vol.40 大卒…

表情が消えた娘

リビングで家族が談笑していると、すうっと娘が入ってきました。

 

「おつかれさま」

声をかけても、返事はありません。

 

ほんの少し前までは、やさしい顔で笑っていたのに。

まるで別人のように、感情が消えてしまった娘がそこにいました。

 

きっかけは、大学2年の終わりに広がりはじめたコロナでした。

 

自宅待機が続く中で昼と夜が入れ替わり、娘の生活リズムは少しずつ崩れていきました。

周りのみんなが日常に戻っても、娘だけが流れに乗れないまま取り残されてしまったのです。

 

授業も「夜中に録画を見ればいい」と言って、気づけば誰とも関わらない日々が続いていました。

 

やがて眠れなくなり、食欲もなくなっていきました。

食事はほんのひと口を飲み込むのがやっとで、そのひと口さえつらそうに見えました。

 

ときどき言葉を発しても聞き取れないほど小さく、声に力がありません。

 

家族みんながテレビを見て笑っているときも、娘だけが無表情でした。

 

――どう見ても、おかしい。

 

もしかしたら「うつ」かもしれない。

 

病院に行ってみようと声をかけましたが、娘は首を横に振るばかりです。

 

「わたしは大丈夫」

 

このままではいけないとわかっているのに、何も打つ手がありませんでした。

そんな自分がもどかしく、重い気持ちで過ごしていました。

 

 

【沢木志帆さんのプロフィール】

3人姉妹のお母さん。次女さんはコロナ禍をきっかけにうつのような症状に。次女さんが大学を卒業した後、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講

 

わたしが何とかしなければ

――とにかく、何か食べさせないと。

 

わたしは必死に考えました。

 

病院には行けない。

相談できる場所もない。

 

正解はわからないけれど、わたしが何とかしなければ。

そう、自分に言い聞かせていました。

 

――まずは健康を取り戻そう。

娘が少しでも口にできるように、栄養をとれるようにと、好きそうなお菓子を何度も作りました。

 

「休学したい」

娘がそう言い出したときは、

「今、決めなくてもいいんじゃない?」

と引き止めました。

 

1年生から2年生にかけて、娘は本当によくがんばっていて、ほとんどの単位をすでに取得していたからです。いくつかの授業をリモートで受ければ、卒業に必要な単位が取れる状況でした。

だからこそ、ここで休学という形で手放してしまうのはもったいないと感じてしまったのです。

 

「起きられたときだけでいいから、録画を見てみたら?」

「それでもつらくなったら、そのときまた考えよう」

そう声をかけながら、娘と二人三脚で、一日また一日と月日を越えていきました。

 

あの選択がよかったのかどうか、

正直、今でもわかりません。

 

それでも娘は少しずつ元気を取り戻し、4年生の後半には、大学に通えるようになりました。

 

就職活動はまったくしていませんでしたが、卒業したらゆっくり考えていけばいい。

 

あのときのわたしは、そう思っていたのです。

 

 

リバウンド

苦労の甲斐もあり、娘は何とか大学を卒業することができました。

 

あんなにつらい時期を乗り越えられたのだから、後はゆっくり――

そう思っていたのに、わたしは欲を出してしまいました。

 

卒業して間もないある日。

わたしは娘に、何気なく声をかけました。

 

「これからどうする? 就職とか……」

 

ほんの軽い気持ちの、一言でした。

けれどもその言葉をきっかけに、娘はまた、部屋にこもるようになってしまったのです。

 

 

内省

以来会話は減り、娘は以前と同じように一日のほとんどを部屋の中で過ごすようになっていました。

 

――少しずつ前に進んでいたのに、どうして……?

そのとき、ふと頭をよぎったことがありました。

 

これはもう、食べものや栄養の問題じゃない。

もしかして、わたしの関わり方がまちがっていたのかもしれない。

 

そのとき初めてわたしは、娘への関わり方を振り返ることになったのです。

 

 

「様子を見る」だけの不安

最初に助けを求めたのは、地域の引きこもりサポートセンターでした。

ところが何度足を運んでも、同じ言葉を言われるばかり。

 

「この段階では、しばらく様子を見てみましょう」

 

様子を見ているだけで、娘はよくなるんだろうか。

わたしは一体何をしたらいいの?

 

不安と焦りばかりがつのり、ネット検索して出会ったのがココロ貯金でした。

 

ちひろ先生のお顔を見たとき、以前NHKの朝イチに出演されていた先生だとピンときました。

 

「この考え方、すごくいい」

「なんてわかりやすいんだ」

 

感動しながら観ていたはずなのに、娘が引きこもる前だったこともあり、そのまま通り過ぎてしまったのです。

 

改めてご著書を読んでみると、ぼろぼろと涙がとまらなくなりました。

――こんなにも、気持ちをわかってもらえるなんて。

 

その後初心者向けのセミナーを受講し、子育て心理学カウンセラー養成講座を受ける決意を固めました。

 

 

わたしの変化

講座を受けてまず変わったのは、わたし自身の考え方でした。

 

娘の一番の悩みは「眠れないこと」。

以前のわたしは「眠れないなら、早く寝ればいいのに」と思っていました。

 

そのためにも――

「朝は早く起こさなきゃ」

「カーテンを開けて朝日を浴びさせなきゃ」

 

そんな義務感にとらわれていたのです。

 

わたしが部屋から出た後に「シャッ」とカーテンを閉める音がする。

そしてまた、ふとんにもぐりこんでいる。

 

それをわかっていながらも、どうにか元の生活に戻そうとひとりで必死にもがいていました。

 

けれど、ちひろ先生に話を聴いていただいたとき――

「~せねば」「~すべき」という思いで固まっていた心に、ふっと風が通ったような気がしたのです。

 

それからは少しずつ、「娘ができていること」に目が向くようになりました。

 

たとえ遅い時間に起きてきたとしても、

「あ、よく眠れたんだね。よかった」

「夜中に起きたけれど、ちゃんとごはんを食べたんだね」

 

そんなふうに、前向きな言葉をかけられるようになったのです。

 

 

ささやかなココロ貯金と小さな変化

毎日部屋で寝ているだけの娘に対して、できるココロ貯金はほんのわずかでした。

 

「〇〇ちゃん、おはよう。仕事に行ってくるね」

「お昼は〇〇ちゃんの好きなものを作っておいたよ」

 

名前を呼んで、好きなおかずを用意して。

 

夜中に起きる娘と会えなかった日は、LINEにメッセージを入れました。

「〇〇ちゃん、おはよう。寒くなかった?」

 

ささやかな関わりを続けていくうちに、ただ横たわっているだけだった娘がスマホを触るようになり、やがて、LINEに返事をくれるようになりました。

 

娘が可愛がっていた犬の話をすると

「ちゃんとごはん食べてる?」

などと自分のことは後回しにして、犬の健康を気遣うこともありました。

 

やがて部屋から出てきて雑談できるようになり、娘は少しずつ元気を取り戻していきました。

 

 

娘の課題

娘には、もうひとつ課題がありました。

 

「どっちでもいい」

「お母さんが決めて」

何かに誘ってもそんな返事が多く、何事も“自分で決められない”のです。

 

ちひろ先生に相談すると

「小さなことから選ばせてあげるといいですよ」

そうアドバイスをいただきました。

 

「散歩でも行く?」

「どのお菓子にする?」

 

簡単な問いかけでも、娘が答えを出すまでにはとても時間がかかりました。

 

それでもくり返していくうちに、自分なりの答えを返してくれるようになり、“悩む時間”も少しずつ短くなっていきました。

 

「お父さんの誕生日プレゼント、買いに行く?」

 

ある日声をかけると、娘は何も言わず部屋に戻っていきました。

 

(また時間がかかるかな)と思って待っていると――

しばらくして外出着に着替えた娘が、すっと現れたのです。

 

思わず下の子と顔を見合わせました。

 

小さな一歩を重ねることで、少しずつ人は変わっていけるのだと、実感した出来事でした。

 

 

これが“好き”

「お母さん、一緒にライブに行かない?」

 

娘がそう誘ってくれたのは、講座を受講して2か月ほど経った頃でした。

 

思えば娘は幼い頃から、強い興味を示すことが少ない子でした。

「〇〇が好き」といった言葉や「推し」という言葉は、娘から聞いたことがありません。

 

だからこそ――

好きなものができて「これがやりたい」と言えるようになった。

それだけでただ、うれしく思いました。

 

さらに講座が終わった直後には、こんなことを言いました。

「わたし、この前行ったライブの舞台で、ボランティアをやってみたい」

 

「お金にはならないんだけど、いい?」

おずおずとたずねる娘に、わたしは力をこめて答えました。

「もちろん、いいよ。あなたがやりたいと思えることが、お母さんはすごくうれしい」

 

すると娘は、驚いたように言ったのです。

「成人した娘がライブのボランティアをやりたいって、普通はいいって言わないよ」

「だったら働きなさいって言われそう」

 

そして、笑って続けました。

「お母さん、普通じゃないね」

 

 

スモールステップ

ライブのボランティアをはじめて1年が過ぎた頃、娘が言いました。

 

「よさそうなバイトを見つけたんだ。ボランティアと掛け持ちでやってみてもいい?」

「そんなに稼げないとは思うんだけど……」

 

もちろん大歓迎です。

 

こうして娘は、バイトとボランティアを両立する新しい生活をはじめました。

 

けれど、順調なことばかりではありません。

 

昼夜逆転の生活リズムはすぐには戻らず、どうしても体が動かない日もありました。

 

そんなときは娘の気持ちが沈まないように、明るく声をかけました。

「体が一番大切なんだから、寝れなかった日のボランティアは無理しなくていいんじゃない?」

「体調をくずしたときは、バイトだって休ませてもらえばいいんだよ」

 

そしてまた一年が経った頃、娘はわたしに言ったのです。

 

「今、就職を考えてる」と。

 

 

巣立ち

昨春、娘はひとり暮らしをはじめました。

 

勤め先は営業制作会社。

入社当初は頼まれごとを調べる仕事が中心だったようですが、最近ではロケに同行し、ADのような役割も任されているそうです。

 

人間関係に悩むこともあるようで、

「趣味は、求人情報のチェック」

そんなふうに、笑いながら話すこともあります。

 

それでも毎日出勤し、娘なりにたくましく働いています。

 

ある日、娘にこんなことを頼まれました。

「明日、すごく朝が早いから起こしてくれる?」

 

けれど翌朝、わたしは寝坊してしまったのです。

「うわあ、ごめん」

あわてて連絡すると、電話の向こうの娘は落ち着いた声で言いました。

 

「大丈夫。もう家出てる」

 

――ああ、わたしは役割を終えたんだ。

 

胸の奥がじんわりとあたたかくなりました。

 

“べき・ねば”で、ひとり闘っていたあの頃。

 

ココロ貯金に出会い、少しずつゆっくり歩んできた日々。

 

そのすべてが今につながっているのだと感じながら、あたたかな春の空気を、静かに吸い込みました。

 

◎沢木志帆さんが実践したココロ貯金  ◎

・“できること”を認める声がけ

・名前呼び

・腹貯金

・会えないときは、LINEでメッセージ

・“やりたいこと”を無条件で応援

・回数を区切ってゲームにも応じる

・手を止めて話を聴く

vol.39 留年…

不調のはじまり

約6年。

「学校に行きたくない」という息子と向き合い続けた時間です。

今度こそ調子が上向いたかと思えば、再び迷路に迷い込む。

紆余曲折をくり返す、長い道のりでした。

 

はじまりは高校2年生のとき。

息子に起立性調節障害の症状がみられるようになり、朝ぐったりとして起きられなくなってしまいました。サポートが必要だったので、わたしは毎日自転車を車に積んで、彼を学校まで送り届けていました。朝はぐったりとしていた息子も学校が終わる頃には元気を取り戻し、お友達と自転車で帰ってきます。高2から高3にかけては、常に不安と隣り合わせの、ちぐはぐで心もとない毎日を過ごしていました。

 

“高校中退”という言葉が頭をよぎったことは何度もあります。

けれども周囲に支えられ、何とか卒業。

さらにご縁があり、大学にも現役で合格することができました。

 

ただ、ひとつだけ心配ごとがありました。

合格した大学が遠方だったため、下宿しなければならなかったのです。正直、不安は拭えませんでしたが、苦労の末に受かった大学でもあります。その頃には起立性調節障害の症状も緩和しており、自分で起きられる日が増えていたので、気持ちを新たにがんばろうということになりました。

