生きる力が急降下
ゴールデンウィークが明けると、息子が学校に行かなくなってしまいました。
部屋に引きこもり、食事も一日一食、どうにか口に入れる程度。一日中ごろりと寝ころんだまま、起き上がりもしません。みるみるうちに、活力を失っていったのです。
「お腹すいた?」
「わからん」
どんな言葉がけをしても「わからん」の一言しか返ってきません。生きる力が衰弱していくようで、心配で仕方ありませんでした。高校3年生という、受験を控えた大切な時期。しかし、それが些末なことに感じるほど、心と体が心配でした。
【福原早悠里さんのプロフィール】
現在大学1年生の長男さんと妹さん2人のお母さん。
高校3年のゴールデンウィーク明けから、長男さんが不登校に。
長男さんのメンタル急降下に悩み、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは同年の6月。
目立ちたがり屋の繊細くん
息子は地域でも名の通った進学校に通っていました。2年生では生徒会長、3年生では応援団長を務めるなど、学校行事にも積極的に取り組むタイプです。
しかし、アクティブな反面プレッシャーに弱く、過度なストレスを感じてしまうような繊細さがありました。団長や生徒会長という責任ある立場にもかかわらず、練習を休んだり、修学旅行に行かないと言ったり。周囲を振り回してしまうため、摩擦も生まれます。
修学旅行では紆余曲折がありました。
コロナ禍だったため、参加は希望制でした。集団生活が苦手な息子は欠席を希望。不参加はクラスで一人だったため、担任の先生だけでなく、学年主任の先生も説得にきました。頑なに断りつづけた息子でしたが、ちょうどその頃仲良くなったお友達の影響で、土壇場で行きたいと言い出しました。
さんざん説得しても「行かない」と言い張ったのに、すべての段取りが整ったあとに「行きたい」と言い出した息子。職員室に呼び出され、大変な剣幕で叱られたそうです。
先生が腹を立てるのもわかります。一方息子の側には「あれだけ参加を勧めたくせに」という不信感が芽生えてしまったようでした。
息子が登校できなくなった理由は今でもわかりませんが、根本的に、息子の性格が学校の体質と合わなかったのだと思います。良くも悪くも自分に正直な息子は、集団生活が苦手。学校から見れば異分子だったに違いありません。
親から見て、決め手となったと感じたことがあります。
地方には、「大学は国公立ファースト」の信仰が根づいています。しかし、息子の第一志望は東京の私立大(当時は慶応大学)でした。はなから苦手な理数系を捨てている彼の態度が、気にいらない先生もいたようです。世界史の参考書についてアドバイスを聞きに行ったところ、
「そんな勉強する前に、この間の化学の点数はなんだ」
と叱られ、教えてもらえなかったのだとか。
このように、さまざまな出来事が積み重なり、学校と息子の間には隔たりが出来ていきました。
どうすれば息子の活力は戻るのだろうか。
悩んでいた矢先に、大事件が起こります。
深夜の逃避
いない……!
ある夜、息子の姿が消えていました。知らぬうちに、家を出て行ってしまったのです。家族全員で、必死に探し回ります。
「自分はダメな人間だから、生きる価値がない」と、くり返し言っていた息子。恐ろしい想像がよぎりました。無事で見つかったときは、全身の力が抜けました。
生きていた! よかった。
以降は一人にするのが恐ろしく、同じ部屋で寝るようになりました。隣でどんな言葉をかけても、抱きしめても、反応はありません。家族は皆、暗い気持ちで過ごしていました。
ドクターを拒絶
5月の末、本人の希望で精神科を受診することにしました。息子はたぶん、あまりにもつらい状況を話したかったのだと思います。けれども不幸なことに、そのときのドクターは、聴いてくれるタイプの方ではありませんでした。
形式的な項目にチェックを入れると「鬱」と診断され、こう言われました。
「薬、どうします? これはもう、飲まなきゃ治らないよ」
病院を出て車に乗った瞬間、息子はぶわあっと泣きだしました。
「薬は絶対飲まないし、病院にも絶対行かない」
「違う先生に診てもらう?」
泣きじゃくる息子に聞いてみましたが、
「もう病院の話はしないで」
と、ぴしゃりと撥ね退けられました。
息子に言われて、一番つらかった言葉があります。死にたいと言う息子を励ましたくて、「生きていてくれるだけで、いいんだよ」と伝えたときのこと。息子は言ったのです。
「生きさせようとしないで」
ズキンと胸が痛みました。「死にたい」と同じ意味なのに、全く違う響きがあったのです。かける言葉が見当たらず、ただ立ちつくすばかりでした。
ココロ貯金しか、できなかった
もう病院にも行けない。
不安でいっぱいで、何かにすがりたい気持ちでした。以前から東ちひろ先生の書籍やメルマガを読んでいたわたしは、子育て心理学カウンセラー養成講座を受講することにしました。
状況を聴いたちひろ先生は、とても現実的なアドバイスをくださいました。
「トイレに出てきたときに『よく眠れた?』と話しかけるだけで、“承認”になるよね」
それだけでもココロ貯金ができるのだと、気持ちが軽くなりました。
仕事に出かける前には必ず息子の部屋へ行き、“触れる”ことにしました。横になっている息子の肩やお腹を、タオルケットの上からさすります。
「行ってくるね」
当初は無反応でしたが、じわじわとココロ貯金がたまっていったようです。ある日、小さな反応がありました。
「いってらっしゃい」
今、いってらっしゃいって言った!?
