

それでも、まずはやってみよう。

「聴く」「触れる」「認める」

3つのココロ貯金を、わたしなりに、できることからはじめてみました。

 

今ふり返れば、最初に変わったのは息子ではなくわたしだったと思います。

“学校に行っていない”ことしか見えていなかったわたしでしたが、ココロ貯金を実践していくうちに、 “それでも、あなたが大好き”なのだと伝えられるようになりました。

すると、いつの頃からか息子の目が丸くなり、情緒も落ち着いていったのです。

 

このときの体験は、子育て心理学協会ホームページの「体験談」に載せていただきました。不登校をきっかけに仕事と家庭が回らなくなった当時の葛藤や、働きながら実践した「リモート・ココロ貯金」について書いています。

https://kosodate-up.com/1002195

◆スモールステップ

今回は、少しずつできることを増やしていった息子の歩みをお伝えしようと思います。

2年生のときは、本当に無理のないペースで“半歩ずつ”学校に近づいていきました。

 

  • 家庭訪問

ありがたかったのは、支援員の先生が週に1度、家庭訪問を続けてくださったことでした。

「来るな」

「出ていけっ」

当初は全身で拒否していた息子でしたが、大好きなポケモンを作ってくれたり手紙を書いてくれたりする先生に、少しずつ心を開いていきました。

 

「週に一回だったら、来てもいいよ」

などとえらそうに言って、先生の訪問を楽しみにするようになりました。

 

  • 校門前を通って散歩

ココロ貯金や先生の家庭訪問に救われて、息子の情緒は少しずつ安定していきました。やがて外にも出られるようになったので、よく一緒に散歩しました。

 

そんなときはひと工夫。

わざと校門前を通るルートで郵便局に行ったり、アイスを買いに行ったり。

先生が校庭に出るタイミングを教えてくださり、時間を合わせて体育の授業を見学することもありました。

 

「先生、手を振ってくれなかった!」

プンプンしながらも、“学校”への関心が少しずつ高まっていきました。

 

  • 忍者登校

ある日、息子が言いました。

「誰にも会わないなら、ぼく、学校に行ってもいいよ」

支援員の先生が、“学校での楽しいこと”を上手に伝えてくださっていたのです。

 

「じゃあ夕方、誰にも会わない時間に行ってみる?」

こうして、はじまったのが“忍者登校”。誰もいない時間帯にサッと行って、ササッと帰ってくるスタイルです。それが「給食を食べたい」という息子のひと言をきっかけに、給食の時間だけ学校に行くようになりました。

 

先生が用意してくださったのは、保健室の隣の静かな個室。カーテンとドアを閉めれば、完璧な“安心空間”が完成します。

こちらから無理に促すことはせず、見守っていると——

気づけばカーテンのすき間から校庭をのぞいていたり、閉めていたドアを少し開けて廊下の様子を見ていたりしました。

 

そのうちに廊下を通って給食を下げられるようになり、廊下で誰かとすれ違えば挨拶し、保健室にいる子とおしゃべりをする姿も見られるようになったのです。

 

「せっかくだったら保健室で食べてみる?」

調子のよい日は、保健室での給食タイムを楽しめるようになっていました。

 

  • 交換絵日記

「友だちと遊びたい」

ある日、息子がぽつりと言いました。

 

当時は同学年の子との交流は全くない状態。

「どうしたら友だちと遊べるかな?」と一緒に考えながら、少しずつアクションを起こしていきました。

 

まずは校門から手を振ってみること。

次は先生に協力してもらって、絵日記を交換してみること。

 

息子がカブトムシの絵を描いたときに、クワガタの絵を返してくれた男の子がいました。

「きみ、昆虫好きなの?」

 

一枚の絵からつながりが生まれ、ある日、その子が学校の先生と一緒に家を訪ねてきてくれたのです。息子は少し照れながら玄関にカブトムシを持ってきて、うれしそうに話をしていました。

 

  • 体育に合流

いつもの散歩の途中、体育の授業を見学していた息子がつぶやきました。

 

「体育、出たいな」

 

これはチャンス!

体操着にも着替えずに、私服のまま授業に参加させてもらいました。

その日の体育は4時間目だったので、給食の時間に突入。クラスの子たちに「給食は教室で食べようよ!」と誘われ、そのまま教室へ——。

 

このように先生やお友だちに助けられながら、息子はいつの間にか「学校はおばけ屋敷」だなんて言わなくなっていました。

 

・調子のわるい日は「別室登校」

・少し元気な日は「保健室登校」

・もっと調子がよい日は「教室登校」

 

その日の体調に合わせて、無理なく登校できる場所を選べるようになっていったのです。

◆ASDとADHDと診断され、薬を服用

2年生の夏、息子に大きな転機が訪れました。

発達検査を受けた結果、ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)という診断がついたのです。この診断により、放課後デイサービスの利用が認められ、徐々に人との交流や行動範囲が広がっていくことになります。

 

また、ADHD の衝動性や多動性を抑えるためのお薬を処方されました。
ところが、どうもうまくいきません。服用すると昼間に強い眠気が出てしまい、起きられずに学校を休む日が続きました。情緒を落ち着ける薬を飲むと、学校に行けない――本末転倒な状況に、親としても戸惑いました。

何度か主治医の先生とすり合わせした結果、2種類処方されていたうちの一方は、体質に合わないという結論に。もう一方の薬だけに絞り、「どのタイミングで、どの量を飲むか」を少しずつ調整していきました。そして、夜寝る前に服用すると翌日の血中濃度が安定することがわかり、ようやく息子に合ったスタイルが整っていったのです。

◆ココロ貯金で自然に減薬

ココロ貯金と薬の服用を続けていった結果、少しずつ教室で過ごせる日が増えていきました。3年生になると、おばあちゃん、おじいちゃん、夫……とわたし以外のつきそいも可能になり、わたしの負担感はぐっと軽くなっていきました。

 

「薬は最低限の1ミリでいいよ。飲まなくてもよいけれど、どうする?」

主治医の先生にそう言われたのもこの頃のことです。

 

いきなり止めてしまうのは少し不安。息子自身も飲んでいた方が安心する感じだったので、お守り代わりに少量だけ服用を続けることにしました。

 

つきそいが必要な時間は徐々に短くなり、送っていけば帰りは自分で帰ってくる日も増えていきました。ただ「ランドセルはいやだ」という不思議なこだわりだけは、なかなか手放せずにいました。

 

ところが、4年生のお正月。

「ぼく、ランドセルしょっていく」

突然宣言した息子は、冬休み明けから、ホコリをかぶっていた“ピカピカのランドセル”で登校するようになりました。以来ずっと、ランドセルで学校に通っています。

 

また、朝から下校時刻まで学校にいられるようになったのも4年生でした。

滞在時間が増えたぶん負荷も大きくなったようで、一時的に「ママきいて!」と不安を吐き出す場面が増えました。

でも、「そっかそっか」と寄り添いながら聴いていると、息子の気持ちはだんだんと落ち着いていくようでした。

 

3年生、4年生と進むにつれて、学校での負荷は確実に増えていったので、薬を止めるタイミングについてはなかなか踏み切れずにいました。

それでも、ランドセル登校を半年続け、息子も自信がついたのかもしれません。

 

小学5年生の夏。

主治医の先生が「もう薬を止めていいんじゃない?」とたずねたとき、息子はまっすぐに答えたのです。

 

「ぼく、もう薬はいらない」

こうしてついに——

薬を卒業したのです!

◆息子の今

息子は現在6年生。

薬を止めて9カ月が経ちましたが、落ち着いた日々を送っています。

 

授業には毎日参加。

例えば、6時間授業のうち1コマだけしんどいときにはその時間だけ保健室に避難して、うまく調整しています。

「今日の社会、あまり好きじゃないから保健室に行きます」といった調子で、朝、先生に宣言するらしいのです。発達特性のある子らしいな、と思うのですが。

 

6年生にもなると、まわりの子たちも「なんで保健室行くの?」などとは言わなくなりました。

息子の事情を理解して「そういう子なんだ」と受け入れてくれているのを感じます。息子が「ありがとう」をよく口にするからか、クラスでもあまり浮いていないようです。

 

「移動教室は苦手」

「こういうときは不安」

しっかりと言葉で伝えてくれるので、学校へフィードバックしやすく、わたしも無理なく調整役を担えるようになりました。

 

先生に送っていただいた1週間の予定をもとに、息子は予定を組んでいきます。

「火曜日はしんどそうだから、ここまでにしよう」

「この日は早退して、放課後デイサービスに行こう」

自分で考え、事前に伝えてくれるので、仕事も調整できるようになりました。

 

どうすれば心地よく過ごせるのか、息子自身が自分のトリセツをわかってきたように感じます。

サポートが欲しいときにはSOSを出せるようになった息子の姿が、とても頼もしく映ります。

 

小学校に入学したばかりのあの頃、あんなに苦しんでいた日々が嘘のように、息子は今、自分らしく学校に通っています。お友だちとの関係も親子関係も、穏やかであたたかいものになりました。

 

——ああ、心を育てるって大事なのだな。

ゆっくり、でも着実に歩んできた息子から、たくさんのことを教わった気がします。

◎宮治ゆみさんが実践したココロ貯金

・学校の先生と連携

・細やかで丁寧なスモールステップ

・息子さんの意思を尊重した自然な減薬

vol.26 6年…

◆登校しぶりからはじまったSOS

「学校には行きたくない」

初めて息子がその言葉を口にしたのは、小学3年生のある朝のこと。

わたしも仕事があり焦る気持ちから、抵抗する彼の手を引いて無理やり登校させました。

 

その後も息子が登校をしぶる度に、なんとか連れて行く日をくり返すようになります。

これが、6年にも及んだ不登校のはじまり。

長いトンネルの入り口に立っていることを、当時はまだ知る由もありませんでした。

【お母さんのプロフィール】

3人のお子さんのお母さん。高校1年生の次男さんは小学3年生で登校しぶりがはじまり、4年生から中学3年生まで不登校。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは次男さんが4年生の頃。

◆付箋だらけの漢字ドリル

「うちの子、どこか少し違うのかもしれない」

息子の漢字の覚え方に少しひっかかりを感じはじめたのも、やはり3年生の頃でした。

 

シンプルな字は書けるのですが、少し複雑になると途端に別の字になってしまうのです。

例えば「田」は正しく書けるのに、「里」が書けない。

「田」と「土」がバラバラになってしまう。

本来はひと続きの文字を、彼は分解して認識しているようでした。

 

低学年の頃は「まだ小さいから」と軽く受け止めていたものの、次第に違和感が強まっていきました。

 

帰宅したランドセルの中から出てくるようになったのは、付箋で埋めつくされた漢字ドリル。

間違いのたびに貼られた“やり直し”の付箋は「できない自分」を息子に突きつけ、傷つけていたのかもしれません。

 

4年生になると、息子は学校に行けなくなりました。

完全な不登校になってしまったのです。

◆ゲーム漬けの日々と、昼夜逆転

学校に行かなくなった息子は、家でゲームをしてばかり。

寝るのは深夜、起きてくるのは夕方。外の光を浴びる機会はほとんどありません。

しかも極度の偏食で、ほぼ白ご飯しか食べられない状態。

 

——このままで大丈夫なの……?