 

ところが新生活に入って間もなく、思いもよらない事態から暗雲が立ちこめることになります。

 

【お母さんのプロフィール】

3人兄弟のお母さん。次男さんは高校2年生で起立性調節障害からくる登校しぶりがはじまり、大学入学後も留年をくり返すことに。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、次男さんが大学2年生の夏。

 

コロナの蔓延

きっかけはコロナ禍でした。

大学に入学して間もなく対面授業はなくなり、授業はオンラインに切り替わりました。

友達を作る間もないまま、新生活は画面越しにはじまったのです。

 

その後、コロナが少し落ち着き、大学での授業は再開されました。

けれども息子の人間関係は、ほとんど広がらないまま……。

 

「学校に行けば、友達に会える」

高校時代には、そんなあたりまえの楽しみがありました。

けれど大学では、その支えが見つかりません。

 

理由のはっきりしない不安に包まれ、息子の足はしだいに大学から遠のいていきました。

 

息子の中には、理想の姿があったそうです。

――起立性調節障害を克服し、今度こそきちんと通って、大学生活を楽しみたい。

 

思い描いていた自分と、大学に行けない現実の自分。

その差に苦しみ、次第に人と会うことが怖くなっていきました。

家から一歩も出られない日があったことを、後になって聞きました。

 

 

空白だらけの成績表

実は、息子がそこまで追い込まれていたことに、親であるわたし達は気づいていませんでした。

平穏な大学生活を送っているものだと、疑いもせずに信じていたのです。

 

ところが――

息子が大学2年生に進級した5月頃、自宅に送られてきた成績表を見て、わたしたちは言葉を失いました。

目に飛び込んできたのは、ほとんど空白の単位一覧。

単位を取るどころか出席すらできていなかったことも、そのとき初めて知りました。

 

息子の通う大学では、3年生に進級するために必要な単位数が決められていました。

ただ、1年生の単位が足りなくても、2年生には進級できる仕組みだったのです。

そのため、大学に通えていない息子の状況をわたし達がつかめないまま、ここまで来てしまったのでした。

 

息子は、なかなか打ち明けられなかったようです。

成績表を前にして事情を話したとき、どこかほっとした表情を浮かべていました。

 

――やはり、いきなり独り立ちするのはむずかしいのだ。

 

そう感じたわたしは、もう一度、息子のサポートをはじめることにしました。

朝はモーニングコールをして、体調や様子を気にかけながらこまめに連絡を入れました。

 

けれど現実は、思うようにはいきません。

「少し上向いてきたかな」

「また大学に行けそうだな」

希望を感じはじめた矢先に、また行けなくなる日が訪れる。

 

前に進んでいるようで、また戻る。

一進一退をくり返し、気がつけば2年の歳月が流れていました。

 

 

転機

――このまま同じことをしていても、何も変わらないのではないだろうか。

 

あるとき、ふと恐ろしくなりました。

もう何年も、2年生に留まり続けている息子。

本来ならば大学4年生。

就職先を考え、社会に出る助走をはじめる年齢です。

 

「今度こそがんばる」

その言葉を、これまで何度聞いてきたでしょう。

 

――ここは一度、子どもとの関わり方をきちんと学んだほうがよいのかもしれない。

 

「ココロ貯金」については以前から知っていました。

東ちひろ先生のメルマガもずっと読んできましたが、それでも受講には踏み切れずにいました。

でも……。

わたしなりにがんばってサポートしてきたけれど、状況は変わっていない。

その現実に、次第に焦りを感じるようになっていたのです。

 

学ぶことで何かが変わるのなら――。

 

これ以上留年すると、卒業できなくなるかもしれない。

そんなぎりぎりのタイミングで、子育て心理学カウンセラー養成講座の受講を決めました。

 

 

夏休みのココロ貯金

講座がはじまったのが夏休みの少し前だったので、ほどなくして息子が帰省してきました。

 

――これは、ココロ貯金をためるチャンスかもしれない。

 

そう考えて、まず取り組んだのは「腹貯金」でした。

息子の好きなおかずを用意し、少し意識して言葉をかけるようにしました。

 

「〇〇くん、これ好きだったよね」

息子は、好き嫌いが少ないほうです。

大好物というほどではないメニューでも、そんなふうに息子と料理を結びつけて伝えます。

 

兄弟がいるので、兄や弟の好きなものを作る日もあります。

そんなときは、忘れずにひと言を添えました。

「お兄ちゃんの好きなものだけれど、あなたもこれ、好きだったよね」

「今日は弟くんの好きなもの。明日はあなたの好きなものにしようね」

 

「いつも、あなたのことを考えているよ」

という気持ちが伝わるように、毎日心がけながら過ごしていました。

 

また、まわりのお友達から就職活動の話を聞いたときなど、息子が沈んだ表情をしているときがありました。

そんなときは努めて明るく、講座で学んだ励ましの言葉をかけました。

 

「今だけを点で見るとね、

学校に行けない子と就職が決まった子では、差があるように感じるかもしれない。

 

でも人生って長いよ。

あなたは“今”つまずいているだけ。

お友達だって、この先どこかでつまずくかもしれない。

 

だからあまり比べすぎずに、今できることをやっていこう」

 

 

離れていてもココロ貯金

息子が下宿に戻ってからわたしが心がけたのは、名前を呼びかけることでした。

 

LINEのメッセージの冒頭は、必ず名前から。

「〇〇くん、おはよう」

「〇〇くんお疲れさま、がんばってるね」

 

もともと話すことが好きな子なので、こまめに連絡を入れました。

 

ちょっとしたやりとりを通して、

「あなたを気にかけているよ」
という気持ちが、少しでも伝わるようにと祈りながら。

 

 

小さな変化

ささやかなココロ貯金を重ねていくうちに、少しずつ変化が見えはじめました。

 

ある日、息子がぽつりと言いました。

「運転してみようかな」

 

運転免許を取って以来、ほとんどハンドルを握らなかった息子がそう言ったのです。

 

「運転は神経を使うもの。気持ちが塞いでいるときは、運転するのが怖くなるんですよ」

ちひろ先生に報告すると、そう教えてくださいました。

運転したいと思えるようになったのは、メンタルが安定してきた証。

そんなふうに言っていただき、心がじんわりと温かくなりました。

 

さらに前進したことがもうひとつ。

短期でアルバイトしたことがあるラーメン屋さんから声がかかり、息子は週に2日ほど、継続してアルバイトに入るようになったのです。

 

――彼の心に、何かしらの変化が生まれたのかもしれない。

 

わたしは、かすかな明るい兆しを感じはじめていました。

けれど現実は、そう簡単にはいきませんでした。

 

 

大学を辞めたい

車の運転やアルバイトなど息子に前向きさが出てきて、

「いい流れかもしれない」

そう思っていた矢先のことでした。

 

寒さが深まってきた11月の終わり頃。

息子が突然口にしたのは、信じがたい言葉でした。

 

「大学を辞めたい」

 

――え?

 

「やっぱり俺、無理だわ。こんな苦しい思いをして大学に行っても、意味がない」

 

一瞬は呆然としましたが、不思議なことに反対する気にはなりませんでした。

いつの間にかわたしの中に、息子に対する信頼が生まれていたからかもしれません。

 

――大学を卒業しなくても、息子なら大丈夫。

あなたがやりやすいようにすればいい。

そう伝えました。

 

ただ、電話で夫に話す勇気はなかったようで、冬休みに帰省したときに顔を見ながら伝えていました。

「どうしても無理なら、それも仕方がない。その代わりきちんと働きなさい」

 

夫なりの現実的な条件でした。

こうして息子は、働き口を探すことになったのです。

 

 

ハローワークと母校

街がクリスマスのにぎわいを見せる頃、息子はハローワークに通っていました。

大学中退の息子には多くの選択肢はありませんでしたが、何とか「ここなら受けてもいい」と思える会社を見つけ、年明けの面接を予約しました。

 

一方で、就職するとなかなか会えなくなるからと、高校時代の友達とも頻繁に会っていました。

みんなは大学4年生。就職を控えている仲間たちです。

 

ある日、友達のひとりが用事で母校の高校に行くことになり、「一緒に行ってくる」と言って、出かけていきました。

 

「学校は懐かしいけど、先生には会いたくないな」

友達が次々と就職を決めていく中で、自分だけが宙ぶらりん。

合わせる顔がないと思っていたようです。

 

「俺は駐車場で待ってるわ」

そう言っていた息子でしたが、最終的には、当時の担任の先生と進路指導の先生、ふたりと話をすることになったそうです。

 

この出会いが大きな転機になるとは、そのときは思いもしていませんでした。

 

 

方向転換

年が明けて、5日ほど過ぎた頃だったと思います。

「母さん」

呼びとめられて続いた言葉に、わたしは再び言葉を失いました。

 

「ごめん。俺、やっぱり大学がんばるわ」

まさに青天のへきれきでした。

 

母校の先生達と思い出話をする中で、息子は、大学を受験した頃の気持ちを思い出したそうです。

 

「俺って生物が好きだったんだよな」

「これをやりたいと思って、この大学に行ってもいいかなって、思ったんだ」

そんな初心を、思い出させてもらったのだと言いました。

 

わたしの気持ちは就職へと切り替わっていたため、正直とまどいながら訊ねました。

 

「じゃあ、大学の後期はどうするの?」

「4 月から本格的にがんばりたいから、後期は下宿に戻って大学に行く練習をする。保健室の先生にも自分の気持ちをきちんと話して、環境を整えてくる」

 

 

脱皮

「辞めるか留まるか」

ここ数年、何度も息子と話をしてきました。

決意しては挫折して留年する――そのくり返しだったのは確かです。

 

けれど今回は、これまでとは少し違う。

そんな感覚が、わたしの中にありました。

 

これまでの息子はどちらかというと、周囲のアドバイスに背中を押されて決断してきたように思います。

 

「せっかく大学に受かったんだから、最後まで行ったほうがいいよ」

親であるわたし達がエールを送る。すると息子は

「そうだよな、辞めてもどうしようもないし」

と考えて、がんばる道を選ぶ。

 

そんな流れが多かったのですが、今回は違います。

親からの助言はなく、自分自身で考え抜いて出した結論でした。

 

「環境を整えてくる」

その言葉からも、現実を見据えた覚悟のようなものが伝わってきました。

 

息子は今、ようやく自分の手で、殻を破ろうとしている――

そんなふうに感じたのです。

 

 

自分をさらけ出していい

息子は昔から、自分の弱い部分を友達に見せられない子でした。

「友達には、かっこよく見られたい」

そんな思いが強く、自分を飾ってしまうところがあったのです。

 

けれどわたしがココロ貯金を学びはじめた頃から、息子は少しずつ、友達に相談できるようになっていきました。

 

「大学にあまり行けていないんだよね」

 

そう打ち明けると、お友達は真剣に話を聴いてくれました。

「辞めるなら、資格を取るのもありじゃない?」

「大学辞めてもさ、お前はお前だろ」

 

温かな言葉に背中を押され、息子は

「かっこ悪いところを見せても、関係はくずれない」

そう感じられるようになったのだと思います。

 

大学に復帰して、迎えた4月。

新1年生の中に、気の合うお友達ができました。

年齢は4つ下ですが、今まで大学にあまり通えていなかったことも、素直に話せたそうです。

 

するとその子は、息子が授業に来ていないと電話をくれるようになりました。

逆に相手が来ない日は、

「授業行くぞ〜」

と息子のほうから声をかけることもあるのだとか。

 

「ダブっているから」

「ちゃんと通えていないから」

 

そんな理由で壁をつくっていたのは、息子自身だったのかもしれません。

壁は少しずつ消えていき、大学にも彼の居場所ができてきたように思います。

 

 

雨のち晴れ

先日、冬休みで帰ってきた息子は、明るい顔で言いました。

「前期の単位はほぼクリア。3教科だけ補習を受けたけど」

 

息子の様子から、心配はいらないことが伝わってきました。

後期についても今のところ順調だそうです。

 

大学を辞めようと決めていたあの頃。

息子の表情には、いつも翳りがありました。

 

楽しいことがあれば笑うのですが、心のどこかで

「自分は笑っていいのだろうか」

と、ためらいを抱えているように見えたのです。

 

それが今は――

胸につかえていたものが取れた感じ。

くもりのない、晴れやかな顔で笑っています。

 

 

