生気を失った息子
ドクン。
鈍い痛みが胸をつらぬきました。学校公開の日、普通ではないわが子の姿を目のあたりにしたのです。教科書もノートも開かず、抜け殻のように座っている息子。生気はまるで感じられません。
授業は穏やかに進んでいきます。息子とわたしだけ、別の空間にいるのだろうか。なすすべはなく、ただ立ち尽くしていました。
はじまりは中学2年の春、コロナ禍の休校でした。夜中のゲームとYouTubeで、息子の昼夜は逆転してしまったのです。学校には行ったり休んだり。行かなくてはという気持ちはあっても、朝起きられない日がつづきました。なんとか登校しても抜け殻のような状態なので、当然成績もガタ落ちです。部屋を掃除していると、ばらばらっと回答が書かれていない、ほぼ白紙のテストが出てきました。
友達の話もきかない。影すら見えない。心配は深まるばかりでした。
【草薙由香子さんのプロフィール】
中学3年生と小学3年生の兄弟のお母さん。
長男さんが中学2年生の春、コロナ休校が引き金となり昼夜が逆転。
登校と不登校をくり返す。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、長男中2の秋。
息子がこわい
夜ゲームをしながら、炭酸飲料やジャンクフードを食べるからでしょう。もともと食欲のうすい子でしたが、さらに食べなくなりました。栄養士の資格を持ち、食事と睡眠だけはと気を使ってきたわたしには、とても許せる状況ではありませんでした。けれども、うまく伝えられません。
反抗期まっただ中。こちらが話しかけても、無言か暴言が返ってくるばかりです。少しでも気に入らないことを言えば、チッと舌打ち。もともと痩せ型の子でしたが、あごが尖って目つきも鋭くなり、誰も寄せつけない表情なのです。すべてが鋭く、「触ってくれるな」という無言のメッセージを発していました。
空手を習っていたので、小柄でも力は強い息子。ちょっとした言い合いになったとき、パンッと払った彼の手がわたしのあごに命中。衝撃にうずくまりました。あごが外れてしまい、全治まで1カ月もかかりました。
息子がこわい。
何をしていいのかわからない。
同じ空間で過ごす生活がつらく、次第に心が削られていきました。
ココロ貯金ができない!?
一人ではどうにもならずに駆けこんだのが、子育て心理学カウンセラー養成講座でした。ところが、講座を受けた当初は「ココロ貯金ができない」と思ってしまったのです。
息子とは会話がないので、“聴く”なんてとても無理。“触れる”など、もってのほかです。一つだけできそうだったのは、こちらの言葉がけを変えること。まずは、挨拶の前に名前をつけることだけを心がけました。
そのうちに、ふと気づきます。
――触れるのはこわいけれど、寝ているときならできるかも。
息子がゲームをするリビングに、ふとんを2組ひきました。1組はわたし用。もう1組は、息子が疲れたら横になれるように。
夜、チカチカとゲームの光がちらつく中で、眠りにつきました。目覚めたときに息子が起きていれば、「〇〇(息子の名前)、おはよう。まだ起きているんだね」と声をかけます。
もしも眠っていたら、“触れる”チャンス。頭をなでたり足をさすったり。名前を呼びながら「生まれてきてくれてありがとう」「大好きだよ」と、ふだんは言えないことを伝えます。
その他やりやすかったのは、フセンを使ったココロ貯金でした。その頃にはもう、食べてくれれば何でもいいと思えるようになっていたので、好きなジャンクフードにメッセージを書いたフセンを貼り、そっと置いておいておきました。受講生のLINEグループの会話から、ヒントをもらったアイデアです。
コツコツと、できる分だけココロ貯金。すると、不思議なことに息子の表情が和らいでいきました。そして3学期になると、再び学校に通いはじめたのです。雪解け水が流れるように、止まっていた時間がいっきに動き出しました。
気づけなかった息子のやさしさ
中学3年生になった現在は、無遅刻・無欠席。合唱祭の練習にもしっかり出席し、修学旅行にも行けました。宿題もきちんとこなし、毎日楽しそうに学校に通っています。友達の話もたくさん出てきます。成績は2段階アップしました。
「2年のときは、ほんとにつらかった」
あるとき、ぽつりと話してくれました。担任の先生からも、当時のクラスでいじめがあったことを聞かされました。息子だけではなく、つらい思いをした子が何人もいたそうです。息子はどこにも行く場所がなく、わたしに気づいてほしくてあのような態度をとっていたのかなと、今になって思います。
