登校しぶりの長男につきそう毎日がはじまった
「いやだ。学校行きたくない」
柱にしがみつき、泣きさけぶ長男。これはえらいことになった……。
登校しぶりがはじまった日のことはよく覚えています。ギャーギャー泣いている長男の背中を引っぱり玄関から突きとばし、急いで扉をしめて学校まで引きずっていきました。
それは、小学校に入学してまもなくのこと。お友達との小さなトラブルをきっかけに、登校しぶりと闘うゴールの見えない日々が幕をあけてしまったのです。
当時の日課はつきそい登校。毎朝7時40分には家を出て長男と一緒に登校していました。朝ご飯の片付けもできないまま3歳の次男を起こして抱っこひもに入れ、途中で食べさせるパンとバナナとお茶をリュックに放りこみ、バタバタと家を出ていました。
夜になると「明日行きたくない」がはじまり、朝は泣きわめいて登校を拒否。長男を引きずるようにして歩いていると旗当番のママに挨拶され、恥ずかしさと情けなさでいっぱいになりました。
やっとのことで学校につくと、今度は「帰らないで」と泣きべそ。教室のうしろに席が用意され、背中に次男、ひざに長男をのせて授業を見学していました。休み時間になると「帰る」と言いだす長男を「もう一時間がんばってみたら?」と励ましながら半日以上学校で過ごす。これがわたしの日常でした。
ポンポンとものが言えない長男は些細なことで傷ついてしまい、途中で帰ることも度々ありました。生まれたときから繊細で、布団に下ろすと起きてしまう子でした。激しいイヤイヤ期、幼稚園では登園しぶり。人見知りで怖がりで、砂場に連れて行けば手に砂がつくのをいやがる……等々、戸惑うことばかり。わたしを困らせるために生まれてきたのではないかと思ってしまったこともあります。
なんでうちの子は他の子のようにできないのだろう。
なんでこんなに弱い子なのだろう。
わたしがこんな性格だから?
学校から戻り、汚れたままの朝ご飯のお皿を見ると泣けてきました。うまく子育てできない自分を毎日責めて、朝がくる前に家出してしまいたいと何度も思いました。
【渡辺ひろ子さんのプロフィール】
小学校5年生と1年生の兄弟のお母さん。
幼少のころから繊細な気質だった長男さんへの対応に、悩みながら過ごす。
長男さんが小学校1年のとき、登校しぶりがスタート。
あるとき、たまたま受けた子育て心理学協会のカウンセリングで言われた一言に衝撃を受け、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講。
行かせる、休ませる、どちらが正解?
登校しぶりがはじまって以来、ずっと悩んでいたのが「引きずってでも学校に連れて行く」べきか「休ませて見守る」––ということでした。不登校の専門家、スクールカウンセラーさん、脳科学の先生、とさまざまな方に相談しましたが、三者三様、意見がパッカリわかれたのです。
「無理に行かせても意味がありませんよ」という意見もあれば、「つきそって通ってください」という意見もありました。「長男くんは学校にきてしまえば、しっかりできています。泣いてもわめいても、決まったところで別れるようにしてください」とおっしゃる方もいました。
これだと信じられる方針を見いだせないまま一緒に登校しつづけたのは、長男の性格を踏まえてのことです。長男は一つ一つ体験して安心していくタイプに思え、休ませてもうまくいかないような気がしていました。
とはいえ、本当はつきそい登校がいやでたまりませんでした。「今日は〇〇のところでバイバイするよ」などと目標を設定するものの、その場所で涙をためて立ちつくす長男を放っておけず、結局は学校まで一緒に行く、という不毛なパターンを繰り返していたのです。
進展がないまま2カ月ほど過ぎたころ、東ちひろ先生が主宰される子育て心理学協会のカウンセリングがあったので、受けてみることにしました。そこでカウンセラーさんの一言に、大きな衝撃を受けることとなったのです。
とことんつきあおうと腹を決めた
「お母さんが離れようとすればするほど、お子さんは離れてくれないかもしれません」
雷に打たれたような衝撃でした。そして、
「腹をくくってつきそった方が近道かもしれません」
というアドバイスを受けとめ、つきそわなくていいと長男が言うまでは、とことんつきあおうと腹を決めました。また、長男がぐずぐず言う言葉もなるべく否定しないで聴こうと、心がけるようになりました。
「明日学校いやだ」
夜寝るころになるとめそめそと泣きごとがはじまります。
「ぐずぐず言わず楽しいことを考えようよ」
以前のわたしはこのような助言をしていました。前向きになってほしいとの思いからでしたが、このような言葉はグッとこらえることにしました。そして
「やだよね、あした月曜日だしねぇ」
と共感し、説得するよりも子どもの気持ちを聴こうと努力しました。
つきそい登校のときの関わり方も変わっていきました。
「今日の給食はカレーだね」
などと、どうせつきあうのなら楽しくおしゃべり。それから、
「今日はどこまでつきそう?」
と別れる場所は長男に決めさせることにしました。
長男のペースを尊重するようになると、不思議なことが起こりました。少しずつ、つきそいの距離が短くなっていったのです。「教室まで」が「昇降口」や「校門」になり、ときには「クリーニング屋まででいいよ」などと言いだすこともありました。
