vol.3「自分を…

娘を置いて仕事場へ

「今日は学校に行く」

前向きな言葉に期待を抱き、学校まで送ったものの、車から降りられない娘。

仕方ないねと引き返し、家で娘を降ろしてから、職場へ向かうためにエンジンをかけました。

 

やはりダメだった。

でも、仕事には行かなくちゃ。

 

気持ちを切り替えようと自分に言いきかせた瞬間に、涙がこみ上げました。アクセルを踏みハンドルを操っているのに、涙は止まりません。

 

わたし達親子はどうなるのだろう。

心の中では、嵐が吹き荒れていました。

【真山みつきさんのプロフィール】

中学3年生と小学6年生の姉妹のお母さんでワーキングマザー。

主人公の次女さんは、4年生のゴールデンウィーク明けから登校しぶりがはじまり、その後不登校に。

子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、次女さんが5年生の夏。

不登校は突然に

「隣の席の子がいやだ」

「先生こわい」

ゴールデンウィーク明けからネガティブな言葉が増え、登校をしぶるようになった娘。4年生の担任になった先生はとても厳しく、「忘れものは絶対にしたくないんだ」と繰り返し言っていました。“忘れものをしていない唯一の子” になってしまった娘は、むしろ追いつめられてしまったようです。夜に荷物を確認したのに、朝起きてからもまた確認。

「ママ見て、ママ見て」

と、わたしにもチェックを頼んできます。とてもナーバスな状態で、「絶対に見落としてはいけない」とチェックするこちらまでプレッシャーを感じるほどでした。

 

緊張で不安定な娘を心配しながらも、フルタイムで働く身。ゆっくりと向き合う時間をとれずに、慌ただしい日々を過ごしていました。

 

梅雨に入った、ある月曜の朝。

「学校やめる」

娘が突然言い放ち、わんわんと泣き出したのです。学校のことで涙を流したのは、初めて。ただ事ではないと、わかりました。翌朝起きてからも、ぽろぽろと涙を流し、そのまま学校に行かなくなってしまいました。

まるで、キャンドルの火が燃えつきて、ふっと消えてしまったかのように。

仕事を辞めるべき?

少し休んだらまた行くようになるかもしれない。

淡い期待は裏切られ、夏が過ぎても、娘は学校に戻れませんでした。一度離れると教室がこわくなり、入れなくなってしまったのです。

「行きたいのに行けない」

そんな娘の気分が上向いたときには、集団登校の集合場所に一緒に行ったり、校門まで送ったりするようになりました。

 

そうなると大変なのが、仕事の調整です。心が激しく揺さぶられました。

「今日は学校に行ってみる」と言われるとうれしいはずなのに、「ああ、仕事はどうしよう」と思ってしまう。夜中に突然目が覚め、「2時間目から行くって言われたら、誰に送ってもらおう」などと考えはじめ、眠れなくなることもありました。

 

いっそ休んでくれたら、という気持ちは娘にも伝わっていたと思います。4年生の2学期は、「朝の会だけ」「1時間目だけ」とちょこちょこ学校に行きました。しかし3学期に登校できたのは、わずか三度ほど。わたしの疲れが原因でした。

 

いつまで続くのだろう。仕事をやめた方がいいのかな。

そもそも、わたしが仕事をしているから、娘の心が安定しないのかもしれない。

 

事情を相談した年上の方に、

「お母さんがそれだけ働いているとね」

と言われたこともありました。

 

「そうです……か……」

うまく言葉をつづけられません。

自責の念は、常にわたしに巻きついていました。

 

苦しい。きっと、わたしが悪い。

ココロ貯金との出会い

「5年生になったら、絶対に学校に行くんだ」

4年生のときから、そう言っていた娘。決意は固く、「5年生になったらがんばるので見ていてください」というお手紙を、先生に送ったほどでした。

 

もうすぐ、春が来る。

一筋の光を信じて、ときの訪れを待ちました。

 

桜が咲いて春休みが終わり、約束どおり始業式に出席した娘。

けれどもその後は、思惑どおりにいかなかったのです。先生が何気なくおっしゃる「これは4年生のときにやったと思うけど」というフレーズに、心がしぼんでしまうようでした。心機一転の再スタートを期待していたわたしのダメージも大きく、気持ちが沈みます。