体の健康も心の状態も、すべてが不安でたまりませんでした。

なのに“何をすべきか”がわからない。

もがいても答えが見えない日々でした。

 

そんなときに出会ったのが「ココロ貯金」という考え方。

藁にもすがる思いで、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講することにしたのです。

◆息子を“引きずらない”子育てへ

講座を通して、わたしは大きなことに気づきました。

これまで「どうにか学校に行かせなくちゃ」と、必死に息子を引っぱってきた自分。

でも、本当に必要だったのは“待つこと”だったのかもしれない、と。

 

それからは、息子が動き出すまでただ見守ることに決め、少しずつでも心を満たせるように、話しかけるときは名前をそっと呼び、彼が好きなスキンシップやハグをたくさんするように心がけました。

◆不登校時代の歩み(小学4年〜中学1年)

長くなるので、息子の様子を年表でまとめてみます。

 

・小学4年生:完全不登校に。講座を受講し「行かせる」から「見守る」スタイルへ切り替え。

・小学5年生:漢字の特性が認められ、週1回の通級に通いはじめる(波はあり)/2月からコロナの影響が拡大。

・小学6年生:6月まではコロナの影響で自宅待機。通級再開後は、行けたり行けなかったり。

・中学1年生:一度も登校せず、まるまる不登校の1年に。

 

5年生で通級に通えるようになったときは、小さな希望が見えました。

ところがタイミングが悪く、コロナが蔓延し休校に。

気づけばそのまま中学生になり、中学1年のときは一度も学校に行けませんでした。

 

「また1年が終わってしまった……」

落ちこむ気持ちもありましたが、息子の心には少しずつ変化が訪れていたのです。

◆少しずつ、でも確かな歩み

中学2年の夏、息子は自分から、個人面談に「行く」と言いました。

そして、中学校への初登校を果たしたのです!

 

そのとき先生に「ステップアップ教室」という不登校の子を対象にした教室に誘われ、2学期から少しずつ通うようになりました。

中学校は小学校より遠かったので、まずは一緒に道を覚えるところから。

わたしが付き添い1時間ほどそばにいて、帰りも迎えに行きました。

もちろん毎週通えるわけではなく、行けるときだけ、ぽつんぽつんと行く感じ。

それだけでも十分でした。

 

中学3年になると、週2〜3回だったステップアップ教室が毎日開かれるようになり、気づけば息子ひとりで通えるようになっていました。

行きたい日だけ、自分で行く。

月に1回しか行かないこともあれば、1週間続けて通ったこともあります。

 

“毎日は行けない”けれど、“行ける日には行ってもいい”。

自由なリズムが、息子にはちょうどよかったのだと思います。

◆海外へ!?

中学3年生になると、息子はかなり能動的に動けるようになってきて、高校も見学できるようになりました。

ゲームをして昼夜が逆転してしまう日もまだまだ多く、「当日ちゃんと起きるかな……」と不安になることも度々ありましたが、彼なりに前を向いて進んでいました。

 

そうして、比較的スムーズに通信制のサポート校への進学を決定。

受験がない分、秋がくる頃には心に余裕が出ていたのだと思います。

ある日、息子がぽつりとつぶやきました。

「ひとりで、おじいちゃんとおばあちゃんのところに行ってみたい」

 

——えっ、本気なの!?

 

耳を疑いました。

祖父母が住んでいるのはヨーロッパ。飛行機で12~13時間もかかる場所です。

英語が得意なわけでもありません……。

 

「スマホの翻訳アプリがあるし、なんとかなるよ」

本人はいたって前向き。わたしの方が目を丸くしてしまいました。

◆ひとりで海外へ行ってみた結果

不安は尽きませんでしたが、息子の積極的な気持ちがうれしく「一歩踏みだすチャンスかもしれない」と感じました。

 

「普通の受験生だったら、こんな時期に海外なんて行けない。今だからできる体験かもしれないね」

 

こうして、息子にとって初めての“ひとり海外旅行”が決定。

現地の空港で祖父母が迎えてくれるように準備を整えると、夏の空気に秋の気配がまざりはじめた9月の終わりに、息子は無事旅立っていきました。

 

旅立ちから1か月ほど過ぎた、帰国の日。

到着ゲートから出てきた彼は少しふっくらして、顔つきもやわらかに見えました。

「めっちゃ楽しかった! また行きたい!」

生き生きとした表情で、瞳がキラキラ輝いています。

 

おじいちゃんとおばあちゃんと自分だけの生活で、よくしてもらったのだと思います。静かないなか町が性に合ったようで「帰りたくなかった」としきりに繰り返していました。

 

そして、うれしい変化がもうひとつ。

「海外のものを食べてみたい」という気持ちが芽生えたそうで、食の幅がぐんと広がったのです。

以前は白米や麺しか食べなかったのに、なんとお肉も食べられるように!

 

空港で“丸くなった”と感じたのは、気のせいではなかったのです!

◆スパーク!

現在、息子は通信制のサポート校の1年生。

“通信制”といっても実際には毎日通う必要があるので、普通高校とほとんど変わりません。

 

やはり、“ひとり海外旅行”が大きな自信になったようで、その後の変化は目を見張るものがありました。

 

年明けにはじまったプレ入学授業には、10回のうち9回参加。
入学してすぐにお友達ができ、フットサル部に入りました。

なんと、生徒会長にも立候補!
1年生なのでさすがに当選はムリでしたが、今は会計として活動しています。

 

1学期にあった宿泊行事では「泊まりって初めてかも……どうしよう」と迷っていたものの、

「友達も行くから」と参加を決意。

楽しかったようで、2学期の体育祭を兼ねた宿泊行事には、迷わず参加していました。

 

行動力はどんどん加速。

夏からコンビニでアルバイトをはじめ、昨日はスキー・スノーボードのスクールから帰ってきました。

まるで「これまでの分も取り返すぞ!」と言わんばかりに、なんにでも前向きにチャレンジしていく姿に、ただただ驚くばかりです。

 

息子は今、まさに青春まっただ中。

そんな姿がとてもまぶしく、幸せな気持ちで見守っています。

◎お母さんが実践したココロ貯金

・「名前呼び」と「スキンシップ」

・意思を尊重した見守り

vol.25 仲間…

◆小さな教室で、たったひとり孤立

「わがまま」

「あの子がいると場が荒れる」

これらは、小学3年生のときに娘に貼られていたレッテルでした。

 

田舎の小さな学校で、クラスの人数はわずか12名。

その狭いコミュニティの中で娘は次第に孤立し、仲間はずれにされていきました。

ときには「ひとり対クラス全員」という構図で責められることもあったようです。

 

女の子はたった5人で、学年が上がってもクラス替えはなし。

一度ついてしまったイメージを覆すのは、簡単なことではありません。

 

「みんなの輪に入りたい」とがんばるほど空回りして、

どうしていいのかわからず、虚勢をはってしまう。

それが周囲に誤解され、ますます孤立が深まっていく――。

 

負のループにはまっていく娘を助けてあげたいのに、どうにもできない。

学校からトラブルの報告を受けるたびに心が沈んでいく。

わたしもまた、重い気持ちで毎日を過ごしていました。

【伊藤さんのプロフィール】

小学6年生の女の子のお母さん。離婚をきっかけに実家に戻り、美容師の仕事で生計をたてながら子育て中。お嬢さんが小学4年生のとき不登校ぎみになり、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講。

◆母子家庭への偏見

娘の孤立の背景には、家庭環境の影響もありました。

 

わたしは離婚して地元に戻ったシングルマザー。

保育所にいた頃から娘がわがままを言うと「ひとりっこだからでしょ」と、家庭の事情をほのめかすような言葉をかけられることがありました。

 

どこかアウェイな空気を、娘も敏感に感じとっていたのだと思います。

 

「なぜか、うまくいかない」

「なぜか、わるい方に解釈されてしまう」

 

だからこそ自己肯定感が育たず、自信がない。

けれども娘は、疎まれてしゅんと大人しくなるのではなく、反発してしまうタイプの強い子どもでした。不安を隠すように虚勢をはってしまい、結果「自分ができないくせに、反抗してくる」と、煙たがられてしまう。

本人としては、どうしてよいかわからなかったのだと思います。

◆あなたのお子さんは手に負えない

3年生のとき、決定的な出来事がありました。

 

担任の先生が、クラスのボス格の子に

「仲良くしてあげてね」と声をかけてくださったそうです。

 

けれどもその後、ちょっとしたきっかけで娘が

「じゃあ、絶交する」と口にしてしまいました。

相手の気持ちを試したい――そんな思いから出た言葉だったようです。

 

けれども、相手の子は激しく怒り、それをきっかけに娘は完全に無視されるようになりました。

 

その子がボス格だったため、周囲の空気も一変します。

校外の行事や地域のお祭りでも

「あの子だけは誘わないで」という空気が広がってしまったのです。

 

「あなたのお子さんは手に負えない。何を考えているのかわかりません」

せっかく手を差し伸べたのに、と。

ついには担任の先生にもさじを投げられてしまいました。

◆シングルマザーへの色めがね

確かに娘の態度やふるまいは、良くないところがたくさんあったと思います。

 

授業に集中できず、そわそわと落ち着かない。

(今思えば、仲間はずれの不安から、落ちつけないのは当然なのですが)

 

少し話してくれる子がいれば、独占したくなってしまう。

こちらを見てほしくて、わがままを言ってしまう。

 

ただ、娘なりに毎日我慢していることもたくさんあって、何かの拍子に感情が爆発してしまうところもあったのです。

 

けれど先生は、「いい子」「できる子」の話だけを信じ、娘の気持ちや言い分には耳を傾けてくれませんでした。

 

どこかに“田舎フィルター”のようなものがあり、

「シングルマザーの家庭は、子どもにかまってあげていない」

という先入観が、先生達の中にはっきりと根づいていました。

 

そして、こう言われたのです。

「お母さんが忙しすぎるから、こうなるんじゃないですか」

「仕事を休んでください」

 

生活の基盤を作るために必死で働いてきたわたしにとって、それはあまりにも心ない言葉でした。

 

―― では、一体どうしろと?

喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込み、心の中で問いました。

あなたがわたしの立場だったら、仕事を休めますか、と。

◆追いつめられていった日々

「なんでいっつも仕事してるの?」

 

娘としても、わたしにそばにいてほしかったのだと思います。

けれども美容院の仕事が忙しく、娘の世話は母にまかせることが多くなっていきました。

 

娘は甘えさせてくれる母にはすごく反抗していたので「母が甘やかすから余計にわがままになる」という身勝手なジレンマもあり、「ああ、育てにくいな」といつも悩んでいました。

 

当時はいじめられているという認識はなく、仲間はずれの主な原因はうちの側にあると思い込んでいました。ひいては「わたしが離婚したせいだ」と。

 

――あちらにもひどいところがあるけれど、まずは娘の短所を直さなければ。

そんな使命感から、いつも娘にアドバイスをして、いつも怒っていました。

 

「○○ちゃんはきっとこう考えていると思うから、こうしたら?」

「自分の言いたいことばかりじゃなくて、もっと空気を読まなきゃ」

 

「お母さんの言ったとおりにできなかった」と聞けば、

「え、なんで?」「おかしいよ、それは」と、すぐに正そうとしていました。

 

今になってあの頃の娘の気持ちを思うと、胸がギュッと締めつけられます。

 

けれども当時のわたしは、娘の心情を思いやる余裕がありませんでした。

離婚のことで「あそこは複雑だから」と噂されたくなかったし、「ちゃんと育てなきゃ」という気負いが大きかったのです。

 

正解を出さなければという強迫観念があり、人の目を気にして、娘を叱ってばかりいました。

◆「もう行きたくない」

娘の我慢は限界に達してしまいます。

 

「もう、学校に行きたくない」

 

4年生になると体が動かなくなり、

毎朝泣いて、毎朝わたしと押し問答。

 

つらい気持ちは痛いほどわかっていました。

けれどもお客さまから予約が入っているので、仕事を休むことはできません。

泣きじゃくる娘を引きずるようにして、学校へ連れて行く日々が続きました。

 

行ける日もあれば、途中で帰ってきてしまう日もありました。

 

「保健室にいさせてもらって、できるときだけ授業に参加する形はとれませんか」

先生に相談してみましたが、返ってきたのは冷たい言葉でした。

 

「そういう制度はありません。保健室にいるなら連れて帰ってください」

 

