登校できない次女と笑わない長女
子育てから逃げたい。
コロナ禍の休校をきっかけに、学校に行けなくなった小4の次女。いつも目深にフードをかぶり、顔を隠していました。顔色がわるく、うつむきがち。かろうじて放課後登校だけはしている状態でした。
今のままでもいいの? 他にできることはないのだろうか?
わたしには、不安と迷いしかありませんでした。
そんな次女でもまだよい方。6年生の長女はわたしにとって、理解しがたい宇宙人のような存在だったのです。「わたしだったらこうする」と思うことはまずしません。こちらが一生懸命尽くしていることが伝わっていないような言動。笑わない、しゃべらない、字までも小さくて薄い。目が開いているのかわからないような表情。意欲や覇気といった子どもらしい活力が、まるで見つけられないのです。
わたしはきっと、この子のことを好きになれない。
親がもってはいけない感情に支配されている自分を悲しく思いました。子育てを楽しんでいるママさんを見かけると、みじめな気持ちになります。逃げてしまいたいのに、逃げ場はどこにもないのでした。
【塚本有香さんのプロフィール】
中学2年生と小学6年生の姉妹と、3歳の男の子のお母さん。
ADHDとLD(学習障害)の長女さん、不登校の次女さんの子育てに悩む。
姉妹が6年生・4年生のときに子育て心理学カウンセラー養成講座を受講。
「なまけていた」わけではなかった
長女には、幼少の頃から育てにくさを感じてきました。保育園でも小学校でも発達について相談する機会はあったのですが、そのたびに「大丈夫ですよ」と言われます。仕事で多忙だったこともあり、それ以上深く考えることはありませんでした。
きっかけは、コロナ禍での自宅学習。勉強をみていると、1年生の漢字がわからないのです。さすがに何かがおかしいと気づき検査を受けたところ、ADHD(注意欠如・多動症)と学習障害(LD)が判明したのです。
思えば長女は名前を覚えるのが苦手でした。イオンやニトリといった店名が出てこず、あそこ、あの緑色のお店なんだっけ、といった調子です。人名もしかり。お友達の名前だけではなく、担任の先生の名前すら出てこないときもありました。
特性に気づけなかったのが不思議なくらいですが、先生方の見立てを鵜呑みにしてしまったことと、“学習障害”を知らなかったことが要因かもしれません。
漢字ドリル1ページに3~4時間かかる長女を、なまけているだけだと思ってきました。
「いつまでやってるの」
心ない言葉を何度投げかけてきたでしょう。長女としては、必死で努力していることを責められている状態です。一体どんな気持ちでいたのでしょうか。
早く調べてあげればよかったと、後悔するばかりです。
ココロ貯金との出会い
特性を知り深く反省したものの、何をしたらよいのかはわかりませんでした。相変わらず登校できない次女も「消えたい」「わたしなんていなくていい」などと悲しい言葉を口にします。依然として、子育ての迷いは深いものでした。
そんなときに、出会ったのがココロ貯金です。藁にもすがる思いで、子育て心理学カウンセラー養成講座の受講を決めました。
講座を受けて、わたしの気持ちは変わっていきました。
――長女の話を聴きたい。
元々ほとんど話さない子です。好きなことなら話してくれるかもしれないと、ゲーム、YouTube、歌などを足掛かりにしました。
「いつも何を見ているの? よかったらLINEで送って?」
長女の好きな動画を見せてもらい、感想を言い合います。他愛もない会話を重ねるうちに、部活や友達づきあいについても話してくれるようになりました。中にはそんな風に言わないでほしいと感じる言葉もありましたが、
「そう思ったんだね」
と否定しないように心がけました。否定はしませんが、わたしも本音で話します。
「そう思うことは間違いじゃないよ。でも、態度に出したらダメだよ」
“聴く”ココロ貯金を心がけるうちに、会話ができるようになり、わたしたちの関係は変わっていきました。
2年後 ~長女の現在~
洗面所から長女の鼻歌が聴こえてきます。
「じゃあ行ってくるね~」
明るい笑顔で、ソフトテニス部の朝練に出かけていきました。
――朝から歌を歌ったりして、ご機嫌だなあ。