 

今日は行くのか、行かないのか。学校や職場との調整に気が抜けない日々。疲れがピークに達し、駆け込んだのが、東ちひろ先生の子育て心理学カウンセラー養成講座でした。

春は過ぎ、夏が来ようとしていました。

 

相談できる場所があるだけで、なんて心強いのだろう。

まず、気持ちが軽くなり驚きました。わたしは、自分のココロ貯金を放置していたのだと気づかされたのです。そして、安定した気持ちでココロ貯金を実践すると早々に効果があらわれ、さらに驚くことになります。娘の瞳に力が宿り、表情が明るく変わっていったのです。

 

「ひたすら聴いてあげてください」

ちひろ先生のアドバイスは、それだけ。ときには聞き流してしまうことのあった「ママ、ママ」は、「上手に聴いてくれたら、わたし伸びますよ」というサインですよとおっしゃいました。

学校に行けなかった本当の理由

娘の話を聴くことを意識すると、より深い心の内を話してくれるようになりました。

クラスにおしゃべりできる子がいなくてさみしかったこと。自分から輪に入っていくのが苦手なこと。隣の男の子や先生が嫌だっただけではなく、本当は女の子の友達がほしかったのだとわかりました。

わかるよと労わりながら、たくさん話を聴きました。

 

多忙な日々の中で、もう一つ心がけたのは「腹貯金」。話を聴く時間が足りない分、好みの違う姉妹のために、メニューを変えて朝食を作りました。かなりバタバタしましたが、好物を食べるときのうれしそうな顔が励みになりました。「自分のために作ってくれた」という喜びが、パワーに変わることを祈りつつ。

 

ココロ貯金と腹貯金。嘘のようですが、たった二つの貯金で、娘は毎日学校に行けるようになりました。自分から、靴を履いた――あのときの感動は、今でも忘れられません。

第二の壁

ただ、学校に行けるようになると、新たな問題が浮上しました。思春期の入り口に差しかかった、女の子同士のつきあい方の悩みです。

 

やっとできたお友達の中に、「私とだけ仲良くして」という子がいました。娘が他の子と遊ぶと、帰宅後にメールが届きます。

「こういうことがイヤだった」

「ああいうのもイヤだった」

「今度やったら許さない」

激しい言葉が並ぶメールを、娘は泣きながら見せてくれました。学校に行きたくないと言う彼女に、

「こんな風に言われたらいやだよね」

「嫌だったら、遊ばなくてもいいんだよ」

と寄り添いました。わたしにできるのは、話を聴くことだけでした。

娘とわたしの成長

さまざまな関わりを経て少しずつ、娘の心は強くなったように思います。

 

「メールでケンカみたいになるのがいやだから、わたしのアドレス消して。わたしも消すから」

ある日、その子に伝えたのです。以後は二人では遊ばず、大勢の中の一人だったら遊ぶ、という距離の取り方をしているようです。

 

友達ができないと泣きべそをかいていた娘。そんな娘の心の中にいつの間にか、友達に依存しない自立心が育まれていました。

「お互いにしんどい友達関係なら、なくてもいいや」と思えるようになったこと。ケンカ腰ではなく、「あなたはそう思ったんだね、わたしは違うんだ」と伝えられた娘を、頼もしく感じました。

 

子どもの力は、本当にすごい。

「信じて待ってくれるなら、自分で伸びていくんだよ」

娘に教えられた気がします。

お母さんが実践したココロ貯金

・ひたすら「聴く」

・お姉ちゃんと別メニューの朝食で「腹貯金」

vol.2「『学校…

冷たい廊下

「なぜ、わたしはここにいるんだろう」

コロナ休校明けのにぎやかな教室は、つきそい登校後に一人ポツンと待機する廊下の静けさを引き立てていました。少しずつ動き出した世の中に取り残されていくような心細さ。

これからどうなってしまうのだろう。この調子で休んでいたら、あっという間に有休もなくなってしまう……。

 

息子の通う小学校はわたしの母校で、楽しい思い出ばかりの場所でした。同じ場所にこんな気持ちで立つ自分を、誰が想像したでしょう。授業が再開され、他のお母さん達は今ごろホッと一息ついているかもしれません。なのに、わたしは……。みじめで悲しい気持ち。あの頃の気持ちを的確に表してと言われたら、わたしは「屈辱」という言葉を選びます。

