「子どもがかわいいと思えません・・・」
子どもがお母さんへの反抗を続けていると
だんだんかわいさを感じられなくなることがあります。
例えば、あなたに向かって吠え続ける犬がいるとしましょう。
いくらあなたが大好きだとしても、あまりにも激しく吠える犬に
「かわいいね」と手を出そうとはしませんよね・・・
そばに寄るだけで、「ウ~」とうなられ
手を出せば、かみつかれそうです。
ですが、あなたにクンクンとすり寄ってくる犬だったら
たとえ大嫌いな犬であったとしても、思わず
「あら、かわいいわね」と言いたくもなります。
人は、自分のことを味方だと思ってすり寄ってこられると
それだけでいいと感じ、反発や攻撃をされると自分を守ろうとして
とっさに相手を攻撃したくなります。
お母さんの心も極めて動物的な反応をするのです。
親子関係も人間関係のひとつです。
合わない子ども、理解に苦しむ子どもがいても自然です。
しかし、「気が合わないから、親子の縁を切ります」
「お母さんを辞めます」とはいきません。
理解しにくいと感じる子ほど、意識的にていねいに接する必要があるんです。
それでね、心からこどもがかわいいと思えないようでしたら
その心をを変えようと思わなくても大丈夫ですよ。
OK会話例
お母さん「塾の宿題、今日はたくさんあるの?」(たくさんあることを知りながら、あえて聞く)
子ども「あるよ」
お母さん「夕飯までに、一教科だけでもやっておかない?」(少しずつやることを提案する)
子ども「ふ~ん」
(「しっかり全部やりなさい」と言われると抵抗があるが、一教科であれば「できるかも」と感じる)
お母さん「どれならできそう?」
子ども「国語かな?」(自分で決めることが大切。意欲につながる)
お母さん「応援しているよ。やるときはやるよね!」(味方になって応援する)
NG会話例
お母さん「ちっとも勉強しないわね。塾の宿題やったの?明日は塾がある日よ」
子ども「うるさいな~。いまやろうと思っていたのに」
お母さん「何よ、その言い方」
子ども「あ~やる気なくなった。やろうと思っていたのに」
お母さん「うそおっしゃい!はじめからやる気がなかったくせに」
(親子バトルの末、子どもはますますやる気をなくし、お母さんは無気力でいっぱいになる)
まずは、子どもにプラスの言葉をかけてみてください。
人は、自分が発した言葉に、だんたんと心が伴ってくるところがあります。
もちろん、心と言葉が一致するのが一番いいのですが、それができるまで待っていて
五年も十年もたってしまっては、子どもは大きくなってしまいます。
実は、子育てにつきものの「イライラ」という「感情」と「なんでできないの?」
という「思考」を根こそぎ変えることは難しいのです。
つい髪の毛をさわってしまうなどのクセと似ていて
「感情のクセ」「思考のクセ」として、いつも同じパターンに陥りやすいのです。
いくらやめようと思っても、感情も思考も、勝手にどんどんわき上がってきます。
だからこそ私は、心を変えてくださいとは言いません。
私たちは、心を変えようと思うと、カンタンに挫折してしまうものだからなのです。
お母さんができる範囲で「行動」を変えてみてはどうでしょうか?
「行動」とは「プラスのふれあい」です。
人間は、「感情」と「思考」を変えるエネルギーより、
はるかに少ないエネルギーで「行動」を変えることができるのです!
子どもは、親の思ったとおりには動かないもの。
とはいえ、いくらなんでも
「なんとかしてほしい!!!」
そんなことはないでしょうか?
子どもが落ち着いている時には、いくらでも
子どもを認める言葉がけができます。
問題は・・・・
子ども状態が悪い時です。
いつまでもハミガミをしない
手を洗わない
宿題が遅い
忘れ物が多い
いくらでもありますよね。
そんな「子育ての困った」に直面した時、お母さんの言葉力が試されます。
大きなカミナリは、中学校に入ったら、みごとに通用しなくなります。
わたしの子育てでは、そんな困った状態の時
わたしができることは何があるのだろうか??
こればかり考えてきました。
たとえば、ハミガキを子どもがしないとしましょう。
そんな時、どんなを声かけますか?
「ハミガキやったの??」が多いでしょうか。
人は、「・・・・やったの?」と言われると確認されている
または、「出来ていない子」として扱われていると感じます。
私たちは、大人も子どもも自分にとって、
利益があると思う情報にしか耳を傾けません。
だから、自分が聞きたくない情報だと判断すると
子どもは、ココロのシャッターを下ろしてしまいます。
わたしだったら・・・そんな時
「ハミガキOK??」ときいちゃいます。
もちろん、磨いていないとわかっていてもです。
「OK?」と言う時には
「ハミガキがデキル子」として扱って声をかけます。
すると、できていないときには
「あっ、まだだった・・・」とハミガキをすることでしょう。
そこで「いつも言っているでしょう」は禁句です。
この一言を言ったとしても
まず、子どもはな~んにも変わりませんから。
子育ては、知恵比べです。
思春期の子どもは、自分は何者かをしりたくて反抗するらしい・・・
それをアイデンティティを探っているとのこと。
もちろん、ココロとカラダのバランスが悪いことも理由です。
私は、お母さんも、子育てしながら
アイデンティティを探っているのではないかと思います。
子どもを持つまでの自分と
子どもをもってからの自分は大きく生活が変わります。
だから、子育てだけが自分に向いているか
シゴトをしていた方がいいのか
パートが向いているのか
フルタイムがいいのか
同居がいいのか
別居がいいのか
「子育て」と「ジブン」をすりあわせている気がする。
思春期の子どもは、そのアイデンティティが定まらないので、ココロがぶれやすい。
お母さんは、子育てしながら、
どんなお母さん像がしっくりくるのかを探っているとしたら・・・
やっぱりココロは揺れるでしょう。
反抗期の子どもと似ているかもしれません。
ひょっとして、
わが子も反抗期だったら・・・
反抗期が二人なので、そりゃ、もめるでしょう。