◎お母さんが実践したココロ貯金◎

・気持ちを伝えながら腹貯金

・名前呼びの遠隔ココロ貯金

・息子の選んだ道を応援

vol.38 毎夜…

■22時から夜中まで

——今日もまた、泣くんだろうな。

ゆううつな気持ちで時計を見ると22時。そろそろ娘が塾から帰ってくる時間です。

 

帰宅したとき何か一つでもやるべきことができていないと、そこから大泣きがはじまるのです。

「塾の宿題が終らない」からはじまって、「寝る前にやらなきゃ」「今日中にやらなきゃいけないことがいっぱい」「学校の宿題も、塾の宿題もぜんぜん終わっていない」と、パニックになってしまうのでした。

 

駄々をこねる幼子のように、仰向けになり床をドンドン蹴りながら、かんしゃくを起こして泣きじゃくる。眠くなってくるとさらに混乱して「もうお風呂にも入りたくない」とわめく。

 

中学生は忙しく、学校から帰ってきて塾に行くまでの間に宿題をすべて終らせるのはむずかしいのです。よって、娘のかんしゃくはほぼ毎日のルーティーンになっていました。

 

およそ2時間。

夜中なので、ご近所から苦情が来ないか気にもなります。

クッションをあてがい「ドンドンするのはこの上でして」と頼んでみますが、効果はなし。

 

——早く泣きやんで。もう終わって。

気づけば日にちが変わっているむなしさ。わたしの神経まですり減って、消耗していきました。

 

 

【お母さんのプロフィール】

2人のお子さんのお母さん。

現在高校3年生の長女さんが中学生のときに、激しい癇癪(かんしゃく)に悩まされる。

子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、受験が迫る中学3年の冬。

 

■学校と家でのギャップ

学校での娘は、いわゆる「いい子」。

先生にもお友達にも評判がよく、面談すると「言うことはありません」とほめられる優等生でした。

学校から帰ってきたときは機嫌がよいので、塾が負担になっていたのだと思います。

 

まじめでがんばり屋な性格が裏目に出て「宿題が終らない」と心配になると、「歯磨きもしてない」「お風呂にも入ってない」と、数分で終わることまで「できていないこと」にカウントしてパニックに陥ってしまうのです。

 

高校受験が迫るにつれ、娘のかんしゃくは激しさを増していきました。

耐えかねて門をたたいたのが、東ちひろ先生が主宰される子育て心理学カウンセラー養成講座でした。

 

「お子さんの“取扱説明書”をお母さんが作って、お子さんに見せていくといいですよ」

そんなアドバイスをいただきました。

 

 

■娘のトリセツ

娘を観察してみると泣きわめいているときは、声をかけられるのも放っておかれるのも、もう何をされても嫌! という雰囲気。ですから横に座り、ただただ落ち着くのを待ちました。

 

興奮がおさまってきたタイミングを見計らい、

「ちょっと深呼吸してみよう」

「お茶飲んでみる?」

などと声をかけます。するとだんだん泣きやんでくるので、

「一緒に頭の中を整理しようか」

と続けます。

 

「何ができてない?」

「全部」

「一つずつあげていってみようか」

 

これをしていない、これもしなきゃいけないと涙ながらに訴えられる事柄をメモして、

「優先順位をつけてみよう」

と読み上げます。

すると徐々に鎮火して(2時間泣きつづければさすがに落ち着きますよね)、

「これとこれは来週までにやれば大丈夫。今日はこれだけやって寝る」

と冷静さを取り戻します。

 

「お風呂に入ってくる」

 

部屋を出ていく娘を見送りようやくひとりになると、いっきに力が抜けました。

——はあぁ……、長かった。

 

ここまでしないと頭の中を整理できないのだ。

いつまで続くの?

この子はちゃんと成人できる?

成人しても泣き続けるの?

 

先行きは見えず、暗い気持ちに支配されます。

彼女のトリセツは、親の忍耐力を試されるものでした。

 

 

■高校での変化

高校に入りたての頃は疲れが激しく、情緒も不安定でした。

入部した吹奏学部が強豪だったので、土日も練習。ついていくのも大変そうで、例のごとく泣きじゃくる日もありました。

けれども徐々に徐々に、様子が変わってきたのです。

 

トリセツの精度が上がったのかもしれません。

娘が不安定になる時期を予測できるようになり、わたしの負担感は緩和されていきました。

吹奏楽の大会前の追い込み時期や、高1での宿泊体験。

「初めてすること」や「予定変更」が苦手なのだと、傾向と対策がつかめてきたように思います。

 

「初めてのことって不安だよね」

と娘の感情を言語化してあげると本人も、

「そうだ、初めてだから不安なんだ」

と理解できるようでした。

 

パニックになり泣いてしまっても、落ち着いてから「今、こういう感情だったね」と話せるようになったのは大きな進歩。

本人も「うんそうだった」と受けとめて、「予定が変わったから不安だった」と、客観的に自分を見つめられるようになってきたのです。

 

実は失敗談もあります。

娘といろいろ話せることがうれしくて「こんなやり方もあるよね」とアドバイスしたことがありました。すると途端に娘の表情がゆがみ、

「わけわかんないことを言うから、余計わからなくなった」

と、パニックが増幅してしまったのです。

 

娘なりにいろいろ考えているのだ、親が選択肢を増やすのは得策ではないのだ、とトリセツを更新しました。

 

 

■「ワァーワァー」が「ポロポロ」に

早いもので、娘は高校3年生になりました。

あと少しで大学受験。相変わらず頑張り屋で、1日10時間以上は勉強しています。

アプリで勉強時間を記録して「今週は達成率100%!」などと励みにしています。

 

えらいなあと感心しつつ、それ以上にわたしがうれしく思うのは達成「できなかった」ときの捉え方。

昔だったらワーッとパニックになるはずですが、今は「まあいいや」とクールです。許容範囲が広がって肩の力が抜けた感じ。怒ったり泣いたりしても短い時間でおさまって、総じて情緒が安定しています。

 

泣き方も変わりました。

泣き叫んでいた中学生の頃とは違い、感情をリセットするかのようにポロポロ、ポロポロ泣くのです。

 

昔「なんでそんなに癇癪を起こすの?」とたずねたときに「泣いたらすっきりするから」という答えが返ってきたのを思い出します。その傾向は今も続いていて、頭がいっぱいになってしまったとき、泣いて浄化させているのかもしれません。

 

 

■自己肯定感を育んだ環境

娘は今、ものすごく自己肯定感が上がっています。

どんなことにも意欲的で、お友達には「その性格がうらやましい」と言われるそうです。

 

「あんまり落ち込まないんだよね」

あっけらかんと言い放った娘。

「それはいいことだね。すごく成長したね」

と応じると、

「自分でもそう思う」

と、にっこり。

 

吹奏楽部では「企画長」というポジションに立候補。多くの候補者の中から先輩たちに選ばれて、顧問の先生に怒られたり困難にぶつかったりしながらも、乗り越えてきました。

成功体験を積み、周りの信頼も得て、置かれた場所で活躍できたことが自信につながったように思います。

 

中学3年生の下の子が荒れていると

「中学生って大変だよね」

と自分のことは棚にあげ、下の子に寄り添っているときがあります。

漠然と「大変だった」記憶だけが残り、「毎日泣きわめいていた」ことは覚えていないようです(笑)。

 

 

■今、思うこと

感情を制御できなかった思春期の娘とわたしを救ってくれた、唯一の「特効薬」がココロ貯金でした。

 

白状します。

「お子さんのよいところを見てみましょう」と言われたとき、娘の長所が一つも思い浮かびませんでした。ココロ貯金をはじめた頃は「さあ、ココロ貯金タイムだ」とスイッチをいれて、努力して娘につきあってきたのです。

 

ところがいつからか「可愛いなあ」と感謝や愛しさが自然に湧き出るようになり、努力しなくても娘にココロ貯金をあげられるようになっていたのです。

親子の絆が深まったと感じています。

 

永遠につづく気がしたあの長い夜は、娘とわたしに必要な時間だったのかもしれません。

必死だった日々が今は愛しく、「子育ての醍醐味」を味わわせてもらっています。

 

 

◎お母さんが実践したココロ貯金◎

・わが子の“取扱説明書”を作って、子どもと共有

・気がすむまで泣かせた後に、頭の中を一緒に整理

・アドバイスをせずに「聴く」

vol.37 癇癪…

娘の家出

「出てきなさーい」

血相を変えて実家に駆け込んだわたしは、娘が立てこもっている和室のドアを何度も叩きました。

 

小学4年生の頃から、心が大きく揺れると衝動的に家を飛び出すようになった娘。

5年生の2月になると、家出の回数は目に見えて増えていきました。

 

行き先は、歩いて行けるわたしの実家。おじいちゃんとおばあちゃんの家が、娘の避難場所になっていたのです。一度家を出ると、数日は戻ってきませんでした。

 

「開けなさい。顔を見せて」

必死に声をかけても、和室のドアは決して開きませんでした。

 

 

【お母さんのプロフィール】

小学6年生の女の子のお母さん。小学5年生の2月からお嬢さんの癇癪が激しくなり、学校からも足が遠のく。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが6年生の春。

 

中学受験のプレッシャー

家出が頻繁になった背景には、中学受験の勉強が追い込みに入ったことがありました。

 

娘が通っていた塾では、5年生の2月になると6年生のカリキュラムが前倒しではじまり、授業時間が長くなりました。

もともとロングスリーパーで、しっかり眠ることでバランスをとっていた子です。リセットの時間が削られるにつれ、表情に余裕がなくなっていきました。

 

「大丈夫? 」

「しっかりね」

励ましているつもりのわたしの言葉も、逆にプレッシャーになっていたのだと思います。

 

表情が曇り、やがて塾に行けなくなり、春休みに入った途端――

糸が切れたように動けなくなりました。

 

 

もう学校はムリ

春休みに実家の和室に立てこもった娘は、そのまま戻ってきませんでした。

新学期を迎えましたが、学校にも行こうとしません。

 

少しでも前向きな気持ちになればと思い、学校からもらったクラス名簿をスクショして送りました。

すると、電話越しの娘の声色がサッと変わったのです。

 

「あ、もう無理。わたし一生学校に行けない。」

 

実は娘には少し特性があり、低学年の頃にはトラブルもありました。

そのため学校にお願いして、「ちょっと無理」な子とは同じクラスにならないよう配慮してもらっていました。

 

新しいクラスには「ちょっと無理」な子はいなかったのですが、娘にとっての「隠れNGちゃん」がそろってしまっていたようでした。

 

名簿に〇と×をつけて送り返してきて、「NGが19人」と。

 

もう行かない。行きたくない。

娘の中では、はっきりと結論が出てしまったようでした。

 

 

導火線

その頃の娘は常にピリピリしていて、導火線がとても短くなっていました。

誰が何を話しても、ちょっとしたきっかけで癇癪を起こすのです。

 

たまに部屋から出てきた娘に、

「ご飯食べる?」

「おやつがあるよ」

と、誰かがごく普通に声をかけただけで

「うるさい」

「ほっといて」

ときつい反応。

 

少しでも気に入らないことがあると

「もういい!」

と地団駄を踏み、バーンッとドアを閉めました。

 

実家の壁やふすまには、娘が作った穴があいていました。

娘の昼夜は逆転し、引きこもっている部屋からは、ゲームやYouTubeの音だけが絶えず聞こえてくるのでした。

 

 

心理士さんに相談

娘に特性があったことから元々心理士さんとつながっていたので、3月から4月にかけては心理士さんに相談していました。

 

「とにかく見守りましょう」

心理士さんは、そうおっしゃいます。

 

けれど、わたしの中に疑問が残ってしまうのです。

「ただ見守っていたら、この子はどうなってしまうの?」

「見守った後はどうすればいいの?」

 

さらに、

「ゲームもやりたいようにやらせてください」

と言われたときには、正直反発を覚えました。

 

「え、放っておいても大丈夫なの?」

 

アドバイスのひとつひとつに根拠がないように感じてしまい、どうしても納得がいきませんでした。

 

 

ココロ貯金との出会い

ちょっとしたことで炎上してまわりにあたり散らす娘。

わたしだけではなく、実家の両親や同居している妹も、しだいに疲弊していきました。

 

家族がみな疲れきり、家の中がぐちゃぐちゃだったときに出会ったのが、ココロ貯金でした。

 

子育て心理学カウンセラー養成講座に入り、一番ありがたかったのは「選択肢が増えた」こと。

メンタルが荒れている娘に対して、できることは多くありません。

しかもすぐに解決するものではないので、こちらも疲れてがんばれない日もあります。

 