 

恐らく何らかの特性をもつ息子(後にASDとADHDが判明)の小学校入学は、不幸にもコロナが蔓延しだした年と重なってしまいました。ルーティンが好きでイレギュラーが苦手な息子。密集を避ける分散登校で、ある週は学童に行ってから学校、翌週は学校に行ってから学童、という目まぐるしい生活に適応できず、いつも混乱していました。

 

「ぼくは保育園生なのか小学生なのか、全然わかんないよ」

泣きっ面で訴える姿が可哀そうでも、どうすることもできません。担任が厳しい男の先生になったことも拍車をかけてしまいます。

「もういやだ」

「学校はお化け屋敷だ!」

通常登校が始まって1週間で、「行きたくない」と言うようになりました。

【宮治ゆみさんのプロフィール】

3人のお子さんをもつワーキングマザー。まん中の長男さんは現在3年生で、ASD・ADHDの特性をもつ。

小学校入学のタイミングでコロナが流行。

自宅学習や分散登校など規則性のない生活、先生との相性など、さまざまな要素が重なり不登校に。

生活がまわらない

当時しんどかったのは、登校時のつきそいが私しか許されなかったことです。両親と同居しており、夫も在宅ワーク可能な職種。家族の手を借りられる恵まれた環境だったのです。けれども息子は、「つきそいはママじゃないといやだ!」の一点張り。

 

「なんでママは、僕を置いて仕事に行くの?」

「僕より仕事の方が好きなんでしょう」

「僕なんて死んじゃった方がいいんだ」

 

「そんなことないよ。生きていくために仕方なくお仕事しているんだよ」と説明しても、「行くな」とまとわりついてエレベーターに乗せてもらえません。身を切られるような思いで仕事に向かいます。

がんばって仕事を休んで保健室に登校しても、先生の手が足りず親子でプリント学習しているだけ。出入りも多く落ち着けず、学校から足が遠のきました。

 

息子は荒れていきます。ものを投げる。障子を破く。学校には全く行かなくなり、「ヒマだ、ヒマだ」と言いながら、時間だけが過ぎていきました。数カ月後にようやく来てくれるようになった支援員さんにも、「出ていけ」「帰れ」と暴言を吐き、キックしたり、暴れたり。

 

そのうち姉弟にまで影響が出てきて、家の中はもうぐちゃぐちゃ。

「あの子ばかりずるい。わたしだって学校に行きたくないよ」

2つ違いの姉が登校をしぶるようになると、弟まで保育園に行かないと言い出しました。

 

仕事を辞めた方がいいのかな。

しかし、わたしが仕事を辞めたところで好転するのだろうか。

これから、どうなってしまうのだろう。

答えの出ない問ばかりが、頭の中でぐるぐると渦まいていました。

兆し

息子は引きこもりになってしまうかもしれない。

不安でいっぱいだった頃、ココロ貯金に出会いました。藁にもすがる思いで東ちひろ先生の本やブログを読み、無料カウンセリングにも参加、やる気と自信を育てる3カ月の講座を受けてみることにしました。

 

講座で習ったのは、「聴く」「触れる」「認める」と本当に簡単なこと。こんなことで変わるのかと、最初は半信半疑でした。

けれども、まずはやってみよう。

なかなか起きてこない姉弟とは対照的に、ルーティンが得意な息子は早起きです。

「おはよう、早起きだね。あなたのそういうところ、大好き」

と伝えます。

また、息子は触れられることが好きだったので、ことあるごとにハグしたり、頭をなでたり。ときにはギューッと抱きしめながら眠ることもありました。まるで赤ちゃんの頃に戻ったよう。そして「あなたはそれでいいんだよ。大好きだよ」と伝えていました。

 

するといつの頃からか、情緒が落ち着いてきたのです。

あれ? 表情が明るくなった? 目も丸くなってきたような……。

学校に行けるなど目立った進展はありませんでしたが、顔つきは明らかに変わっていきました。

ローストチキンとショートケーキ

ある日、息子がこんなことを言いだしました。

「本当はぼく、給食食べたいんだ」

忘れもしない、クリスマス前のある日のこと。特別メニューのローストチキンとショートケーキを食べたいと言うのです。

「じゃあ、行ってみようよ」

クラスメイトには会わなくてすむように先生に調整していただき、空き教室で給食を食べました。「おいしい、おいしい」と言いながら。

 

