冷たい廊下
「なぜ、わたしはここにいるんだろう」
コロナ休校明けのにぎやかな教室は、つきそい登校後に一人ポツンと待機する廊下の静けさを引き立てていました。少しずつ動き出した世の中に取り残されていくような心細さ。
これからどうなってしまうのだろう。この調子で休んでいたら、あっという間に有休もなくなってしまう……。
息子の通う小学校はわたしの母校で、楽しい思い出ばかりの場所でした。同じ場所にこんな気持ちで立つ自分を、誰が想像したでしょう。授業が再開され、他のお母さん達は今ごろホッと一息ついているかもしれません。なのに、わたしは……。みじめで悲しい気持ち。あの頃の気持ちを的確に表してと言われたら、わたしは「屈辱」という言葉を選びます。
恐らく何らかの特性をもつ息子(後にASDとADHDが判明)の小学校入学は、不幸にもコロナが蔓延しだした年と重なってしまいました。ルーティンが好きでイレギュラーが苦手な息子。密集を避ける分散登校で、ある週は学童に行ってから学校、翌週は学校に行ってから学童、という目まぐるしい生活に適応できず、いつも混乱していました。
「ぼくは保育園生なのか小学生なのか、全然わかんないよ」
泣きっ面で訴える姿が可哀そうでも、どうすることもできません。担任が厳しい男の先生になったことも拍車をかけてしまいます。
「もういやだ」
「学校はお化け屋敷だ!」
通常登校が始まって1週間で、「行きたくない」と言うようになりました。
【宮治ゆみさんのプロフィール】
3人のお子さんをもつワーキングマザー。まん中の長男さんは現在3年生で、ASD・ADHDの特性をもつ。
小学校入学のタイミングでコロナが流行。
自宅学習や分散登校など規則性のない生活、先生との相性など、さまざまな要素が重なり不登校に。
生活がまわらない
当時しんどかったのは、登校時のつきそいが私しか許されなかったことです。両親と同居しており、夫も在宅ワーク可能な職種。家族の手を借りられる恵まれた環境だったのです。けれども息子は、「つきそいはママじゃないといやだ!」の一点張り。
「なんでママは、僕を置いて仕事に行くの?」
「僕より仕事の方が好きなんでしょう」
「僕なんて死んじゃった方がいいんだ」
「そんなことないよ。生きていくために仕方なくお仕事しているんだよ」と説明しても、「行くな」とまとわりついてエレベーターに乗せてもらえません。身を切られるような思いで仕事に向かいます。
がんばって仕事を休んで保健室に登校しても、先生の手が足りず親子でプリント学習しているだけ。出入りも多く落ち着けず、学校から足が遠のきました。
息子は荒れていきます。ものを投げる。障子を破く。学校には全く行かなくなり、「ヒマだ、ヒマだ」と言いながら、時間だけが過ぎていきました。数カ月後にようやく来てくれるようになった支援員さんにも、「出ていけ」「帰れ」と暴言を吐き、キックしたり、暴れたり。
そのうち姉弟にまで影響が出てきて、家の中はもうぐちゃぐちゃ。
「あの子ばかりずるい。わたしだって学校に行きたくないよ」
2つ違いの姉が登校をしぶるようになると、弟まで保育園に行かないと言い出しました。
仕事を辞めた方がいいのかな。
しかし、わたしが仕事を辞めたところで好転するのだろうか。
これから、どうなってしまうのだろう。
答えの出ない問ばかりが、頭の中でぐるぐると渦まいていました。
兆し
息子は引きこもりになってしまうかもしれない。
不安でいっぱいだった頃、ココロ貯金に出会いました。藁にもすがる思いで東ちひろ先生の本やブログを読み、無料カウンセリングにも参加、やる気と自信を育てる3カ月の講座を受けてみることにしました。
講座で習ったのは、「聴く」「触れる」「認める」と本当に簡単なこと。こんなことで変わるのかと、最初は半信半疑でした。
けれども、まずはやってみよう。
なかなか起きてこない姉弟とは対照的に、ルーティンが得意な息子は早起きです。
「おはよう、早起きだね。あなたのそういうところ、大好き」
と伝えます。
また、息子は触れられることが好きだったので、ことあるごとにハグしたり、頭をなでたり。ときにはギューッと抱きしめながら眠ることもありました。まるで赤ちゃんの頃に戻ったよう。そして「あなたはそれでいいんだよ。大好きだよ」と伝えていました。
するといつの頃からか、情緒が落ち着いてきたのです。
あれ? 表情が明るくなった? 目も丸くなってきたような……。
学校に行けるなど目立った進展はありませんでしたが、顔つきは明らかに変わっていきました。
ローストチキンとショートケーキ
ある日、息子がこんなことを言いだしました。
「本当はぼく、給食食べたいんだ」
忘れもしない、クリスマス前のある日のこと。特別メニューのローストチキンとショートケーキを食べたいと言うのです。
「じゃあ、行ってみようよ」
クラスメイトには会わなくてすむように先生に調整していただき、空き教室で給食を食べました。「おいしい、おいしい」と言いながら。
この出来事をきっかけに、年明けからポツポツと給食の時間だけ学校に行くようになりました。食べる場所は空き教室から保健室になり、3年生になった今では自分のクラスで食べられるようになっています。相変わらずつきそいは必要ですが、まずおばあちゃんが許されて、2年生の夏には夫やおじいちゃんでも大丈夫になりました。
転機
もう一つ大きな転機となったのが、2年生の7月に心理の検査を受けたこと。息子はASDとADHDだと認定されました。実は以前から検査を勧められていたのですが、息子が嫌がりなかなか受けられなかったのです。ココロ貯金が貯まって自信が育ったからこそ、検査を受けようという気になれたのでしょう。結果、「放課後デイサービス」に通えるようになり、息子の世界はぐんぐんと広がっていったのです。
