体験談
◆大学中退とうつ病
「もう生きていく意味がない」
20歳の秋、娘は大学を中退し、暗い言葉ばかりを口にするようになりました。
せっかく希望して入った大学を辞めてしまったことで自己肯定感が急落。
夜は眠れず、昼間もずっと自分を責め続けているようなのです。
病院に行くと「うつ病」と診断されました。

【お母さんのプロフィール】
2人のお子さんのお母さん。上のお嬢さんは大学の中退をきっかけに、うつ病になってしまう。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが21歳になった頃。
◆一人暮らしへの執着
ところが、驚いたことに娘は「一人暮らしを続けたい」というのです。
「それは……」
メンタルの状態を考えると、さすがに抵抗がありました。
事故につながってしまうのではないか、そのまま引きこもりになってしまわないか……。
普通に考えれば、止めるべきだと思いました。
けれども、母親の直感が「娘の意思を尊重した方がよい」と訴えてくるのです。
厳しくものを言うタイプの夫との暮らしは、かえって娘を追い詰めてしまうのではないか——。
そう感じたわたしは、悩んだ末に専門学校への転向を提案しました。
◆短かった専門学校生活
「アパレルの専門学校に行ってみたら?」
娘は洋服が大好きで、アパレル業界に興味がありました。
本人も「やってみたい」とうなずき、テストや面談を受けることに。
そして迎えた4月、無事に入学が決まりました。
——これを機に、前向きな娘にもどってくれますように。
新しい学生生活を謳歌している様子を見て、胸をなでおろしていました。
ところが、楽しそうに過ごしていたのに、突如、学校に通えなくなってしまったのです。
夜遅くまで遊ぶこともあったせいか、起立性調節障害の症状が悪化。
入学してまだ間もない6月のことでした。
◆どん底のメンタル
娘のメンタルは急降下していきました。
「大学だけでなく専門学校も行けなくなっちゃって。迷惑ばかりかけて……もう死にたい」
毎晩かかってくる電話では、「消えてしまいたい」という言葉がひんぱんに出てきます。
そのたびに恐ろしい想像が頭をよぎり、心が押しつぶされそうでした。
客観的にみれば、家に呼び戻した方がいいのはわかっています。
それでも、娘には同居が合わないのではないかと肌で感じていて、どうしても踏ん切りがつきませんでした。
蘇ったのは、中学時代の記憶です。
不登校だった娘は、厳しい言葉で叱る夫に猛反発。
いつもバチバチにぶつかり合っていました。
メンタルがどん底に落ちている今、同じ調子で夫に強く叱られたら——。
娘の心の糸がぷつんと切れてしまわないか心配でした。
とはいえ、ともすれば命にもかかわるような、自分ひとりで背負うにはあまりに重すぎる判断です。
そこで、その頃受講しはじめた「子育て心理学カウンセラー養成講座」で、思いきって相談してみることにしました。
◆ちひろ先生の励まし
「無理やり連れ戻しても、出てっちゃうしね」
そう言って、ちひろ先生がわたしの考えを肯定してくださったときは、心の底からホッとしました。
実際、娘が一時的に里帰りしていたときに、夜中に突然家を出ていってしまったことがありました。
ためらう様子もなく玄関を飛び出し、真っ暗な道をすたすたと歩いていくのです。
女の子ですし怖くて、あわてて後を追いました。
かなり離れた公園でボーッとしている娘を見つけ、ようやく一緒に帰ってきたこともあります。
こうした話に耳を傾け、常識にとらわれずに背中を押してくださった、ちひろ先生の温かさが身に沁みました。
「一般的な正解」と、 この子にあったやり方は違うよね。
娘の希望どおりに一人暮らしは継続させて、遠距離でココロ貯金をためていこう。
やっと覚悟が決まりました。
幸いなことに、娘の住まいの近所には仲のよい友達も住んでいて、それが小さな安心材料になりました。
◆不安と闘いながら
こうして、遠隔ココロ貯金の挑戦がはじまりました。
お友達とは連絡をとり合っている気配があるものの、毎晩かかってくる電話は、相変わらず気の滅入るような内容ばかり。
自分を責める言葉、眠れない夜の苦しさ、そして「生きている意味がない」というつぶやき……。
電話を切ったあとは、胸の奥に重たい石がずしんと残ります。
「私がやっていることは、本当に合っているのかな」
不安ばかりが募って、心が押しつぶされそうになることもありました。
——でも毎日電話がくることは、いいことだよね。
できるだけポジティブに捉えて、自分を励まします。
「話すことで、荷物を降ろしているんですよ」
そう教えていただいてからは、「少しでも荷物を預けてもらえたら」という思いで娘の話に耳を傾けました。
「え?」と思うような言葉もたくさんありましたが、口をはさまずに
「そうなんだね」