わらにもすがる思いでカウンセラーの先生のところに行っても、

「まあ、そういう時期ですからね」と、具体的な助言はもらえません。

 

――誰も、味方になってはくれないんだ。

改めて孤独を感じました。

 

一体どうしたら。誰か教えください――。

 

そんな八方ふさがりの暗闇の中で出会ったのが「ココロ貯金」でした。

◆ありのままで

子育て心理学カウンセラー養成講座の中で、娘にもわたしにも深く響いたのが、

「そのままでいいんだよ」という教えでした。

 

「正解を出さなきゃ」と必死でもがいてきた自分。

先生やクラスメイトに丸をつけてもらうために、娘に厳しく接してきた自分。

 

うまくいかないことばかりだったそれまでの人生を丸ごと「大丈夫だよ」と肯定してもらえたとき、

胸の中で何かがほどけていきました。

 

「娘もわたしもがんばってきたな、もう十分だな」

心の底から、そう思えたのです。

 

「今のあなたのままでいいんだよ」

感じたままに伝えた瞬間、ものすごい勢いで娘が食いついてきました。

「本当? ママ、本当にそう思ってる?」

 

「なんでそんなふうに言うの?」

「だってママ、失敗したら絶対怒るじゃん」

 

ハッとしました。

良かれと思ってしてきたことが、娘を追いつめていたのだと。

 

「そんなことないよ、できてもできなくてもどっちでもいいよ」

 

その言葉を聞いたときの娘は、驚きと安堵が入り混じった、何とも言えない表情をしていました。

◆愚痴の嵐

それまで学校での困りごとをたずねても、娘は核心にふれることを話してはくれませんでした。

先生からの報告でトラブルの内容や相手はわかっていたものの、娘の口からその話を聞くことはなかったのです。

 

「あの子がヤダ」と名指しで答えるのは、当事者ではなく学童で会うだけの別の学年の子。

いつも、どこかピンときませんでした。

 

ところが、ココロ貯金をはじめて2週間ほど経った頃――

娘は堰を切ったように話しはじめたのです。

 

「あのとき、〇〇ちゃんにこうされたのがすごく嫌だった」

「みんなで寄ってたかって、こんなふうに言う」

「こう思っていたのに、誰もわかってくれなかった」

 

積りに積もったフラストレーションがあふれ出すように、驚くほど多くの愚痴や不満がいっせいに噴き出しました。

 

「なんで、今まで言えなかったの?」

そうたずねると、娘はぽつりと答えました。

 

「言ったらママが怒るから。

ママがアドバイスくれたように、わたしはできないから」と。

 

ああ、そうだったのか――。

世間の“正解”ばかりを求めていたわたしは、娘の気持ちを受け止めることをしていなかったのです。

 

こうしてわたしは、ようやく自分の足元を見直すことができました。

 

講座がはじまった6月はあっという間に過ぎ、夏休みに入ったばかりのカウンセリングで娘の様子を報告すると、子育てカウンセラーの先生はにっこりと笑いました。

 

「ココロ貯金、たまってきましたね」

 

先生のやさしい言葉は、深く静かに胸に沁みていきました。

◆「学年でいちばん良かった子」

娘は6年生になりました。

学校は吸収合併されて2クラスになり、今では本当にたくさんの友達がいます。

 

「友達といるのが楽しい」

うれしそうにそう言って、今までの時間を取り戻そうとするかのように、学校生活を満喫しています。

 

5年生になると、委員会にも積極的に参加するようになりました。

合併後はまわりの子に推薦されて、同じ委員会の長をつとめています。

 

学童に苦手な女の子がいて、

「同じ学校になるの、ちょっとこわいな」と心配していましたが、同じ委員会になって話す機会があり、その子に言われたそうです。

 

「あのさあ、何年か前とめちゃくちゃ変わったよね。

前はもっと負けず嫌いだったでしょ。こんなに話しやすいと思わなかった」

 

以前はちらっと何か言われると「違うよ、あたしはさ」と反論していた娘が、

「ああそうなの、でも気にしないよ」と、さらっと受け流せるようになりました。

 

少し嫌な思いをさせられた相手に対しても、

「あ、昔のあたしみたい」と笑えるようになったのです。

 

人が変わったようだと、親のわたしでさえ思います。

まわりの子が子どもっぽい駆け引きで誰かをいじめてしまうときも、

「別にいいんじゃない? そういうのもあるよ」と、どこか達観している感じです。

 

「昔のあたしもそうだったなあ」というセリフは、最近よく聞くようになりました。

 

「中学生みたいな精神レベル。成長しましたね」

カウンセラーの先生も、保健室の先生も、担任の先生も、口をそろえて言ってくださいます。

 

「この学年で、いちばん良かった子だね」

 

5年生からの担任の先生は、最大級のほめ言葉をくださいました。

「いちばん生き生きして、いちばん友達を作ろうと努力していた子です」と。

 

かつてあれだけ落ち着きがなかった授業中の態度も、今は「まったく問題ありません」とのこと。

学力も申し分なく、体調をくずして数日お休みしても「この子なら大丈夫」と信頼されているそうです。

「がんばろう」ばかりだった通知表も、気がつけば「がんばろう」はひとつもなくなっていました。

◆ココロ貯金は人格をささえてくれるもの

4年生の後半から、本当に不思議な、奇跡のような出来事の連続でした。

 

おかげさまでわたしのメンタルも変わり、とても生きやすくなりました。

 

「ひとりで何とかしなければ」と虚勢をはって、“正解”を出すために娘も自分も追い込んでいた――あの頃のわたし。

 

子どもが仲間はずれにされているなんて人に言うのも嫌でしたが、今は素直に「助けて」と言えるようになりました。

 

「そのままでいい」んですよね。

 

ココロ貯金は子どもにだけ効くものではなく、わたし自身の人生をまるごと認めてくれるものでした。

 

人格の根っこや、人としての土台をやさしく支えてくれるもの。

 

子育て心理学カウンセラー養成講座は、カウンセラーの先生も一緒に受講したみなさんも本当に温かく、肩の力がふっとゆるむようなやさしい場所でした。

 

講座を受けて、人生が変わったと感じています。

◎伊藤さんが実践したココロ貯金

・「そのままのあなたでいいんだよ」と伝える。

・子どもの気持ちに耳を傾ける。

vol.24 不安…

◆突然の不登校宣言

「ぼく、明日から学校行かないから」

その言葉はあまりにも突然で、はじめは意味が飲み込めませんでした。

夏の気配と湿った空気が入り混じった6月、小学3年生の息子はそう言い放ちました。

 

よくよく話を聴いていくと「やなことがあった」と打ち明けてくれました。

お友達同士でふざけていたとき、押し倒された上に2人くらいが乗ってきたのだそうです。そのときの怖さが、息子の中に強く残ってしまったのだと思います。

 

先生にも訴えたらしいのですが、真剣に聴いてもらえなかったのだとか。

 “よくあるふざけ合いの延長”だと捉えられたのかもしれません。

 

先生には助けてもらえない。

味方がいない。

これから自分はどうなってしまうのだろう。

 

心の中が不安でいっぱいになってしまったようでした。

【お母さんのプロフィール】

2人のお子さんのお母さん

現在中学1年生の長男さんが小学3年生のときに不登校を宣言したのをきっかけに、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講。

◆幼少期からの悩み

実は息子が小学校に入る前から、わたしは子育てに悩んでいました。

息子はいやなことを「いやだ」と意思表示ができないタイプ。

ストレスをためた結果、身体に症状が出てしまうことが度々あったのです。

「気持ちわるい」「お腹がいたい」など、心のSOSが体に出る子でした。

 

どうすれば、たくましさが育つのだろう。

このままの状態で大きくなっていいのだろうか。

親に言われるままに動いていくのは何かが違う。

 

息子が「もう学校に行かない」と言ったとき、ずっと目をそらしてきた問題を、真正面から突きつけられた気がしました。

◆保健室での穏やかな時間

「引っぱって学校に連れて行ける雰囲気ではなさそうですね」

学校に事情を話すと、不登校のコーディネーターの先生が来てくださり、息子の様子を見ておっしゃいました。

 

「とりあえず1週間休んで、月曜日に保健室でいいから来てちょうだい。約束ね」

先生のやさしい言葉に、わたしもなぐさめられました。

 

1週間が過ぎ、保健室登校を続けていたある日、当事者の子と担任の先生が来てくれました。

「あのときのこと、あやまりたい」

こうして仲直りのような形がとれました。

 

また、「夏休みにも学校に行っておくと、休み明けがスムーズかもしれない」というちひろ先生のアドバイスを受け、お休み中にも2度ほど息子と学校にお邪魔しました。

担任の先生が学童に来ていたクラスメイトを連れてきてくださり、少しの間おしゃべり。穏やかな時間が過ぎていきました。

 

9月になったら、何ごともなかったように笑顔で登校できるかもしれない。

 

小さな希望の光が灯ったような気がしました。

けれどもその後、思いもよらない出来事が起こり、教室復帰への道はまた遠のいていったのです。

◆再燃した不信感

2学期を迎え、担任の先生と約束した日。

息子は緊張しながらも、勇気を出して学校へ向かいました。

ところがその日、先生が来なかったのです。

 

「急に来られなくなってしまって……」

説明を受けたものの、詳しい事情はわからずじまい。

そのまま、顔をあわせることもなく退職(もしくは休職)されてしまいました。

 

熱意のある先生でよくしていただいたぶん、ショックでした。

前を向きかけていた矢先の出来事。

息子の中にまた「先生を信じても大丈夫?」という不安が芽を出してしまいました。

 

新しい担任は生徒指導に慣れた中堅の女の先生で、保健室に来て、息子の気持ちに寄り添いながら声をかけてくださいました。

「今日は行けそう?」

「途中で嫌になったら戻ってもいいよ」

「1時間だけ教室に行ってみよう」

 

先生の優しさに支えられ、息子は少しずつ授業を受けるようになりました。

しかし、その表情はどこか暗く、いつも何かを思いつめたようでした。

 

◆心身の不調

息子の状態にシンクロするように、わたしも暗い気持ちで過ごしていました。

 

「なんで授業を受けないの」

 

サポートがあるのに普通に登校できない息子がもどかしくてたまりません。

ついガミガミと詰め寄ってしまったことがありました。

 

すると息子の呼吸は荒くなり、過呼吸の症状が出てしまったのです。

「……苦しい」

 

——ああ、ストレスをかけてしまった。

胸の奥がズキンと痛み、今度は後悔が押し寄せてきます。

 

教室に入ってみたものの、気分が悪くなってしまうことも度々ありました。

 

——きっとすごく、不安なんだろうな。

 

その頃わたしは、子育て心理学カウンセラー養成講座で「ココロ貯金」を学んでいました。そこで教えていただいた “認める”というメソッドが深く心に刺さり、とにかく実践してみようと心に決めました。

◆ココロ貯金を実践

“認める”とは、“ありのままの子どもの姿を承認する”こと。

 

「〇〇くん、おはよう」

「よく眠れたみたいだね」

「ちゃんと朝起きられたね」

「ご飯食べたね」

 

——もう、生きているだけで、全部OK!

