vol.34 不登…

◆遠ざかっていく学校生活

小学6年のときのあるトラブルをきっかけに、登校をしぶるようになった長男。

どうしたものかと悩んでいるうちに、次第に学校へ行く回数が減っていきました。

 

好転するきっかけがないまま時が流れ、中学生になると大きな環境の変化についていけず、事態はますます深刻になっていったのです。

 

朝、起きられない。夜は眠れず、明け方までゲームに没頭。

活力がなく、常に横になっている状態……。

 

人を寄せつけない雰囲気で表情も暗く、話しかけても反応がなくなりました。

心も体も、まるで地中深くにもぐってしまったかのよう。

もはや「学校に行ってみよう」などと声をかけられる段階ではなく、心配でたまりませんでした。

 

——どうすればいい? どう抜け出したらいいんだろう。               

焦りは強まるものの突破口が見いだせず、出口のないトンネルを手探りでさまようような毎日でした。

【お母さんのプロフィール】

4人のお子さんをもつワーキングマザー。現在高校2年生の長男さんは、小学6年生のときのあるトラブルから登校をしぶりだし、中学に入り不登校に。田本さんが子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男さんが中学1年生の頃。

◆引き金は、やさしさと正義感

登校しぶりの引き金になったのは、小学6年生のときのあるトラブル。

いじめを見過ごせず、困っている子を助けようとした長男は気持ちがたかぶり、少し行き過ぎた行動をとってしまったのです。

根っこにある正義感には気づいてもらえず、行き過ぎた行動だけをフォーカスされ、先生にも誤解されてしまいました。

 

長男はちょうど思春期の入り口にいて、誰かに認めてもらいたいと願っていた時期でした。

この出来事は、彼の中に「大人や社会への不信感」という影を落とし、学校から足を遠ざけてしまったのです。

◆別物の「不登校」

実は、長男の前に次男でも不登校を経験していました。

ですから耐性はあったはずなのですが、形がまったく違っていたのです。

 

次男は、わたしに感情をぶつけてきました。大変でしたがある意味わかりやすく、コミュニケーションがとれたといえばとれたのです。

 

しかし、長男は違いました。

怒るでも泣くでもなく静かに怒りと悲しみを蓄えて、目に見えない憤りが心の中でどんどん渦を巻き、大きくうねっているように感じました。

 

元々おとなしい性格で語彙の発達がゆっくりだった長男は、感情をうまく言葉にできなかったのかもしれません。伝えられない想いが心の奥に蓄積し、体すら動かせないほど重くなってしまったのだと思います。

 

一体どうすればいいの?

 

どんなに悩んでもなす術がなく、長男の元気がどんどん失われていくのをただ見つめることしかできませんでした。母親としての自信もすっかり失い、暗闇の中でもがく日々が続きました。

◆「ココロ貯金」との出会い

とにかくできることを見つけたい。

 

手探りで情報を集めていたときに出会ったのが、「ココロ貯金」という言葉でした。

Instagramで東ちひろ先生のアカウントにたどりつくと「思春期が専門です」という投稿があり、わたしの心にスッと光が差し込んだのです。

 

——これだ!

思春期の子どもには、“心に寄り添う”ことが何より大切なんだ。

 

まさにわたしが求めていたものだと感じ、子育て心理学カウンセラー養成講座の募集がはじまったときは、迷う間もなく申し込みボタンを押していました。

◆愛情が伝わっていなかった!?

「ココロ貯金」を学んで、ハッと気づいたことがありました。

 

わたしの愛情は長男に届いているのかな?

もしかすると、伝わっていないのかもしれない。

「信用できない大人」のグループにひとまとめにされているんじゃない?

 

とにかく、大切に想っている気持ちを伝えたい。

そう考えて、“大好き”を伝える「触れる」ココロ貯金を、毎日できる限り実践しようと決めました。

 

朝起きたとき、通りすがりに、長男が寝ているときでさえ、できるだけスキンシップ。

さりげなく肩に手を置く。

名前を呼んで、おやつを手渡す。

少し照れくさそうにしている長男に毎日たくさん触れて、名前を呼び続けました。

◆あふれ出した言葉

「俺、このままでもいいんだ」

 

今のままの自分愛されている——そう伝わったとき、長男の心の中にゆっくりと自信が芽生えはじめたように感じました。

 

語彙が少なかった長男は、自分の中にストレスを溜め込みやすかったのだと思います。

すべてをひとりで背負ってしまい、苦しくなっていたのでしょう。

 

でも「ココロ貯金」を実践するうちに——

少しずつ少しずつ言葉が出てくるようになり、2~3ヶ月経った頃には、今までの沈黙が嘘のように会話が増えていました。言葉が増えていくにつれ、長男の心がどんどん解きほぐされていくのがわかりました。

暗闇にいた日々は少しずつ遠ざかり、光が差しはじめたのです。

◆少しずつ、少しずつ——変化のきざし

最初は本当に小さな一歩。

まるで、ちょっとずつ高いハードルを跳べるようになっていく感覚で——。

 

最初に変わったのは、目つきでした。

覇気がなかった瞳に力が宿り、まんまるく、くりっと可愛らしくなってきたのです。

「そう、これが本当のあなたよね」

そう思いました。

そして、何か月も合うことがなかった視線が交わるようになってきたのです。

 

今まで「絶対に行かない」と拒んでいた外出の誘いにときどき応じるようになり、家族と一緒に出かける機会も徐々に増え……。

「俺は外に出ないから」と心を閉ざしていた彼が、ほんの少し外の世界へ足を踏み出した——。

小さな変化が、わたしにとっては奇跡のように思えました。

◆自己解決

通信制高校への進学を決めて面接の練習をしていたときのこと。

さらなる変化が訪れました。長男自ら“過去の自分”を振り返りはじめたのです。

 

「あのときの俺、すごく認めてもらいたかったんだよね」

ぽつりぽつりと話し出す彼。

 

「そうだよね」

心の中で何度もうなずきながら、わたしは彼の様子に見入っていました。

 

そして——

「結局は巻き込まれただけだよね、俺」

 

長男は、最終的に自己解決を果たしたのです!

 

——ああ、彼はもう、自分の力で歩きはじめている。

わたしは静かな感動に包まれていました。

 

小学校時代のあの出来事を心の中でひとつひとつ整理して、受けとめられた長男。

以後、まるで羽が生えたかのように、急成長していきました。

◆「聞いて、聞いて!」と話しかけてくれる日々

かつて、言葉を閉ざしていた長男が——

今では話したいことがあふれ出し、うれしそうに話しかけてきます。

 

「聞いて、聞いて! 今日こんなことがあったんだ!」

「友達がこんな風に言うんだよ」

 

「ああ、喋ってる……!」

胸がいっぱいになります。あの暗闇にいた日々が、まるで嘘のようです。

 

自信を取り戻した長男はお友達も増え、自分から誘って出かけるなど積極的に仲間と関わるようになりました。

 

今は、通信制高校の2年生。

起き上がれなかった頃の彼とは別人になり、ようやく「本来の自分」を生きはじめた気がするのです。

◆自分で決めた道を、自分の力で歩む

「俺も、普通高校に行けたのにな」

あるとき、長男がつぶやきました。

 

「うん、きっと行けたと思うよ。でもね、今の学校でいろんな人と関わりながら、自分らしく生きてる。それって、本当にすごいことじゃない?」

わたしは、心から言いました。

 

普通高校が“正解”というわけではありません。

長男が通う通信制高校では、スクーリング・テスト・レポートの三本柱を自分で計画し、管理しながら進めていかなければなりません。すべては、自分次第。

 

「絶対3年で卒業する」

長男はそう宣言し、今も目標に向かって着実に歩き続けています。

 

レポートの提出も出席も、すべて問題なく順調。

誰に言われるでもなく、自分の頭で考えて歩む姿に、ただただ感動するばかりです。

◆暗闇の先で気づいた、かけがえのない今

——あのとき、ココロ貯金に出会えて本当によかった!

今、心から思います。

 

親と話さなくなる年頃だと聞きますが、わが家では毎日、自然に会話が弾んでいます。

長男も機嫌よく、笑顔で過ごす毎日です。

 

そしてわたし自身も、母親としての自信を取り戻すことができました。

長男の元気がないときは自分の力不足に落ち込み、長男の成長にあわせて、わたしの自己肯定感も上がっていきました。

 

絶望の中でもがいた時期があったからこそ「あたりまえの日常」が尊く、しみじみと幸せをかみしめる毎日です。

 

暗闇をさまよう過去のわたしへ。

——大丈夫! もうすぐ“心を育てる”方法に出会うから。

 

暗闇の先に光に満ちた未来があると、伝えてあげたい気持ちです。

◎お母さんが実践したココロ貯金

・“大好き”を伝えるスキンシップ

・長男の言葉をそのまま聴く

vol.33 部屋…

引きこもり

――そろそろ、空気を入れ替えたほうがいいかもしれない。
軽く息を吸ってから、娘の部屋のドアを小さくノックしました。返事がないのは、いつものこと。ほん
の少しだけ扉を開けた、その瞬間――、
「入ってくんな」
鋭い声が飛んできて、胸の奥がぎゅっと縮むのがわかりました。
高校2年生の冬休みが明けてすぐ、娘は学校へ行かなくなりました。いつも機嫌が悪く、話しかけても
返ってくるのはトゲのある言葉ばかり。会話はもう、成り立たなくなっていました。
一日中、ほとんどの時間をベッドの中で過ごす。
お風呂にも入らない。
部屋からはまず出てこない。
娘はまるで、人として生きるための営みを放棄してしまったように見えました。

【お母さんのプロフィール】

現在高校3年生の女の子のお母さん。お嬢さんは高校2年生の1月から不登校に。
子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが高校3年生の6 月。

不登校の兆候

学校をぽつぽつ休むようになったのは、高校2年生の10 月頃からです。
夏休みの明けのテストが終わると塾に行きはじめましたが、
「わたしは行かない」
そう言って、すぐに辞めてしまいました。
はっきりした理由はわかりません。けれど、ちょうどその頃から、学校を休む日が増えていったように
思います。
部活動は陸上部のマネージャーをしていました。
活動が活発な部で、土日も毎週あったり、雨の日でも外でやったり。
練習がない日でもマネージャーだけ行くこともあり、忙しそうにしていました。
そんな慌ただしい日々を、明るく朗らかに過ごしていた娘。
「部活もがんばるし、大学受験もがんばる」
前向きな彼女の言葉を、頼もしい思いで聞いていたのです。

止まった時間

それなのに、今は……。
学校に行けなくなっただけでなく、親子の会話すらできない状態。
――いったい何が起こったの?
娘の急激な変化を、わたしはなかなか受け止められませんでした。
気がつけば季節はめぐり、窓の外では明るい日差しを受けて葉桜がゆれています。
けれども家の中は冷え冷えとしていて、時間も季節も止まってしまったようでした。
かろうじて3年生に進級できたものの「不登校」の状況は変わりません。
勇気を出して娘に話しかけるたびに、刺々しい暴言が返ってきます。しだいに疲弊し、娘との会話を避
けるようになっていきました。接点が減るにつれ、どうすれば彼女の心に触れられるのか、ますますわ
からなくなってしまいます。
まるで暗闇の中にひとり取り残されたような、八方を塞がれたような、つらい気持ちでした。
ここから抜け出すには自分で動くしかない。
頭ではわかっているのに、どう動けばいいのかわからない――。
そんなときに出会ったのが「ココロ貯金」でした。