「しんどかったね」
と、ただ気持ちを受けとめようと心がけます。
すると不思議なことに、娘の様子にわずかな変化が見えるようになったのです。
——子どもは親の変化をちゃんと感じ取り、少しずつ変わってくれるのだ。
ひと筋の光が射して、暗闇の中にも歩いていける道があるように感じました。
◆もっとココロ貯金
毎日の電話に加えて続けていたのは、毎朝の挨拶LINEでした。
まず名前を呼びかけ、そのあと「おはよう」と送るだけ。
たったそれだけのことでしたが、確かな手ごたえがあった気がします。
「会えなくても会いに行くことが大事ですよ」
ちひろ先生がそうおっしゃっていたので、しばしば娘のアパートを訪ねていきました。
昼も夜も静まりかえっていて、いるんだか、いないんだか。
「今は会いたくない」と言われて追い返されたこともありますし、虚ろな表情を目の当たりにして心配ばかりを募らせながら帰ってきたこともありました。
——それでも、会いに行ったことに意味があるはず。
必死で自分に言い聞かせました。
もっと気持ちを伝える方法がないかと考え、わたしとお揃いの小物入れを作って送ったこともあります。毎日使うものを通して「いつも見守っているよ」「あなたの味方だよ」というメッセージが伝わるような気がしたのです。
数日後、ピコンとLINEが届きました。
「ありがとう」という言葉に添えられていたのは、化粧ポーチとして使ってくれている写真。
心がほわっと温かくなりました。
こうして迷い悩みながらも小さな前進を重ね、ささやかなココロ貯金をコツコツと積み重ねていきました。
◆アルバイト生活
最終的に、娘は専門学校も辞めることになりました。
それでも、夫に届いたメールには前向きな想いが滲んでいました。
「資格は取らなくても、自分でやっていける仕事にちゃんとつくから」
「一人暮らしをさせてもらっているし、働かないと」
娘はそう思っていたようです。
ただ、朝起きられないと仕事には支障が出ます。
知り合いに紹介してもらいアパレルの仕事をはじめましたが、仕事ぶりを批判されてクビになってしまいました。
起立性調節障害の症状はなかなか治らず、苦しい日々は続きます。
落ち込んでいた娘でしたが、ありがたいことにまた知り合いが紹介してくれて、今度は飲食店で働きはじめました。
はじめのうちは週に1~2回、体調と相談しながら働いて、徐々にフロアに4時間ほど立てるようになりました。
一度ランチタイムの様子をのぞいてみたところ、一番忙しい時間帯にもかかわらず、意外なほどちゃきちゃきと仕事をさばいていました。
——わあ、ちゃんと仕事している!
胸が熱くなったのを覚えています。
◆22歳、娘の今
娘は今、週に4日、朝から晩まで働いています。
派遣ですがお給料がよいらしく、家賃だけでなく光熱費まで送ってくれるようになりました。
「お友達はまだ学生なんだから、そこまでしなくてもいいよ」
と言うと、
「ちゃんと5万円貯金していて、お小遣いも5万円あるんだよ。でも、食費だけはお願いします」
なんて言って笑っています。
派遣先は、表参道の高級ショップ。
自分の好きなファッションを取り扱っているお店です。
洋服には強いこだわりがあるので、自分で見つけてきて、応募して、採用を勝ち取りました。
面接から帰ってきた日は
「あたし、たぶん勝った」
と、自信たっぷりでした。
娘の情熱が伝わったのか、採用前から「よかったら社員にしようと思っているんだよ」と言っていただいたそうです。
仕事を覚えることにも積極的で、
「もっと先のことも教えてほしいんですけど」
などと伝えて、重宝されているとのこと。
そんなに熱い気持ちで働いているのにもかかわらず、
「将来はもっと違うことやるかも。今はお金をためて、スキルを磨いてる」
なんて言っています。
すごいなあ、目覚ましいなあ、と。
かつて「死」という言葉ばかりを口にしていた娘が、未来の話をしている——そのたくましさ、変貌ぶりに胸が熱くなりました。
◆毎日の電話も変わった
相変わらず、電話は毎日かかってきます。
けれども、悲痛な言葉をきくたびに暗い気持ちになっていたあの時間はどこかに消えて、明るいおしゃべりの時間になりました。
「『わたしのお母さん、わたしのために心理学まで学んでくれたんだよ』って言ったら『すごいね』ってほめられちゃった」
「お父さんがやるって言って買った水槽のそうじ、結局やってあげてて、お母さんって本当にえらいね」
小さなことをいちいちピックアップして、ほめてくれる娘。
なんだかココロ貯金を返してもらっているようで……。
くすぐったさを感じながら、幸せな毎日をかみしめています。
お母さんが実践したココロ貯金
・ネガティブな言葉も受けとめて“聴く”
・名前呼び+挨拶のLINE
・会えなくても、一人暮らしのアパートを訪問
・手づくりのプレゼント