 

あたりまえのことを言葉にして「認める」声がけをくり返すうちに、わたしの気持ちも、息子の表情も、少しずつ変わっていきました。

◆小さな自信を積み重ねて

先生のサポートを受けながら、息子は少しずつ授業を見学するようになりました。

歩いて登校するのはハードルが高いようだったので、先生の許可を得て車で送り、保健室で待たせてもらって、見学が終わると一緒に帰る——そんな日々が続きました。

 

図工など好きな教科の見学からはじまり、徐々に参加できる授業の幅が広がっていきました。

「1時間、教室にいられた」という成功体験が糧になり、それを1週間ほど続けた後に、

「じゃあ次は2時間いってみようか」

と、先生が優しく背中を押してくれます。

 

気分が悪いときはすぐ教室を出られるように、廊下側の席を用意してくださいました。

 

「行っても気分が悪くならない」という経験が自信につながり、1時間から2時間、2時間から3時間と、少しずつ少しずつ教室で過ごす時間がのびていきました。

 

2学期の終わりには給食を食べてから帰るようになり、3学期以降は5時間目までいられるように。

 

——ついに息子は、学校への復帰をはたしたのです。

◆その後の成長

4年生では、残念ながらガミガミタイプの先生が担任に。

帰ってくるなり「うるさーい」と文句たらたらでしたが、不登校に戻ることはありませんでした。

 

しんどくなったら1日休み、次の日は登校……といった具合に、自分でバランスをとるようになったのです。

「明日は行けそう?」とたずねると「うん、明日は行く」と答えてくれたので、わたしも安心して見守れるようになりました。

 

翌年の5年生では、一緒に遊んでくれる楽しい先生が担任に。

「あの先生、最高!」

家での表情も明るく、毎日とても楽しそうでした。

 

お友達と遊びに行くようになったのもこの頃。

低学年のときはなかったことで、息子の中で何かがはじけたようでした。

◆少し苦労した勉強の遅れ

授業をあまり受けられなかった3年生のときの学習はというと……。

先生から課題をいただき、国語と算数のドリルだけは毎日続けていました。

理科と社会はほとんど手つかず。

 

「小学校では、4年かけて理科と社会をやるようなものだから、あせらなくて大丈夫ですよ」

そんな先生の言葉に救われ、わたしも「時間があったら教科書読んでおいたら?」くらいの心持ちで、ゆったりと構えていました。

 

ところが4年生以降になると、掛け算と割り算のケタが増え、レベルがぐっと上がっていきます。

ドリルしかやってこなかった息子は、かなり苦労したようです。しっかり授業を受けていた他のお子さんに比べて、学習量が足りていなかったのだと思います。5、6年生になっても計算のスピードが上がらず、ときには頭を抱えていました。

 

「あーーー!!」

「もう消しゴムで消すのもいやだ」

息子のイライラが伝わってきます。

そんなときは「わからないことがあったら、そのままにする方が恥ずかしいから聞いてね」と声をかけました。

 

「わからない」と言ってもいい。

できなければ助けを求めればいい。

肩の力を抜いて生きていく術を、息子なりに少しずつ学んでいった気がします。

◆変化したコミュニケーション

その頃心がけていたのは、ココロ貯金を減らさないこと。

「ガミガミ」「クドクド」「ネチネチ」お説教をしない。

自分の意見は、息子の主張をいったん受けとめてから言うようにしました。

 

ああしたい、こうしたいと言われたとき、以前はストレートに「ダメ」と否定していましたが、

「すべてダメだとは言わないけれど、こうしてくれたらうれしいなあ」

と、ワンクッション置いてから伝えます。

 

すると不思議なことに、息子の返答も変わっていきました。

「気持ちはわかった」

「言いたいことはわかった」

そんなふうにわたしの想いを受けとめてから、主張するようになったのです。

 

わたしは言いたいことを言えない子だったので、「すごいな」と思いました。

親子のコミュニケーションは、あの頃から変わっていった気がします。

◆息子の今

今、息子は中学1年生。

のんびりしていた小学校とは違い、とても忙しそうです。

 

入部したバスケット部の練習は、走ったり筋トレしたりとなかなかハード。

へこたれないか心配しましたが、明るく前向きに毎日を過ごしています。

 

重い荷物をかかえてヘトヘトになって帰ってくる息子に

「おつかれー」

「よくがんばってるね」

と声をかけるのが、わたしの日課。

 

「忙しいーっ」

なんて弱音を吐きながらも「楽しみがあるからがんばれる」と言っています。

 

ココロ貯金は、エネルギーのもと。

信じてため続ければ子どもの中にエネルギーが満ちて、やがて花開くのだなと感じます。

 

「1学期より2学期の方がもっと楽しい!」

 

朗らかに笑う息子の瞳には、もうあの頃の不安や怯えはありません。

 

毎日が楽しい——それだけで十分。

 

キラキラと輝いている息子の学校生活を、ただ幸せな気持ちで見守っています。

お母さんが実践したココロ貯金

・ありのままの姿を「認める」
・ガミガミ、クドクド、ネチネチ言わない
・子どもに反論したいときは、一度受けとめてから“アイメッセージ”

vol.23 大学…

◆大学中退とうつ病

「もう生きていく意味がない」

 

20歳の秋、娘は大学を中退し、暗い言葉ばかりを口にするようになりました。

 

せっかく希望して入った大学を辞めてしまったことで自己肯定感が急落。

夜は眠れず、昼間もずっと自分を責め続けているようなのです。

 

病院に行くと「うつ病」と診断されました。

 

 

【お母さんのプロフィール】

2人のお子さんのお母さん。上のお嬢さんは大学の中退をきっかけに、うつ病になってしまう。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが21歳になった頃。

◆一人暮らしへの執着

ところが、驚いたことに娘は「一人暮らしを続けたい」というのです。

 

「それは……」

メンタルの状態を考えると、さすがに抵抗がありました。

事故につながってしまうのではないか、そのまま引きこもりになってしまわないか……。

 

普通に考えれば、止めるべきだと思いました。

けれども、母親の直感が「娘の意思を尊重した方がよい」と訴えてくるのです。

厳しくものを言うタイプの夫との暮らしは、かえって娘を追い詰めてしまうのではないか——。

 

そう感じたわたしは、悩んだ末に専門学校への転向を提案しました。

 

 

◆短かった専門学校生活

「アパレルの専門学校に行ってみたら?」

娘は洋服が大好きで、アパレル業界に興味がありました。

本人も「やってみたい」とうなずき、テストや面談を受けることに。

 

そして迎えた4月、無事に入学が決まりました。

 

——これを機に、前向きな娘にもどってくれますように。

新しい学生生活を謳歌している様子を見て、胸をなでおろしていました。

 

ところが、楽しそうに過ごしていたのに、突如、学校に通えなくなってしまったのです。

夜遅くまで遊ぶこともあったせいか、起立性調節障害の症状が悪化。

 

入学してまだ間もない6月のことでした。

 

 

◆どん底のメンタル

娘のメンタルは急降下していきました。

 

「大学だけでなく専門学校も行けなくなっちゃって。迷惑ばかりかけて……もう死にたい」

 

毎晩かかってくる電話では、「消えてしまいたい」という言葉がひんぱんに出てきます。

そのたびに恐ろしい想像が頭をよぎり、心が押しつぶされそうでした。

 

客観的にみれば、家に呼び戻した方がいいのはわかっています。

それでも、娘には同居が合わないのではないかと肌で感じていて、どうしても踏ん切りがつきませんでした。

 

蘇ったのは、中学時代の記憶です。

不登校だった娘は、厳しい言葉で叱る夫に猛反発。

いつもバチバチにぶつかり合っていました。

 

メンタルがどん底に落ちている今、同じ調子で夫に強く叱られたら——。

娘の心の糸がぷつんと切れてしまわないか心配でした。

 

とはいえ、ともすれば命にもかかわるような、自分ひとりで背負うにはあまりに重すぎる判断です。

そこで、その頃受講しはじめた「子育て心理学カウンセラー養成講座」で、思いきって相談してみることにしました。

 

 

◆ちひろ先生の励まし

「無理やり連れ戻しても、出てっちゃうしね」

そう言って、ちひろ先生がわたしの考えを肯定してくださったときは、心の底からホッとしました。

 

実際、娘が一時的に里帰りしていたときに、夜中に突然家を出ていってしまったことがありました。

ためらう様子もなく玄関を飛び出し、真っ暗な道をすたすたと歩いていくのです。

女の子ですし怖くて、あわてて後を追いました。

 

かなり離れた公園でボーッとしている娘を見つけ、ようやく一緒に帰ってきたこともあります。

 

こうした話に耳を傾け、常識にとらわれずに背中を押してくださった、ちひろ先生の温かさが身に沁みました。

 

「一般的な正解」と、 この子にあったやり方は違うよね。

娘の希望どおりに一人暮らしは継続させて、遠距離でココロ貯金をためていこう。

 

やっと覚悟が決まりました。

 

幸いなことに、娘の住まいの近所には仲のよい友達も住んでいて、それが小さな安心材料になりました。

 

 

◆不安と闘いながら

こうして、遠隔ココロ貯金の挑戦がはじまりました。

 

お友達とは連絡をとり合っている気配があるものの、毎晩かかってくる電話は、相変わらず気の滅入るような内容ばかり。

自分を責める言葉、眠れない夜の苦しさ、そして「生きている意味がない」というつぶやき……。

 

電話を切ったあとは、胸の奥に重たい石がずしんと残ります。

「私がやっていることは、本当に合っているのかな」

不安ばかりが募って、心が押しつぶされそうになることもありました。

 

——でも毎日電話がくることは、いいことだよね。

できるだけポジティブに捉えて、自分を励まします。

 

「話すことで、荷物を降ろしているんですよ」

そう教えていただいてからは、「少しでも荷物を預けてもらえたら」という思いで娘の話に耳を傾けました。

 

「え?」と思うような言葉もたくさんありましたが、口をはさまずに

「そうなんだね」

「しんどかったね」

と、ただ気持ちを受けとめようと心がけます。

 

すると不思議なことに、娘の様子にわずかな変化が見えるようになったのです。

 

——子どもは親の変化をちゃんと感じ取り、少しずつ変わってくれるのだ。

 

ひと筋の光が射して、暗闇の中にも歩いていける道があるように感じました。

 

 

◆もっとココロ貯金

毎日の電話に加えて続けていたのは、毎朝の挨拶LINEでした。

まず名前を呼びかけ、そのあと「おはよう」と送るだけ。

たったそれだけのことでしたが、確かな手ごたえがあった気がします。

 

「会えなくても会いに行くことが大事ですよ」

ちひろ先生がそうおっしゃっていたので、しばしば娘のアパートを訪ねていきました。

 

昼も夜も静まりかえっていて、いるんだか、いないんだか。

「今は会いたくない」と言われて追い返されたこともありますし、虚ろな表情を目の当たりにして心配ばかりを募らせながら帰ってきたこともありました。

 

——それでも、会いに行ったことに意味があるはず。

必死で自分に言い聞かせました。

 

もっと気持ちを伝える方法がないかと考え、わたしとお揃いの小物入れを作って送ったこともあります。毎日使うものを通して「いつも見守っているよ」「あなたの味方だよ」というメッセージが伝わるような気がしたのです。

 

数日後、ピコンとLINEが届きました。

「ありがとう」という言葉に添えられていたのは、化粧ポーチとして使ってくれている写真。

心がほわっと温かくなりました。

 

こうして迷い悩みながらも小さな前進を重ね、ささやかなココロ貯金をコツコツと積み重ねていきました。

 

 

◆アルバイト生活

最終的に、娘は専門学校も辞めることになりました。

 

それでも、夫に届いたメールには前向きな想いが滲んでいました。

「資格は取らなくても、自分でやっていける仕事にちゃんとつくから」

 

「一人暮らしをさせてもらっているし、働かないと」

娘はそう思っていたようです。

 

ただ、朝起きられないと仕事には支障が出ます。

知り合いに紹介してもらいアパレルの仕事をはじめましたが、仕事ぶりを批判されてクビになってしまいました。

起立性調節障害の症状はなかなか治らず、苦しい日々は続きます。

 

落ち込んでいた娘でしたが、ありがたいことにまた知り合いが紹介してくれて、今度は飲食店で働きはじめました。

はじめのうちは週に1~2回、体調と相談しながら働いて、徐々にフロアに4時間ほど立てるようになりました。

 

一度ランチタイムの様子をのぞいてみたところ、一番忙しい時間帯にもかかわらず、意外なほどちゃきちゃきと仕事をさばいていました。

 

——わあ、ちゃんと仕事している!