会話がなくても

東ちひろ先生の発信を追うようになり、真っ暗だと思っていた場所に小さな灯りがともった気がしまし
た。
どんな状態でも、たとえ会話がなくても「ココロ貯金」はできる。
その考え方に、深く救われました。
「〇〇ちゃん、おはよう! 起きたんだね」
名前を呼んで、挨拶をする。
目に入ったことを、そのまま言葉にして“実況中継”する。
ただそれだけの関わりで、子どもが前に進む力をチャージできるというのです。
また、娘の好きなご飯をつくってあげる“腹貯金”もできるだけ心がけました。娘は好き嫌いがはっきり
しているので、とてもよかったと思います。
ささやかなココロ貯金を重ねていくうちに、ピリピリしていた娘の空気がやわらいでいきました。やが
て少しずつ会話が戻り、彼女が抱えていた思いも知ることができました。
「大学に行かないのに、高校に行く意味がない。だから高校はやめたい」
娘なりに考え、一般的な価値観や親の期待を感じて、葛藤していたのかもしれません。

スイッチ

6月。
子育て心理学カウンセラー養成講座に通いはじめて、間もない頃のことでした。
学校の先生から、一本の連絡が入ります。
このままでは、あと〇日で卒業がむずかしくなる――
そんな現実を、静かに突きつけられました。
――とうとう、このときが来てしまった。
覚悟を決めて、娘に伝えます。
ところが意外にも、娘はある程度の出席日数を把握しており、置かれた状況もわかっていました。
そして、さらに驚くことが起こります。
その日を境に、毎日、学校に通いはじめたのです!

自分をつらぬいた夏休み

夏休みになると、娘の学校では、ほとんどの生徒が補習授業に通います。
6月、7月とほぼ毎日登校した娘でしたが、夏休みの補習は一切参加しませんでした。
空いた時間で、料理をしたり、お化粧の練習をしたり、ネイルに触れてみたり。
自分が「やりたい」と思うことにたっぷりと時間を使い、機嫌よく過ごしていました。
まわりのお友達はほぼ全員が補習に参加していたので、
「どうして行かないの?」
とたずねると、娘はあっさり言いました。
「授業を聞いてもわからないから」
受けても意味がない。
わからないまま座っているのが苦痛なのだ、と。
以前の娘なら、まわりに合わせて無理をしていたと思います。それを思うといい意味での図太さが備わ
り、自分を守る力が育ってきたように感じました。

未来へ

そして今。
驚いたことに娘は、大学への進学を希望しています。
「やっぱり大学に行きたい」
そう言って、勉強にも向き合うようになりました。
理由は、「大学生になりたいから」。
それだけです(笑)。
――どうか、高校だけは卒業させてください。
そう祈っていた一年前のことが、ずいぶん遠い出来事に思えます。
娘の暴言に傷つき、無力な自分に落ち込んでいたあの頃……。
当時の娘は、確かに大きな壁の前で立ち尽くしていました。
けれど、ココロ貯金で心が満たされはじめると、気がつけば自分の力で、その壁を越えていたのです。
親は、子どもの問題を解決することはできない。
子どもの心が動き出すまで、ただココロ貯金を続けるだけ。
ああ、それでよかったのだと、今はそう思っています。

◎お母さんが実践したココロ貯金

・名前呼び+挨拶
・実況中継
・腹貯金
・補習を受けないなど子どもが周りと違う行動をとっても、ただ見守る

vol.32 玄関…

■急変

その日は突然訪れました。
息子が小学2年生になって間もない普通の朝。
学校へ送り出そうと玄関に出た瞬間、息子の全身の力がふにゃふにゃっと抜け、くずれ落ちるようにしゃがみこんでしまったのです。そのままの体勢で泣きだす息子。
どんな声をかけても石のように倒れたまま、立ち上がることができませんでした。
今思えば、クラス替えで仲のよいお友達と離れてしまったのが、原因だったかもしれません。
お友達がいない。誰も話しかけてくれない。自分からは行けない。休み時間はひとりぼっち……。
学校でかくれんぼをしたとき、ずっと見つけてもらえなかったことがあったそうです。先生にも友達にも誰にも気づいてもらえず、「ひとりぼっち」の孤立感が深まってしまったのかもしれません。

【お母さんのプロフィール】

小学3年生の長男くん、小学6年生の長女さんのお母さん。長男くんが小2の4月、突然学校に行け
ない状態に。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男くんが小2の秋。

■息子を置いて

息子の足は学校から遠のき、ゴールデンウィーク前には一切行けなくなってしまいました。
——明るく元気な子だったのに、何がおこってしまったの?
学校へ行こうとすると全身の力が抜けてしまう息子に、「行こうよ、行こうよ」と励ましたり、「何が嫌なの?」と原因をきいてみたり。
そのうちにイライラしてきて、「理由がないんだったら行けるじゃん」と腕を引っぱりますが、反応がありません。
わたしは勤めているので、電車に乗り遅れないかと気が急きます。仕事に穴はあけられず、泣く泣く息子を置いて会社へ向かう日々でした。

■食べない飲まない

息子のことが心配で会社から電話をしても、応答がなく不安がつのりました。
ご飯も食べず、水分すらとっていない様子の息子。
どれくらい飲んだかわかるように水筒を準備していましたが、まったく減っていないのでした。お菓子もフルーツも食べず、たた横になっているだけ。目で見てわかるほど、やせ細っていきました。
先生が電話で様子をたずねてくださっても、
「すみません、今職場にいますので」
としか応えられない自分が情けなく、落ち込むばかり。
——どうしたら、いいんだろう。
——なぜ、こうなってしまったの?
不安ばかりが広がっていきました。

■ココロ貯金のシャワー

「ココロ貯金」に出会ったのはそんな頃。藁をもつかむ思いで子育て心理学カウンセラー養成講座に申し込み、秋口から受講できることになりました。1回2時間の講座でたっぷりとココロ貯金のシャワーを浴び、通勤時にはいただいた動画で勉強します。
——そうだそうだ! 今日もがんばろう。
不思議と勇気がわきました。
ある日、講座で習ったように息子のふくらはぎをさすってあげると、気持ちよさそうな顔をしました。
「ママ、もっとさすって」
ご飯はいらない。お風呂にも入らない。無気力になり、何も求めなくなっていた息子の「〇〇して」
という言葉は、本当にうれしく感じました。それからは時間があれば、息子のふくらはぎを、なでなで。
マッサージを受ける息子は、何とも言えない穏やかな表情をしていました。

■先生達の協力

マッサージや承認を続けていくと、10 月には放課後登校ができるようになりました。
先生が昇降口まで来て、明るく声をかけてくださいます。調子がよければ教室まで行き、
「今日は何時におきたの?」「ごはんは食べた?」「次いつ会える?」
など、少しだけ会話して帰ってきます。
また、とても親身になってくださる先生で、ほとんど学校に行けなかった1学期分の通知表をいただけたのです。多くは斜線が入っていましたが、数箇所だけ印がついていました。息子はとてもうれしかったようです。2学期の最終日は「通知表をもらうんだ」と言って、ラスト 30 分だけ学校に行きました。
「Aくんは次の順番だから、ここで立ってるんだよ」
クラスの子が教えてくれます。一人ずつ廊下に出て、先生から一言いただいて通知表を受け取るスタイルのようで、恐らく上手にほめてくださったのでしょう。ニコニコしながら戻ってきました。
「ママ、成績ついてたよ」
限られた教科だけでしたが、誇らしげに報告してくれました。教室の後ろで見ていたわたしは、あふれる涙を止められず、マスクで顔を隠しました。
「Aくんが来てクラス全員そろったから、写真をとりましょう」
担任の先生が写真をとっていると、学内を巡回していた校⾧先生と教頭先生が「それはいいな、先生 もとっていいかな」などと言いながら加わり、「やりましたね」という表情で、わたしに目配せしまし た。

■Aくんはクラスメイト

3学期も放課後登校を続けていましたが、通知表を受け取った日の登校が後押しになり、たまに時間 内にも行けるようになりました。
ありがたかったのは、担任の先生が
「Aくんはお家で勉強しています。でも、みんなのクラスの一員です。いつ学校に来てもおかしくありません」
といつも言い続けてくださったこと。
おかげでたまに学校に行くと、クラスの子達がごく自然に、温かく迎えてくれました。
「あ、Aくん来た」
「席はここだよ」
子ども達のやさしさに救われて、教室の後ろで泣きました。
3月には週1~2回、4時間目から学校に行き、給食を食べて帰れるようになりました。
「3年生になったら、俺、学校に行く」
担任の先生に宣言したそうです。

■「配慮してもらう」のはよい? 悪い?

「クラス替えについて、学校に配慮してもらって何が悪いんですか。いいじゃないですか、行けるようになれば」
講座で相談すると、ちひろ先生は背中を押してくださいました。ところが夫は、
「社会に出たらどんな状況でも、たくましく生きなければならない。配慮をお願いするのは、ちがうと 思う」
という意見。夫の意見ももっともな部分があり散々悩みましたが、勇気を出して相談に行きました。 「どうぞ、どうぞ」
校⾧先生は温かく、じっと話を聴いてくださいました。
「この場で『必ずいい先生をつけます』というお約束はできません。ですが、状況はよくわかりましたし、お気持ちもわかりました」
思いやりにあふれた言葉が心にしみました。

■始業式の日

4月。3年生になった最初の登校日、息子は普通に学校に行きました。
「朝から登校しました。色々ご対応いただき、本当にありがとうございました」 学校にお礼の電話をして担任の先生にご挨拶していると、「少しお待ちください」と言われ校⾧先生 に替わりました。
「Aさん、校⾧です。やっと言える日が来ました。指導力抜群の担任をつけましたから、安心してください!」
熱いものがこみあげました。

■息子の変貌

息子は別人になりました。
朝は自分で起きて、服選んで 鼻歌をうたいながら身支度します。わたしが送らなくても、登校班の お友達と学校に行きます。
表情も生き生きとして、いつもニコニコ。
土日にお友達と遊びたいと思えば、「遊ぼ?」と自分から声をかけ、家に招いて遊びます。
「宿題を終わらせてからお風呂に入る」
「あと 30 分やったらゲームはやめる」
宿題もお風呂もゲームの終わりも、自分で決めてできるようになりました。ココロ貯金と先生方のご協力には感謝しかありません。

■もうひとつの変化

ふくらはぎのマッサージは、寝る前の習慣になりました。承認や声がけも、忘れず心がけています。
講座を受ける前は何をしたらよいのかわからず、ネットで調べても答えは出ず、その場その場で漠然と対処するしかなかったのですが、今は「わたしができること」が明確になりました。
実は、ココロ貯金で変わったのは、息子だけではありませんでした。
殺伐としていた夫婦仲がよくなったのです。
以前は会話がほとんどなく、夫もわたしも息子の不登校に引っぱられて、ウツっぽくなっていました。 息子だけではなく、自然に夫のココロ貯金もためていたらしく、今では家族みんながよく笑います。
さらに職場でも、「あ、これココロ貯金をあげた方がいいな」と感じることが増えたのです。
「あちゃー、これは貯金不足かな」とわかるので、頼まれたわけではないのですが、どんどんココロ貯 金を配っています^^