中学校で驚くほど変わった長女。昔は起立性調節障害がひどく、無言もしくは泣きながら登校していました。今も薬は飲んでいますが、朝が早い試合の日でも自分で起きてきます。
大きな変化はわたしにも起こり、互いの心の距離が近づきました。以前は少し触れただけでも怒られましたし、わたし自身も触れたいとは思いませんでした。「いっそわたしを嫌いになってくれたら」という思いがよぎるほど、長女から離れたかったのです。
今は対等な会話ができて、買物にも一緒に行きます。一番下の息子(長女とは11歳差)の子育てでは、心強いパートナー。わたしが困っているととんできて、
「大丈夫? 今すごく大きな声出してたけど」
などと、声をかけてくれるようになりました。
昔のネガティブな感情を表に出せるようにもなりました。
家族で行ったレストランで、息子がおもちゃを落したときのこと。届かないから後でいいかと話していたら、「わたしがとってあげる」と拾ってくれたことがありました。きわめて普通の行為なのですが、昔の長女なら無言で外を見続けたでしょう。
「なんで取ってくれたの?」
思わず聞くと、さらっと答えました。
「今までは、会話に入っちゃいけないと思ってた」
胸に刺さる言葉でしたが、この子は変わってきたのだと実感しました。思ったことを伝えても受け入れられると感じているのだ、人と関わろうとしているのだと。
部活も意欲的にがんばっています。団体行動が苦手な長女。お友達に馴染めずぽつんと後ろにいることが多いのですが、気にしてはいない様子です。客観的に自分を見つめ、
「わたしは独りでも平気」
と考えているふしがあります。それでもペアの子には、「ドンマイ」「大丈夫だよ」などとちゃんと声がけしているのです。無駄話はしないけれども、役割は果たす。必要なつながりは大切にする。挨拶もする。大したものだと思います。
高校のことも考えはじめ、わたしのアドバイスにも耳を傾けてくれるようになりました。
「おねえちゃんががんばるなら、ママもがんばるよ。応援しかできないけれど」
できるだけ触れぬよう、互いに距離をとっていたのは過去のこと。伴走させてもらえる今を幸せに思います。
2年後 ~次女の現在~
フードを目深にかぶっていた、次女はどうなったのかというと……「元気」です。
露出度が高いというかなんというか。肌寒くなってきたので「お願い、長袖着て」と言っても半袖のまま学校に行きます。いつも明るくよくしゃべり、放課後は毎日お友達と遊んでいます。部屋にこもり布団の中が定位置だった次女は、どこかへ消えてしまいました。
とはいえ、紆余曲折もありました。学校の方針が娘に合わず、一時は放課後登校すらできなくなったのです。「学校にきたら教室には必ず行く」というルールがあり、がんばって保健室に行っても「保健室にいてよいのは10分だけ」と決められてしまったことも一因でした。
子育て心理学カウンセラー養成講座でその話をしたところ、「おかしい」「無理だよね」「それはないよね」と、仲間達が口々に憤ってくれました。横で聴いていた次女も「わたしはこのままでいいんだ」と思えたようです。一時期は「大人は信用できない」と話すら聞いてくれない時期もあったのですが。
5年生の10月頃から適応指導教室に行くようになると、次第に毎日通えるようになり、ついには10時~15時のフルタイムで行きたいと言い出しました。そして、6年生になるタイミングで運よく校長先生が変わったこともあり、学校に戻ることができたのです。
本人の意思にまかせておけば大丈夫。
学校の対応がどうであれ、わたしの軸はぶれなくなりました。本人も情緒が安定し、不安になったときは帰ってママに話せばいいと思っているようです。
「今日もがんばってきたよ」
たくさん報告してくれます。
わたしにとってのココロ貯金は、自分を安定させる薬であり、娘たちとの距離を縮めてくれるものでした。長女の気遣いと次女の明るさに助けられ、手のかかる3歳児の育児も楽しみながら、笑顔の毎日を送っています。
お母さんが実践したココロ貯金
・ゲーム、YouTube、歌を足掛かりに、子どもの話を「聴く」
・違和感があっても否定せず「そう思ったのね」と「認める」
・否定はしないが、本音も話す
・適応指導教室の滞在時間は、子どもにあわせて少しずつ延ばす