つい先日、二人で学校の廊下を歩いていたときのこと。担任ではない生徒指導の先生がさっと近づいてきて、こんな言葉をかけてくださいました。
「この子は、本当に心根のやさしい子なんですよ」
誕生日が近づいた息子にプレゼントは何がよいかとたずねると、
「コロナもあって、食事や旅行に行けなかったよね。だから、家族やおじいちゃん、おばあちゃんと旅行に行きたい」
という答えが返ってきました。
――ああ、この子はお友達や先生にも、こんな感じで関わっているんだな。
生徒指導の先生に言われた「心根がやさしい」という言葉が、ふっと浮かびました。ココロ貯金を学ばなければ、息子のやさしさに気づけなかったかもしれません。
15年目のトリセツ
思えば幼い頃から敏感で、他人が争っているのを見るのが苦手な性格でした。幼稚園に行くのがイヤで電柱にしがみついて泣きわめいていても、到着するとわたしにピタッとくっつきながらも涙は見せず、先生を困らせることはしないのでした。
息子と話ができるようになってわかったのは、「どっちでもいい」とか「お母さんが決めて」と言うときは、「イヤ」なのだということ。本人が本当にやりたいときは「うん」と素直に肯定するし、すぐに行動にうつします。人の気持ちに敏感だからこそ、誘導したいわたしの思いを察して、ぶっきらぼうな態度になっていたのです。
――ずっと息子の気持ちがわからないと思ってきたけれど、実はわかりやすかったんだなあ。
15年かけてやっと、霧が晴れてきたような気持ちです。
「困らせることしかしない」「怒らせることしかしない」と思っていた時期は、この状況をなんとかしたいと願うばかり。学校で何があるのか、息子が何を感じているのかを思いやれてはいなかったのだと反省しました。
ココロ貯金を学び、うまくいかないときは「なんでそういう行動をとるのかな」と、やさしくされたときは「何がよかったのかな」と考えるようになりました。すると、以前より息子のことがわかるようになったのです。
困らせたいわけではなく、ちゃんと理由があること。ある意味では真逆、わかってほしくてやってしまうこともあるのだと、気づくことができました。
どんな子にも効く魔法
長男だけではありません。ココロ貯金がどんな子にも効くので、驚いてしまいます。
わたしは小学校で、担任の先生だけではお世話しきれない子を支援する仕事をしています。イヤだと思ったら岩のように動かない子や、すぐに教室から出ていってしまう子が2~3人いるクラスがありました。
はじめは大変でしたが、どんな子にも平等にココロ貯金をすることだけを心がけました。すると、それぞれのよい部分がぐんぐん伸びて、みるみる楽になっていったのです。
話すことが好きな子には、“聴く”ココロ貯金。興味がありそうなことをリサーチして、こちらからは話さずに「こんなのあるの?」と聞いてみる。すると喜んで説明してくれます。
“触れる”についても発見がありました。
子どもがやりたくないときは無理に動かすべきではないという考え方がありますが、一概には言えないということです。「一人にはできないから、とりあえず鉄棒のところまで行こう?」などときちんと話したあとに抱きかかえると、何の抵抗もなく軽々と運べます。
「〇〇まで連れていって」とゲームのキャラクターになりきって頼むと、喜んで歩きだすこともあります。
話を聴いたり、触れあったり。はじめは心を開いてくれなかった子たちが素直になってくれるのが、本当にうれしく、やりがいを感じます。何かと遅れがちな子達に文句を言っていた子もいましたが、だんだんと協力的になり、クラスの絆が強まったような気がしています。
ASDとADHDの特性がある次男にも、ココロ貯金は効きました。遊びのルールを守れず、切り替えが苦手な次男。うまくいかないと自分でルールを作ってしまうので、学校での集団生活やお友達との関係を心配していたのです。
しかし、今ではすっかり情緒が落ち着きました。ルールも守れるようになり、ゲーム中でも「ごはんだよ」と声をかけるとスッと切り替えます。いつもニコニコと楽しそう。まわりの方に愛されて、足りない部分はみなさんに助けてもらっています。
ココロ貯金って、魔法なのかもしれない。
少なくとも、わたしにとっては魔法でした。独りぼっちで闘っていた息子と過去の自分を「大丈夫だよ」と、抱きしめてあげたい気持ちです。
お母さんが実践したココロ貯金
・名前を呼んで挨拶
・好きな食べものにメッセージつきのフセン
・「大好きだよ」と伝えながら、寝ている子に“触れる”
・相手が興味のあることについて“聴く”
・しっかり説明したあとに抱きかかえて移動
・子どもの好きなキャラクターを演じて会話