◎お母さんが実践したココロ貯金

・ふくらはぎのマッサージ
・承認や声がけ
・学校の先生との連携プレー

vol.31 二度…

突然の不登校

ある日、いつものように中学校へ行った娘が、ほどなくして戻ってきました。
「足が痛い。それに、ちょっと忘れ物しちゃった」
なんだか腑に落ちない理由です。
――それくらいなら、遅れてもいいから学校に行ったら?
そんな気持ちが頭をよぎりました。
しかし娘はそのまま学校を休み、次の日も、またその次の日も、学校へ行こうとはしなかったのです。
「今日は行けるかな」というわたしの願いをよそに、気がつけば一週間。
理由がはっきりわからないまま、娘の時間だけが止まってしまったように見えました。

【お母さんのプロフィール】

二人きょうだいのお母さん。現在高校1年生の長女さんは、中学3年生の5月から不登校に。
子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが高校1年生の頃。

進路への不安

「中間テストを受けさせてください」
テストを目前に控えたある日、担任の先生からお電話がありました。
娘の通う中学校は、中高一貫教育の付属校。ちょうどその時期――中学3年の1学期の成績が、高校進学にあたって考査の基準になる、というのです。
学校に行けなくなっただけでも不安なのに、このままでは付属高校へ進めないかもしれない。
あまりにも突然で受け入れがたい事実に、頭が追いつきません。
焦ったわたしは、娘を説得しようと試みました。
「こんなことで、いきなり付属高校への道を閉ざされるのは、ちょっとないんじゃないかな」
その瞬間。
娘は耳を塞ぐようにして「きゃあ」と声をあげ、頭を抱えこんでしまったのです。
明らかに、いつもの娘ではありません。
強い不安に飲み込まれたように体を丸めて震えています。呼吸も浅く、苦しそう。まるで酸素を求めるかのように、ベランダへ這い出ていく娘……。
この子の中で、わたしの想像を超える何かが起きている。
言葉にできない不安が、胸の奥で静かに広がっていきました。

告白

それからは登校をうながすことさえためらわれ、何もできないまま、時間ばかりが過ぎていきました。
「ドライブでも行こうか」
ある日、気分転換になればと、暗い表情で過ごしていた娘を外に連れ出しました。
夜景を見ながら2時間ほど経った頃。
娘がぽつりと言ったのです。
「高校を受験したい。今の学校には行きたくない」
娘が通っていた学校は、よくも悪くも進学校でした。
3年生になってまだ1か月半なのに、すでに2度も東大に進学した卒業生の講演があり、「ガリ勉して合格した話」を何度も聞いたそうです。
真面目すぎるほど真面目な娘。
このままここにいたら、中学でも高校でも「いい大学」を目指して走り続けなければならない――そんなふうに感じてしまったのだと思います。
「受験したい」という言葉はきっと、勇気をふりしぼって口にしたはず。
これは否定してはいけないと、直感的に感じました。
「わかった。否定はしないよ」
前置きをしてから、続けました。
「ただ、もう何日も学校に行ってないよね。受験するにしても、内申点が必要になると思うよ。一度、冷静に整理した方がいいし、いきなり付属校への進学の権利を手放すのは、リスキーだと思う。だから少し落ち着いて考えよう」
否定はしませんでした。
けれど、娘の思いをそのまま受け止めたわけでもありません。
あのときのわたしには、それが精一杯の返答でした。

中間テスト

「わかった。中間テストはがんばって受ける。勉強はしていないけど」
娘はわたしの言葉を受け入れて、学校へ向かいました。
ところが――
2日目に帰宅した途端、熱を出してしまったのです。
無意識の防衛本能みたいなものなのでしょうか。副鼻腔炎も併発し、3 日目のテストは受けられませんでした。
その後、1日登校して、次は4、5日続けて休む。
そんな状態が続きました。
今になってふり返ると、あの頃の娘は、まるで燃え尽きる直前の線香花火のようでした。
もう限界だと思った翌日にふっと持ち直し、休んでいた日に行われた体育のテストをひとりで受けに行ったこともありました。
塾からいつもより遅く帰ってきた日には
「先生と話して盛り上がっちゃった」
と、妙に明るい声で話してきたこともあります。
あまり見ないテンションにどこか違和感をおぼえたこの日の翌日から、娘はピタッと学校に行かなくなりました。
5月の末のことでした。

葛藤

もう無理はさせられない。
娘が押し殺してきた苦しさが、そばにいるわたしにもひしひしと伝わってきました。
朝起きられず、気力も感じられません。
怒られるのではないか、否定されるのではないか。
そんな恐怖を抱えているのか、張りつめた緊張感が全身ににじんでいました。
これは、どうしたらいいのだろう。
“不登校”には、どう向き合うのが正解なのだろう。
日常は、あまりにも突然に変わってしまいました。
高校受験という選択肢も、それまでは考えたこともありません。
様々な問題が一挙に押し寄せてきたようなプレッシャーに、息が詰まりそうでした。
本当に、どうしたらいいんだろう。
わたし自身も、かなり追い込まれていました。
それでも、娘には下手なことを言ってはいけない――
そのことだけは、感覚的にわかりました。
娘はほとんど話をしません。
ただ、食事はとっていましたし、朝も顔を見せてはくれます。
一日の多くを静かに部屋で過ごす。
そんな日常が、淡々と過ぎていきました。

さらなる苦しみ

学校がスクールカウンセラーの先生を紹介してくれて、お話を伺ううちに、いくつかのことがわかりました。
今の中学校は、たとえ付属高校へ進めなくなっても在籍はでき、卒業もできること。
東京都には、チャレンジスクールという不登校専門の学校があり、ほかにも通信制高校など、受験勉強
をしなくても入学できる選択肢があること。
「行き場がなくなるわけじゃない」
少し肩の力が抜けました。
家に帰りその話を娘に伝えると、娘もまた、目に見えてほっとした様子を見せました。
とはいえ、気持ちは簡単には定まりません。
声をかけてくれるお友達もいて、娘の心は揺れているようでした。
「今、期末テストの勉強してるから来ない? 一緒に上に上がろうよ」
そんなふうに誘ってくれる子もいました。
悩んだ末に娘は、
「期末テストも受けないことにした」
自分でそう決断しました。
けれども、その直後から、娘の心と体は大きく崩れていきました。“普通”というレールに乗らない選択は、まだ中学生だった娘にとって、想像以上に重い決断だったのかもしれません。
めまいが続き、昼夜も逆転。
7月から9月までの3か月は、非常につらい状態が続きました。
今ふり返っても、あの頃がわたしにとっても一番つらい時期でした。
夏になると、さまざまな学校で説明会がはじまります。
けれども娘はどこにも参加することなく、11 月が来ても、鉛筆を握ることすらありませんでした。

全日制の高校へ

「高校ね、必ずしも来年から行かなきゃいけないわけじゃない。ただもし行きたいなら、見学しないと決められないよ。どうする?」
思い切って娘に伝えてみました。
すると娘は、少し強い口調で言ったのです。
「高校は行くって言ったじゃん」
その言葉には、決意のようなものがにじんでいました。
そして、チャレンジスクールや定時制などいくつかの学校説明会に、少しずつ足を運ぶようになりました。
さまざまな学校を見学する中で、次第に希望が定まっていきます。
「やっぱり全日制の高校を受けたい」
「友達とわちゃわちゃしたいし、青春したいし、できれば恋愛だってしたい」
そんな思いを持ったようです。
内申点がほとんどなかったため、中学校の先生に相談して課題提出で補填していただいたり、登校日数よりもテストの結果を重視してくれる学校を探したり。12月からは再び塾にも通いました。
正直とても大変でしたが、なんとか全日制の高校への進学が決まりました。
――色々あったけれど、これでようやくトンネルを抜けた……!?
娘の気持ちを尊重し、ともに歩いた数か月。
希望をかなえる形で進学が決まり、わたしは明るい気持ちで春の訪れを感じていました。
けれども。 受験の合格は、ゴールではなかったのです。

二度目の不登校

明るい気持ちは、長くは続きませんでした。
入学して1か月ほど過ぎた頃、娘はまた、学校に行けなくなってしまったのです。
――これは簡単には行かない。
直観的に感じました。
いくつもの山を乗り越えた先の挫折だったため、娘の落ち込みは大きく、わたしの心も折れそうになりました。
そして強く思ったのです。
――子どもへの向き合い方を見なおさなければ。
ただ学校に戻ることを目指すのではなく、もっと根本的なところ――考え方を変えたり広げたりしながら、この子にとって最善だと思える道を探したい、と。
わたしの接し方に、よくないところがあったのだろう。
でも、わからない。
これまでも、散々自分を責めてきた。
本も読んだ。
でも――。
やり方を変えたいと思うのに、どう変えたらいいのかがわからない。
ぐるぐる、ぐるぐる。
答えの出ない問いばかりが、頭の中を巡り続けていました。
そんなとき東ちひろ先生のご発信に出会いました。駆け込むような気持ちで、子育て心理学カウンセラー養成講座の門をたたいたのです。

初期のハードルが低いココロ貯金

ココロ貯金がとてもよかったのは、簡単で行動にうつしやすいところ。具体的ですぐに使えて、子どもの成長に応じて形を変えていける、珠玉のメソッドだと思います。
講座を受けはじめた頃、娘は二度目の不登校にとても落ち込んでいて、心が塞ぎがちでした。
彼女の場合、調子が悪くなると睡眠の質が落ち、乱れてきます。
そもそも睡眠不足で、ぼうっとしていたり機嫌が悪かったりする。
そんな娘を相手に高度なことを言われても、できる気がしません。
また、感受性が鋭い子なので、変に持ち上げるのも、ほめるのも逆効果。
そんな娘に対しては、ただ“実況中継”すればよいココロ貯金が、とても現実的な方法でした。
「あ、お風呂入ったね」
「あ、食べたね」
他には名前を呼びかけてから挨拶をするなど、さりげない声がけなので、無理なく自然体で続けられます。
ささやかな関わりを重ねていくうちに娘の情緒は少しずつ安定し、眠りの質も上がっていきました。

娘の今とこれから

「復帰は難しいから、違う形にしたい」
高校1年の5月に再び学校に行けなくなった娘は、2学期がはじまる前にそう話し、12月に通信制の学校に転校しました。娘のスピードに合わせて、ときには立ち止まりながら歩んで来られたことは、よかったなと感じています。
今、娘はとてもいい表情をしていて、目にも力が宿っています。
通信制のカリキュラムの流れを大まかにつかみ、自主的に勉強して課題を提出する――
そんな日々にも、少しずつ慣れてきたようです。
ココロ貯金は、娘とわたしの「信頼貯金」でした。
小さな関わりを重ねていく中で積み上がった信頼が、娘の自己肯定感をゆっくりと育ててくれたのだと思います。
まずは具体的で実行しやすい子どもへのアクションからはじめる。
長い受講期間の中で、何かしらの変化があらわれる。
子どもの成長に合わせて、少しずつ関わり方を整えていく。
それらの過程の要所に、お母さんの心を癒すメニューも用意されている。
親と子、両方のケアがサンドイッチのように組み込まれているこの構成に、わたしは本当に救われました。
これから先、娘がどんな道を選ぶのかは、まだわかりません。
いつか心から「これをやりたい」と思えるものに出会ってほしい。
今は明るい気持ちで、そう願っています。