そんなときは、ハードルを一段下げたココロ貯金をすればいい。

そう教えていただき、本当に気持ちが楽になりました。

 

わたしの考え方も大きく変わりました。

以前は、「ゲームを好きなだけやらせるなんて大丈夫?」と、悪い意味での放任のように思っていました。

 

けれどココロ貯金を学ぶうちに、ストンと腑に落ちた瞬間があったのです。

 

――ゲームすることが、今、娘がやりたいこと。

だとすれば、自由にゲームをさせてあげることが、娘を「承認する」ことになるのではないだろうか。

 

やりたいことをやりたいだけできる時期って、人生の中できっと短い。

今なら何の義務もなく、失敗してもまだ戻れる。

 

昼夜逆転? 死なないから大丈夫。

 

気が済むまでゲームをさせておくことがココロ貯金にもなるのだと、ごく自然に受け入れられるようになったのです。

 

 

スピーカーモードでココロ貯金

それからは、娘への関わり方が大きく変わりました。

 

いちばんの変化は「家に戻そう」としなくなったことです。

娘の気持ちを尊重し、無理に戻そうとしない。

話を引き出そうともしない。

 

――戻りたければ戻ってくるだろう。

そう考えるようになりました。

 

とはいえ、

「心配しているよ」

「大好きだよ」

という気持ちは伝えたかったので、毎日朝と晩に、実家に電話していました。

 

向こうでスピーカーモードにしてもらい、娘に声をかけます。

「〇〇ちゃん、おはよう。もう起きてた?」

名前を呼んで挨拶して、ひと言だけ。

 

返事がなくても気にせず、さらりと切り上げます。

「じゃあね。もし何か話したくなったら、いつでも聞くよ」

 

「今日こんなことがあったんだよ」

「今日ママはこれをやるんだよ」

たまにはそんな言葉を添えることもありましたが、反応は求めませんでした。

 

 

家族の協力

実家の親と妹には、

「ゲームをやっちゃだめ」

「早く寝なよ」

といった、娘の行動を制限するような声がけはしないようにお願いしてありました。

 

はじめの頃は娘を心配してくれて、彼女が起きているあいだは誰かが起きていてくれました。

でも、みんな少しずつ疲れていきます。

 

そこで、寝る前に

「〇〇ちゃんお休み」

という声だけかけて、いい意味で「放任」してもらうように頼みました。

 

 

小さな変化

4月の後半になると、娘の様子が少しずつ変わってきました。

 

「今日は何のゲームをするの?」

とたずねると、答えが返ってくることが増えてきたのです。

 

もともと話すのが大好きな子なので、誰ともしゃべらない状態がつらかったのだと思います。

 

「聞いて聞いて聞いて」

と、向こうから電話がかかってくることもありました。

 

一方的に話しては

「じゃあね」                                                                                 

と切られてしまうのですが。

 

実家からではありますが、学校にも少しだけ顔を出すようになりました。

先生に挨拶をしに行く。

保健室に1時間だけ顔を出す。

当時のメモを見てみると、4月は4日だけ学校に足を踏み入れていました。

 

「わたし、ゴールデンウィークには戻るよ」

連休中の塾のカリキュラムについて伝えたところ、娘ははっきりとした口調で言いました。

 

驚きながらも、平静を装って答えました。

「そっか。戻ってこられるんだ。じゃあ待ってるね」

 

「戻ってきたら家族3人で、ゲームしよう」

 

 

自宅から再スタート

そうは言っても、戻ってくるのは先になるかもしれない――

期待しすぎは禁物です。

 

できるだけ平常心で過ごしていましたが、娘は本当に、連休のはじめ(5月1日か2日頃)に戻ってきました。

 

そして連休が明けると、学校にも行くようになりました。

5月は20日のうち12日登校。

4月が4日だったことを思うと、大きな進歩です。

 

もちろん一日中いられるわけではなく、1時間だけ行って帰る日や、放課後だけの日もたくさんありました。養護の先生が仲良しだったので、保健室には行きやすかったようです。

 

 

委員の仕事

教室には行ったり行かなかったり。

ベースは1時間ほどの保健室登校、という日々が続いていました。

 

そのような状態でしたが、娘は色々やりたいことがある子です。

ほとんど学校に行けていない4月の段階で、修学旅行委員に立候補していました。

 

本当にできるの?

学校に行けていない日の方が多いのに大丈夫?

 

心配でしたが、先生は明るい口調で言ってくださいました。

「せっかくやりたいと言っているのだから、挑戦してみましょう。できなかったら、そのときに考えましょう」

 

そして、委員の活動は6月からはじまるよと先生に聞いたとき、娘はきっぱりと言いました。

「6月になったら、わたしは学校にちゃんと行く」

「委員の活動もできる」

 

 

自己コントロール

6月になるとものの見事に、少なくても委員の活動のある日は、必ず教室に行くようになりました。

 

時期を同じくして、癇癪がほとんどなくなりました。

2月から4月の大荒れの時期を思うと、天国と地獄ほどの差です。

 

ときには

「ママ、ママ」

と自分から話しかけてきます。

 

2月から4月のあいだは、ハグしようとすると

「あー、うるさっ」

と嫌がっていたのに、自分からくっついてくることも増えてきました。

 

「夜は一緒に寝てほしい」

「でも触らないでほしい」

そんなふうに、自分の気持ちを言葉で伝えてくれるようになりました。

 

逆に朝は、娘のほうから布団に入ってきます。

「朝はスキンシップの時間」

「充電」

などと言いながら。

 

 

塾でものびのび

夏休みに入ると、娘は塾の夏期講習に通いはじめました。

 

それまでは、

「今日は1コマだけ」

「週3回のうち1日だけ」

というように、無理のない範囲で通っていましたが、ここにきて完全復活を遂げました。

 

「テストができないとクラスが下がる」

「席が後ろになっちゃうから それがこわい」

そんな完璧主義ゆえの臆病さがあったのですが、最近は開き直れるようになってきました。

 

塾の先生から見ても、娘は大きく変わったようです。

「人と比較しなくなりましたね。“自分は自分”という感じで、すごく落ち着いています」

 

以前はテストの採点結果を見て

「もうだめだ」

と思うと、トイレに逃げ込んで戻ってこないことがあったのだとか。

落ち込みが表情にありありと出て、その後の授業は上の空……ということもあったそうです。

 

けれど最近は不安そうな表情をしなくなり、淡々と採点して淡々と授業に入っているのだと聞きました。

 

 

ずっと心がけていること

ココロ貯金がたまってくると、一時的な結果に心を乱されず、前向きにがんばれる。

そう実感しています。

 

学びはじめた頃からずっと心がけているのは、娘に

「無理なことは言わない」

「いい意味で期待値を上げない」

ことです。

 

それから、娘の話をよく「聴く」こと。

あのどん底を経験して、娘と話せる時間がどれだけ貴重かを知りました。

だから話しかけられたときは、手を止めて聴くようにしています。

 

昔はよく、

「ママ、聞いてないでしょう」

と言われましたが、今はそんなことはありません。

 

「いっしょにゲームしよう」

と言われれば

「うん、わかった。マリオカート2回ね」

と応じます。

わたしは長くゲームをすると気分がわるくなってしまうので、回数で区切っています。

 

 

わたしのココロ貯金

実は11月から12月にかけて、娘に疲れが見えてきました。

基本的にまじめな子なので、先生に期待されると、無理をしてでもがんばってしまうことも原因です。塾に学校にとマックスに走り続け、疲れをリセットする余白がないようでした。

 

すると、どうなるか。

 

ゲームが途切れない。

携帯を2階にこっそり持っていく。

わたしが様子を見に行くと、背中の下にスイッチを隠して「何もないよ」と言ったりする。

 

「ああ、ココロ貯金が減っているな」とわかります。

 

けれど今は、何をすればよいかがわかっています。

感情にまかせて大きな声で叱ることも、ムダに不安になることもありません。

粛々とココロ貯金をためていくだけ。

 

娘のココロ貯金をためていくと、わたしまでエネルギーをもらえるから不思議です。

 

ココロ貯金は、いつもわたしが戻る場所。

枯れることなく湧き出て、どんなときも潤してくれる泉のようなものだと感じています。

 

 

◎お母さんが実践したココロ貯金◎

・余計なことを言わない・家に戻そうとしない

・スマホのスピーカーで名前呼び+挨拶

・返答がなくても、大好きだよ、大事だよと伝える

・無理なことは言わない。期待値を上げない

・回数を区切ってゲームにも応じる

・手を止めて話を聴く

vol.36 6年…

付箋だらけの漢字ドリル

――うちの子は、どこか少し違うのかもしれない。

わたしが息子の漢字の覚え方にひっかかりを感じはじめたのは、彼が小学3年生の頃でした。

 

簡単な漢字は書けるのに、少し複雑になった途端、別の字になってしまうのです。

例えば「田」は正しく書けるのに、「里」が書けない。

「田」と「土」がバラバラになってしまう。

 

本来はひと続きの部分が、息子には部品のように分けて見えるようなのです。

低学年の頃は「まだ小さいから」と深刻にとらえていませんでしたが、違和感は少しずつ強まっていきました。

 

帰宅したランドセルの中から出てくるようになったのは、付箋で埋めつくされた漢字ドリル。

間違うたびに貼られた“やり直し”の付箋は「できない自分」を息子に突きつけ、傷つけていたのかもしれません。

 

 

【お母さんのプロフィール】

3人きょうだいのお母さん。末っ子の次男さんは現在高校2年生。小学3年生で登校しぶりがはじまり、4年生から中学3年生までほぼ不登校。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは次男さんが4年生の頃。

不登校のはじまり

「学校に行きたくない」

漢字ドリルの付箋が増えていくのに合わせるように、息子が登校を拒む朝も増えていきました。

 

けれど、わたしには仕事があります。

学校には行ってもらわなければなりません。

 

息子が登校をしぶる度に、ずるずると引きずりながら学校へ連れて行く。

今思うと可哀そうなのですが、そんな毎日を送っていました。

 

それが6年にわたる不登校のはじまりになるとは、思ってもみませんでした。

毎日をどうにか回すことで精一杯だったわたしは、長いトンネルの入り口に立っていることに気づかずにいたのです。

 

そして4年生になると、息子はまったく学校に行けなくなりました。

 

 

ゲーム、偏食、昼夜逆転

学校に行かなくなった息子は、家でゲームをしてばかり。

気に入らないことがあるとゲーム機を投げることも多く、3DSやSwitchがよく壊れました。

 

昼夜が逆転する日も増え、起きてくるのは夕方。

外の光を浴びる機会はほとんどありません。

 

また食事も偏りがちで、甘いお菓子ばかり食べています。

おかずはほとんど口にせず、食べるのは白ご飯くらい。

 

——このままにしておいて、この子は大丈夫?