胸が熱くなったのを覚えています。

 

 

◆22歳、娘の今

娘は今、週に4日、朝から晩まで働いています。

派遣ですがお給料がよいらしく、家賃だけでなく光熱費まで送ってくれるようになりました。

「お友達はまだ学生なんだから、そこまでしなくてもいいよ」

と言うと、

「ちゃんと5万円貯金していて、お小遣いも5万円あるんだよ。でも、食費だけはお願いします」

なんて言って笑っています。

 

派遣先は、表参道の高級ショップ。

自分の好きなファッションを取り扱っているお店です。

 

洋服には強いこだわりがあるので、自分で見つけてきて、応募して、採用を勝ち取りました。

面接から帰ってきた日は

「あたし、たぶん勝った」

と、自信たっぷりでした。

 

娘の情熱が伝わったのか、採用前から「よかったら社員にしようと思っているんだよ」と言っていただいたそうです。

 

仕事を覚えることにも積極的で、

「もっと先のことも教えてほしいんですけど」

などと伝えて、重宝されているとのこと。

 

そんなに熱い気持ちで働いているのにもかかわらず、

「将来はもっと違うことやるかも。今はお金をためて、スキルを磨いてる」

なんて言っています。

 

すごいなあ、目覚ましいなあ、と。

かつて「死」という言葉ばかりを口にしていた娘が、未来の話をしている——そのたくましさ、変貌ぶりに胸が熱くなりました。

 

 

◆毎日の電話も変わった

相変わらず、電話は毎日かかってきます。

けれども、悲痛な言葉をきくたびに暗い気持ちになっていたあの時間はどこかに消えて、明るいおしゃべりの時間になりました。

 

「『わたしのお母さん、わたしのために心理学まで学んでくれたんだよ』って言ったら『すごいね』ってほめられちゃった」

「お父さんがやるって言って買った水槽のそうじ、結局やってあげてて、お母さんって本当にえらいね」

小さなことをいちいちピックアップして、ほめてくれる娘。 

 

なんだかココロ貯金を返してもらっているようで……。

くすぐったさを感じながら、幸せな毎日をかみしめています。

 

 

お母さんが実践したココロ貯金

・ネガティブな言葉も受けとめて“聴く”
・名前呼び+挨拶のLINE
・会えなくても、一人暮らしのアパートを訪問
・手づくりのプレゼント

vol.22 登校…

◆登校しぶりのはじまり

「いってらっしゃい」

夏休みが明けて、9月も半ばを過ぎたある朝のこと。

いつものように、小学2年生の娘を送り出しました。

 

いつもなら登校班のお友だちと一緒に学校へ向かうはずなのですが……しばらくして娘がひとりで戻ってきました。

忘れものでもしたのかなと様子を見にいったその瞬間、ぽろぽろと涙をこぼしながら、

「やっぱり、行きたくない」

とつぶやいたのです。

 

「どうした?」

動揺を隠しながら問いかけても理由は述べず、ただ「行きたくない」と繰り返すばかり。

その日は定時の登校をあきらめ、途中から学校へ行かせることにしました。

 

まさか、これが長く続く登校しぶりのはじまりになろうとは――

このときのわたしには、想像もつきませんでした。

 

それから娘の登校しぶりは、日ごとに悪化していったのです。

 

【お母さんのプロフィール】

小学3年生の女の子のお母さん。小学2年生の夏休み明けに、お嬢さんの登校しぶりがはじまる。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが小学2年生の冬。

◆強まっていく母への依存

「お母さん、どこっ?」

切羽詰まった娘の声が、家の中に響きます。

登校しぶりが深刻になるにつれ、娘のわたしへの依存は強まっていきました。

 

トイレや洗濯などで、ほんの少しわたしの姿が見えなくなるだけで、激しく動揺して探しはじめるのです。

まるで、必死で母親を追いかける幼い子どものようでした。

 

「ちょっと2階に行ってくるね」

声をかけると、不安そうに2階までついてきます。

四六時中、わたしにぴったりくっついている状態でした。

 

10月の終わり頃、学校に行けない子を受け入れている「教育支援センター」に通うようになりましたが、

ここでもわたしと離れることを強く嫌がり、泣き叫んで抵抗しました。

 

それでも、「家の中に閉じこもってほしくない」という思いから、胸が締めつけられるような気持ちで、娘を引きはがすようにしてセンターへ送り出していたのです。

 

◆2つの拠点の“送迎”係

今日はどうするんだろう。

すんなりと行けるかな? それともまたしぶるかな?

何時になったら行くんだろう。

 

支援センターには、行けたり行けなかったり。

10時の始業に間に合う日もあれば、午前中2時間のうち1時間だけ行くこともあり、結局「今日はお休みしようか」となることもありました。

 

下手に「どうする?」などと聞けば娘を追いつめてしまう気がして、いつも彼女の表情を探りながら過ごしていました。

毎朝心が落ち着かず、空気を読むことに神経をすり減らす日々でした。

 

不思議なことに、娘は「給食だけは学校で食べたい」と言いました。

そのため午前は支援センター、午後は学校、と2つの拠点を“はしご”する生活。

学校とのつながりが完全に途切れないのはありがたい反面、送迎の負担はかなりのものでした。

 

「給食が終わったら戻ってきてね」と言われるので、教室まで送り届けたら急いで車に戻り、慌ただしく自分のごはんをかきこみます。

 

——何がいけんかったんだろうな。

 

ひとり必死にごはんを詰めこむ自分がみじめで、涙が出そうになることもありました。

よそのお母さんたちはきっと、子どもを送り出したあとの時間を、少しリラックスして過ごしていることでしょう。

 

娘のコンディションに振りまわされる生活は不規則で、今までのように勤めに出るのがしんどくなっていきました。

悩んだ末に、会社の制度を使って、しばらく仕事を休ませてもらうことにしました。

 

 

◆ココロ貯金との出会い

娘中心の生活に心も体も疲れきっていた頃、偶然出会ったのがココロ貯金でした。

 

子育て心理学カウンセラー養成講座を受講して、最初に取り入れたのは、“名前呼び”だったと思います。

朝「おはよう」と声をかけるときには、必ず名前を添える。

娘がなかなか起きられないときは、やさしく肩に触れたり髪をなでたりしながら、目覚めるのを待ちました。

 

そんなある日、ちひろ先生がおっしゃった言葉が、わたしの心にすっと入ってきたのです。

 

「離れない子どもは、カンガルーみたいにくっつけておいたらいいんですよ」

「“離れよう”ではなく、“離すものか”くらいの気持ちでいいんです」

 

——あ! それかもしれない。

 

聞いた瞬間、一筋の光が射しこんだ気がしました。

ちひろ先生の言葉はまるで何かの啓示のように、まっすぐにわたしの心を照らしたのです。

 

 

◆カンガルーの親子

それまでは、「娘の望むままに、ずっと一緒に行動するのはよくないのではないか」「ときには心を鬼にして突きはなすべきなのではないか」と心のどこかで思っていたのです。

 

でも、迷いが消えました。

 

支援センターに行くのも一緒。

家の中でも一緒。

ちょっとした私用にもついてくるので、もちろん一緒。

 

まるでカンガルーの親子のように、ごはんも、お風呂も、寝るときも、ぴったりくっついて過ごしました。

 

心がけたココロ貯金は、とにかく“触れる”ことでした。

支援センターへ向かうときやお友達と遊びにいくときには、挨拶がわりにハイタッチ。

ソファに並んで座っているときには、マッサージをしたり、おんぶしたり。

 

すると、少しずつ変化が見えはじめました。

「お母さん、どこ?」と娘に探されることはしだいに減っていき、外食ができるようになり、娘が外に出られる機会は着実に増えていったのです。

 

 

◆つきそい登校

2年生の3学期が残りわずかになってきた頃。

娘は少しずつ、給食だけでなく授業にも顔を出せるようになっていました。

 

お勉強のカリキュラムがひと通り終わり、リラックスした雰囲気の“体験型”の授業がふえていたのも、背中を押してくれたのかもしれません。

 

終日学校で過ごすのはまだむずかしかったのですが、わたしがつきそいながら、2~3時間授業を受けて給食の前に帰る。

そんな日々をひと月ほど続けました。

 

保育園から一緒の子が多いので、わたしが教室にいると屈託なく聞いてきます。

「おばちゃんどうしたの?」

「ちょっと一緒におらしてな」

 

はじめは不思議がっていた子どもたちも、しだいに慣れていきました。

 

町探検や防災訓練。

子どもに混ざって、さまざまな行事に参加させてもらったのは、今となってはかけがえのない経験です。

けれど当時は、先の見えない不安の方がふくらんでいました。

 

つきそいは、いつまで続くんかな。

これからどうなるんかな。

 

会社の規定で定められた休暇の期限が迫り、4月からは復帰しなければなりません。

 

——娘が普通の生活に戻れなかったら、わたしは仕事をやめるんかな。

 

得体のしれない未来がぱっくりと口をあけているようで、今にも飲みこまれそうな恐ろしさを感じていました。

 

 

◆不安を越えてその先へ

「始業式が終わった次の日から、お母さんは仕事に復帰するからね」

「お迎えは、今までみたいに早くいけんからね」

「お母さんもがんばるから、一緒にがんばろう」

 

春休みのあいだ、くり返し娘と話しあいました。

少しずつ教室にいられるようになっていたとはいえ、 春休みで2週間のブランクがあります。

「どうかな、どうかな」と胸がざわつき、不安と期待が入り混じった気持ちで過ごしていました。

 

——そして迎えた4月。

 

なんと娘は、毎日、朝から学校に通えるようになったのです。

 

登校班ではなくわたしが送っていきますが、児童玄関で「いってらっしゃい」と手を振ると、そこからは娘ひとりで教室へ。最後まで授業を受けて、そのまま学童へ行き、夕方わたしが迎えにいきます。

 

ありふれた日常が戻ってきた幸せを、今じんわりとかみしめています。

 

娘は明るい表情で、学校の話をたくさんしてくれるようになりました。

「先生がこんなこと言ったよ」

「友達とこんなふうに遊んだよ」

「理科の実験が面白かった!」

「リコーダーを習った」「ローマ字を習った」……

愚痴も笑い話もひっくるめて、なんでも話してくれる。

学校生活を楽しんでいる様子が伝わってきて、わたしも安心して過ごせるようになりました。

 

 

◆わたしの変化

以前のわたしは、話を聞かなかったわけではないのですが、

「え、そんなん言ったの?」

「それは、こういうことじゃないのかな」

と、つい途中で口をはさんでしまいがちでした。

 

けれども、まずは否定せずに娘の話を受けとめるようにしてみたら、娘との関係が変わったように思います。

 

ココロ貯金はわたしにとって、子育ての“拠りどころ” であり“軸”でもありました。

娘にしてあげられることがわからずに、やみくもに心配して自分を責めてばかりだった過去のわたし。

 

今は、「子どもを優先してあげられない日」があっても「そのあとにどう寄りそってあげるか」が大事だと思えるようになり、穏やかな気持ちで過ごせるようになりました。

 

 

◆東京往きの飛行機で

6月。

子育て心理学協会の10周年パーティが、東京で開かれることになりました。

絶対に参加しようとは決めてはいたものの、丸1日娘と離れて過ごすのは本当にひさしぶりです。

 

やっと学校に行けるようになったのに、また不安定になってしまったらどうしよう。

本当にわたし、何ごともなく行けるんかな。

 

前日まで、心配で胸がいっぱいでした。

 

だからこそ、無事に飛行機に乗れたときは感無量。

 

——こんな日が来るなんて、あの頃は考えられなかったな。

 

肩の力がふっとぬけて、しばし放心してしまいました。

 

娘の気がすむまでずっと、つきそってあげてよかった。

本当によかった。

 

つらかった日々も、みじめで泣きたい夜も、ただ目の前の一日を必死に過ごしたあの頃も——。

すべてが、この瞬間へとつながっていたのだと思えました。

 

気づくと涙が頬をつたっていました。

あたたかな涙はとめどなく流れ、ひとり静かに祝杯をあげたのです。

 

 

お母さんが実践したココロ貯金

・あいさつ+名前呼び

・カンガルーの親子のような触れあい

・子どもに求められるままのつきそい

vol.21 薬を…

◆泣きながら迎える朝

——今日は行けるだろうか?