頼もしく感じたのは、「まあいっか」という言葉が増えたこと。以前はよく口にしていた、「あの子がいるからやだ」「あの子を見るとムカムカして、叩いてやりたくなる」といった攻撃的な言葉が激減しました。色々な子と接する中で、お友達とのつきあい方が上手になったなあと感じます。
「放デイ(放課後デイサービス)に通う」というルーティンができたおかげで、生活のリズムも整っていきました。
もちろん、最初からスムーズに通えたわけではありません。9月に通いはじめた頃は、「ママが一緒なら行くけど」といった感じでした。それを「隣の部屋で待っているね」「下の階で先生とお話ししているから1時間だけがんばっておいで」といった具合に、少しずつ距離を離していきました。そのうちに、「ママ、いったん家に帰ってもいいよ」「おばあちゃんとでも行けるよ」と息子の方から言いだして、その年の冬には、週に5日も通うようになったのです。
リモートでココロ貯金
ココロ貯金を学んだものの、時間は有限で体は一つ。仕事のせいで朝と夜しか子どもと過ごせないことには、引け目を感じていました。それでも、できることをできるだけ。
視覚優位の息子は家でタブレット学習をしていて、学習すると親にメールが届く設定になっています。通知を受けたら、こちらからメッセージを送信。
「4教科もがんばって、えらいね」
「4ケタの計算ができるようになったんだね」
など、リモートでココロ貯金をしています。キャラクターがハグしている「大好き」というスタンプなども、届くととてもうれしそう。他にも「今日の晩御飯は何がいい?」「カレー」「OK!」といった他愛もないやりとりで、つながりを感じています。
お昼休みにはラブコール。
「元気? お弁当食べた?」
「うん。おいしかったよ」
簡単に言葉を交わします。
お弁当にはフセンでメッセージ。
「あなたの大好きなソーセージ、入れておいたよ」
「デザートにこんにゃくゼリーを入れたから食べてね」
などなど。
「離れていても、ママはあなたの味方だよ」と伝え続けています。
変化した日常
3年生になった息子の日常は、次のような感じです。
4時間目が終わる頃、「おはよう!」と元気に挨拶しながら教室に入ります。廊下側の一番後ろが特等席。給食をいただいて、昼休みはみんなと外遊び。5時間目の始まりのチャイムとともに学校を出て帰宅。13時45分に家の前からバスに乗り、今度は放課後デイサービスへ。
見事なルーティンが完成し、毎日楽しく過ごしています。
わたしが仕事を休む日は、児童精神科の受診と教育センターの面談の月2日だけになりました。
今年になって、うれしい出来事が続いています。
一つめは、息子が運動会に参加したこと。体育の授業に出たことは一度もないのに、動画で覚えたなわとびダンスをぶっつけ本番で披露しました。踊りだけではなくフォーメーションの変更にも、周りの子の動きに合わせてしっかり対応。堂々とした姿を、驚き感心しながら瞼に焼きつけました。
もう一つは、日直のお仕事をしたこと。たまたまお迎えに行ったところ、目を見張りました。黒板の前で司会を務めているのは……息子!
「帰りの会をはじめます。今日のキラキラさんの発表をお願いします……」
台本にそって進行し、誰かをあてて、みんなで拍手。「みんなの前に出て話す」なんて、従来は考えられなかった姿です。熱いものがこみあげました。
入学直後に息子が登校できなくなったとき、つきそい登校は苦しいものでした。いつも心の中にくすぶっていた「なぜわたしだけ」「なんでうちの子が」という疎外感、屈辱感。
ところが今のわたしは、そのつきそい登校を楽しんでいるのです。
子ども達の様子を観察できるのもうれしいし、廊下で待っていると話しかけてくれる子もいます。
「○○くんのお母さん、今日のピアスかわいいね」
「最近○○くん、毎日来てくれるね」
やさしい言葉に、わたしのココロ貯金がたまっていきます。
先生達も、ちょっとした言葉をかけてくださいます。こんな温かさはわたし達しか味わえないものかもしれない。みんなに見守ってもらっているな、息子は幸せだなあと思うのです。
2年前は、感謝を感じる余裕すらありませんでした。
お姉ちゃんまで登校をしぶりだし、“生き残っている”子だけは何とか学校に行かせなければと、目を吊り上げて闘っていたあの頃。けれども、小さな変化やお姉ちゃんなりのがんばりを認めていったら、今では「私は私」とどこ吹く風の風情です。
コントロールできないものには固執せず、コツコツとココロ貯金だけをためる。すると「正しく伝わる」ものなのだなと実感しています。
ココロ貯金はわたしのお守り。心の安定剤の一つです。これさえためておけば、子どものやる気と自信はあふれ、次のステップにいけるのだと信じられるから。
そしてもう一つ変わったこと。わたしは自分自身も大切にできるようになりました。自らを満たすこと——子どもができてから我慢していたネイルサロンに行ったり、大好きだったサーフィンを再びはじめたり。自分が満たされていると、子ども達にもたくさん貯金をあげられます。
週末は家族で海へ。子ども達は浜辺で遊び、わたしと夫は懐かしい海風に吹かれながら、交代でサーフィンを楽しんでいます。
お母さんが実践したココロ貯金
・赤ちゃんにするような「ふれあい」
・「あなたはそれでいいんだよ。大好きだよ」と何度も伝える
・空き教室⇒保健室⇒教室、の「スモールステップ」
・放デイも、お母さんと一緒に参加⇒隣の部屋で待機⇒階下で待機……と「スモールステップ」
・タブレット学習のメッセージ、昼休みの電話、お弁当のフセンで「リモートココロ貯金」
・自分自身も大切に