 

心にも体にも、このままでいいわけはありません。

わたしの心は、いつも不安に覆われていました。

 

状況を変えたいのに何をすべきかわからない。

誰にも答えをもらえない苦しい毎日が続きました。

 

そんなときに出会ったのが「ココロ貯金」という考え方。

半信半疑でしたが、何かひとつでも変わるきっかけになればと、子育て心理学カウンセラー養成講座を受けてみることにしました。

 

 

ココロ貯金と葛藤

講座で学んだのは、子どもの気持ちを尊重し、「認める」ことの大切さでした。

 

それまでのわたしは「学校に行かせなければ」と毎日必死。

引っぱって、説得して、なんとか登校させようとしてきました。でも――

 

――無理やり学校へ行かせることはやめよう。

 

そう決めたものの、気持ちはすぐには追いつきませんでした。

3人きょうだいの子育てに、仕事。

次男だけに向き合う時間を十分にとれるわけでもありません。

 

本当にこれでいいのだろうか。

正直、学校に行ってもらいたい。

 

葛藤は思っていた以上に大きく、理想と現実のあいだで揺れ続ける毎日でした。

 

 

長い歩み

小学校時代の出来事を年表でまとめてみます。

 

・小学4年生:完全不登校に。講座を受講し「子どもの意思を尊重する」スタイルへ切り替え。

・小学5年生:漢字の特性が認められ、週1回の通級に通いはじめる/2月からコロナの影響が拡大。

・小学6年生:6月まではコロナの影響で自宅待機。通級再開後は、行けたり行けなかったり。

 

先生との相性やコロナの影響もあり、学校との距離が近づいたと思うとまた離れる。

いつになったら落ち着いて過ごせるのかもわからないまま、季節は巡っていきました。

 

小学校の卒業式は午後に別枠でしていただく予定でしたが、結局出席はかないませんでした。

 

「息子のココロ貯金がたまるのを待とう」

そう考えようとしても胸の奥はじくじくと痛み、なかなか消えませんでした。

 

 

行けなかった入学式

桜の花が往来を彩り、中学の入学式の日が来ても、息子は家を出ようとしません。

結局一度も中学校に足を踏み入れないまま、その年を終えました。

 

その頃はオンラインゲームにはまり、昼と夜が完全に逆転。

一体どこの国の人とつながっているんだろうと思うこともしばしばありました。

 

どうしようもなく心が揺れる夜もありました。

それでもココロ貯金を知っていたので、小さな目標を持てました。

 

できるときにできるだけ。

名前を呼ぶこと。

目を見て話すこと。

息子が好きなハグをすること。

 

それだけは続けようと、決めていました。

 

 

わずかに動き出した時間

息子が中学2年になった年の夏。

進路についての三者面談があることを息子に伝えると、予想外の答えが返ってきました。

 

「面談に行きたい」

 

「将来はどうなるんだろう」という不安や、「友達が欲しい」「外に出たい」という気持ちが、少しずつ生まれていたのかもしれません。

 

制服を購入していなかったので、お兄ちゃんのYシャツとズボン、上履き(学校が違うので、色が違ったのですが)を借り、息子は中学への初登校を果たしました。

 

 

ステップアップ教室へ

三者面談では、不登校の子を対象にした「ステップアップ教室」というクラスがあることを教えていただきました。

すぐには行けなかったのですが、11月頃勇気を出して行ってみようということになりました。

 

中学校は小学校より遠かったので、まずは通学路を覚えるところからスタート。

わたしが付き添って1時間ほどそばにいて、帰りも迎えに行きました。

毎週通っていたわけではなく、行けそうなときだけ、ぽつんぽつんと行く感じです。

 

それでも、学校との接点ができたこと、息子の気持ちが外に向きはじめたことをうれしく思いました。

 

毎日は行けないけれど、行ける日がある。

それだけで十分でした。

 

 

息子のひと言

中学3年になった息子は、ひとりでステップアップ教室に通えるようになっていました。

あくまで自分のペースで、月に1回しか行かないこともあれば、1週間続けて通ったこともあります。

 

少しずつ、進路についても考えるようになりました。

 

とはいえ、相変わらず漢字は苦手で、基礎学力もほとんどありません。

通信制高校の合同説明会で学習の特性について相談すると、「別の学校に行った方が……」と断られたこともありました。

 

さあ、どうする? と悩んでいたときに、今通っている通信制のサポート校を紹介していただき、比較的スムーズに進学を決めました。

 

受験はいらなかったので、秋がくる頃には心に余裕が出ていたのだと思います。

ある日、ぽつりと息子がつぶやきました。

「ひとりで、おじいちゃんとおばあちゃんのところに行ってみたい」

 

——えっ、本気なの!?

耳を疑いました。

 

 

海外へ!

祖父母が住んでいるのはフランス。飛行機で12~13時間もかかる場所です。

英語が得意なわけでもなく、フランス語はもちろん話せません……。

 

「スマホの翻訳アプリがあるし、なんとかなるよ」

本人はいたって前向き。

わたしの方が目を丸くしてしまいました。

 

不安は尽きませんでしたが、息子の積極的な気持ちを止めたくはありませんでした。

 

「普通の受験生だったら、海外なんて行けない。今だからできる体験かもしれないね」

 

こうして、息子にとって初めての“ひとり海外旅行”が決定。

現地の空港で祖父母が迎えてくれるように、わたしも準備を整えました。

 

夏の空気に秋の気配がまざりはじめた9月の終わりに、息子は旅立っていきました。

 

 

ふっくらして帰国

旅立ちから1か月ほど過ぎた、帰国の日。

到着ゲートから出てきた彼は少しふっくらして、顔つきもやわらかに見えました。

 

「めっちゃ楽しかった!」

 

生き生きとした表情で、目に力が宿っています。

 

祖父母と自分だけの生活で、たくさん可愛がってもらったようです。

言葉は十分に通じなくても、困ることはほとんどなかったと話してくれました。

静かな田舎町が性に合ったようで「帰りたくなかった」と何度も言っていました。

 

そして、うれしい変化がもうひとつありました。

それは「海外のものを食べてみたい」と思えたこと。

 

白ご飯と麺しか食べなかった息子が、お肉も食べられるようになりました。

空港で「少し丸くなった」と感じたのは、気のせいではなかったのです。

 

 

開花

今、息子は通信サポート校の2年生。

“通信制”といっても毎日通う必要があるので、普通高校とほとんど変わりません。

 

“ひとり海外旅行”は大きな自信になったようで、息子は少しずつ変わっていきました。

 

年明けにはじまったプレ入学授業にはほとんど参加し、入学してすぐにフットサル部に入りました。

 

1年生の1学期にあった宿泊行事では「泊まりって初めてかも……」と迷っていたのですが、「友達も行くから」と参加を決意。

楽しかったようで、2学期の宿泊行事には迷わず参加していました。

 

1年生の夏からはじめたコンビニエンスストアのアルバイトは、今も続けています。

放課後はアルバイトに行ったり、お友達と遊びに行ったり。

家にいる時間が長かったあの頃を、遠い昔のように感じます。

 

 

二度の挑戦

なんと息子は、生徒会長にも立候補。

1年のときはかなわず会計をしていましたが、新3年生として再び立候補して、見事当選を勝ち取りました。

 

演説で各クラスをまわるときは

「真面目に見られるようにピアスを外していこう」

なんて言っていました。

 

「素直でどんなことも受け入れられる子ですね。だからみんなに好かれています」

学校の先生には、そんなふうに言っていただきました。

 

冬休みにはスキー・スノーボードのスクールに行ったり、

「ちょっと髪を青くしたい」

と言って、髪を染めてみたり。

 

息子が楽しそうに毎日を過ごしている。

そんな姿がまぶしくて、胸がいっぱいになります。

 

 

◎お母さんが実践したココロ貯金◎

・「名前呼び」と「スキンシップ」

・意思を尊重した見守り

vol.35 「中…

◆コロナ明けの登校しぶり

「行きたくない、行きたくないよ……」

 

その言葉を、何度聞いてきたかわかりません。

 

娘が小学3年生のときでした。

コロナによる休校が明けると登校をしぶるようになり、学校に行ったり行けなかったりの日々が続くようになりました。

 

娘が特に苦手だったのは、クラスメイトとのコミュニケーション。

また、集団で行動するときや大勢の視線が集まる場面でも、とてもつらそうにしていました。

 

 

朝、起きられない。夜は眠れず、明け方までゲームに没頭。

活力がなく、常に横になっている状態……。

 

人を寄せつけない雰囲気で表情も暗く、話しかけても反応がなくなりました。

心も体も、まるで地中深くにもぐってしまったかのよう。

もはや「学校に行ってみよう」などと声をかけられる段階ではなく、心配でたまりませんでした。

 

——どうすればいい? どう抜け出したらいいんだろう。

焦りは強まるものの突破口が見いだせず、出口のないトンネルを手探りでさまようような毎日でした。

【お母さんのプロフィール】

2人姉妹のお母さん。現在中学2年生の長女さんは少し発達に偏りがあり、小学3年生から登校をしぶるように。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長女さんが中学入学前の春休み。

 

◆コロナ明けの登校しぶり

「行きたくない、行きたくないよ……」

 

その言葉を、何度聞いてきたかわかりません。

 

娘が小学3年生のときでした。

コロナによる休校が明けると登校をしぶるようになり、学校に行ったり行けなかったりの日々が続くようになりました。

 

娘が特に苦手だったのは、クラスメイトとのコミュニケーション。

また、集団で行動するときや大勢の視線が集まる場面でも、とてもつらそうにしていました。

 

 

◆WISC検査を受けて

学校にいるとき、娘はまったく話ができません。

 

娘の様子に違和感を覚え、WISC(ウィスク)という子ども用の知能検査を受けさせました。

すると、やはり少し発達に偏りがあり、あいまいな指示や状況を受けとめにくいことがわかりました。

 

何より娘自身が

「わたしは他の子と違うのかな」

と感じているようでした。

 

しかし、ドクターによる専門的な診断は受けられませんでした。

診察の予約が、数か月先まで埋まっている状態だったからです。

いわゆる「グレーゾーン」になるので、支援学級には通えませんでした。

 

――この子に、どんな関わり方をしてあげればいいのだろう。

 

わたしの胸の中にはいつも、迷いと不安が渦を巻いていました。

 

 

◆揺れる心

「気持ちが落ち着くまで休ませよう」

登校しぶりがはじまったばかりの頃は、そんなふうに比較的ゆったりと受けとめていました。

一緒にごはんを作ったり、他愛のない会話をしたりして、あまり気負わずに過ごしていたのです。

 

けれども徐々に

「このまま、本当に行けなくなってしまうのではないか」

という不安が膨らんでいきました。

 

夫と何度も話し合い、

「やっぱり、無理にでも行かせた方がいい」

という結論にたどりつきます。

 

そして、娘が泣いていても学校へ連れていき、わたしが付き添って授業を受けるようになりました。

 

「これでいいんだ」

自分に言い聞かせるようにして、毎朝娘の手を引きました。

 

 

◆空回り

――少しずつでも、学校生活に慣れてくれれば。

 

そんな親の思いとはうらはらに、娘は日に日に元気をなくしていきました。

家にいるときでさえ、打ちひしがれたような表情をしています。

 

――このやり方は、本当に正しいのだろうか。

 

もしかしたら、この子をさらに追い込んでしまっているのではないか。

そんな思いが胸をよぎります。

わたし自身の負担も相当なものでしたが、そこまでしても正しい道を進んでいる実感がないのです。

 

答えが見えないまま、時間だけが過ぎていきました。

 

 

◆練習はできるのに

6年生になった娘は、運動会にも修学旅行にも参加できませんでした。

 

学校行事がある朝は、ふとんの中で体を丸めて

「行きたくない」

と大泣きします。

 

運動会は練習には行けていたので、

「もしかしたら、今度こそ参加できるかも……」

そう期待しましたが、当日になると動けなくなってしまうのです。

 

――同級生の子達は、あたりまえのように参加しているのに……。

 

学校行事があるたびに、淡い期待と落胆で心がかき乱され、言葉にしがたい寂しさに襲われました。

 

 

◆出席できなかった卒業式

結局、卒業式すら参加できないまま、娘の小学校生活は静かに幕をおろしました。

そして春休みに入ったある日、娘は意思をもった口調でこう言ったのです。

 

「中学には行かない」

 

すうっと胸の奥が冷えていくような感覚がありました。

覚悟はしていても現実として突きつけられると、足元がぐらぐらと揺らいでいるように感じます。

 

制服を作ることすら拒まれ、先の見えない暗闇の中でもがくように日々を過ごしていました。

 

そんなときに“ココロ貯金”の存在を知り、駆け込むようにして子育て心理学カウンセラー養成講座の扉をたたいたのです。

 

 

◆あたたかな場所

ココロ貯金の講座に入って、まず感じたのは「相談する場所がある」という安心感です。

暗闇の中を手探りで進んでいるような感覚は消え、「こちらに進むといいよ」というコンパスを手にした気がしました。

 

心がけたのは、とてもシンプルなココロ貯金です。

 

名前を呼んで挨拶すること。

できるだけ穏やかに接すること。

それから“触れる”こと。

 

娘にハンドマッサージをしてあげる時間は、少しずつ心が通じていくような大切な時間になっていきました。

 

また、体験を踏まえた実践的なアドバイスをくださる先輩ママカウンセラーさんの存在も、とても心強いものでした。

 

中学校の入学式についても

「こういう参加の仕方もあるよ」

と教えてもらい、できるかぎり手を尽くしてみることにしました。

 

◆入学式の前日

講座を受講して数週間が経った、入学式の前日のことです。

わたしは中学校を見学させてもらうためのアポイントをとろうとしていました。

 

すると驚いたことに、近くにいた娘が

「わたしも行く」

と言い出したのです!