◎お母さんが実践したココロ貯金

・実況中継
・名前呼び+挨拶
・子どものペースを尊重してゆっくり歩むこと

vol.30 不登…

学校に行けなくなったサッカー少年

乾いた音声が流れ続けるYouTube。
その画面をぼうっと眺めている息子。
明るくサッカーが大好きだった息子は、中学2年の終わりから学校に行けなくなりました。
原因はお友達とのトラブル。
終日無気力に、YouTubeかテレビを眺めているだけ。 全身で放っているのは「話しかけてくれるな」というオーラ。
不登校の原因はわかっていても、どのように関わればよいのか全くわかりませんでした。
ただ、昼夜逆転して健康を損ねてしまうのはこわい。 ある晩、覚悟を決めて携帯を取り上げると、恐ろしい剣幕で怒り狂いました。
テレビを消されて気持ちが荒ぶり、サーキュレーターを蹴り飛ばしてドアに穴が空けたことも。
——これは、やってはいけないヤツだ。
携帯は返却。
ハッパをかけようとガミガミと叱ってみたこともありましたが効果なし。
よい結果を生まない関わりは肌で感じて理解しましたが、元気な息子に戻す術がわかりませんでした。
動かないので食事の量も減っていき、心配は募るばかり。
少し前までは毎日サッカーをして、お腹ペコペコで帰ってきていたのに……。
わたしの子育てが間違っていたのかもしれない。
明るかった子が変わってしまうと、家の中は冷え冷えとして火が消えてしまったようでした。

【お母さんのプロフィール】

大学1年生の息子さんのお母さん。中2の終わりに学校に行けなくなった息子さんは、中3の6~7月まで不登校に。その後もメンタルの浮き沈みがつづいたが、ココロ貯金で乗りきる。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは息子さんが中3の冬。

2つの出会い

わが家の危機を救ってくれたのは、2つの幸運な出会いでした。
ひとつめの幸運は、スクールカウンセラーさんとの出会い。
とても頼りになる先生で、学校に通えなくなった子ども達の居場所を作ってくれていたのです。息子もそこに通うようになり、先生は息子の話を真剣に聴いてくださいました。そして学校の先生と連携して、お友達とのトラブルを解決してくださったのです。こうして中学3年の7月には、息子は学校に戻ることができました。
もうひとつの幸運は、同じ年の秋にわたしがココロ貯金と出会ったこと。
子育て心理学カウンセラー養成講座で本格的に学びました。
学校に戻れたとはいえ、まだまだ息子の情緒は不安定。
相変わらず接し方にとまどうばかりのわたしでしたが、ココロ貯金を学んだことで「何をすべきか」がわかり、落ち着いて子どもに関われるようになったのです。

ココロ貯金で変わったこと

「しっかり勉強してこの子を変えなければ!」
意気込んで講座を受講しましたが、変わったのは息子ではなくわたしの意識でした。
「息子を変える」のではなく、自分にできること(ココロ貯金)をするだけでいいのだと、ガチガチだった肩の力が抜けました。
すると不思議なことに、ごく自然に息子が変わっていったのです。
復学しても足が遠のいていたサッカークラブに再び通うようになり、最後までつづけることができました。勉強面でも「高校には行きたくない」と言っていたのに、「隣町の高校を受験したい」と言い出すまでに。
実は中高一貫校に通っていたので、簡単な試験を受けるだけで進級できる環境でした。ましてや半年間学校を休んだブランクがあったので「チャレンジャーだな」と、とても驚きました。
季節は10月。1月の試験まで4カ月もありません。
けれども息子は猛勉強をはじめたのです。
——わたしにできるのは、ココロ貯金だけ。
アドバイスなどは一切せずに、息子の好物を作って腹貯金。
話を聴きながらサッカーで疲れた体をマッサージするのも、気持ちがゆるむようでした。
顔を真っ赤にして帰ってきた寒い日は
「顔赤いけれど、寒かった中よくがんばったね」
「サッカーしながら、勉強もよくがんばっているね」
名前を呼んで、ねぎらいの言葉をかけました。
やる気のアップダウンはありましたが、正月返上で塾にも通い、見事合格!
わが子ながらあっぱれでした。
ところが。
「楽しい、楽しい」と言っていた高校生活は1~2カ月後には終わりをつげ、ココロ貯金をたっぷり与えつづけないと、息切れしてしまうような事態が待っていたのです。

対人関係のつまずき

隣町の学校だったこともあり、クラスには知っている子が一人か二人。
もともと対人関係に不器用な息子です。
周りの子や先輩となかなかうまくいかず緊張がつづいたことから、部活に遅刻したり、授業中に寝てしまったり。監督や先生に目をつけられる機会が増えてしまったのです。
客観的に見ると注意せざるを得ないと思うのですが、本人は納得していない様子。
「自分ばっかり注意される」
とよく愚痴っていました。
毎日毎日、家で文句を聴きながら、好きなものを食べさせて。
すると翌日には、なんだかんだと言いながらも、起きて学校に行きました。
ただ、ふだんはそんな調子でしたが「本気でヤバイ」と感じたときには、想像以上の力を発揮することもありました。1、2学期の成績が散々だった息子は、12月にこっぴどく先生に怒られて帰ってきました。3学期の試験は1回だけ。
そうなると、いきなり猛勉強をはじめます。成績もV字回復して
「がんばったね。もう大丈夫!」
と先生のお墨付きをいただきました。
するとまたふっと力が抜けてトーンダウン……というように、ふり幅の大きい息子のメンタルを、ココロ貯金で支えつづけた高校生活でした。

息子の今

現在、息子は大学1年生。一人暮らしをしています。
高校2年生までは「家事はイヤだから家から通う」といっていたのに、3年になり「一人暮らし、できそうな気がする」と言い出しました。少しずつ自信がついていったのかもしれません。
大学生活は楽しいようで、サッカー部の練習や試合で土日も忙しく過ごしています。
「どんなご飯を食べているの?」
と聞くと、煮魚、ポトフ……など、けっこう豪華な写真が送られてきます。
最初の頃はカレー、カレー、カレー、の連続でしたが、いつの間にかレシピが増えていきました。
もともとユニフォームの洗濯は自分でしていたので、洗濯はお手のもの。
部屋もきれいに掃除されていて、意外にも生活がうまく回っているのです。

幸せじんわり

子どもにあげていたつもりのココロ貯金は、実は自分にもたまっていたのだと気づきました。
無理なく貯金をつづけていくと、子どもの情緒が安定します。話をしてくれるようになるので気持ちが通じ合い、以前にはなかった安心感があります。
子どもの気持ちの充実も、はっきりと感じられるようになりました。
こんなうれしいことってあるでしょうか。
また、ありのままの息子を認められるようになった今の自分を誇らしく思うのです。
息子は大丈夫。幸せな未来が待ってるよ。
自分を責めてばかりいた過去のわたしに、教えてあげたい今があります。

◎お母さんが実践したココロ貯金

・アドバイスはせずに腹貯金
・話を聴きながらマッサージ
・名前を呼んでねぎらいの言葉がけ
・思うところがあってもひたすら聴く

vol.29 AS…

タイプの違う兄弟の悩み

3年前のわたしは、発達の特性をもつ兄弟にほんろうされていました。
2人ともASDとADHD両方の特性をもっていますが、タイプはまったく違います。
・長男:ASDの傾向が強く、自分の気持ちを伝えるのが苦手⇒何を考えているのかわからない
・次男:ADHDの傾向が強く、暴言を吐き、暴力をふるう
長男はグズり、次男は暴れる。長男が学校に行けなくなったことに加え、日常生活がうまく回らないことがとてもつらく、メンタルを削られる日々でした。

【お母さんのプロフィール】

ASD・ADHDの発達特性をもつ兄弟のお母さん。
長男さんの不登校、次男さんの暴言・暴力に悩み、長男さん小5・次男さん小2の頃に子育て心理学カウンセラー養成講座を受講。現在お子さん達は、中学2年生と小学5年生。

幼児返りした長男

次男に関する悩みは、学校に行ける・行けないではなく、暴言と暴力でした。おそらく学校生活へのストレスから、荒れてしまったと感じています。
幼い頃はスキンシップが大好きなママっ子だったのに、別人格になってしまいました。
・些細なことですぐキレる
・「〇ね」と叫びながら壁を棒でたたく
・おもちゃ箱をひっくり返し、物を投げる
・わたしの髪を引っ張り、たたく
毎日「〇ね」という言葉を浴びる生活は、つらく悲しいものでした。
長男の幼児化、次男の暴言・暴力、不登校。
複数のヒモが絡まって、家の中も頭の中もぐちゃぐちゃです。
そんなときに出会ったのが「子育て心理学カウンセラー養成講座」でした。

キレやすい次男

中学に入ってからも、娘は神経をすり減らしていました。
女子校ということもあり、人間関係に気を使い、毎日3つは「雑談ネタ」を用意していくと言うのです。
とてもピリピリした状態だったのですが、コロナ禍での自宅学習に救われました。
他人を気にする生活から解放されて、とてもリラックスした様子で勉強にも意欲的に取り組んでいました。
しかし、部活動がはじまると事態は一変。
部内で仲間外れにされて心が折れ、中学3年の2学期から不登校になりました。
結局、3学期までずっと不登校。
勉強は好きでずっと続けてきたので、中高一貫の高校へは進まず、受験して私立の進学校へ進みました。

ココロ貯金①:長男には「背中こちょこちょ」

長男に効いたのは「ふれる」ココロ貯金です。
幼い頃からこちょこちょされるのが好きな子だったので、「ふれる」を心がけると見事にハマり大きな効果がありました。
実は、ココロ貯金に出会う前はすごく嫌だったんです。少し凹むことがあると「こちょこちょやって」と甘えてくるので、「もう5年生なのに?」と情けない気持ちでした。
けれども、ふれるのが良いことだと教わってひと安心。求められなくても、長男が近くにいるときは背中をさすり、チャンスがあれば「ふれる」よう心がけました。
「ママハンドル」の考え方にも助けられました。長男のタイミングに合わせると自分に負担がかかってしまうので、「自分ができるタイミング」でふれておこう、みたいな感じです。
すると長男は次第に落ち着きを取り戻し、不登校期間2ヶ月で学校に戻ることができました。