この出来事をきっかけに、年明けからポツポツと給食の時間だけ学校に行くようになりました。食べる場所は空き教室から保健室になり、3年生になった今では自分のクラスで食べられるようになっています。相変わらずつきそいは必要ですが、まずおばあちゃんが許されて、2年生の夏には夫やおじいちゃんでも大丈夫になりました。

転機

もう一つ大きな転機となったのが、2年生の7月に心理の検査を受けたこと。息子はASDとADHDだと認定されました。実は以前から検査を勧められていたのですが、息子が嫌がりなかなか受けられなかったのです。ココロ貯金が貯まって自信が育ったからこそ、検査を受けようという気になれたのでしょう。結果、「放課後デイサービス」に通えるようになり、息子の世界はぐんぐんと広がっていったのです。

 

頼もしく感じたのは、「まあいっか」という言葉が増えたこと。以前はよく口にしていた、「あの子がいるからやだ」「あの子を見るとムカムカして、叩いてやりたくなる」といった攻撃的な言葉が激減しました。色々な子と接する中で、お友達とのつきあい方が上手になったなあと感じます。

 

「放デイ(放課後デイサービス)に通う」というルーティンができたおかげで、生活のリズムも整っていきました。

もちろん、最初からスムーズに通えたわけではありません。9月に通いはじめた頃は、「ママが一緒なら行くけど」といった感じでした。それを「隣の部屋で待っているね」「下の階で先生とお話ししているから1時間だけがんばっておいで」といった具合に、少しずつ距離を離していきました。そのうちに、「ママ、いったん家に帰ってもいいよ」「おばあちゃんとでも行けるよ」と息子の方から言いだして、その年の冬には、週に5日も通うようになったのです。

リモートでココロ貯金

ココロ貯金を学んだものの、時間は有限で体は一つ。仕事のせいで朝と夜しか子どもと過ごせないことには、引け目を感じていました。それでも、できることをできるだけ。

 

視覚優位の息子は家でタブレット学習をしていて、学習すると親にメールが届く設定になっています。通知を受けたら、こちらからメッセージを送信。

「4教科もがんばって、えらいね」

「4ケタの計算ができるようになったんだね」

など、リモートでココロ貯金をしています。キャラクターがハグしている「大好き」というスタンプなども、届くととてもうれしそう。他にも「今日の晩御飯は何がいい?」「カレー」「OK!」といった他愛もないやりとりで、つながりを感じています。

 

お昼休みにはラブコール。

「元気? お弁当食べた?」

「うん。おいしかったよ」

簡単に言葉を交わします。

 

お弁当にはフセンでメッセージ。

「あなたの大好きなソーセージ、入れておいたよ」

「デザートにこんにゃくゼリーを入れたから食べてね」

などなど。

 

「離れていても、ママはあなたの味方だよ」と伝え続けています。

変化した日常

3年生になった息子の日常は、次のような感じです。

4時間目が終わる頃、「おはよう!」と元気に挨拶しながら教室に入ります。廊下側の一番後ろが特等席。給食をいただいて、昼休みはみんなと外遊び。5時間目の始まりのチャイムとともに学校を出て帰宅。13時45分に家の前からバスに乗り、今度は放課後デイサービスへ。

見事なルーティンが完成し、毎日楽しく過ごしています。

わたしが仕事を休む日は、児童精神科の受診と教育センターの面談の月2日だけになりました。

 

今年になって、うれしい出来事が続いています。

一つめは、息子が運動会に参加したこと。体育の授業に出たことは一度もないのに、動画で覚えたなわとびダンスをぶっつけ本番で披露しました。踊りだけではなくフォーメーションの変更にも、周りの子の動きに合わせてしっかり対応。堂々とした姿を、驚き感心しながら瞼に焼きつけました。

 

もう一つは、日直のお仕事をしたこと。たまたまお迎えに行ったところ、目を見張りました。黒板の前で司会を務めているのは……息子!