小さな好転を糧にして、こちらに行けば出口があると信じ、暗闇を進んでいくような心持ちでした。腹をくくったとはいえ、どうしようもなく気分が落ちこむ日もあります。一度は「クリーニング屋」で別れられたのに、再び「教室まできて」に戻ってしまうこともありました。長男を送った帰り道、家までの長い坂をのぼりながら、抱っこしている次男にしがみついて涙を流した日もありました。
また、同じような立場のママがまわりにいないことも、さみしさの一因だった気がします。
「えらいな。わたしにはとてもできないよ」
こういった励ましの言葉が
「甘やかし過ぎじゃない? わたしならそんなことはしないけど」
と言われているような気がしてしまいます。勝手な被害妄想で、
「好きで毎日送っているわけじゃない」
と孤独を感じたこともありました。
そのような気持ちの浮き沈みはありましたが、少しでも長男が前向きになるようにと、わたしなりにさまざまな工夫をしました。
これは効いたなと思うココロ貯金は、夜のイチャイチャタイムです。寝る前の約15分、お布団の中でくすぐりあいっこ。キャッキャッと触れあいます。家事も一段落していて、わたしもゆったりとした気持ちで子ども達に向きあえました。ご機嫌で眠りにつくと、そのご機嫌は朝までもちこされます。すっきりと落ち着いた気分で目覚められるようでした。
また、筆箱の中に毎日ちょっとしたクイズをしこんでおいたこともあります。「学校についたらあけてね」と伝えておき、一人で学校に行けた日の「お楽しみ」にしました。
どうにかこうにか過ごしていくうちに「迎えにはこなくていいよ」「今日は玄関から一人で行ってみようかな」などと言うようになりました。2年生の秋にはお友達と登校できるようになり、些細な出来事でぐずぐず言う機会も減っていきました。
どんな子も、花まる
この春、長男は5年生になりました。お友達がたくさんいて、毎日元気に学校に通っています。
先日は、宿泊体験学習というお泊りの学校行事がありました。あんなに親のそばを離れなかった子が指折り数えて待ちわびて、3日間の行事を満喫して帰ってきました。宿泊体験のしおりを「宝物にするんだ」と言って大切にしています。
成長したなあと、感慨深くその姿を眺めていました。3年生、4年生、と彼なりのペースで少しずつ、ゆっくりと。4年生までは、雨の日や6時間授業の日に「遅れて行きたい」などと言ってわたしが送っていく日がありましたが、今はそれもなくなりました。長い目で見て伴走すれば、その子なりの花がひらいていくのですね。
今や長男は、学校では困っている子をサポート、理科のテストではクラスで一人だけ100点を取る偉業も成し遂げ、少々のことではへこたれない情緒の安定した子に育っています。宿題は言われなくても自分でやります。保護者面談では先生に「長男くんの悪いところが見つかりません」とまで言われました。
以前のわたしは怒ったり、嫌味を言ったり。ほめることなど、とてもとてもできませんでした。今は、わたしがしてほしいことをできないからといって叱るかわりに、ほんのちょっぴりでもできたところをほめて、認められるようになりました。
「1時間しか学校にいられなかった」は「1時間は学校にいられた」ということです。
「わたしと一緒でないと学校に行けないダメな子」ではなく、「わたしがつきそえば学校に行ける、がんばっている子」です。
「学校に行かせること」よりも、「自己肯定感が高い子に育てること」の方が100倍大事。
正解がわからず迷っていたわたしに、ちひろ先生だけが、休むか行くかだけではない方法——寄り添いながら背中を押す方法を教えてくださいました。感謝しかありません。
ココロ貯金に出会えたことで、がんばり屋の完璧主義で自分と子どもの首を絞める子育てとはさよならできました。そして、どんなわたしにも花まるをあげよう、子どものどんな姿も受け入れよう認めようと思えるようになりました。
実を言いますと、この春1年生になった次男にも登校しぶりがあります。まるで4年前のお兄ちゃんをそのままコピーしてしまったかのようです。今でも悩むことはありますが、何をすればよいかがわかっているので子育てにぶれることが少なくなってきました。少し遅れて登校する日があっても「この子は大丈夫」と、どんと構えています。
ココロ貯金はわたしのお守り、道しるべです。
どんな子も、花まる。どんなわたしでも、花まる。今までのわたしにはそれがありませんでした。長男はそれを教えるために生まれてきてくれたのかなと思います。かなりスパルタな方法でしたが、登校しぶりがなければここには辿りつけませんでした。
子どもによい関わりをするためには、まずお母さんが認められることがすごく大事だと感じています。ですから、まずはお母さんが毎日あたり前にやっていることを「よくやっていますね」と伝えたい、そして過去のわたしが救われたココロ貯金を広めていきたいと考えています。
お母さんが実践したココロ貯金
・否定も助言もせずに、「共感」して「聴く」
・つきそう距離を子どもに決めさせる
・夜寝る前のイチャイチャタイム
・筆箱の中のお楽しみクイズ
・どんな子も、どんな自分も認めてあげる