新緑の季節が終り、梅雨も明け、暑い夏が近づいていました。
息子は少しずつ元気を取り戻していったのです。
通信制の高校へ
――この調子なら、学校に戻れるかも!
在籍していた進学校は、12月には自由登校になります。夏休み明けから学校に行ければ、あと少しがんばるだけで卒業できます。期待しましたが、息子には通用しませんでした。
「戻らせようとしてるかもしれないけど、絶対に戻らないから」
以前、通信制の高校に行きたいと言われたときに、いいよと答えたやりとりを覚えていたのです。こうなると、テコでも動かない息子。進学校への復学は無理だと悟りました。夫と3人で通信制高校の説明会に出かけ、8月末には転校が決まりました。
転校先は、本人が選びました。通学は週に2日ほど。あとはオンラインで動画を見て、レポートを出すだけでよい学校でした。親としては、“普通”に通学するタイプの学校に行ってほしいと思いましたが、本人の意思に従いました。スムーズに卒業できたことを思うと、正しい判断だったのでしょう。
受験もできました。受けたのは早稲田と慶応の2校だけ。「行きたくない大学に入っても、たぶん辞めると思う」と言われ、ここでも息子の意思を尊重しました。しかし、時間不足は補えず、どちらも不合格という結果に終わりました。
合格発表から帰った息子は、なぜか明るい顔をしていました。
「落ちたけど、浪人してもいい? 問題集買ってきた」
生き生きとした表情を、今でもよく覚えています。
自分スタイルの浪人時代
浪人中の息子の勉強法は、“自学自習”のスタイル。予備校には行かず、模試すら受けませんでした。判定が悪いとメンタルが落ちると言い、模試を受けたのは最初と最後の2回だけ。仕事から帰って部屋をのぞくと、ゲームをしていることもしばしば。次も浪人かもしれないねと、夫とも話していました。ただ、自分のペースで勉強はしていたようで、英検の準1級を浪人中に取りました。
前年の2校はさすがに少なかったと言うので、どこを受けるのかと聞くと、
・明治大学(1学部)
・慶応大学(2学部)
・早稲田大学(4学部)
の3校だけ。
もっと滑り止めになりそうなところも受けたら? と言うと、
「受かっても行かないと思う、行ったとしても、つまらなかったら辞めると思う」
と言われ、じゃあ増やさないで、と思いました(笑)。
“みんなは”だとか、“一般的には”という主張が、通じない子なのです。そんな息子につきあううちに、こちらの芯も太くなっていたようです。
――本人が元気なら、2浪でもフリーターでもいいや。
本気でそう思えるようになっていました。
すると、驚きの結果が出たのです。なんと……、3校7学部すべて合格!
信じられない気持ちでした。
「報われた気がするね」
息子に語りかけると、晴れ晴れとした表情でこう応えました。
「自分もそう思ってた。つらいこと、苦労とかもいっぱいあったけどね」
広がる未来
現在息子は、東京で一人暮らしをしています。「つらくなったら戻ってくればいいよ」と伝えていましたが、夏休みの帰省まで戻ってはきませんでした。憧れていた大学に通い、キラキラと輝く日々を過ごしているようです。
心の軸が太くなり、つらいときには人に頼れるようになりました。日頃はLINEでやりとりしていますが、元気がないと感じたときは電話をかけます。すると、1時間でも2時間でも平気で話しつづけます。“聴く”ココロ貯金が有効な子なのです。
「バイトで頼まれたことがあるんだけど、俺、できそうな気がする」
「自己肯定感、本当にあがったね」
「爆上がりだよ」
こんな会話ができる日がこようとは。幸せです。
「何があってもお母さんが味方でいてくれるのは、わかっているよ」
うれしいことも言ってくれます。
「子どもを信じる」という言葉がありますが、昔は実感がありませんでした。けれども今は、こういうことなのだとわかります。とても壮大な将来の夢を聴いても、
――この子ならできるかも。
と、素直に思えるのです。子どもの可能性は、親が思うより大きいのかもしれません。
衰弱し、どんな言葉にも無反応だった息子に、愛情を伝えられた唯一の手段がココロ貯金でした。
夏空に向かって伸びてゆく樹木のように、たくましくなった息子の明るい未来を、今は確信しています。
お母さんが実践したココロ貯金
・トイレに出てきたときに、一言 “承認”
・出かける前に、“触れる”ココロ貯金
・転校先は、息子くんの意思を尊重
・受験先も、息子くんの意思を尊重
・浪人時代の勉強法は、息子くんに一任
・本人さえ元気なら、2浪でもフリーターでも構わないという姿勢。
・一人暮らしの息子くんには、電話で“聴く”ココロ貯金