 

「中学には行かない」という娘の意思は固そうだと半分あきらめモードだったわたしは、キツネにつままれたような心持ちになりました。

 

驚きに包まれながらも一緒に中学校へ。

入学式の準備をしているところや校内のフリースクールを見学させてもらいました。

 

「明日は私服でもいいから、おいで」

先生がやさしい言葉をかけてくださったとき、娘が小さくうなずいたように見えました。

 

 

◆雨の入学式

入学式の日は、家の中にいても雨音が聞こえるくらいのどしゃぶりの雨でした。

 

「これは、親だけで行くことになりそうだな」

そう思っていました。

けれど娘は、いつもと変わらない様子で、静かに支度をはじめたのです。

 

式が行われる体育館に向かうあいだ、わたし達が誰にも出会わないように、先生方が取り計らってくださいました。

おかげで娘も取り乱すことなく、体育館に到着。

 

そして――

体育館の後ろの扉のすき間から、親子3人で、入学式に参加することができたのです。

 

◆娘の現在地

娘は中学2年生になりました。

制服を着て、毎日学校に行っています。

 

ふだんは校内にあるフリースクールにいて、クラスで行われる授業にも、自分が決めたものだけは参加するようになりました。

 

授業中に話が脱線し、笑いをとるタイプの先生は少し苦手。

反対に淡々と授業を進めてくれる先生がすごく好きで、歴史の授業が大好きです。

 

やはり気持ちの浮き沈みはあり、嫌なことがあっても学校では言えず、家に帰ってきて大泣きしてしまうこともあります。

ときには床にひれ伏すようにして、落ちこんでしまうことも。

長期休み明けはエンジンがかからず、「嫌だ嫌だ」と愚痴をこぼします。

 

それでも学校を休むことはありません。

 

どうしても苦手な先生がいるときは遅刻して接触を避けるなど、自分でうまくバランスをとりながら通っています。

 

 

◆改善した姉妹仲

学校でお友達とおしゃべりするのはまだまだむずかしいようですが、4つ下の妹とはすごく仲良しになりました。

これは、妹にもココロ貯金をためていったからかもしれません。

 

「お姉ちゃんばっかり、学校を休んでずるい」

と、以前はトゲトゲしかった次女もまた、別人のようにやわらかい表情になりました。

 

仲良くおしゃべりする姉妹の姿を眺めていると心がなごみ、うれしいなあと思います。

 

 

◆音楽発表会

うれしい変化がもうひとつ。

なんと、娘は学校行事にも参加できるようになったのです。

 

春は体育祭。

夏休み明けは校外学習……。

行事があるたびに、はらはらしながら見守ってきましたが、ひとつ、またひとつと壁を越えてきました。

 

そしていよいよ、もっともハードルが高そうな音楽発表会の日が訪れました。

 

会場は通い慣れた学校ではなく、外部の音楽ホール。

観客の視線が集中するステージの上で、声を出すという行為……。

 

幕が上がり、ピアノの演奏がはじまりました。

 

娘の姿は……

――いた!

 

ああ、歌ってる。

娘が、みんなと一緒に歌ってる。

 

あの頃は想像もできなかった景色が、目の前に広がっていました。

 

ホールいっぱいに響く力強い歌声に耳を傾けながら、わたしはしばらく、その場から動くことができませんでした。

 

 

◎お母さんが実践したココロ貯金◎

・名前を呼んで挨拶

・穏やかに接すること

・ハンドマッサージ

・環境を整えるため、学校と連携

vol.34 不登…

◆遠ざかっていく学校生活

小学6年のときのあるトラブルをきっかけに、登校をしぶるようになった長男。

どうしたものかと悩んでいるうちに、次第に学校へ行く回数が減っていきました。

 

好転するきっかけがないまま時が流れ、中学生になると大きな環境の変化についていけず、事態はますます深刻になっていったのです。

 

朝、起きられない。夜は眠れず、明け方までゲームに没頭。

活力がなく、常に横になっている状態……。

 

人を寄せつけない雰囲気で表情も暗く、話しかけても反応がなくなりました。

心も体も、まるで地中深くにもぐってしまったかのよう。

もはや「学校に行ってみよう」などと声をかけられる段階ではなく、心配でたまりませんでした。

 

——どうすればいい? どう抜け出したらいいんだろう。               

焦りは強まるものの突破口が見いだせず、出口のないトンネルを手探りでさまようような毎日でした。

【お母さんのプロフィール】

4人のお子さんをもつワーキングマザー。現在高校2年生の長男さんは、小学6年生のときのあるトラブルから登校をしぶりだし、中学に入り不登校に。田本さんが子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男さんが中学1年生の頃。

◆引き金は、やさしさと正義感

登校しぶりの引き金になったのは、小学6年生のときのあるトラブル。

いじめを見過ごせず、困っている子を助けようとした長男は気持ちがたかぶり、少し行き過ぎた行動をとってしまったのです。

根っこにある正義感には気づいてもらえず、行き過ぎた行動だけをフォーカスされ、先生にも誤解されてしまいました。

 

長男はちょうど思春期の入り口にいて、誰かに認めてもらいたいと願っていた時期でした。

この出来事は、彼の中に「大人や社会への不信感」という影を落とし、学校から足を遠ざけてしまったのです。

◆別物の「不登校」

実は、長男の前に次男でも不登校を経験していました。

ですから耐性はあったはずなのですが、形がまったく違っていたのです。

 

次男は、わたしに感情をぶつけてきました。大変でしたがある意味わかりやすく、コミュニケーションがとれたといえばとれたのです。

 

しかし、長男は違いました。

怒るでも泣くでもなく静かに怒りと悲しみを蓄えて、目に見えない憤りが心の中でどんどん渦を巻き、大きくうねっているように感じました。

 

元々おとなしい性格で語彙の発達がゆっくりだった長男は、感情をうまく言葉にできなかったのかもしれません。伝えられない想いが心の奥に蓄積し、体すら動かせないほど重くなってしまったのだと思います。

 

一体どうすればいいの?

 

どんなに悩んでもなす術がなく、長男の元気がどんどん失われていくのをただ見つめることしかできませんでした。母親としての自信もすっかり失い、暗闇の中でもがく日々が続きました。

◆「ココロ貯金」との出会い

とにかくできることを見つけたい。

 

手探りで情報を集めていたときに出会ったのが、「ココロ貯金」という言葉でした。

Instagramで東ちひろ先生のアカウントにたどりつくと「思春期が専門です」という投稿があり、わたしの心にスッと光が差し込んだのです。

 

——これだ!

思春期の子どもには、“心に寄り添う”ことが何より大切なんだ。

 

まさにわたしが求めていたものだと感じ、子育て心理学カウンセラー養成講座の募集がはじまったときは、迷う間もなく申し込みボタンを押していました。

◆愛情が伝わっていなかった!?

「ココロ貯金」を学んで、ハッと気づいたことがありました。

 

わたしの愛情は長男に届いているのかな?

もしかすると、伝わっていないのかもしれない。

「信用できない大人」のグループにひとまとめにされているんじゃない?

 

とにかく、大切に想っている気持ちを伝えたい。

そう考えて、“大好き”を伝える「触れる」ココロ貯金を、毎日できる限り実践しようと決めました。

 

朝起きたとき、通りすがりに、長男が寝ているときでさえ、できるだけスキンシップ。

さりげなく肩に手を置く。

名前を呼んで、おやつを手渡す。

少し照れくさそうにしている長男に毎日たくさん触れて、名前を呼び続けました。

◆あふれ出した言葉

「俺、このままでもいいんだ」

 

今のままの自分愛されている——そう伝わったとき、長男の心の中にゆっくりと自信が芽生えはじめたように感じました。

 

語彙が少なかった長男は、自分の中にストレスを溜め込みやすかったのだと思います。

すべてをひとりで背負ってしまい、苦しくなっていたのでしょう。

 

でも「ココロ貯金」を実践するうちに——

少しずつ少しずつ言葉が出てくるようになり、2~3ヶ月経った頃には、今までの沈黙が嘘のように会話が増えていました。言葉が増えていくにつれ、長男の心がどんどん解きほぐされていくのがわかりました。

暗闇にいた日々は少しずつ遠ざかり、光が差しはじめたのです。

◆少しずつ、少しずつ——変化のきざし

最初は本当に小さな一歩。

まるで、ちょっとずつ高いハードルを跳べるようになっていく感覚で——。

 

最初に変わったのは、目つきでした。

覇気がなかった瞳に力が宿り、まんまるく、くりっと可愛らしくなってきたのです。

「そう、これが本当のあなたよね」

そう思いました。

そして、何か月も合うことがなかった視線が交わるようになってきたのです。

 

今まで「絶対に行かない」と拒んでいた外出の誘いにときどき応じるようになり、家族と一緒に出かける機会も徐々に増え……。

「俺は外に出ないから」と心を閉ざしていた彼が、ほんの少し外の世界へ足を踏み出した——。

小さな変化が、わたしにとっては奇跡のように思えました。

◆自己解決

通信制高校への進学を決めて面接の練習をしていたときのこと。

さらなる変化が訪れました。長男自ら“過去の自分”を振り返りはじめたのです。

 

「あのときの俺、すごく認めてもらいたかったんだよね」

ぽつりぽつりと話し出す彼。

 

「そうだよね」

心の中で何度もうなずきながら、わたしは彼の様子に見入っていました。

 

そして——

「結局は巻き込まれただけだよね、俺」

 

長男は、最終的に自己解決を果たしたのです!

 

——ああ、彼はもう、自分の力で歩きはじめている。

わたしは静かな感動に包まれていました。

 

小学校時代のあの出来事を心の中でひとつひとつ整理して、受けとめられた長男。

以後、まるで羽が生えたかのように、急成長していきました。

◆「聞いて、聞いて!」と話しかけてくれる日々

かつて、言葉を閉ざしていた長男が——

今では話したいことがあふれ出し、うれしそうに話しかけてきます。

 

「聞いて、聞いて! 今日こんなことがあったんだ!」

「友達がこんな風に言うんだよ」

 

「ああ、喋ってる……!」

胸がいっぱいになります。あの暗闇にいた日々が、まるで嘘のようです。

 

自信を取り戻した長男はお友達も増え、自分から誘って出かけるなど積極的に仲間と関わるようになりました。

 

今は、通信制高校の2年生。

起き上がれなかった頃の彼とは別人になり、ようやく「本来の自分」を生きはじめた気がするのです。

◆自分で決めた道を、自分の力で歩む

「俺も、普通高校に行けたのにな」

あるとき、長男がつぶやきました。

 

「うん、きっと行けたと思うよ。でもね、今の学校でいろんな人と関わりながら、自分らしく生きてる。それって、本当にすごいことじゃない?」

わたしは、心から言いました。

 

普通高校が“正解”というわけではありません。

長男が通う通信制高校では、スクーリング・テスト・レポートの三本柱を自分で計画し、管理しながら進めていかなければなりません。すべては、自分次第。

 

「絶対3年で卒業する」

長男はそう宣言し、今も目標に向かって着実に歩き続けています。

 

レポートの提出も出席も、すべて問題なく順調。

誰に言われるでもなく、自分の頭で考えて歩む姿に、ただただ感動するばかりです。

◆暗闇の先で気づいた、かけがえのない今

——あのとき、ココロ貯金に出会えて本当によかった!