「帰りの会をはじめます。今日のキラキラさんの発表をお願いします……」

台本にそって進行し、誰かをあてて、みんなで拍手。「みんなの前に出て話す」なんて、従来は考えられなかった姿です。熱いものがこみあげました。

 

入学直後に息子が登校できなくなったとき、つきそい登校は苦しいものでした。いつも心の中にくすぶっていた「なぜわたしだけ」「なんでうちの子が」という疎外感、屈辱感。

ところが今のわたしは、そのつきそい登校を楽しんでいるのです。

 

子ども達の様子を観察できるのもうれしいし、廊下で待っていると話しかけてくれる子もいます。

「○○くんのお母さん、今日のピアスかわいいね」

「最近○○くん、毎日来てくれるね」

やさしい言葉に、わたしのココロ貯金がたまっていきます。

先生達も、ちょっとした言葉をかけてくださいます。こんな温かさはわたし達しか味わえないものかもしれない。みんなに見守ってもらっているな、息子は幸せだなあと思うのです。

 

2年前は、感謝を感じる余裕すらありませんでした。

お姉ちゃんまで登校をしぶりだし、“生き残っている”子だけは何とか学校に行かせなければと、目を吊り上げて闘っていたあの頃。けれども、小さな変化やお姉ちゃんなりのがんばりを認めていったら、今では「私は私」とどこ吹く風の風情です。

コントロールできないものには固執せず、コツコツとココロ貯金だけをためる。すると「正しく伝わる」ものなのだなと実感しています。

 

ココロ貯金はわたしのお守り。心の安定剤の一つです。これさえためておけば、子どものやる気と自信はあふれ、次のステップにいけるのだと信じられるから。

そしてもう一つ変わったこと。わたしは自分自身も大切にできるようになりました。自らを満たすこと——子どもができてから我慢していたネイルサロンに行ったり、大好きだったサーフィンを再びはじめたり。自分が満たされていると、子ども達にもたくさん貯金をあげられます。

週末は家族で海へ。子ども達は浜辺で遊び、わたしと夫は懐かしい海風に吹かれながら、交代でサーフィンを楽しんでいます。

お母さんが実践したココロ貯金

・赤ちゃんにするような「ふれあい」

・「あなたはそれでいいんだよ。大好きだよ」と何度も伝える

・空き教室⇒保健室⇒教室、の「スモールステップ」

・放デイも、お母さんと一緒に参加⇒隣の部屋で待機⇒階下で待機……と「スモールステップ」

・タブレット学習のメッセージ、昼休みの電話、お弁当のフセンで「リモートココロ貯金」

・自分自身も大切に

vol.1「引きこ…

生きる力が急降下

ゴールデンウィークが明けると、息子が学校に行かなくなってしまいました。

部屋に引きこもり、食事も一日一食、どうにか口に入れる程度。一日中ごろりと寝ころんだまま、起き上がりもしません。みるみるうちに、活力を失っていったのです。

 

「お腹すいた?」

「わからん」

 

どんな言葉がけをしても「わからん」の一言しか返ってきません。生きる力が衰弱していくようで、心配で仕方ありませんでした。高校3年生という、受験を控えた大切な時期。しかし、それが些末なことに感じるほど、心と体が心配でした。

【福原早悠里さんのプロフィール】

現在大学1年生の長男さんと妹さん2人のお母さん。

高校3年のゴールデンウィーク明けから、長男さんが不登校に。

長男さんのメンタル急降下に悩み、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは同年の6月。

目立ちたがり屋の繊細くん

息子は地域でも名の通った進学校に通っていました。2年生では生徒会長、3年生では応援団長を務めるなど、学校行事にも積極的に取り組むタイプです。

しかし、アクティブな反面プレッシャーに弱く、過度なストレスを感じてしまうような繊細さがありました。団長や生徒会長という責任ある立場にもかかわらず、練習を休んだり、修学旅行に行かないと言ったり。周囲を振り回してしまうため、摩擦も生まれます。

 

修学旅行では紆余曲折がありました。

コロナ禍だったため、参加は希望制でした。集団生活が苦手な息子は欠席を希望。不参加はクラスで一人だったため、担任の先生だけでなく、学年主任の先生も説得にきました。頑なに断りつづけた息子でしたが、ちょうどその頃仲良くなったお友達の影響で、土壇場で行きたいと言い出しました。