 

高校2年の夏が終わった頃から、娘は登校できない日が増えていきました。

もともと真面目な性格で、「学校に行かなきゃ」という気持ちは人一倍あるタイプ。ところが朝になると……体が動かなくなってしまうのです。

 

まず起き上がれない。
それでもなんとか布団からぬけ出し、ゆっくり着替えはじめます。

顔色がわるいまま、やっとの思いで制服に着がえたのにそれ以上動けず、泣きながら部屋にもどってしまうこともありました。

 

不思議なのは夕方。

わたしが仕事から帰ってくると、娘はまるで別人のように元気になっているのです。

「明日は行ける気がする!」

前向きな言葉に、こちらも「よかった。明日こそは」と希望を抱きます。

 

けれども朝になると、また同じことのくり返し。

何とか登校しようと泣きながら支度をするのに、大抵は途中で力尽きてしまうのです。

暴言を吐くことはありませんでしたが、娘の発する空気は鋭くて、「近寄らないで」「察して」というサインがビリビリ伝わってきました。

 

それでも、親としては放っておけず、声をかけます。

「大丈夫?」

するとスイッチが入って、不機嫌さが増幅してしまうのです。

全身をトゲで覆われているようで、手を伸ばしたくても届かない。そんな感じでした。

 

——どうして、こんなことになってしまうのだろう。

いろいろと調べましたが原因はわからず、時間だけが過ぎていきました。

 

 

【お母さん(真由美さん)のプロフィール】

大学1年生のお嬢さんのお母さん。お嬢さんは、高校2年生のときに学校に行けたり行けなかったりの生活になり、後に起立性調節障害が判明。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが高校3年生の秋。

◆不調の原因

ギリギリの出席日数でどうにか進級し、高校3年生の夏を迎えた頃。

ある偶然から、娘の不調の正体が見えてきました。

 

「友だちが“起立性調節障害”と診断されたんだけど、症状がわたしと似ているの」

娘のそんなひと言をきっかけに、小児科を受診。

同じ病気だと診断され、薬を処方してもらえることになりました。

 

——これでやっと……何かが変わるかもしれない!

胸の奥に、小さな光が灯った気がしました。

 

けれども、現実は甘くありませんでした。

 

まず、お医者さまの指示どおりに薬を飲ませるだけでもひと苦労だったのです。

指示された服用のタイミングは、起床の「1時間半前」。「5時半には起きたい」という娘の希望をかなえるためには、朝4時に、眠っている彼女の口元に薬を運ばなければなりません。

 

寝過ごしてはいけない。

飲ませ忘れなんて、もってのほか。

 

毎朝3時45分に目覚まし時計をセットしてがんばりましたが、想像以上のプレッシャーから眠りも浅くなり、「次はわたしの自律神経がやられるかも……」と本気で思うほど、心も体も張りつめていました。

 

何よりつらかったのは、そこまで大変な思いをして薬を飲ませても、はっきりした効果が見られなかったことでした。9月になっても状況は変わらず、じわじわと焦りが広がっていきました。

 

——このまま変わらなかったらどうしよう。

——出席日数が足らずに卒業できなかったら、娘の将来はどうなってしまうんだろう。

 

暗い想像ばかりが頭をよぎり、何か手がかりはないかと必死でもがいていたときに出会ったのが、「ココロ貯金」でした。

 

 

◆娘とわたしの変化

子育て心理学カウンセラー養成講座を受けて、まずありがたかったのは、ちひろ先生や受講仲間のみなさんに話を聴いていただけたこと。ずっと孤独にがんばってきたので、同じような悩みを抱えた方たちと気持ちを分かち合え、救われた気がしました。

 

心の中のざわつきが静まって自分の気持ちが穏やかになるにつれ、娘との関係も変化していきました。

 

「一緒に寝よ」

いつの頃からか、娘が誘ってくれるようになったのです。

「いいね、寝よう寝よう」

狭いシングルベッドでぴったりと寄り添って眠る時間は、娘のぬくもりがたまらなく愛おしく、どこか安心できるものでした。娘もきっと、同じように感じてくれていたと思います。

 

“腹貯金”もよくしました。

娘が好きなお菓子を見つけてきては、「あなたのために買ったのよ」と笑って渡すと、はにかんだ笑顔を返してくれます。小さなやりとりの積み重ねが、わたしたち親子の距離を少しずつ縮めてくれました。

 

また、「聴く」貯金も心がけました。

以前のわたしは娘の話を途中で区切って、ついアドバイスをしてしまいがちでした。でも、ココロ貯金を学んだことで「最後までしっかり聴こう」と意識するようになり、“否定せずに聴く”ことを大切にするようになりました。

 

すると——

娘のほうから話してくれる機会が、増えていったのです。

 

以前はわたしが忙しそうなときは遠慮していました。「今なら聴いてもらえそう」とタイミングを見て話してくる感じでしたが、自分が話したいときに自然に話してくれるようになった気がします。

 

そして、不思議な変化が訪れました。

薬を飲んでも改善しなかった起立性調節障害の症状が、少しずつ和らいでいったのです。

朝、「しんどそう」な日が少しずつ減り、登校できる日が徐々に増えていきました。

 

 

◆そして、大学生に

この春、娘は大学生になりました。

 

真面目な彼女にとって、大学受験も大きなプレッシャーだったのでしょう。

受験が終わったこと。

時間をかけてココロ貯金がたまってきたこと。

2つのタイミングが重なった高校3年生の終わり頃、見違えるほど元気になりました。

 

今の娘をひと言で表すなら「自由にやってる」感じです。

メンタルもだいぶ回復し、大学の講義にはすべて出席。

前向きな気持ちで学校生活を送っています。

 

サークルは2つかけもち。

驚いたのは、高校でプレッシャーの一因になっていたカルタのサークルに入ったことです。はたから見ると、“触れたくない過去”になっているイメージだったので、入部したときには本当に驚きました。

「あまり根詰めず、気楽にやる」のだと笑っています。

 

 

◆今、思うこと

あともう少しで、娘は巣立っていきます。

子育ての最後の最後にココロ貯金を学び、親子の関係を見直す機会をいただけたことには、感謝しかありません。

 

今思えば、娘が思春期になったときに関わり方を変える必要があったのに、わたしはそれに気づけなかった。娘の不調をきっかけにココロ貯金に出会い、小さな関わりを重ねていくことで自分を変えられたというか、何かをつかめた気がしています。

 

学校に行きたいのに体が動かず、泣いていた娘はもういません。

ひとまわりたくましくなった笑顔を見ていると、胸がいっぱいになるのです。

お母さんが実践したココロ貯金

・「一緒に寝よ」と言われたときの添い寝

・好きなお菓子で腹貯金

・話を遮らずに「聴く」貯金

vol.20 ゲー…

バーチャルな世界に潜った息子

午前0時すぎ。
今日も息子の部屋の明かりは消えることがなく、ボソボソと話し声が聞こえてきます。
オンラインゲームでチームを組んだ仲間たちと、ボイスチャットで盛り上がっているようです。

「うおーっ」
暗闇の中、時折ひびく雄たけび。

息子の感情が動くのは、ネットの世界だけなのかもしれない。

そう思うと、ぎゅっと胸がしめつけられました。
ふだん見慣れた、覇気のない硬い表情が、脳裏に浮かびます。

朝は眠り、夜になるとひとりネットの世界へと潜っていく息子。

——このままゲームに依存してしまったらどうしよう。

息子の未来が見えなくて、不安ばかりが心の中で渦を巻いていました。

 

【南河ゆきさんのプロフィール】

2人のお子さんのお母さん。現在高校3年生の長男さんは、小学4年から中学校の間、ほぼ不登校。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは長男さんが中学2年生の頃。

 

 

「もがいては挫折」のくり返し

息子の不登校がはじまったのは、小学校4年生の頃。
それでもがんばって私立の有名中学に入ったのですが、入学後の小さなトラブルにつまずき、またもや学校に行けなくなってしまいました。

家では、ずっとゲームに没頭。息子の昼夜は完全に逆転してしまいました。
顔色も冴えず、とにかく元気がありません。

自宅学習の助けになればと考えてパソコンを購入しましたが、パソコンが開かれることはなく、結局ゲーム用の機器が増えただけ。
月に一度通っていたカウンセリングも、午後の遅い時間帯に予約しているにもかかわらず、体調がすぐれずキャンセルしてしまった日が度々ありました。

それでも何とか学校に戻りたいと、息子ももがいていたのでしょう。
「地元に戻るわ」と言い出して、中学2年生で地元の中学に編入しました。
しばらくはがんばって登校していたのですが、夏のテストが終わったあたりから、また少しずつ、学校から足が遠のいていきます。

かなり無理している様子がこちらにも伝わり、体調も芳しくなく、ギリギリに車で送っていくのが精いっぱいの日々でした。

ココロ貯金との出会い

ずっと暗い迷路の中で、同じ場所をさまよっているような焦燥感がありました。

——親にできることは、何もないのだろうか。
息子のために何かしたいのに、何もできない自分が情けなくて、苦しくて。
わたしの心も疲弊していた、息子が中学2年生の夏、“ココロ貯金”という考え方に出会いました。

そして、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したことをきっかけに、子育てへの向き合い方が少しずつ変わっていったのです。

講座で学んだココロ貯金を試してみると、息子の表情がわずかに動く。
「あ、これがいいんだ」と腑に落ちる。

チャレンジして、手応えを感じて、また試して——
講座と実践の過程をとおして、深い学びがありました。

 

“導く”ことを、やめてみた

ある日、ふと気づいたのです。

わたしはずっと、「こうあるべき」という道へ息子を連れて行こうとしていた。
引っぱったり、背中を押したり、それが親のつとめだと信じて疑わなかった。
でも……もしかしたら、がんばり方が違っていたのかもしれない。

——息子を導こうとするのを、いったん手放してみよう。

ゲーム依存になって「ゲームで食べていきたい」などと言い出したらどうしようと、あれこれ先回りして不安になっていた過去の自分。でも、もしそうなっても構わない。

腹をくくると、心がふっと軽くなりました。

まずは、笑顔で接する。
否定せずに、話を聴く。
すごいと思ったことは、ちゃんと言葉にして伝える。
息子の好きなごはんを、沢山つくる。

立派なことはできなくてもいい。
等身大のわたしのままで、
「大好きだよ」「大事に思っているよ」
とまっすぐに伝えよう。

そして、いつも味方でいる。

たったそれだけを心に決めて、再出発したのです。

なだらかな変化

結果として、息子の中学生活は不登校のまま終わりました。
けれども、ココロ貯金がたまるにつれて外の世界との接点が増え、こちらの気持ちまで明るくなるほど、息子の活力は回復していったのです。
表情もおだやか。
不登校の子が通いやすい塾を見つけたので連れて行くと、通いたいと言いました。一番苦手そうな英語をやるといって、その後は数学も習いたいと言い出して、結局2つの塾に通うようになりました。

行けない時期もありましたが、「ちょっと今、メンタル落ちてるから休みたい」とか、「このぐらいまで休んだらまた行けると思うから」などと、行けない理由や期限を申告してきて、約束どおりにまた戻っていくのです。
驚きながら見ていましたが、そうやって期限をもうけて戻れるきっかけを作っていたのかな、とも思います。