ココロ貯金②:次男には「承認」

長男に効いた「ふれる」ココロ貯金は、次男には役立ちませんでした。
近づこうとすると「シッ、シッ」と手で払われたり、中指を立てて「〇ね」と言われたり。
そばに寄れない状態だったので、心がけたのは“実況中継”や“興味関心”で次男を「認める」ことでした。
次男がゲームをしていたら、
「何やってるの?」
「楽しそうだね」
と声をかけます。
「一緒にやろう」
と誘うと、目を輝かせました。
「すごい! そんなこと知ってるの?」
「え、全然勝てない~」
一緒に遊んでみると、以前はひとつも出なかった「ほめる」言葉が出てきて驚きました。
イライラして怒ってばかりだった自分を反省し声がけを変えたら、次男が変わっていったのです。得意になってゲームのコツを教えてくれる姿を見て、ああ可愛いなと思いました。
「認める」コミュニケーションを続けていくと次男は徐々に落ちつきを取り戻し、キレることも暴言・暴力もいつの間にかなくなりました。
「ウンチ!」くらいは、ふざけて言いますけれど(笑)。

兄弟の今

あれから3年が過ぎ、兄弟は中学2年生と小学5年生になりました。
長男は学校が大好き。
バスケットボール部に入り、積極的に参加しています。
入部届けにサインを求められたときは、正直おどろきました。
「部活なんか入らない」と聞いていましたし、ASDの特性もあるので「集団競技、大丈夫かな」と不安だったのです(小学生の頃習っていたサッカーでは、ボールを追いかけず一人だけ反対側を歩いていま
した)。けれども心配は杞憂に終わり、部活や学校生活を満喫する姿を見てうれしさと頼もしさを感じています。自分が好きで興味があることなら特性を飛び越えて楽しめるのだと、学ばせてもらいました。
次男は、学校に行っていません。
長男が不登校になったときは「子どもが学校に行かない」という状況に初めて直面し、焦りや不安が大きかったように思います。しかし今は「学校がすべてじゃない」とわかっています。「できることをしていけばいいや」と思えるので、とてもラクです。
長男も次男も、なぜか頻繁にわたしの近くに寄って来ます。
かつては絶対に近づいてこなかった次男も、
「見て、見て」
とゲームの成果報告をしてきたり、わたしが作業している横にちょこんと座っていたり。
こんな穏やかに過ごせる日が来るなんて。
彼らもわたしもメンタルが安定して、とても生活しやすくなりました。
中2の長男は思春期まっただ中のはずですが、反抗されることがありません。
子ども達はやたら可愛いですよ。ただただ可愛い。

◎お母さんが実践したココロ貯金

・兄弟の個性に応じたココロ貯金
・「ママハンドル」で、できるときにココロ貯金
・背中をこちょこちょして「ふれる」
・“実況中継”したり、“興味関心”を示したりして「認める」

vol.28 他人…

わたしは自由に生きたかった

「全部お母さんが悪いんだ」
「わたしが今まで選んできたものは、全部お母さんに用意されたものだった」
仕事を終えて帰宅すると、娘の鋭い言葉が胸を突きました。
仕事は多忙で、受験を控えた高校3年生の娘とゆっくり話す時間はなかなか取れません。それでも、少しでも穏やかな会話ができればと願っているのに。
現実では、娘はいつもケンカ腰。
「全部お母さんのせい」だと、まるでナイフのような言葉がわたしの心をえぐり続けるのです。
医学部志望というプレッシャーがあるのはわかります。でも、それは彼女自身が決めたこと。わたし達は医者の家系というわけでもないし、進路を誘導した覚えもありません。むしろ、振り回されてきたのはこちらではないの?
「やりたいと思うことがあっても、お母さんに忖度して選んできた」
——え? そうだったの?
「わたしはもっと自由に生きたかった」
次々とあふれ出す非難の言葉に返す言葉がなく、立ち尽くすばかりでした。

【お母さんのプロフィール】

高校3年生のお嬢さんのお母さん。お嬢さんは中3の2学期以降不登校になったが受験し、私立の進学校に合格。学業面では心配がなかったものの、幼い頃から繊細で頭の回転の速いお嬢さんの言葉による攻撃が激しく、親子関係や心のケアに悩んで過ごす。巣立ち前の最後の機会にと子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが高校3年生になってまもない頃。

他人軸で生きていた少女時代

娘は小学校高学年の頃から、「誰々ちゃんが持っているから」「みんなが読んでいるから」と、他人の目ばかりを気にするようになりました。
「あなたはあなたのままでいいんだよ」
「人に合わせ過ぎなくていい。自分軸でいいんだよ」
くり返し伝えましたが、娘の答えは決まっていました。
「わたしの自分軸は他人軸なのっ」
当時10歳。 弁が立つ娘に言い返せずに、“通じ合えないさみしさ”みたいなものをずっと感じてきた気がします。

“解放”と不登校

中学に入ってからも、娘は神経をすり減らしていました。
女子校ということもあり、人間関係に気を使い、毎日3つは「雑談ネタ」を用意していくと言うのです。
とてもピリピリした状態だったのですが、コロナ禍での自宅学習に救われました。
他人を気にする生活から解放されて、とてもリラックスした様子で勉強にも意欲的に取り組んでいました。
しかし、部活動がはじまると事態は一変。
部内で仲間外れにされて心が折れ、中学3年の2学期から不登校になりました。
結局、3学期までずっと不登校。
勉強は好きでずっと続けてきたので、中高一貫の高校へは進まず、受験して私立の進学校へ進みました。

高校は通過点

せっかく高校へ入ったので、親としては部活なども楽しんでもらいたいなという気持ちがあったのですが、娘の気持ちは違いました。
「わたしにとって高校はただの手段。過程でしかないの」
「小学生のときからずっと、早く大学生になりたかった。大学に行って勉強することが自分にとって一
番大切な目標なんだ」
受験が終わった瞬間から「塾に行きたい」と言い出し、見学して気に入った塾に通いはじめました。
お友達関係については、かなりドライに割りきっている様子でした。
娘の入った学校は、幼稚園からある学校で9割以上が内部生。その輪の中に入っていくのはむずかしいから「もう気にしないで、とにかく勉強する」と決めました。
そんな変わった娘でしたが、たまたま塾が一緒になった子が声をかけてくれたり、指導力のあるすばらしい担任の先生がうまく取り立ててくださったりして、それなりによい高校生活を送れたのではないかと感謝しています

母、ラストスパートを決意

しかし、家でのわたしへの反発は増すばかり。
—–娘のことを一番に考えてきたのに、どこでボタンを掛け違えてしまったの?
考えると泣きたくなります。
「この子の親をやめられるのなら、離婚してもいい」
そう思ってしまうほど、しんどくて追いつめられていました。
けれども、ふと気づきました。
彼女は地方の大学を目指しています。
1年後には家を出ていき、簡単には会えなくなってしまう。
今の状態のままで、離れてしまっていいの?
——あと1年で何かできることがあるのなら、全力でやってみたい。
そんなとき、「子育て心理学カウンセラー養成講座」と出会いました。
今までの経験はいったん捨てて、ゼロから子育てを学ぶ。
学んだことを試行錯誤しながら、実践していきました。
ところが——。
娘にはなかなか響くものがなかったのです。

ひとつだけ効いたココロ貯金

最後にやっとたどり着いたのが、話を「聴く」ことでした。
以前から娘の話はちゃんと聴いているつもりでしたが、実は落とし穴があったのです。
彼女の話はむずかしいので、わからない言葉が出てくるとスマホで検索していました。
すると、
「お母さんは、わたしよりスマホの方が大事なの?」
「わたしのことは育てる気がないの?」
「育てる気がないのになんで産んだの?」
と全く違う角度からたたみかけてくるのです。
講座を受けてふと思いつき、スマホは玄関に置いて部屋には持ち込まないことにしました。
そして、娘が話し出したら、途中で口を挟まず最後まで言わせてあげるように心がけました。
少しでも意見を挟もうものなら「あなたの意見は求めてない」「その役割あなたに求めてない」
とややこしくなるので「うんうん」とうなずきながら、ひたすら聴き続けます。
ときには0時をまわっても、娘の話は続きました。
けれども、ひととおり話し終わるとすっきりした様子で「バイバイ」と部屋を出ていくのです。
だんだんとパターンが読めてきて、娘から「バイバイ」が出るのを待てるようになりました。
彼女の話はむずかしくてとても長い。
最後まで聴けたのはちひろ先生のおかげです。
娘が話し出すと、脳内にちひろ先生が出てきて「ココロ貯金を貯めるチャンスですよ」「チャンス、チャンス!」とささやくのです(笑)。

不登校、再び!?

娘の話をたくさん聴いて心の距離が縮まった気がしていた矢先——
「わたし、全力で学校休むから」
またしても、娘が不登校宣言をしました。
学校で受けた模試についてお友達と話していたところ、お友達のちょっとした言まわしに過敏になってしまったようです。模試のC判定にもショックを受け、パニックになっていました。
「今まで何もかもを犠牲にして学業に専念してきたのに、わたしは自分の努力に裏切られたあっ」
「これ以上、勉強も努力もできない」
そう言って、学校を休むこととなったのです。

不登校が好転のきっかけに

今回の“不登校”は、よい意味での分岐点になりました。
ふり返ると、たった1か月弱。
もちろん、当時は気が気ではなかったのですが。
「もう学校、辞めたい」と言われたときは、夫と3人で膝を付け合わせて話し合いました。
でもそのときに、ネガティブな感情を全部、わたし達に吐き出してくれたのです。
彼女はわたしに厳しいのと同じくらい、自分に対しても厳しかった。
気の毒なことに記憶力がいいので過去うまくいかなかった経験を全部覚えていて、自己否定につながっていました。
その18年分の悲しかったことや葛藤を全部、外に吐き出せたのです。
「大変だったね」
娘の思いを聴いて初めて、心から娘に寄り添えた気がしました。
この話し合いを境に、娘は大きく変わっていったのです。

娘の変化

「来週から学校行くから」
あっさり復帰を決めた娘の不登校明けは、模試ラッシュ。
1か月のブランクも響いて、当然結果はひどいものでした。
ところが、娘の様子はいつもと違います。
「もうボロボロ」などと言いながらも、ケロッとしているのです。
共通テストの模試については、これまで見たことないようなひどい点数。
こちらがドキドキしていると、「この共通テストはこけたの」とあっさり。
「でも、ここはできたんだ」
「ここは家で解いてみたら全問解けた!」
今までとは明らかに違う、前向きなセリフばかりが出てくるのでした。

わたしはわたしのままでいい

「へへーん」
ある日、茶目っ気たっぷりな表情で、娘がわたしの前にあらわれました。
「お母さん、わたし決めたんだ」
「わたしはヘンな受験生になります」
「どういうこと?」
とたずねると、
「わたしはわたしのままでいいんだ」
とにっこり。
実は、不登校中に打ち明けられた心の闇のひとつは、医学部志望の子に対するコンプレックスのような感情でした。医学部を受ける子はお医者さまのお子様も多くキラキラしていて、娘とのギャップはすさまじい。自分なんかが選ばれるわけない。それでも、小学生のときからずっと、自分が興味をもってきたのは医学の分野で、それ以外は考えられない——といったことでずっと悩んでいたらしいのです。
「わたしは他の受験する子たちと自分を比べて、自分は医学部にふさわしくない、自分なんかが選ばれるわけないって思ってた。だけど、わたしがやりたいことは彼女たちがやりたいこととは違う。だから、そもそも彼女たちと同じでなくてもいい」
「わたしはわたしでいいって、わかったの」
「だから“へんな人枠”を目指します」
うんうん、いいねと笑いながら、わたしは胸がいっぱいでした。