さんざん説得しても「行かない」と言い張ったのに、すべての段取りが整ったあとに「行きたい」と言い出した息子。職員室に呼び出され、大変な剣幕で叱られたそうです。

先生が腹を立てるのもわかります。一方息子の側には「あれだけ参加を勧めたくせに」という不信感が芽生えてしまったようでした。

 

息子が登校できなくなった理由は今でもわかりませんが、根本的に、息子の性格が学校の体質と合わなかったのだと思います。良くも悪くも自分に正直な息子は、集団生活が苦手。学校から見れば異分子だったに違いありません。

 

親から見て、決め手となったと感じたことがあります。

地方には、「大学は国公立ファースト」の信仰が根づいています。しかし、息子の第一志望は東京の私立大(当時は慶応大学)でした。はなから苦手な理数系を捨てている彼の態度が、気にいらない先生もいたようです。世界史の参考書についてアドバイスを聞きに行ったところ、

「そんな勉強する前に、この間の化学の点数はなんだ」

と叱られ、教えてもらえなかったのだとか。

 

このように、さまざまな出来事が積み重なり、学校と息子の間には隔たりが出来ていきました。

 

どうすれば息子の活力は戻るのだろうか。

悩んでいた矢先に、大事件が起こります。

深夜の逃避

いない……!

ある夜、息子の姿が消えていました。知らぬうちに、家を出て行ってしまったのです。家族全員で、必死に探し回ります。

 

「自分はダメな人間だから、生きる価値がない」と、くり返し言っていた息子。恐ろしい想像がよぎりました。無事で見つかったときは、全身の力が抜けました。

 

生きていた! よかった。

 

以降は一人にするのが恐ろしく、同じ部屋で寝るようになりました。隣でどんな言葉をかけても、抱きしめても、反応はありません。家族は皆、暗い気持ちで過ごしていました。

ドクターを拒絶

5月の末、本人の希望で精神科を受診することにしました。息子はたぶん、あまりにもつらい状況を話したかったのだと思います。けれども不幸なことに、そのときのドクターは、聴いてくれるタイプの方ではありませんでした。

 

形式的な項目にチェックを入れると「鬱」と診断され、こう言われました。

「薬、どうします? これはもう、飲まなきゃ治らないよ」

 

病院を出て車に乗った瞬間、息子はぶわあっと泣きだしました。

「薬は絶対飲まないし、病院にも絶対行かない」

 

「違う先生に診てもらう?」

泣きじゃくる息子に聞いてみましたが、

「もう病院の話はしないで」

と、ぴしゃりと撥ね退けられました。

 

息子に言われて、一番つらかった言葉があります。死にたいと言う息子を励ましたくて、「生きていてくれるだけで、いいんだよ」と伝えたときのこと。息子は言ったのです。

「生きさせようとしないで」

 

ズキンと胸が痛みました。「死にたい」と同じ意味なのに、全く違う響きがあったのです。かける言葉が見当たらず、ただ立ちつくすばかりでした。

ココロ貯金しか、できなかった

もう病院にも行けない。

不安でいっぱいで、何かにすがりたい気持ちでした。以前から東ちひろ先生の書籍やメルマガを読んでいたわたしは、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講することにしました。

 

状況を聴いたちひろ先生は、とても現実的なアドバイスをくださいました。

「トイレに出てきたときに『よく眠れた?』と話しかけるだけで、“承認”になるよね」

それだけでもココロ貯金ができるのだと、気持ちが軽くなりました。

 

仕事に出かける前には必ず息子の部屋へ行き、“触れる”ことにしました。横になっている息子の肩やお腹を、タオルケットの上からさすります。

「行ってくるね」

 

当初は無反応でしたが、じわじわとココロ貯金がたまっていったようです。ある日、小さな反応がありました。

「いってらっしゃい」

今、いってらっしゃいって言った!?

 

新緑の季節が終り、梅雨も明け、暑い夏が近づいていました。

息子は少しずつ元気を取り戻していったのです。

通信制の高校へ

――この調子なら、学校に戻れるかも!