月に一度は、美容院にも行くようになりました。
また、クラス担任の先生がいい先生で、講座で教わった方法でお願いすると頻繁に家庭訪問してくださるようになりました。先生との1 時間ほどの雑談は、とてもよい足慣らしになったと思います。
このようにして少しずつ、息子の世界は広がっていったのです。

明るい世界

ダダダダダッ。
勢いよく階段を駆け下りてきたのは、息子。
いつの間にか、高校3年生になりました。
学校には、毎日休まずに通っています。

選んだのは、比較的ゆるめの全日制の高校。
決して順風満帆だったわけではなく、入学してからも紆余曲折がありました。毎日通えるようになったのは、つい最近のこと。
それでも今——
ふざけたり鼻歌を歌ったり。
あの頃とはまるで違う、軽やかな時間が流れています。

高校からはじめた軽音部では、なんと部長を任されました。
重たいギターを担いで、電車とバスを乗り継いで通学。
ボイストレーニングに通いたいと言い出すなど、息子の世界はますます広がっています。

慣れない毎日の登校は、たぶん身体にこたえているはず。
けれども、中学の頃のような「無理している」感じは、まったくありません。
少しだけ早く眠るようになり、朝ごはんもふつうに食べて出かけていきます。

高校1年生のときにはじめたアルバイトは、家で愚痴をこぼしながらも、高校2年の終わりまで続きました。

そして、あんなに悩まされていた深夜のチャットの話し声は……、
いつの間にか、すっかり聞こえなくなったのです。

未来に向かって

先日、用事があって息子の部屋に入ったところ、机の上には沢山の書き込みがあるノートが広げられていました。本人いわく、動画を見ながら、要点をまとめているのだとか。
本棚には、ズラーッと参考書が並んでいます。

大学には行きたいと、ずっと前から言っていて。
高2の途中ぐらいから、自分なりの受験勉強の計画を話してくれるようになりました。
「この単元は、〇月までに終わらせるつもり」
「英検は受けておいた方が良さそう」
そう言って、高2の終わりには本当に英検を受けに行きました。正直、あまり勉強しているようには見えなかったのに——見事合格。
よく受かったね、と家族みんなで驚きました。

親が何も言わなくても、塾や学校の自習室で相談して、大学や受験についての情報を積極的に集めている様子。進学校ではないため学校で模試がなく、「調べて申し込んだから、お金払って」と、頼まれたこともありました。

最初は有名校ばかりを挙げていた志望校も、ここがダメだったらここ、ここがダメだったらここ……と、すべり止めまで計画するようになりました。

卒業後は一人暮らしをしたいと言い出したので、
「家賃ってどれくらいなんだろうね」
と一緒に調べて、
「こういう部屋がいいねえ」
と、楽しく語り合いました。

ココロ貯金がくれたもの

わたしにとってココロ貯金は、“ありのままの愛情”を息子に伝える術でした。

子どもは親とはちがう人格をもった、ひとりの人間。
そして、親だって完璧じゃなくていい。

当たり前のようで見失いがちなことを、ごく自然に受け入れられるようになりました。悩み苦しんだあの頃の時間も、今思えば必要な通過点だったのかもしれません。

「あなたが大好き」
その気持ちさえ届いていれば、子どもは元気いっぱいに、自分の人生を生きていく。

自ら未来を切り開こうと奮闘する息子の姿を、頼もしい気持ちで見守っています。

南河ゆきさんが実践したココロ貯金

・笑顔で接する
・否定せずに、話を聴く
・すごいと感じたら、言葉にして伝える
・好きなメニューで、腹貯金

 

vol.19 「う…

息子の異変

「ちょっと様子がおかしいから見に来な」

 

涼しい秋風が吹きはじめた10月のある日、息子を預けている実家の父から連絡がありました。

息子は東大を目指して浪人中。幸いわたしの実家が東京にあったため、下宿しながら東京の予備校に通っていたのです。

 

しかし、浪人生活がはじまると同時にコロナが蔓延。会いたくても簡単には会えない状況でしたが心配でたまらず、緊急事態宣言のすき間をぬって、新幹線に飛び乗りました。

 

再会した息子は、頬がこけ目元もくぼんでいるように見えました。全身から緊張感がにじみ出ていて、追い詰められた心の内がひしひしと伝わってきます。

 

——父が気づいてくれて、本当によかった。

 

週末の3日間でなんとか彼を励ますと、一時は元気を取り戻したように見えました。けれども、それほど簡単なことではなかったのです。

 

【石橋やえさんのプロフィール】

2人のお子さんのお母さん。現在大学院の1年生の長男さんは、浪人生活がコロナ禍と重なり、精神的に落ち込みがちに。サポートの甲斐あって見事第一志望の東大に合格するも、学部内の激しい競争からメンタルダウン。やがて「うつ」の診断を受けてしまう。やえさんが子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男さんが浪人生の頃

 

 

息子の異変

「ちょっと様子がおかしいから見に来な」

 

涼しい秋風が吹きはじめた10月のある日、息子を預けている実家の父から連絡がありました。

息子は東大を目指して浪人中。幸いわたしの実家が東京にあったため、下宿しながら東京の予備校に通っていたのです。

 

しかし、浪人生活がはじまると同時にコロナが蔓延。会いたくても簡単には会えない状況でしたが心配でたまらず、緊急事態宣言のすき間をぬって、新幹線に飛び乗りました。

 

再会した息子は、頬がこけ目元もくぼんでいるように見えました。全身から緊張感がにじみ出ていて、追い詰められた心の内がひしひしと伝わってきます。

 

——父が気づいてくれて、本当によかった。

 

週末の3日間でなんとか彼を励ますと、一時は元気を取り戻したように見えました。けれども、それほど簡単なことではなかったのです。

コロナ禍の予備校生活

東大専門の有名なクラスに入学した息子。ところが、講義はすべてリモート授業です。前例のない事態なので仕方がないとはいえ、高い授業料に見合ったサポートが得られないような状況でした。

 

「こんな勉強の仕方で、大丈夫なんだろうか……」

わたしですらそう感じていたのですから、本人はどれほど不安だったことでしょう。さらに追い打ちをかけるように、担任の先生からこんな言葉をかけられたそうです。

 

「今年のクラスは出来が悪いから、受かるのは3割だな」

——それって、ほとんどの子が受からないってこと?

 

コロナの閉塞感と慣れない環境、そして将来への不安……。疑心暗鬼になりながらも必死に勉強を続けるうちに、息子の心は少しずつ追い詰められていったのだと思います。

 

息子、逃げ帰る

「疲れたから帰りたい」

息子から連絡があったのは、共通テストが目前に迫った12月のことでした。

 

——え? 何があったの?

動揺しながらも、努めて平静を装います。

「いいよ。帰っといで」

不安を悟られないように、いつも通りの声でそう返しました。

 

今、どんな気持ちでいるのだろう?

考えるたびに、胸の奥がぎゅっと締めつけられます。

 

里帰りの予定は約1週間。短い時間だけれど、わたしにできることを、できるかぎりしてあげよう——そう心に決めました。

5日間のココロ貯金

——とにかく、ココロ貯金を貯めよう。

ふだんは何もしてあげられない分、愛情を伝え、寄り添ってあげたい。

 

まずは、息子の好物を作って食べさせることから。

疲れた体を整えるために、整体にもつき添いました。

「共通テストまで日があるんだから、焦らなくて大丈夫。回復してから、がんばればいいじゃん」

整体師の先生の温かな励ましに、勇気づけられたようでした。

 

「日に当たりな」とも言われたので、毛布にくるまりながら、庭先で一緒に日向ぼっこ。

天気のよい日には、ちょっとしたドライブにも出かけました。近くの湖で東京にはない自然にふれて、ちょっと贅沢なホテルに寄ってケーキを食べて。

 

息子が「落ち着かないから」と勉強をはじめたときは、「 暇だったらピアノでも弾いてみたら?」と勧めてみました。今だけは勉強から離れ、リラックスした時間を過ごしてほしかったのです。

 

彼の奏でるピアノの音に耳を傾けながら、わたしの心は遠い日々へとさかのぼっていました。二人三脚でコンクールに挑んだあの時間。そう、あなたは昔から“がんばれる子”だったよね。

 

5日ほど穏やかに過ごしたところで、息子が言いました。

「そろそろ帰るよ」

再出発

息子を駅まで送った日。

ゆっくりと動き出す新幹線を見つめていたら、不覚にも涙があふれてしまいました。もし息子がひとりっ子だったら、きっと一緒に東京に行ったでしょう。でも、家には娘もいるし、仕事もある。

 

——がんばれ。頑張って。

どうか、体だけは大事にして。

 

結局、わたしにできるのは祈ることだけ。

精一杯の想いをこめて、手を振り続けました。

母のおにぎり

「お母さんのおにぎりが食べたい」

いつだったか、息子が言ったことがありました。梅干しやおかか、鮭などを入れたごく普通のおにぎり。けれど、彼にとっては何かが違うらしいのです。

 

そこで、たっぷりお米を炊いておにぎりをたくさん握って、冷凍して送ることにしました。いつも使っている塩がついた長い海苔も同封し、「ラップじゃなくてアルミホイルで巻いてね」というメッセージをひと言添えて。

 

子育て心理学カウンセラー養成講座で教わった「腹貯金」の遠隔バージョンです。授業の合間にお母さんのおにぎりを食べると、元気が出てくるんだよ——と、息子が笑って教えてくれました。

 

こうして、あの手この手で心と体を支えながら、浮き沈みの激しい日々を乗り越えていったのです。

そしてついに、第一志望だった東京大学に合格。

知らせを聞いたときは、心の底からホッとしました。

 

ところが——、

残念ながら穏やかな日々は、長くは続かなかったのです。

深夜の電話

第一志望の大学に合格し、念願のひとり暮らしをスタートさせた息子。

けれども、大学生活の1年目は、決して順風満帆ではありませんでした。

 

当時はまだ、コロナ禍の真っただ中。

友達と顔を合わせる機会もほとんどなく、外出するのは、かなりブラックだった塾講師のアルバイトのときくらい。

そのような環境の中で、息子のメンタルは徐々に落ち込んでいきました。

 

あの頃、わたしがよくしていたのは、「話を聴く」ココロ貯金です。

「夜、電話していい?」

ピコンと届くLINEのメッセージ。

「何時ごろ?」とたずねると「23時」と返ってきます。

23時から3時間……。日付が変わっても、息子の話は止まりません。

 

「もう、お母さん眠いんだけど……」と言いたい気持ちをぐっと飲み込み、相槌をうちながら、ひたすら耳を傾けました。

 

モヤモヤを吐き出すことで、少しでも心が軽くなるなら。

 “安心できる場所”があると、少しでも感じてくれるなら——そう願いながら、話を聴き続けた日々でした。

見えなくなった未来

東大では、1・2年生の間は全員が「教養学部」に所属し、幅広く基礎的な知識を学びます。

そして2年生になると「進学選択(通称:進振り)」という制度で、3年生からの専門の学部を選ぶのですが——

この進振りの競争が、想像を超えるほど熾烈なのです。

 

息子が希望していたのは、人気の学部。

わずか5名の枠に、なんと400人が殺到したそうです。

 

結局、彼に与えられたのは「第8希望」だった学部。

あまりにも無残な現実に、体中の力が抜けてしまったようでした。

 

「なんのために、今までがんばってきたんだろう……」

 

そんなことを考えながら歩いていた通学中に、突然目の前が真っ白になり、そのまま倒れそうになったと言います。

 

「病院に行ったら、“うつ”って言われた」

 

彼の報告を聞いたわたしは、またしても東京行きの新幹線に飛び乗りました。

 