“ヘンな人枠”を目指した結果

それからの娘は、もう別人。
志望理由書や自己評価書など、さまざまな書類を書かなければならないのですが、どれもまあ面白いのです。他の学生さんはこんなアプローチはしないだろうというユニークな発想には、目を見張るばかり。
ずっと他人軸で生きてきた娘が
「わたし、このままの自分を保存したい」
と言いました。
模試の判定が芳しくないときも、
「お母さん、わたしまだここを伸ばせるんだ」
「これから、ここをがんばるんだよ」
とわたしに教えてくれるのです。
「だからお母さん、楽しみにしていてね」
うんうん、楽しみにしているよ。
お母さんにとっては、受験の結果はどうでもいい。
受験よりも大事なものを、あなたが自分で育ててくれたのが本当にうれしい。
今でも泣けてくるのだけれど、涙は巣立ちの日までとっておきます。

◎お母さんが実践したココロ貯金

・余計な意見は挟まずに、最後まで「聴く」

vol.27 AS…

◆学校はおばけ屋敷

息子が小学校に入学した年は、コロナ禍の真っただ中でした。
3か月の休校からはじまった小学校生活……。

 

「明日は学校あるの? ないの?」

「ぼくは保育園生なの? 小学生なの? 全然わかんないよ」

「ママ、ママ、ぼくはどうしたらいいの?」

 

ルーティンが大好きな息子にとって、先の見えない毎日はとても苦しいものだったようです。不安が積み重なり、やがて混乱へと変わっていきました。

 

通常登校がはじまってもパニック状態はおさまらず、毎日登校をしぶります。わたしも仕事があるので、息子の手を引っぱって無理やり登校させていました。

 

ところが、やがて——

校舎を見るだけでブルブル震えるようになってしまったのです。

「学校はお化け屋敷だ。こわいから行かない」

【宮治ゆみさんのプロフィール】

3人のお子さんをもつワーキングマザー。

まん中の長男さんは現在小学6年生で、ASD・ADHDの特性をもつ。

子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男さんが小学2年生の秋。

◆荒んでいく心

「学校は、何があっても行くもの」

当時のわたしはそう信じていたので、“不登校”をすんなりと受け入れることはできませんでした。同居している両親も気持ちは同じ。

 

家族みんなに「学校に行きなさい」と言われ続けた結果、息子はさらに心を閉ざし、学校への拒否感は日に日に強くなっていったのです。「行きたくない」は「行かない」に変わり、息子は家に閉じこもるようになりました。

 

家で過ごすようになっても、息子の心はどんどん荒れていきました。

お姉ちゃんと弟にちょっかいを出してはケンカになり、おじいちゃんに暴言を吐いて叱られる。

レゴブロックを、まるで豆まきのように部屋中にばらまいてしまったこともありました。人を傷つけ怒らせるような言葉を、わざと使っているような印象なのです。

 

そうかと思うと、幼い1年生らしからぬ悲しい言葉を口にします。

「困らせちゃってごめんなさい」

「ぼくなんて、生きている価値がない」

 

胸がしめつけられました。

この子の自己肯定感をこんなにも下げてしまったのは、母であるわたしなのかもしれない——。

 

それでも、やっぱり学校には行ってほしい。

先生やお友だちとの関わりの中で、たくさんのことを感じて学んでほしい。

 

願いと現実のあいだで、わたしの心は揺れに揺れていました。

迷いと葛藤の中でもがいていたとき——出会ったのが、ココロ貯金でした。

◆シンプルだったココロ貯金

すがるような思いで東ちひろ先生の本やブログを読み、無料カウンセリングにも参加、3カ月の子育て心理学カウンセラー養成講座を受けてみることにしました。

 

「えっ、これだけでいいの?」

講座を受けて驚いたのは、ココロ貯金の方法が想像以上にシンプルだったこと。

こんな簡単なことで本当に変わるのかと、正直、半信半疑でした。

 

それでも、まずはやってみよう。

「聴く」「触れる」「認める」

3つのココロ貯金を、わたしなりに、できることからはじめてみました。

 

今ふり返れば、最初に変わったのは息子ではなくわたしだったと思います。

“学校に行っていない”ことしか見えていなかったわたしでしたが、ココロ貯金を実践していくうちに、 “それでも、あなたが大好き”なのだと伝えられるようになりました。

すると、いつの頃からか息子の目が丸くなり、情緒も落ち着いていったのです。

 

このときの体験は、子育て心理学協会ホームページの「体験談」に載せていただきました。不登校をきっかけに仕事と家庭が回らなくなった当時の葛藤や、働きながら実践した「リモート・ココロ貯金」について書いています。

https://kosodate-up.com/1002195

◆スモールステップ

今回は、少しずつできることを増やしていった息子の歩みをお伝えしようと思います。

2年生のときは、本当に無理のないペースで“半歩ずつ”学校に近づいていきました。

 

  • 家庭訪問

ありがたかったのは、支援員の先生が週に1度、家庭訪問を続けてくださったことでした。

「来るな」

「出ていけっ」

当初は全身で拒否していた息子でしたが、大好きなポケモンを作ってくれたり手紙を書いてくれたりする先生に、少しずつ心を開いていきました。

 

「週に一回だったら、来てもいいよ」

などとえらそうに言って、先生の訪問を楽しみにするようになりました。

 

  • 校門前を通って散歩

ココロ貯金や先生の家庭訪問に救われて、息子の情緒は少しずつ安定していきました。やがて外にも出られるようになったので、よく一緒に散歩しました。

 

そんなときはひと工夫。

わざと校門前を通るルートで郵便局に行ったり、アイスを買いに行ったり。

先生が校庭に出るタイミングを教えてくださり、時間を合わせて体育の授業を見学することもありました。

 

「先生、手を振ってくれなかった!」

プンプンしながらも、“学校”への関心が少しずつ高まっていきました。

 

  • 忍者登校

ある日、息子が言いました。

「誰にも会わないなら、ぼく、学校に行ってもいいよ」

支援員の先生が、“学校での楽しいこと”を上手に伝えてくださっていたのです。

 

「じゃあ夕方、誰にも会わない時間に行ってみる?」

こうして、はじまったのが“忍者登校”。誰もいない時間帯にサッと行って、ササッと帰ってくるスタイルです。それが「給食を食べたい」という息子のひと言をきっかけに、給食の時間だけ学校に行くようになりました。

 

先生が用意してくださったのは、保健室の隣の静かな個室。カーテンとドアを閉めれば、完璧な“安心空間”が完成します。

こちらから無理に促すことはせず、見守っていると——

気づけばカーテンのすき間から校庭をのぞいていたり、閉めていたドアを少し開けて廊下の様子を見ていたりしました。

 

そのうちに廊下を通って給食を下げられるようになり、廊下で誰かとすれ違えば挨拶し、保健室にいる子とおしゃべりをする姿も見られるようになったのです。

 

「せっかくだったら保健室で食べてみる?」

調子のよい日は、保健室での給食タイムを楽しめるようになっていました。

 

  • 交換絵日記

「友だちと遊びたい」

ある日、息子がぽつりと言いました。

 

当時は同学年の子との交流は全くない状態。

「どうしたら友だちと遊べるかな?」と一緒に考えながら、少しずつアクションを起こしていきました。

 

まずは校門から手を振ってみること。

次は先生に協力してもらって、絵日記を交換してみること。

 

息子がカブトムシの絵を描いたときに、クワガタの絵を返してくれた男の子がいました。

「きみ、昆虫好きなの?」

 

一枚の絵からつながりが生まれ、ある日、その子が学校の先生と一緒に家を訪ねてきてくれたのです。息子は少し照れながら玄関にカブトムシを持ってきて、うれしそうに話をしていました。

 

  • 体育に合流

いつもの散歩の途中、体育の授業を見学していた息子がつぶやきました。

 

「体育、出たいな」

 

これはチャンス!

体操着にも着替えずに、私服のまま授業に参加させてもらいました。

その日の体育は4時間目だったので、給食の時間に突入。クラスの子たちに「給食は教室で食べようよ!」と誘われ、そのまま教室へ——。

 

このように先生やお友だちに助けられながら、息子はいつの間にか「学校はおばけ屋敷」だなんて言わなくなっていました。

 

・調子のわるい日は「別室登校」

・少し元気な日は「保健室登校」

・もっと調子がよい日は「教室登校」

 

その日の体調に合わせて、無理なく登校できる場所を選べるようになっていったのです。

◆ASDとADHDと診断され、薬を服用

2年生の夏、息子に大きな転機が訪れました。

発達検査を受けた結果、ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)という診断がついたのです。この診断により、放課後デイサービスの利用が認められ、徐々に人との交流や行動範囲が広がっていくことになります。

 

また、ADHD の衝動性や多動性を抑えるためのお薬を処方されました。
ところが、どうもうまくいきません。服用すると昼間に強い眠気が出てしまい、起きられずに学校を休む日が続きました。情緒を落ち着ける薬を飲むと、学校に行けない――本末転倒な状況に、親としても戸惑いました。

何度か主治医の先生とすり合わせした結果、2種類処方されていたうちの一方は、体質に合わないという結論に。もう一方の薬だけに絞り、「どのタイミングで、どの量を飲むか」を少しずつ調整していきました。そして、夜寝る前に服用すると翌日の血中濃度が安定することがわかり、ようやく息子に合ったスタイルが整っていったのです。

◆ココロ貯金で自然に減薬

ココロ貯金と薬の服用を続けていった結果、少しずつ教室で過ごせる日が増えていきました。3年生になると、おばあちゃん、おじいちゃん、夫……とわたし以外のつきそいも可能になり、わたしの負担感はぐっと軽くなっていきました。

 

「薬は最低限の1ミリでいいよ。飲まなくてもよいけれど、どうする?」

主治医の先生にそう言われたのもこの頃のことです。

 

いきなり止めてしまうのは少し不安。息子自身も飲んでいた方が安心する感じだったので、お守り代わりに少量だけ服用を続けることにしました。

 

つきそいが必要な時間は徐々に短くなり、送っていけば帰りは自分で帰ってくる日も増えていきました。ただ「ランドセルはいやだ」という不思議なこだわりだけは、なかなか手放せずにいました。

 

ところが、4年生のお正月。

「ぼく、ランドセルしょっていく」

突然宣言した息子は、冬休み明けから、ホコリをかぶっていた“ピカピカのランドセル”で登校するようになりました。以来ずっと、ランドセルで学校に通っています。

 

また、朝から下校時刻まで学校にいられるようになったのも4年生でした。

滞在時間が増えたぶん負荷も大きくなったようで、一時的に「ママきいて!」と不安を吐き出す場面が増えました。

でも、「そっかそっか」と寄り添いながら聴いていると、息子の気持ちはだんだんと落ち着いていくようでした。

 

3年生、4年生と進むにつれて、学校での負荷は確実に増えていったので、薬を止めるタイミングについてはなかなか踏み切れずにいました。

それでも、ランドセル登校を半年続け、息子も自信がついたのかもしれません。

 

小学5年生の夏。

主治医の先生が「もう薬を止めていいんじゃない?」とたずねたとき、息子はまっすぐに答えたのです。

 

「ぼく、もう薬はいらない」

こうしてついに——

薬を卒業したのです!

