毛布の中で
「お家に入院させているつもりで療養させてください」
スクールカウンセラーの先生に言われたとき、息子は中学1年生でした。
学校に行けなくなり、ほとんど寝たきりの状態。幾重にも重ねた毛布の中に横たわったまま、長い
時間を過ごすようになりました。食事はほとんど取れず、“うつ”のような症状もありました。
困ったのは病院に連れて行こうとするといやがって暴れること。
しかし、山積みの毛布が尋常ではない精神状態を物語っています。
「無理に連れて行こうとすると親子関係に支障が出るので、お家で療養させてください」
とスクールカウンセラーの先生に言われても、不安でたまりません。
一人で精神科を訪ねましたが、当然お薬はいただけず「そういうお子さんの診察は無理です」と突き放されてしまいました。
【おかあさんのプロフィール】
24歳・22歳の姉弟のお母さん。現在22歳の息子さんは、中学1年生で不登校に。寝たきりの状態から回復し、独学して公立高校へ進学。しかし、高校3年の2学期から再び学校に行けなくなり、大学受験を見送ることに。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは長男さんが20歳の頃。
悪化の理由
なぜ、そこまで悪い状態になってしまったのか。
恐らく息子が発していたSOSに気づかずに、無理をさせたのが原因だったと思います。
思えば息子は小さい頃からとても敏感でした。肌ざわりのよいものしか身につけられず、海に遊びに行っても足の裏についた砂をずっと払い続けるような繊細な子どもだったのです。
敏感で気になることを見逃せない特性ゆえに、集団生活によるストレスは想像以上に大きかったのかもしれません。
私立中学に入学してから、夏休み前には少しずつ不調が出ていました。登校中にお腹が痛くなったり、吐き気がしたり。途中駅で降りた息子から電話がかかってくると「がんばって行ってみたら?」と励まし、ときには車で送っていくこともありました。
このように無理して学校に行かせることをくり返すうちに、身体症状が悪化してしまったのです。
最後は「人が迫ってくる」「自分に向かってくる」と言い出し、人ごみに入れなくなりました。電車にも乗れなくなり、ついには寝たきりで起き上がれないところまで悪化してしまったのです。
「消えてなくなりたい」
泣きながら息子に言われたときは、わたしも一緒に泣きました。
バリケード
息子のSOSに耳を傾けるべきだったと反省したにもかかわらず、わたしはまた同じ失敗を繰り返してしまいます。
当時、担任の先生から「勉強が遅れてしまうので、とにかく学校に連れてきてください」と口酸っぱく言われていました。そのせいか、少し元気になった息子がゲームやYouTubeばかりしているのが気になり、思わず「15分でいいから勉強してみたら?」と言ってしまったのです。
その瞬間、息子の表情がきゅっと硬くなり、自分の部屋に引きこもってしまいました。サッカーボールをガンガン蹴って部屋中にぶつけている音が響きます。子ども部屋の戸口は大きなバリケードでガードされ、扉は開かなくなりました。
二人で泣いた涙が乾かないうちに「勉強したら?」なんて、「全然わかってくれていない」「僕の味方じゃなかった」と裏切られたような気持ちになったのかもしれません。
お布団をもう一枚
さまざまな窓口で助言を求め、子どもの心理を学んでいくうちに、ふわふわした毛布に囲まれていないと落ち着けない息子の気持ちがわかるようになりました。そこであるとき、
「肌ざわりのよいお布団、もう一枚買ってあげようか?」
と言ってみたのです。
不思議なことに、その一言をきっかけに息子は布団から起きあがれるようになり、少しずつ回復していきました。家で勉強するようになり、体調が上向くと近所の個別指導塾に通いたいと言い、途中で通えなくなることもありましたが、自分のペースで勉強をつづけて公立高校を受験、ついに合格したのです!