 

在籍していた進学校は、12月には自由登校になります。夏休み明けから学校に行ければ、あと少しがんばるだけで卒業できます。期待しましたが、息子には通用しませんでした。

「戻らせようとしてるかもしれないけど、絶対に戻らないから」

以前、通信制の高校に行きたいと言われたときに、いいよと答えたやりとりを覚えていたのです。こうなると、テコでも動かない息子。進学校への復学は無理だと悟りました。夫と3人で通信制高校の説明会に出かけ、8月末には転校が決まりました。

 

転校先は、本人が選びました。通学は週に2日ほど。あとはオンラインで動画を見て、レポートを出すだけでよい学校でした。親としては、“普通”に通学するタイプの学校に行ってほしいと思いましたが、本人の意思に従いました。スムーズに卒業できたことを思うと、正しい判断だったのでしょう。

 

受験もできました。受けたのは早稲田と慶応の2校だけ。「行きたくない大学に入っても、たぶん辞めると思う」と言われ、ここでも息子の意思を尊重しました。しかし、時間不足は補えず、どちらも不合格という結果に終わりました。

 

合格発表から帰った息子は、なぜか明るい顔をしていました。

「落ちたけど、浪人してもいい? 問題集買ってきた」

生き生きとした表情を、今でもよく覚えています。

自分スタイルの浪人時代

浪人中の息子の勉強法は、“自学自習”のスタイル。予備校には行かず、模試すら受けませんでした。判定が悪いとメンタルが落ちると言い、模試を受けたのは最初と最後の2回だけ。仕事から帰って部屋をのぞくと、ゲームをしていることもしばしば。次も浪人かもしれないねと、夫とも話していました。ただ、自分のペースで勉強はしていたようで、英検の準1級を浪人中に取りました。

 

前年の2校はさすがに少なかったと言うので、どこを受けるのかと聞くと、

・明治大学(1学部)

・慶応大学(2学部)

・早稲田大学(4学部)

の3校だけ。

 

もっと滑り止めになりそうなところも受けたら? と言うと、

「受かっても行かないと思う、行ったとしても、つまらなかったら辞めると思う」

と言われ、じゃあ増やさないで、と思いました(笑)。

 

“みんなは”だとか、“一般的には”という主張が、通じない子なのです。そんな息子につきあううちに、こちらの芯も太くなっていたようです。

 

――本人が元気なら、2浪でもフリーターでもいいや。

本気でそう思えるようになっていました。

 

すると、驚きの結果が出たのです。なんと……、3校7学部すべて合格!

信じられない気持ちでした。

 

「報われた気がするね」

息子に語りかけると、晴れ晴れとした表情でこう応えました。

「自分もそう思ってた。つらいこと、苦労とかもいっぱいあったけどね」

広がる未来

現在息子は、東京で一人暮らしをしています。「つらくなったら戻ってくればいいよ」と伝えていましたが、夏休みの帰省まで戻ってはきませんでした。憧れていた大学に通い、キラキラと輝く日々を過ごしているようです。

心の軸が太くなり、つらいときには人に頼れるようになりました。日頃はLINEでやりとりしていますが、元気がないと感じたときは電話をかけます。すると、1時間でも2時間でも平気で話しつづけます。“聴く”ココロ貯金が有効な子なのです。

 

「バイトで頼まれたことがあるんだけど、俺、できそうな気がする」

「自己肯定感、本当にあがったね」

「爆上がりだよ」

こんな会話ができる日がこようとは。幸せです。

 

「何があってもお母さんが味方でいてくれるのは、わかっているよ」

うれしいことも言ってくれます。

 

「子どもを信じる」という言葉がありますが、昔は実感がありませんでした。けれども今は、こういうことなのだとわかります。とても壮大な将来の夢を聴いても、

――この子ならできるかも。

と、素直に思えるのです。子どもの可能性は、親が思うより大きいのかもしれません。

 

衰弱し、どんな言葉にも無反応だった息子に、愛情を伝えられた唯一の手段がココロ貯金でした。

夏空に向かって伸びてゆく樹木のように、たくましくなった息子の明るい未来を、今は確信しています。

お母さんが実践したココロ貯金

・トイレに出てきたときに、一言 “承認”

・出かける前に、“触れる”ココロ貯金

・転校先は、息子くんの意思を尊重

・受験先も、息子くんの意思を尊重

・浪人時代の勉強法は、息子くんに一任

・本人さえ元気なら、2浪でもフリーターでも構わないという姿勢。

・一人暮らしの息子くんには、電話で“聴く”ココロ貯金