◆息子の今

息子は現在6年生。

薬を止めて9カ月が経ちましたが、落ち着いた日々を送っています。

 

授業には毎日参加。

例えば、6時間授業のうち1コマだけしんどいときにはその時間だけ保健室に避難して、うまく調整しています。

「今日の社会、あまり好きじゃないから保健室に行きます」といった調子で、朝、先生に宣言するらしいのです。発達特性のある子らしいな、と思うのですが。

 

6年生にもなると、まわりの子たちも「なんで保健室行くの?」などとは言わなくなりました。

息子の事情を理解して「そういう子なんだ」と受け入れてくれているのを感じます。息子が「ありがとう」をよく口にするからか、クラスでもあまり浮いていないようです。

 

「移動教室は苦手」

「こういうときは不安」

しっかりと言葉で伝えてくれるので、学校へフィードバックしやすく、わたしも無理なく調整役を担えるようになりました。

 

先生に送っていただいた1週間の予定をもとに、息子は予定を組んでいきます。

「火曜日はしんどそうだから、ここまでにしよう」

「この日は早退して、放課後デイサービスに行こう」

自分で考え、事前に伝えてくれるので、仕事も調整できるようになりました。

 

どうすれば心地よく過ごせるのか、息子自身が自分のトリセツをわかってきたように感じます。

サポートが欲しいときにはSOSを出せるようになった息子の姿が、とても頼もしく映ります。

 

小学校に入学したばかりのあの頃、あんなに苦しんでいた日々が嘘のように、息子は今、自分らしく学校に通っています。お友だちとの関係も親子関係も、穏やかであたたかいものになりました。

 

——ああ、心を育てるって大事なのだな。

ゆっくり、でも着実に歩んできた息子から、たくさんのことを教わった気がします。

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・学校の先生と連携

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vol.26 6年…

◆登校しぶりからはじまったSOS

「学校には行きたくない」

初めて息子がその言葉を口にしたのは、小学3年生のある朝のこと。

わたしも仕事があり焦る気持ちから、抵抗する彼の手を引いて無理やり登校させました。

 

その後も息子が登校をしぶる度に、なんとか連れて行く日をくり返すようになります。

これが、6年にも及んだ不登校のはじまり。

長いトンネルの入り口に立っていることを、当時はまだ知る由もありませんでした。

【お母さんのプロフィール】

3人のお子さんのお母さん。高校1年生の次男さんは小学3年生で登校しぶりがはじまり、4年生から中学3年生まで不登校。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは次男さんが4年生の頃。

◆付箋だらけの漢字ドリル

「うちの子、どこか少し違うのかもしれない」

息子の漢字の覚え方に少しひっかかりを感じはじめたのも、やはり3年生の頃でした。

 

シンプルな字は書けるのですが、少し複雑になると途端に別の字になってしまうのです。

例えば「田」は正しく書けるのに、「里」が書けない。

「田」と「土」がバラバラになってしまう。

本来はひと続きの文字を、彼は分解して認識しているようでした。

 

低学年の頃は「まだ小さいから」と軽く受け止めていたものの、次第に違和感が強まっていきました。

 

帰宅したランドセルの中から出てくるようになったのは、付箋で埋めつくされた漢字ドリル。

間違いのたびに貼られた“やり直し”の付箋は「できない自分」を息子に突きつけ、傷つけていたのかもしれません。

 

4年生になると、息子は学校に行けなくなりました。

完全な不登校になってしまったのです。

◆ゲーム漬けの日々と、昼夜逆転

学校に行かなくなった息子は、家でゲームをしてばかり。

寝るのは深夜、起きてくるのは夕方。外の光を浴びる機会はほとんどありません。

しかも極度の偏食で、ほぼ白ご飯しか食べられない状態。

 

——このままで大丈夫なの……?

体の健康も心の状態も、すべてが不安でたまりませんでした。

なのに“何をすべきか”がわからない。

もがいても答えが見えない日々でした。

 

そんなときに出会ったのが「ココロ貯金」という考え方。

藁にもすがる思いで、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講することにしたのです。

◆息子を“引きずらない”子育てへ

講座を通して、わたしは大きなことに気づきました。

これまで「どうにか学校に行かせなくちゃ」と、必死に息子を引っぱってきた自分。

でも、本当に必要だったのは“待つこと”だったのかもしれない、と。

 

それからは、息子が動き出すまでただ見守ることに決め、少しずつでも心を満たせるように、話しかけるときは名前をそっと呼び、彼が好きなスキンシップやハグをたくさんするように心がけました。

◆不登校時代の歩み(小学4年〜中学1年)

長くなるので、息子の様子を年表でまとめてみます。

 

・小学4年生:完全不登校に。講座を受講し「行かせる」から「見守る」スタイルへ切り替え。

・小学5年生:漢字の特性が認められ、週1回の通級に通いはじめる(波はあり)/2月からコロナの影響が拡大。

・小学6年生:6月まではコロナの影響で自宅待機。通級再開後は、行けたり行けなかったり。

・中学1年生:一度も登校せず、まるまる不登校の1年に。

 

5年生で通級に通えるようになったときは、小さな希望が見えました。

ところがタイミングが悪く、コロナが蔓延し休校に。

気づけばそのまま中学生になり、中学1年のときは一度も学校に行けませんでした。

 

「また1年が終わってしまった……」

落ちこむ気持ちもありましたが、息子の心には少しずつ変化が訪れていたのです。

◆少しずつ、でも確かな歩み

中学2年の夏、息子は自分から、個人面談に「行く」と言いました。

そして、中学校への初登校を果たしたのです!

 

そのとき先生に「ステップアップ教室」という不登校の子を対象にした教室に誘われ、2学期から少しずつ通うようになりました。

中学校は小学校より遠かったので、まずは一緒に道を覚えるところから。

わたしが付き添い1時間ほどそばにいて、帰りも迎えに行きました。

もちろん毎週通えるわけではなく、行けるときだけ、ぽつんぽつんと行く感じ。

それだけでも十分でした。

 

中学3年になると、週2〜3回だったステップアップ教室が毎日開かれるようになり、気づけば息子ひとりで通えるようになっていました。

行きたい日だけ、自分で行く。

月に1回しか行かないこともあれば、1週間続けて通ったこともあります。

 

“毎日は行けない”けれど、“行ける日には行ってもいい”。

自由なリズムが、息子にはちょうどよかったのだと思います。

◆海外へ!?

中学3年生になると、息子はかなり能動的に動けるようになってきて、高校も見学できるようになりました。

ゲームをして昼夜が逆転してしまう日もまだまだ多く、「当日ちゃんと起きるかな……」と不安になることも度々ありましたが、彼なりに前を向いて進んでいました。

 

そうして、比較的スムーズに通信制のサポート校への進学を決定。

受験がない分、秋がくる頃には心に余裕が出ていたのだと思います。

ある日、息子がぽつりとつぶやきました。

「ひとりで、おじいちゃんとおばあちゃんのところに行ってみたい」

 

——えっ、本気なの!?

 

耳を疑いました。

祖父母が住んでいるのはヨーロッパ。飛行機で12~13時間もかかる場所です。

英語が得意なわけでもありません……。

 

「スマホの翻訳アプリがあるし、なんとかなるよ」

本人はいたって前向き。わたしの方が目を丸くしてしまいました。

◆ひとりで海外へ行ってみた結果

不安は尽きませんでしたが、息子の積極的な気持ちがうれしく「一歩踏みだすチャンスかもしれない」と感じました。

 

「普通の受験生だったら、こんな時期に海外なんて行けない。今だからできる体験かもしれないね」

 

こうして、息子にとって初めての“ひとり海外旅行”が決定。

現地の空港で祖父母が迎えてくれるように準備を整えると、夏の空気に秋の気配がまざりはじめた9月の終わりに、息子は無事旅立っていきました。

 

旅立ちから1か月ほど過ぎた、帰国の日。

到着ゲートから出てきた彼は少しふっくらして、顔つきもやわらかに見えました。

「めっちゃ楽しかった! また行きたい!」

生き生きとした表情で、瞳がキラキラ輝いています。

 

おじいちゃんとおばあちゃんと自分だけの生活で、よくしてもらったのだと思います。静かないなか町が性に合ったようで「帰りたくなかった」としきりに繰り返していました。

 

そして、うれしい変化がもうひとつ。

「海外のものを食べてみたい」という気持ちが芽生えたそうで、食の幅がぐんと広がったのです。

以前は白米や麺しか食べなかったのに、なんとお肉も食べられるように!

 

空港で“丸くなった”と感じたのは、気のせいではなかったのです!

◆スパーク!

現在、息子は通信制のサポート校の1年生。

“通信制”といっても実際には毎日通う必要があるので、普通高校とほとんど変わりません。

 

やはり、“ひとり海外旅行”が大きな自信になったようで、その後の変化は目を見張るものがありました。

 

年明けにはじまったプレ入学授業には、10回のうち9回参加。
入学してすぐにお友達ができ、フットサル部に入りました。

なんと、生徒会長にも立候補!
1年生なのでさすがに当選はムリでしたが、今は会計として活動しています。

 

1学期にあった宿泊行事では「泊まりって初めてかも……どうしよう」と迷っていたものの、

「友達も行くから」と参加を決意。

楽しかったようで、2学期の体育祭を兼ねた宿泊行事には、迷わず参加していました。

 

行動力はどんどん加速。

夏からコンビニでアルバイトをはじめ、昨日はスキー・スノーボードのスクールから帰ってきました。

まるで「これまでの分も取り返すぞ!」と言わんばかりに、なんにでも前向きにチャレンジしていく姿に、ただただ驚くばかりです。

 

息子は今、まさに青春まっただ中。

そんな姿がとてもまぶしく、幸せな気持ちで見守っています。

◎お母さんが実践したココロ貯金

・「名前呼び」と「スキンシップ」

・意思を尊重した見守り

vol.25 仲間…

◆小さな教室で、たったひとり孤立

「わがまま」

「あの子がいると場が荒れる」

これらは、小学3年生のときに娘に貼られていたレッテルでした。

 

田舎の小さな学校で、クラスの人数はわずか12名。

その狭いコミュニティの中で娘は次第に孤立し、仲間はずれにされていきました。

ときには「ひとり対クラス全員」という構図で責められることもあったようです。

 

女の子はたった5人で、学年が上がってもクラス替えはなし。

一度ついてしまったイメージを覆すのは、簡単なことではありません。

 

「みんなの輪に入りたい」とがんばるほど空回りして、

どうしていいのかわからず、虚勢をはってしまう。

それが周囲に誤解され、ますます孤立が深まっていく――。

 

負のループにはまっていく娘を助けてあげたいのに、どうにもできない。

学校からトラブルの報告を受けるたびに心が沈んでいく。

わたしもまた、重い気持ちで毎日を過ごしていました。

【伊藤さんのプロフィール】

小学6年生の女の子のお母さん。離婚をきっかけに実家に戻り、美容師の仕事で生計をたてながら子育て中。お嬢さんが小学4年生のとき不登校ぎみになり、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講。

◆母子家庭への偏見

娘の孤立の背景には、家庭環境の影響もありました。

 