高校生活の落とし穴
息子が受験勉強をがんばった理由は、中学ではできなかった部活動をしてみたかったからだそうです。バレーボール部に入りたいという息子に家族は大反対。高校に通う体力すらギリギリなのに、と心配でした。けれども息子は思いをつらぬきバレーボール部に入部。家族の心配をよそに平穏な日々が過ぎていきました。
ところが、高校3年生の2学期。
バレー部を引退した途端、プツッと電池が切れてしまったのです。
責任感が強いうえにおとなしい息子は役割をどんどん割り振られ、「休みたいな」と思っても休むとみなに迷惑がかかると、がんばりすぎていたようです。反動でまたしても学校に行けなくなってしまい、一日中横になっている生活に戻ってしまいました。
高校側は休学という形で籍を置かせてくれましたが、1年経っても戻れず、最終的には通信制の高校に半年通って高卒認定をとりました。
「どうせダメ」
息子は成績がよい方で、大学にも強いこだわりをもっていました。
休息をとった後、春には予備校に行きはじめましたが予備校のスピード感になじめず、2カ月ほどでまたしても通えなくなってしまいました。
高校は途中でリタイアし、大学受験も2度見送り。
自分は何をやってもダメだと落ちこんで、この頃から「どうせ」というフレーズを頻繁に口にするようになりました。
強いこだわり
生真面目でこだわりの強い性格に、息子自身が追いつめられていたように思います。
予備校は宿題が多く、しんどそうだったので「できるところだけでいいんじゃない?」と声をかけると、「何言っちゃってるの?」と憤然とした顔をします。
中学生の頃に「手を抜いていいときもあるから、臨機応変に授業を受けたら?」と言ったときも、ものすごく怒っていました。
「であるべき」という理想が高く、理想を形にできない自分に苛立ってしまうのです。
余談ですが、休学中はトイレに行くたびにシャワーを浴びて、毎回服を着がえていました。洗濯かごはいつもいっぱい。息子にしか見えない菌があり、ウォッシュレットでは流せないのだと言っていました。
ココロ貯金との出会い
予備校をリタイアし、ほとんど家にいる状態で息子が20歳を迎えた年、ココロ貯金に出会いました。
実は、まず変わったのは母であるわたしでした。
「息子をこんな状態にしてしまった」という罪悪感にさいなまれ、彼の機嫌にメンタルを左右されていたのが過去のわたし。けれども「自分は貯金さえしておけば大丈夫」というココロ貯金の仕組みを知って、とても安心したのです。
「ちゃんとココロ貯金をしている」
「今はうまくいっていないけれど、これでいいんだよね」
と捉えられると心が穏やかになり、軸もブレなくなりました。
また「わたし、すごくがんばってきたんだな」と、今までの自分を認められるようになったのです。
息子にハマった「実況中継」
理想が高く、ほめられても「そんなことでほめないで」と怒ってしまう息子には、「実況中継」のココロ貯金がぴたっとハマりました。
「今日はご飯をいっぱい食べられたね」
「シャワーを浴びてすっきりしたね」
「お風呂に入って気持ちよかったね」
息子の行動を中継するだけのココロ貯金を粛々と続けていると、小さな変化が起こりました。
“雑談”が増えたのです。
「おかあさん、今日はどんな予定?」
「料理手伝おうか」
「このゲーム面白いよ」
自分が感じたちょっとしたことを、自然に口にするようになりました。
雑談の先にあったもの
それまでわたしは、雑談に重きを置いてはいませんでした。それよりも、自分の気持ちを伝えてほしいと思っていたのです。
ところが日常会話を重ねていくと、みるみるうちに息子の行動範囲が広がっていったのです。
「免許をとってみたいんだ」
と言い出して免許をとりに行ったと思ったら、
「大学に通学するのは無理だけれど、通信制だったらいけるかも」
と言って通信制の大学を探しだし、学ぶようになりました。
さらにアルバイトもはじめ、少し負担に感じたときは回数を減らすなど、自分でバランスをとれるようになったのです。
できないことばかりに目がいって「どうせダメだ」とあきらめていた息子。
今はできることにフォーカスするようになり、できないことも認められるようになりました。
ああ、こんなに変わるのだと、驚くばかりです。
最後はココロ貯金
ココロ貯金はイメージしやすいのも魅力のひとつ。
貯金箱にチャリンとハートがたまった様子を想像すると自分を許せ、目の前の現象に一喜一憂しなくなりました。ココロ貯金に出会ってから、すべてがうまく回りはじめたのが不思議です。
「実況中継」をしていたら日常会話ができるようになり、話してくれるので「聴く」ココロ貯金もあげられるようになりました。息子に寄り添う手段が増えたのは、本当にうれしいことです。
「今日は大変だった」など弱音も口に出してくれるので、サポートもしやすくなります。自分の気持ちをまったく言いたがらなかった以前を思うと、過去のわたしはがんばってきたなあと思います。
10年近くの時を経てようやく、息子もわたしも「重荷をおろす」ことができたのです。
お母さんが実践したココロ貯金
・「肌ざわりのよいお布団、もう一枚買ってあげようか?」という声がけ(認める)
・「わたし、すごくがんばってきたんだな」とご自身のココロ貯金
・「今日はご飯をいっぱい食べられたね」などの実況中継
※実はこのお母さまは、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講される前から、自覚はされないままに息子さんのココロ貯金をためていらっしゃいました。ただ講座に来られてご自身のココロ貯金の存在に気づかれたことで、好転のスピードが加速したように思います。