今、心から思います。

 

親と話さなくなる年頃だと聞きますが、わが家では毎日、自然に会話が弾んでいます。

長男も機嫌よく、笑顔で過ごす毎日です。

 

そしてわたし自身も、母親としての自信を取り戻すことができました。

長男の元気がないときは自分の力不足に落ち込み、長男の成長にあわせて、わたしの自己肯定感も上がっていきました。

 

絶望の中でもがいた時期があったからこそ「あたりまえの日常」が尊く、しみじみと幸せをかみしめる毎日です。

 

暗闇をさまよう過去のわたしへ。

——大丈夫! もうすぐ“心を育てる”方法に出会うから。

 

暗闇の先に光に満ちた未来があると、伝えてあげたい気持ちです。

◎お母さんが実践したココロ貯金◎

・“大好き”を伝えるスキンシップ

・長男の言葉をそのまま聴く

vol.33 部屋…

引きこもり

――そろそろ、空気を入れ替えたほうがいいかもしれない。
軽く息を吸ってから、娘の部屋のドアを小さくノックしました。返事がないのは、いつものこと。ほん
の少しだけ扉を開けた、その瞬間――、
「入ってくんな」
鋭い声が飛んできて、胸の奥がぎゅっと縮むのがわかりました。
高校2年生の冬休みが明けてすぐ、娘は学校へ行かなくなりました。いつも機嫌が悪く、話しかけても
返ってくるのはトゲのある言葉ばかり。会話はもう、成り立たなくなっていました。
一日中、ほとんどの時間をベッドの中で過ごす。
お風呂にも入らない。
部屋からはまず出てこない。
娘はまるで、人として生きるための営みを放棄してしまったように見えました。

【お母さんのプロフィール】

現在高校3年生の女の子のお母さん。お嬢さんは高校2年生の1月から不登校に。
子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが高校3年生の6 月。

不登校の兆候

学校をぽつぽつ休むようになったのは、高校2年生の10 月頃からです。
夏休みの明けのテストが終わると塾に行きはじめましたが、
「わたしは行かない」
そう言って、すぐに辞めてしまいました。
はっきりした理由はわかりません。けれど、ちょうどその頃から、学校を休む日が増えていったように
思います。
部活動は陸上部のマネージャーをしていました。
活動が活発な部で、土日も毎週あったり、雨の日でも外でやったり。
練習がない日でもマネージャーだけ行くこともあり、忙しそうにしていました。
そんな慌ただしい日々を、明るく朗らかに過ごしていた娘。
「部活もがんばるし、大学受験もがんばる」
前向きな彼女の言葉を、頼もしい思いで聞いていたのです。

止まった時間

それなのに、今は……。
学校に行けなくなっただけでなく、親子の会話すらできない状態。
――いったい何が起こったの?
娘の急激な変化を、わたしはなかなか受け止められませんでした。
気がつけば季節はめぐり、窓の外では明るい日差しを受けて葉桜がゆれています。
けれども家の中は冷え冷えとしていて、時間も季節も止まってしまったようでした。
かろうじて3年生に進級できたものの「不登校」の状況は変わりません。
勇気を出して娘に話しかけるたびに、刺々しい暴言が返ってきます。しだいに疲弊し、娘との会話を避
けるようになっていきました。接点が減るにつれ、どうすれば彼女の心に触れられるのか、ますますわ
からなくなってしまいます。
まるで暗闇の中にひとり取り残されたような、八方を塞がれたような、つらい気持ちでした。
ここから抜け出すには自分で動くしかない。
頭ではわかっているのに、どう動けばいいのかわからない――。
そんなときに出会ったのが「ココロ貯金」でした。

会話がなくても

東ちひろ先生の発信を追うようになり、真っ暗だと思っていた場所に小さな灯りがともった気がしまし
た。
どんな状態でも、たとえ会話がなくても「ココロ貯金」はできる。
その考え方に、深く救われました。
「〇〇ちゃん、おはよう! 起きたんだね」
名前を呼んで、挨拶をする。
目に入ったことを、そのまま言葉にして“実況中継”する。
ただそれだけの関わりで、子どもが前に進む力をチャージできるというのです。
また、娘の好きなご飯をつくってあげる“腹貯金”もできるだけ心がけました。娘は好き嫌いがはっきり
しているので、とてもよかったと思います。
ささやかなココロ貯金を重ねていくうちに、ピリピリしていた娘の空気がやわらいでいきました。やが
て少しずつ会話が戻り、彼女が抱えていた思いも知ることができました。
「大学に行かないのに、高校に行く意味がない。だから高校はやめたい」
娘なりに考え、一般的な価値観や親の期待を感じて、葛藤していたのかもしれません。

スイッチ

6月。
子育て心理学カウンセラー養成講座に通いはじめて、間もない頃のことでした。
学校の先生から、一本の連絡が入ります。
このままでは、あと〇日で卒業がむずかしくなる――
そんな現実を、静かに突きつけられました。
――とうとう、このときが来てしまった。
覚悟を決めて、娘に伝えます。
ところが意外にも、娘はある程度の出席日数を把握しており、置かれた状況もわかっていました。
そして、さらに驚くことが起こります。
その日を境に、毎日、学校に通いはじめたのです!

自分をつらぬいた夏休み

夏休みになると、娘の学校では、ほとんどの生徒が補習授業に通います。
6月、7月とほぼ毎日登校した娘でしたが、夏休みの補習は一切参加しませんでした。
空いた時間で、料理をしたり、お化粧の練習をしたり、ネイルに触れてみたり。
自分が「やりたい」と思うことにたっぷりと時間を使い、機嫌よく過ごしていました。
まわりのお友達はほぼ全員が補習に参加していたので、
「どうして行かないの?」
とたずねると、娘はあっさり言いました。
「授業を聞いてもわからないから」
受けても意味がない。
わからないまま座っているのが苦痛なのだ、と。
以前の娘なら、まわりに合わせて無理をしていたと思います。それを思うといい意味での図太さが備わ
り、自分を守る力が育ってきたように感じました。

未来へ

そして今。
驚いたことに娘は、大学への進学を希望しています。
「やっぱり大学に行きたい」
そう言って、勉強にも向き合うようになりました。
理由は、「大学生になりたいから」。
それだけです(笑)。
――どうか、高校だけは卒業させてください。
そう祈っていた一年前のことが、ずいぶん遠い出来事に思えます。
娘の暴言に傷つき、無力な自分に落ち込んでいたあの頃……。
当時の娘は、確かに大きな壁の前で立ち尽くしていました。
けれど、ココロ貯金で心が満たされはじめると、気がつけば自分の力で、その壁を越えていたのです。
親は、子どもの問題を解決することはできない。
子どもの心が動き出すまで、ただココロ貯金を続けるだけ。
ああ、それでよかったのだと、今はそう思っています。

◎お母さんが実践したココロ貯金◎

・名前呼び+挨拶
・実況中継
・腹貯金
・補習を受けないなど子どもが周りと違う行動をとっても、ただ見守る

vol.32 玄関…

■急変

その日は突然訪れました。
息子が小学2年生になって間もない普通の朝。
学校へ送り出そうと玄関に出た瞬間、息子の全身の力がふにゃふにゃっと抜け、くずれ落ちるようにしゃがみこんでしまったのです。そのままの体勢で泣きだす息子。
どんな声をかけても石のように倒れたまま、立ち上がることができませんでした。
今思えば、クラス替えで仲のよいお友達と離れてしまったのが、原因だったかもしれません。
お友達がいない。誰も話しかけてくれない。自分からは行けない。休み時間はひとりぼっち……。
学校でかくれんぼをしたとき、ずっと見つけてもらえなかったことがあったそうです。先生にも友達にも誰にも気づいてもらえず、「ひとりぼっち」の孤立感が深まってしまったのかもしれません。

【お母さんのプロフィール】

小学3年生の長男くん、小学6年生の長女さんのお母さん。長男くんが小2の4月、突然学校に行け
ない状態に。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男くんが小2の秋。

■息子を置いて

息子の足は学校から遠のき、ゴールデンウィーク前には一切行けなくなってしまいました。
——明るく元気な子だったのに、何がおこってしまったの?
学校へ行こうとすると全身の力が抜けてしまう息子に、「行こうよ、行こうよ」と励ましたり、「何が嫌なの?」と原因をきいてみたり。
そのうちにイライラしてきて、「理由がないんだったら行けるじゃん」と腕を引っぱりますが、反応がありません。
わたしは勤めているので、電車に乗り遅れないかと気が急きます。仕事に穴はあけられず、泣く泣く息子を置いて会社へ向かう日々でした。

■食べない飲まない

息子のことが心配で会社から電話をしても、応答がなく不安がつのりました。
ご飯も食べず、水分すらとっていない様子の息子。
どれくらい飲んだかわかるように水筒を準備していましたが、まったく減っていないのでした。お菓子もフルーツも食べず、たた横になっているだけ。目で見てわかるほど、やせ細っていきました。
先生が電話で様子をたずねてくださっても、
「すみません、今職場にいますので」
としか応えられない自分が情けなく、落ち込むばかり。
——どうしたら、いいんだろう。
——なぜ、こうなってしまったの?
不安ばかりが広がっていきました。

■ココロ貯金のシャワー

「ココロ貯金」に出会ったのはそんな頃。藁をもつかむ思いで子育て心理学カウンセラー養成講座に申し込み、秋口から受講できることになりました。1回2時間の講座でたっぷりとココロ貯金のシャワーを浴び、通勤時にはいただいた動画で勉強します。
——そうだそうだ! 今日もがんばろう。
不思議と勇気がわきました。
ある日、講座で習ったように息子のふくらはぎをさすってあげると、気持ちよさそうな顔をしました。
「ママ、もっとさすって」
ご飯はいらない。お風呂にも入らない。無気力になり、何も求めなくなっていた息子の「〇〇して」
という言葉は、本当にうれしく感じました。それからは時間があれば、息子のふくらはぎを、なでなで。
マッサージを受ける息子は、何とも言えない穏やかな表情をしていました。

■先生達の協力

マッサージや承認を続けていくと、10 月には放課後登校ができるようになりました。
先生が昇降口まで来て、明るく声をかけてくださいます。調子がよければ教室まで行き、
「今日は何時におきたの?」「ごはんは食べた?」「次いつ会える?」
など、少しだけ会話して帰ってきます。
また、とても親身になってくださる先生で、ほとんど学校に行けなかった1学期分の通知表をいただけたのです。多くは斜線が入っていましたが、数箇所だけ印がついていました。息子はとてもうれしかったようです。2学期の最終日は「通知表をもらうんだ」と言って、ラスト 30 分だけ学校に行きました。
「Aくんは次の順番だから、ここで立ってるんだよ」
クラスの子が教えてくれます。一人ずつ廊下に出て、先生から一言いただいて通知表を受け取るスタイルのようで、恐らく上手にほめてくださったのでしょう。ニコニコしながら戻ってきました。
「ママ、成績ついてたよ」
限られた教科だけでしたが、誇らしげに報告してくれました。教室の後ろで見ていたわたしは、あふれる涙を止められず、マスクで顔を隠しました。
「Aくんが来てクラス全員そろったから、写真をとりましょう」
担任の先生が写真をとっていると、学内を巡回していた校⾧先生と教頭先生が「それはいいな、先生 もとっていいかな」などと言いながら加わり、「やりましたね」という表情で、わたしに目配せしまし た。

■Aくんはクラスメイト

3学期も放課後登校を続けていましたが、通知表を受け取った日の登校が後押しになり、たまに時間 内にも行けるようになりました。
ありがたかったのは、担任の先生が
「Aくんはお家で勉強しています。でも、みんなのクラスの一員です。いつ学校に来てもおかしくありません」
といつも言い続けてくださったこと。
おかげでたまに学校に行くと、クラスの子達がごく自然に、温かく迎えてくれました。
「あ、Aくん来た」
「席はここだよ」
子ども達のやさしさに救われて、教室の後ろで泣きました。
3月には週1~2回、4時間目から学校に行き、給食を食べて帰れるようになりました。
「3年生になったら、俺、学校に行く」
担任の先生に宣言したそうです。

■「配慮してもらう」のはよい? 悪い?