わたしは離婚して地元に戻ったシングルマザー。

保育所にいた頃から娘がわがままを言うと「ひとりっこだからでしょ」と、家庭の事情をほのめかすような言葉をかけられることがありました。

 

どこかアウェイな空気を、娘も敏感に感じとっていたのだと思います。

 

「なぜか、うまくいかない」

「なぜか、わるい方に解釈されてしまう」

 

だからこそ自己肯定感が育たず、自信がない。

けれども娘は、疎まれてしゅんと大人しくなるのではなく、反発してしまうタイプの強い子どもでした。不安を隠すように虚勢をはってしまい、結果「自分ができないくせに、反抗してくる」と、煙たがられてしまう。

本人としては、どうしてよいかわからなかったのだと思います。

◆あなたのお子さんは手に負えない

3年生のとき、決定的な出来事がありました。

 

担任の先生が、クラスのボス格の子に

「仲良くしてあげてね」と声をかけてくださったそうです。

 

けれどもその後、ちょっとしたきっかけで娘が

「じゃあ、絶交する」と口にしてしまいました。

相手の気持ちを試したい――そんな思いから出た言葉だったようです。

 

けれども、相手の子は激しく怒り、それをきっかけに娘は完全に無視されるようになりました。

 

その子がボス格だったため、周囲の空気も一変します。

校外の行事や地域のお祭りでも

「あの子だけは誘わないで」という空気が広がってしまったのです。

 

「あなたのお子さんは手に負えない。何を考えているのかわかりません」

せっかく手を差し伸べたのに、と。

ついには担任の先生にもさじを投げられてしまいました。

◆シングルマザーへの色めがね

確かに娘の態度やふるまいは、良くないところがたくさんあったと思います。

 

授業に集中できず、そわそわと落ち着かない。

(今思えば、仲間はずれの不安から、落ちつけないのは当然なのですが)

 

少し話してくれる子がいれば、独占したくなってしまう。

こちらを見てほしくて、わがままを言ってしまう。

 

ただ、娘なりに毎日我慢していることもたくさんあって、何かの拍子に感情が爆発してしまうところもあったのです。

 

けれど先生は、「いい子」「できる子」の話だけを信じ、娘の気持ちや言い分には耳を傾けてくれませんでした。

 

どこかに“田舎フィルター”のようなものがあり、

「シングルマザーの家庭は、子どもにかまってあげていない」

という先入観が、先生達の中にはっきりと根づいていました。

 

そして、こう言われたのです。

「お母さんが忙しすぎるから、こうなるんじゃないですか」

「仕事を休んでください」

 

生活の基盤を作るために必死で働いてきたわたしにとって、それはあまりにも心ない言葉でした。

 

―― では、一体どうしろと?

喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込み、心の中で問いました。

あなたがわたしの立場だったら、仕事を休めますか、と。

◆追いつめられていった日々

「なんでいっつも仕事してるの?」

 

娘としても、わたしにそばにいてほしかったのだと思います。

けれども美容院の仕事が忙しく、娘の世話は母にまかせることが多くなっていきました。

 

娘は甘えさせてくれる母にはすごく反抗していたので「母が甘やかすから余計にわがままになる」という身勝手なジレンマもあり、「ああ、育てにくいな」といつも悩んでいました。

 

当時はいじめられているという認識はなく、仲間はずれの主な原因はうちの側にあると思い込んでいました。ひいては「わたしが離婚したせいだ」と。

 

――あちらにもひどいところがあるけれど、まずは娘の短所を直さなければ。

そんな使命感から、いつも娘にアドバイスをして、いつも怒っていました。

 

「○○ちゃんはきっとこう考えていると思うから、こうしたら?」

「自分の言いたいことばかりじゃなくて、もっと空気を読まなきゃ」

 

「お母さんの言ったとおりにできなかった」と聞けば、

「え、なんで?」「おかしいよ、それは」と、すぐに正そうとしていました。

 

今になってあの頃の娘の気持ちを思うと、胸がギュッと締めつけられます。

 

けれども当時のわたしは、娘の心情を思いやる余裕がありませんでした。

離婚のことで「あそこは複雑だから」と噂されたくなかったし、「ちゃんと育てなきゃ」という気負いが大きかったのです。

 

正解を出さなければという強迫観念があり、人の目を気にして、娘を叱ってばかりいました。

◆「もう行きたくない」

娘の我慢は限界に達してしまいます。

 

「もう、学校に行きたくない」

 

4年生になると体が動かなくなり、

毎朝泣いて、毎朝わたしと押し問答。

 

つらい気持ちは痛いほどわかっていました。

けれどもお客さまから予約が入っているので、仕事を休むことはできません。

泣きじゃくる娘を引きずるようにして、学校へ連れて行く日々が続きました。

 

行ける日もあれば、途中で帰ってきてしまう日もありました。

 

「保健室にいさせてもらって、できるときだけ授業に参加する形はとれませんか」

先生に相談してみましたが、返ってきたのは冷たい言葉でした。

 

「そういう制度はありません。保健室にいるなら連れて帰ってください」

 

わらにもすがる思いでカウンセラーの先生のところに行っても、

「まあ、そういう時期ですからね」と、具体的な助言はもらえません。

 

――誰も、味方になってはくれないんだ。

改めて孤独を感じました。

 

一体どうしたら。誰か教えください――。

 

そんな八方ふさがりの暗闇の中で出会ったのが「ココロ貯金」でした。

◆ありのままで

子育て心理学カウンセラー養成講座の中で、娘にもわたしにも深く響いたのが、

「そのままでいいんだよ」という教えでした。

 

「正解を出さなきゃ」と必死でもがいてきた自分。

先生やクラスメイトに丸をつけてもらうために、娘に厳しく接してきた自分。

 

うまくいかないことばかりだったそれまでの人生を丸ごと「大丈夫だよ」と肯定してもらえたとき、

胸の中で何かがほどけていきました。

 

「娘もわたしもがんばってきたな、もう十分だな」

心の底から、そう思えたのです。

 

「今のあなたのままでいいんだよ」

感じたままに伝えた瞬間、ものすごい勢いで娘が食いついてきました。

「本当? ママ、本当にそう思ってる?」

 

「なんでそんなふうに言うの?」

「だってママ、失敗したら絶対怒るじゃん」

 

ハッとしました。

良かれと思ってしてきたことが、娘を追いつめていたのだと。

 

「そんなことないよ、できてもできなくてもどっちでもいいよ」

 

その言葉を聞いたときの娘は、驚きと安堵が入り混じった、何とも言えない表情をしていました。

◆愚痴の嵐

それまで学校での困りごとをたずねても、娘は核心にふれることを話してはくれませんでした。

先生からの報告でトラブルの内容や相手はわかっていたものの、娘の口からその話を聞くことはなかったのです。

 

「あの子がヤダ」と名指しで答えるのは、当事者ではなく学童で会うだけの別の学年の子。

いつも、どこかピンときませんでした。

 

ところが、ココロ貯金をはじめて2週間ほど経った頃――

娘は堰を切ったように話しはじめたのです。

 

「あのとき、〇〇ちゃんにこうされたのがすごく嫌だった」

「みんなで寄ってたかって、こんなふうに言う」

「こう思っていたのに、誰もわかってくれなかった」

 

積りに積もったフラストレーションがあふれ出すように、驚くほど多くの愚痴や不満がいっせいに噴き出しました。

 

「なんで、今まで言えなかったの?」

そうたずねると、娘はぽつりと答えました。

 

「言ったらママが怒るから。

ママがアドバイスくれたように、わたしはできないから」と。

 

ああ、そうだったのか――。

世間の“正解”ばかりを求めていたわたしは、娘の気持ちを受け止めることをしていなかったのです。

 

こうしてわたしは、ようやく自分の足元を見直すことができました。

 

講座がはじまった6月はあっという間に過ぎ、夏休みに入ったばかりのカウンセリングで娘の様子を報告すると、子育てカウンセラーの先生はにっこりと笑いました。

 

「ココロ貯金、たまってきましたね」

 

先生のやさしい言葉は、深く静かに胸に沁みていきました。

◆「学年でいちばん良かった子」

娘は6年生になりました。

学校は吸収合併されて2クラスになり、今では本当にたくさんの友達がいます。

 

「友達といるのが楽しい」

うれしそうにそう言って、今までの時間を取り戻そうとするかのように、学校生活を満喫しています。

 

5年生になると、委員会にも積極的に参加するようになりました。

合併後はまわりの子に推薦されて、同じ委員会の長をつとめています。

 

学童に苦手な女の子がいて、

「同じ学校になるの、ちょっとこわいな」と心配していましたが、同じ委員会になって話す機会があり、その子に言われたそうです。

 

「あのさあ、何年か前とめちゃくちゃ変わったよね。

前はもっと負けず嫌いだったでしょ。こんなに話しやすいと思わなかった」

 

以前はちらっと何か言われると「違うよ、あたしはさ」と反論していた娘が、

「ああそうなの、でも気にしないよ」と、さらっと受け流せるようになりました。

 

少し嫌な思いをさせられた相手に対しても、

「あ、昔のあたしみたい」と笑えるようになったのです。

 

人が変わったようだと、親のわたしでさえ思います。

まわりの子が子どもっぽい駆け引きで誰かをいじめてしまうときも、

「別にいいんじゃない? そういうのもあるよ」と、どこか達観している感じです。

 

「昔のあたしもそうだったなあ」というセリフは、最近よく聞くようになりました。

 

「中学生みたいな精神レベル。成長しましたね」

カウンセラーの先生も、保健室の先生も、担任の先生も、口をそろえて言ってくださいます。

 

「この学年で、いちばん良かった子だね」

 

5年生からの担任の先生は、最大級のほめ言葉をくださいました。

「いちばん生き生きして、いちばん友達を作ろうと努力していた子です」と。

 

かつてあれだけ落ち着きがなかった授業中の態度も、今は「まったく問題ありません」とのこと。

学力も申し分なく、体調をくずして数日お休みしても「この子なら大丈夫」と信頼されているそうです。

「がんばろう」ばかりだった通知表も、気がつけば「がんばろう」はひとつもなくなっていました。

◆ココロ貯金は人格をささえてくれるもの

4年生の後半から、本当に不思議な、奇跡のような出来事の連続でした。

 

おかげさまでわたしのメンタルも変わり、とても生きやすくなりました。

 

「ひとりで何とかしなければ」と虚勢をはって、“正解”を出すために娘も自分も追い込んでいた――あの頃のわたし。

 

子どもが仲間はずれにされているなんて人に言うのも嫌でしたが、今は素直に「助けて」と言えるようになりました。

 

「そのままでいい」んですよね。

 

ココロ貯金は子どもにだけ効くものではなく、わたし自身の人生をまるごと認めてくれるものでした。

 

人格の根っこや、人としての土台をやさしく支えてくれるもの。

 

子育て心理学カウンセラー養成講座は、カウンセラーの先生も一緒に受講したみなさんも本当に温かく、肩の力がふっとゆるむようなやさしい場所でした。

 

講座を受けて、人生が変わったと感じています。

◎伊藤さんが実践したココロ貯金

・「そのままのあなたでいいんだよ」と伝える。

・子どもの気持ちに耳を傾ける。