親子で過ごした週末

それから半年あまりは、月に一度のペースで、週末は東京の息子のもとへ通いました。

そうじや洗濯を手伝って、ごはんをつくったり、一緒に外食したり。向かい合って食事をしながら、たくさん話し合いました。

 

「例えばさあ、希望の学部に行くために、あえての留年ってアリかな?」

「うーん……アリかも。いや、やっぱりそれはナシかな」

 

会話を通して考えることで、息子の心は整理されていったのかもしれません。

胸に秘めた思いを言葉にしていくうちに、少しずつ前向きさを取り戻していきました。

 

その後の話

その後の息子は目立ったスランプもなく、3年生、4年生と、粛々と学業に打ち込みました。

 

そして——

驚いたことにあのとき息子は、大学院へのステップアップを考えはじめていたのです。

 

「やっぱり、本当にやりたい分野を学びたい」

そう考えた彼は院試に有利な研究室を自ら選び、しっかりと準備を重ね、見事に合格を勝ち取りました。

 

おそらく、わたしには想像もつかないような努力を重ねてきたことでしょう。

今は毎日がとても充実しているようで、忙しそうにしています。

心配は尽きないけれど

息子が巣立って、娘も成人しました。

「立派に育てられて」と言ってくださる方もいますが、正直なところ、まだまだ心配の連続です。

 

いくつになっても、子どもは子ども、母は母。

きっと、心配が尽きる日はこないのだと思います。

 

誰だって「がんばり続ける」のは、むずかしい。

心がポキッと折れそうになったとき、“ココロ貯金” を学んでいたから、息子は軽傷で踏みとどまれた。

そう感じています。

 

小さなつまずきをココロ貯金で乗り越えるたびに、息子の心の幹は少しずつ、太くなっていきました。

子ども自身がもつ力に感動し、その輝きに目を細めながら、いつまでも見守っていきたいと思います。

 

石橋やえさんが実践した“遠距離”ココロ貯金

・「否定せずに」話を聴く・息子が弱ったときには、即・上京
・会えたときには、てんこ盛りのココロ貯金
・おにぎりを冷凍して、宅配便で“腹貯金”
・電話では、3時間でも「聴く」貯金

vol.18 不登…

突然の不登校

小学3年生の始業式が終わった翌朝。

いつもなら自分で目を覚まし、元気に起きてくる息子がなぜか部屋から出てきません。

 

不思議に思って様子を見に行くと、布団にくるまり、小さく震えながら泣いていました。

 

「どうしたの? 何かあった?」

 

規則正しい生活を送ってきた、真面目な息子。夜9時に寝て、朝6時に起きる生活が当たり前だったのに——。

突然の変化に、わたしは驚き戸惑うばかりでした。

 

どれだけ声をかけても、息子は涙を流し続けます。

布団の中から出ようともせず、その日、学校へ行くことはできませんでした。

 

【お母さんのプロフィール】

二人兄弟のお母さん。長男さんは小学3年生の始業式の翌日から不登校になってしまう。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男さんが不登校になってまもない頃。

 

 

涙の理由

なぜ、息子は学校に行けなくなったのか——。

理由は複合的なものだったと思います。

 

初めてのクラス替えで仲のよいお友達と離れてしまったこと。

大好きな親友が転校してしまったこと。

そして決定的だったのは、担任の先生が変わったことでした。

 

1、2年生のときの先生は、温かくて優しくて息子にとって安心できる存在。

その先生のクラスでのびのびと過ごしてきた彼にとって、新たな担任の先生は、あまりにも違いました。

怖くて厳しくて、大きな声でどなって叱る。

始業式の日にその洗礼を受けてしまったことが、不登校の引き金になってしまったようでした。

 

 

軽くとらえていた最初の1週間

「大丈夫。行ってみれば何とかなるよ」

最初のうちは、そう思っていました。

説得すれば息子の気持ちも落ち着き、また学校に行けるようになるだろうと。

 

「先生もクラスも、最初はみんなイヤだって思うものだよ」

「行きたくないって思うのも、普通だよ」

 

夫と二人で1週間、言葉をつくして励まし説得を続けました。

ところが、息子の心には届かなかったのです。

 

こちらが焦って必死になるほど、息子の気持ちは学校から遠ざかっていくようでした。

そしていつの間にか、学校に行かない日々が日常になっていきました。

 

途切れていく社会とのつながり

親としてつらかったのは、不登校だけではありませんでした。

それまでがんばってきた、サッカー、ピアノ、お勉強、といった習いごとまで、辞めざるを得なくなったのです。

 

唯一続けられていたのは、大好きな先生のいるピアノ。

優しく寄り添ってくれる先生のおかげで何とか続けていたのですが、ついにそれさえも行けなくなりました。

 

「学校に行っていないのに、誰かに会ったらどうしよう」

そんな不安から、外に出ること自体がむずかしくなってしまったのです。

 

今まで積み上げてきたものを、一つずつ失っていく感覚。

学校には行けなくても、何か息子のやりがいになるものや、人とのつながりを残したい——。

そんな願いもむなしく、息子を見守るしかない苦しい毎日でした。

 

「先生が変わらない限り、復帰は難しいかもしれないね」

そんな周囲の声に、わたし達も次第に「このまま3年生が終わってしまうかもしれない」と、あきらめの気持ちを抱くようになっていました。

ココロ貯金との出会い

「学校に行けないなら、それでもいい。朝はちゃんと起きよう」

「起きてご飯を一緒に食べよう」

 

息子にそんな言葉をかけ始めた頃、「ココロ貯金」というメソッドに出会いました。

ちょうど「子育て心理学カウンセラー養成講座」が始まることを知り、少しでも息子のためになればと、思いきって受講してみることにしました。

 

まず取り組んだのは、毎朝毎晩欠かさずに名前を呼んで挨拶すること。

それから「大好きだよ」と素直に気持ちを伝えることでした。

寝る前に言葉で伝えたり、お互いにぎゅっと抱きしめ合ったり。

息子の温もりに愛しさがつのり、気持ちはきっと息子にも伝わっていると感じられました。

 

そしてもう一つ、とても苦手だけれどもがんばったココロ貯金があります。

それは「否定しないで聴く」こと。

 

わたしは、ネガティブな話を聴くのが大の苦手。

後ろ向きの発言には「でも……」と反論したくなってしまうのです。

 

「そうじゃないよ」と正して、前向きなアドバイスをしたくなる。

でも、それでは何も変わらなかったのが過去の教訓でした。

 

「そう思ったんだね」

と気持ちを受けとめて、否定せずに聴く。

 

わたしにとっては大変むずかしいことでしたが、一生懸命取り組みました。

わたしの気づき

ココロ貯金という考え方を知り改めて子育てに向き合うと、たくさんの気づきがありました。

 

1年生・2年生と多くの習いごとをこなしてきた息子。

「学校から帰ったらすぐ習いごと」という生活は大変だっただろうな、そのがんばりを認めてあげられていなかったな、と振り返りました。

 

「がんばれ、がんばれ!できる、できる!」と明るく励ましてきたけれど、それも違ったのかもしれない。

息子の気持ちを最後まで聴かず、親の勝手でポジティブに変換していただけだったのではないだろうか。

 

気づけば、これまでの自分の言葉や関わり方を、さまざまな角度から見つめ直していました。

それは、大きな学びの時間でした。

先生とのコミュニケーション

家庭でココロ貯金を続ける一方で、先生との連携も少しずつ試みていました。

 

不登校の理由を取り繕うことはできません。

息子からきいたこと、先生を怖いと感じたことなどを率直に伝えました。

 

「申し訳ないのですが、息子はこんな話をしています」

 

勇気がいりましたし、迷いもありました。

けれども、どなったりみんなの前で叱ったりすることについては、お伝えすることで緩和していただけるのではないか——そう考えて、思いきって相談しました。

 

また、「どのように過ごしていけば、先生との距離が縮まるか」という課題について、教頭先生、担任の先生、夫とわたしの4人で話し合う場も設けていただきました。

 

「息子はサッカーが好きなので、一緒にサッカーをしていただけませんか?」

お願いすると快く応じてくださり、放課後に教頭先生をまじえて何度かサッカーをしてくださったのです。そのときの担任の先生はいつもの厳しい表情ではなく、楽しそうにニコニコと笑って接してくださいました。

 

「先生ってこんな風に笑うんだね」

「足が早いんだね」

 

息子はたくさんの発見をしながら、うれしそうにボールを追いかけていました。

 

サッカー以外にも体を動かす遊びに何度かおつきあいいただいて、少しずつ距離が縮まっていきました。

 

 

サイン

8月の終わり。

夏休みが明けた始業の日、驚いたことに息子は抵抗なくすんなりと登校したのです。

「もしかしてこのまま……?」

希望がよぎりましたが、残念ながら翌日からはまた“行けない日々”に戻ってしまいました。

 

その少し前、息子とこんな話をしていました。

「これからどうしようね」

「このまま4年生になるのかな」

 

本人にも、このままでは4年生になれないかもしれないという焦りがあって、

「やはり行かなきゃいけない」

「行こう!」

「でも……」

といった葛藤があったのかもしれません。

 

そして——忘れもしない9月25日。

息子は突然、はっきりと言ったのです。

 

「明日から行くよ」

再登校

「明日から行く」という宣言はきいたものの、わたしは半信半疑でした。

なぜならそれまでは、洋服に袖を通すという身支度すらできない状態だったからです。

 

——6時間もある日だけれど、本当に行くのだろうか。

 

そんな思いで迎えた9月26日の朝。

息子は淡々と着替えを済ませると、何の迷いも見せずひとりで玄関を出て行きました。

 

そして6時間の授業を終え、すっきりと晴れやかな表情で戻ってきたのです!

 

自宅では一切勉強していなかったので、授業の進み具合もわからない状態だったはず。

それも隣のお友達に教えてもらいながら、無理なく一日を過ごせたそうです。

そして、好きな漢字の授業では——なんと、手を挙げて発表までしたのだとか。

 

この日を境に、息子は毎朝自然に登校するようになったのです。

 

成長

学校に通う日々が戻ってくると、息子の中に積極性が芽生えてきました。

 

「やっぱりサッカー、やりたいな」

ある日そう言い出した息子はチームを探して体験を受け、「このチームでやりたい」と入団するチームを自分で決めました。

 

それだけではありません。

サッカーと並行して、週2回のバスケットにも挑戦することに。

最初はお友達に誘われて「ちょっと体験行ってくるわ」という感じでした。

 

サッカーだけでなくバスケまでやるの? と驚きましたが、今でも楽しく続けています。

あれほど動けなかった日々が嘘のように、息子は軽やかに新しい世界へ踏み出していきました。

 

ふと気になり、担任の先生についてたずねてみました。

「なんか、やさしくなったよ」

 

もちろん、厳しく叱られることもあるそうです。けれども息子のキャパシティが広がったようで、「こういう先生なんだ」と受け入れられるようになったのだとか。もしかすると先生側も、叱り方がマイルドになるように意識してくださったのかもしれません。

 

今、思うこと

息子が学校に行けなくなったとき、最初は焦り、その後は途方にくれました。

 

けれども運よくココロ貯金に出会い、愛情の伝え方を知ることができました。

話を否定せずに最後まで聴き、ただ寄り添う——自分の中にはなかった関わり方を学び、実践できるようになったのです。

 

半年という不登校の期間は、もしかすると短い方なのかもしれません。

けれども渦中にいるときは、ゴールが見えず何度も心が折れそうになりました。

 

——それでも、息子の力を信じてよかった。

 

ココロ貯金を頼りに、実践してきてよかった。

学校に行けなかった半年間で、息子もわたしも、少しだけ成長できた気がします。

おかあさんが実践したココロ貯金

・毎日「名前を呼んで」挨拶する

・「大好きだよ」と素直に伝える

・「否定せずに」話を聴く