「クラス替えについて、学校に配慮してもらって何が悪いんですか。いいじゃないですか、行けるようになれば」
講座で相談すると、ちひろ先生は背中を押してくださいました。ところが夫は、
「社会に出たらどんな状況でも、たくましく生きなければならない。配慮をお願いするのは、ちがうと 思う」
という意見。夫の意見ももっともな部分があり散々悩みましたが、勇気を出して相談に行きました。 「どうぞ、どうぞ」
校⾧先生は温かく、じっと話を聴いてくださいました。
「この場で『必ずいい先生をつけます』というお約束はできません。ですが、状況はよくわかりましたし、お気持ちもわかりました」
思いやりにあふれた言葉が心にしみました。

■始業式の日

4月。3年生になった最初の登校日、息子は普通に学校に行きました。
「朝から登校しました。色々ご対応いただき、本当にありがとうございました」 学校にお礼の電話をして担任の先生にご挨拶していると、「少しお待ちください」と言われ校⾧先生 に替わりました。
「Aさん、校⾧です。やっと言える日が来ました。指導力抜群の担任をつけましたから、安心してください!」
熱いものがこみあげました。

■息子の変貌

息子は別人になりました。
朝は自分で起きて、服選んで 鼻歌をうたいながら身支度します。わたしが送らなくても、登校班の お友達と学校に行きます。
表情も生き生きとして、いつもニコニコ。
土日にお友達と遊びたいと思えば、「遊ぼ?」と自分から声をかけ、家に招いて遊びます。
「宿題を終わらせてからお風呂に入る」
「あと 30 分やったらゲームはやめる」
宿題もお風呂もゲームの終わりも、自分で決めてできるようになりました。ココロ貯金と先生方のご協力には感謝しかありません。

■もうひとつの変化

ふくらはぎのマッサージは、寝る前の習慣になりました。承認や声がけも、忘れず心がけています。
講座を受ける前は何をしたらよいのかわからず、ネットで調べても答えは出ず、その場その場で漠然と対処するしかなかったのですが、今は「わたしができること」が明確になりました。
実は、ココロ貯金で変わったのは、息子だけではありませんでした。
殺伐としていた夫婦仲がよくなったのです。
以前は会話がほとんどなく、夫もわたしも息子の不登校に引っぱられて、ウツっぽくなっていました。 息子だけではなく、自然に夫のココロ貯金もためていたらしく、今では家族みんながよく笑います。
さらに職場でも、「あ、これココロ貯金をあげた方がいいな」と感じることが増えたのです。
「あちゃー、これは貯金不足かな」とわかるので、頼まれたわけではないのですが、どんどんココロ貯 金を配っています^^

◎お母さんが実践したココロ貯金◎

・ふくらはぎのマッサージ
・承認や声がけ
・学校の先生との連携プレー

vol.31 二度…

突然の不登校

ある日、いつものように中学校へ行った娘が、ほどなくして戻ってきました。
「足が痛い。それに、ちょっと忘れ物しちゃった」
なんだか腑に落ちない理由です。
――それくらいなら、遅れてもいいから学校に行ったら?
そんな気持ちが頭をよぎりました。
しかし娘はそのまま学校を休み、次の日も、またその次の日も、学校へ行こうとはしなかったのです。
「今日は行けるかな」というわたしの願いをよそに、気がつけば一週間。
理由がはっきりわからないまま、娘の時間だけが止まってしまったように見えました。

【お母さんのプロフィール】

二人きょうだいのお母さん。現在高校1年生の長女さんは、中学3年生の5月から不登校に。
子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが高校1年生の頃。

進路への不安

「中間テストを受けさせてください」
テストを目前に控えたある日、担任の先生からお電話がありました。
娘の通う中学校は、中高一貫教育の付属校。ちょうどその時期――中学3年の1学期の成績が、高校進学にあたって考査の基準になる、というのです。
学校に行けなくなっただけでも不安なのに、このままでは付属高校へ進めないかもしれない。
あまりにも突然で受け入れがたい事実に、頭が追いつきません。
焦ったわたしは、娘を説得しようと試みました。
「こんなことで、いきなり付属高校への道を閉ざされるのは、ちょっとないんじゃないかな」
その瞬間。
娘は耳を塞ぐようにして「きゃあ」と声をあげ、頭を抱えこんでしまったのです。
明らかに、いつもの娘ではありません。
強い不安に飲み込まれたように体を丸めて震えています。呼吸も浅く、苦しそう。まるで酸素を求めるかのように、ベランダへ這い出ていく娘……。
この子の中で、わたしの想像を超える何かが起きている。
言葉にできない不安が、胸の奥で静かに広がっていきました。

告白

それからは登校をうながすことさえためらわれ、何もできないまま、時間ばかりが過ぎていきました。
「ドライブでも行こうか」
ある日、気分転換になればと、暗い表情で過ごしていた娘を外に連れ出しました。
夜景を見ながら2時間ほど経った頃。
娘がぽつりと言ったのです。
「高校を受験したい。今の学校には行きたくない」
娘が通っていた学校は、よくも悪くも進学校でした。
3年生になってまだ1か月半なのに、すでに2度も東大に進学した卒業生の講演があり、「ガリ勉して合格した話」を何度も聞いたそうです。
真面目すぎるほど真面目な娘。
このままここにいたら、中学でも高校でも「いい大学」を目指して走り続けなければならない――そんなふうに感じてしまったのだと思います。
「受験したい」という言葉はきっと、勇気をふりしぼって口にしたはず。
これは否定してはいけないと、直感的に感じました。
「わかった。否定はしないよ」
前置きをしてから、続けました。
「ただ、もう何日も学校に行ってないよね。受験するにしても、内申点が必要になると思うよ。一度、冷静に整理した方がいいし、いきなり付属校への進学の権利を手放すのは、リスキーだと思う。だから少し落ち着いて考えよう」
否定はしませんでした。
けれど、娘の思いをそのまま受け止めたわけでもありません。
あのときのわたしには、それが精一杯の返答でした。

中間テスト

「わかった。中間テストはがんばって受ける。勉強はしていないけど」
娘はわたしの言葉を受け入れて、学校へ向かいました。
ところが――
2日目に帰宅した途端、熱を出してしまったのです。
無意識の防衛本能みたいなものなのでしょうか。副鼻腔炎も併発し、3 日目のテストは受けられませんでした。
その後、1日登校して、次は4、5日続けて休む。
そんな状態が続きました。
今になってふり返ると、あの頃の娘は、まるで燃え尽きる直前の線香花火のようでした。
もう限界だと思った翌日にふっと持ち直し、休んでいた日に行われた体育のテストをひとりで受けに行ったこともありました。
塾からいつもより遅く帰ってきた日には
「先生と話して盛り上がっちゃった」
と、妙に明るい声で話してきたこともあります。
あまり見ないテンションにどこか違和感をおぼえたこの日の翌日から、娘はピタッと学校に行かなくなりました。
5月の末のことでした。

葛藤

もう無理はさせられない。
娘が押し殺してきた苦しさが、そばにいるわたしにもひしひしと伝わってきました。
朝起きられず、気力も感じられません。
怒られるのではないか、否定されるのではないか。
そんな恐怖を抱えているのか、張りつめた緊張感が全身ににじんでいました。
これは、どうしたらいいのだろう。
“不登校”には、どう向き合うのが正解なのだろう。
日常は、あまりにも突然に変わってしまいました。
高校受験という選択肢も、それまでは考えたこともありません。
様々な問題が一挙に押し寄せてきたようなプレッシャーに、息が詰まりそうでした。
本当に、どうしたらいいんだろう。
わたし自身も、かなり追い込まれていました。
それでも、娘には下手なことを言ってはいけない――
そのことだけは、感覚的にわかりました。
娘はほとんど話をしません。
ただ、食事はとっていましたし、朝も顔を見せてはくれます。
一日の多くを静かに部屋で過ごす。
そんな日常が、淡々と過ぎていきました。

さらなる苦しみ

学校がスクールカウンセラーの先生を紹介してくれて、お話を伺ううちに、いくつかのことがわかりました。
今の中学校は、たとえ付属高校へ進めなくなっても在籍はでき、卒業もできること。
東京都には、チャレンジスクールという不登校専門の学校があり、ほかにも通信制高校など、受験勉強
をしなくても入学できる選択肢があること。
「行き場がなくなるわけじゃない」
少し肩の力が抜けました。
家に帰りその話を娘に伝えると、娘もまた、目に見えてほっとした様子を見せました。
とはいえ、気持ちは簡単には定まりません。
声をかけてくれるお友達もいて、娘の心は揺れているようでした。
「今、期末テストの勉強してるから来ない? 一緒に上に上がろうよ」
そんなふうに誘ってくれる子もいました。
悩んだ末に娘は、
「期末テストも受けないことにした」
自分でそう決断しました。
けれども、その直後から、娘の心と体は大きく崩れていきました。“普通”というレールに乗らない選択は、まだ中学生だった娘にとって、想像以上に重い決断だったのかもしれません。
めまいが続き、昼夜も逆転。
7月から9月までの3か月は、非常につらい状態が続きました。
今ふり返っても、あの頃がわたしにとっても一番つらい時期でした。
夏になると、さまざまな学校で説明会がはじまります。
けれども娘はどこにも参加することなく、11 月が来ても、鉛筆を握ることすらありませんでした。

全日制の高校へ

「高校ね、必ずしも来年から行かなきゃいけないわけじゃない。ただもし行きたいなら、見学しないと決められないよ。どうする?」
思い切って娘に伝えてみました。
すると娘は、少し強い口調で言ったのです。
「高校は行くって言ったじゃん」
その言葉には、決意のようなものがにじんでいました。
そして、チャレンジスクールや定時制などいくつかの学校説明会に、少しずつ足を運ぶようになりました。
さまざまな学校を見学する中で、次第に希望が定まっていきます。
「やっぱり全日制の高校を受けたい」
「友達とわちゃわちゃしたいし、青春したいし、できれば恋愛だってしたい」
そんな思いを持ったようです。
内申点がほとんどなかったため、中学校の先生に相談して課題提出で補填していただいたり、登校日数よりもテストの結果を重視してくれる学校を探したり。12月からは再び塾にも通いました。
正直とても大変でしたが、なんとか全日制の高校への進学が決まりました。
――色々あったけれど、これでようやくトンネルを抜けた……!?
娘の気持ちを尊重し、ともに歩いた数か月。
希望をかなえる形で進学が決まり、わたしは明るい気持ちで春の訪れを感じていました。
けれども。 受験の合格は、ゴールではなかったのです。

二度目の不登校

明るい気持ちは、長くは続きませんでした。
入学して1か月ほど過ぎた頃、娘はまた、学校に行けなくなってしまったのです。
――これは簡単には行かない。
直観的に感じました。
いくつもの山を乗り越えた先の挫折だったため、娘の落ち込みは大きく、わたしの心も折れそうになりました。
そして強く思ったのです。
――子どもへの向き合い方を見なおさなければ。
ただ学校に戻ることを目指すのではなく、もっと根本的なところ――考え方を変えたり広げたりしながら、この子にとって最善だと思える道を探したい、と。
わたしの接し方に、よくないところがあったのだろう。
でも、わからない。
これまでも、散々自分を責めてきた。
本も読んだ。
でも――。
やり方を変えたいと思うのに、どう変えたらいいのかがわからない。
ぐるぐる、ぐるぐる。
答えの出ない問いばかりが、頭の中を巡り続けていました。
そんなとき東ちひろ先生のご発信に出会いました。駆け込むような気持ちで、子育て心理学カウンセラー養成講座の門をたたいたのです。

初期のハードルが低いココロ貯金

ココロ貯金がとてもよかったのは、簡単で行動にうつしやすいところ。具体的ですぐに使えて、子どもの成長に応じて形を変えていける、珠玉のメソッドだと思います。
講座を受けはじめた頃、娘は二度目の不登校にとても落ち込んでいて、心が塞ぎがちでした。
彼女の場合、調子が悪くなると睡眠の質が落ち、乱れてきます。
そもそも睡眠不足で、ぼうっとしていたり機嫌が悪かったりする。
そんな娘を相手に高度なことを言われても、できる気がしません。
また、感受性が鋭い子なので、変に持ち上げるのも、ほめるのも逆効果。
そんな娘に対しては、ただ“実況中継”すればよいココロ貯金が、とても現実的な方法でした。
「あ、お風呂入ったね」
「あ、食べたね」
他には名前を呼びかけてから挨拶をするなど、さりげない声がけなので、無理なく自然体で続けられます。
ささやかな関わりを重ねていくうちに娘の情緒は少しずつ安定し、眠りの質も上がっていきました。

娘の今とこれから

「復帰は難しいから、違う形にしたい」
高校1年の5月に再び学校に行けなくなった娘は、2学期がはじまる前にそう話し、12月に通信制の学校に転校しました。娘のスピードに合わせて、ときには立ち止まりながら歩んで来られたことは、よかったなと感じています。
今、娘はとてもいい表情をしていて、目にも力が宿っています。
通信制のカリキュラムの流れを大まかにつかみ、自主的に勉強して課題を提出する――
そんな日々にも、少しずつ慣れてきたようです。
ココロ貯金は、娘とわたしの「信頼貯金」でした。
小さな関わりを重ねていく中で積み上がった信頼が、娘の自己肯定感をゆっくりと育ててくれたのだと思います。
まずは具体的で実行しやすい子どもへのアクションからはじめる。
長い受講期間の中で、何かしらの変化があらわれる。
子どもの成長に合わせて、少しずつ関わり方を整えていく。
それらの過程の要所に、お母さんの心を癒すメニューも用意されている。
親と子、両方のケアがサンドイッチのように組み込まれているこの構成に、わたしは本当に救われました。
これから先、娘がどんな道を選ぶのかは、まだわかりません。
いつか心から「これをやりたい」と思えるものに出会ってほしい。
今は明るい気持ちで、そう願っています。

◎お母さんが実践したココロ貯金◎

・実況中継
・名前呼び+挨拶
・子どものペースを尊重してゆっくり歩むこと