娘を置いて仕事場へ
「今日は学校に行く」
前向きな言葉に期待を抱き、学校まで送ったものの、車から降りられない娘。
仕方ないねと引き返し、家で娘を降ろしてから、職場へ向かうためにエンジンをかけました。
やはりダメだった。
でも、仕事には行かなくちゃ。
気持ちを切り替えようと自分に言いきかせた瞬間に、涙がこみ上げました。アクセルを踏みハンドルを操っているのに、涙は止まりません。
わたし達親子はどうなるのだろう。
心の中では、嵐が吹き荒れていました。
【真山みつきさんのプロフィール】
中学3年生と小学6年生の姉妹のお母さんでワーキングマザー。
主人公の次女さんは、4年生のゴールデンウィーク明けから登校しぶりがはじまり、その後不登校に。
子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、次女さんが5年生の夏。
不登校は突然に
「隣の席の子がいやだ」
「先生こわい」
ゴールデンウィーク明けからネガティブな言葉が増え、登校をしぶるようになった娘。4年生の担任になった先生はとても厳しく、「忘れものは絶対にしたくないんだ」と繰り返し言っていました。“忘れものをしていない唯一の子” になってしまった娘は、むしろ追いつめられてしまったようです。夜に荷物を確認したのに、朝起きてからもまた確認。
「ママ見て、ママ見て」
と、わたしにもチェックを頼んできます。とてもナーバスな状態で、「絶対に見落としてはいけない」とチェックするこちらまでプレッシャーを感じるほどでした。
緊張で不安定な娘を心配しながらも、フルタイムで働く身。ゆっくりと向き合う時間をとれずに、慌ただしい日々を過ごしていました。
梅雨に入った、ある月曜の朝。
「学校やめる」
娘が突然言い放ち、わんわんと泣き出したのです。学校のことで涙を流したのは、初めて。ただ事ではないと、わかりました。翌朝起きてからも、ぽろぽろと涙を流し、そのまま学校に行かなくなってしまいました。
まるで、キャンドルの火が燃えつきて、ふっと消えてしまったかのように。
仕事を辞めるべき?
少し休んだらまた行くようになるかもしれない。
淡い期待は裏切られ、夏が過ぎても、娘は学校に戻れませんでした。一度離れると教室がこわくなり、入れなくなってしまったのです。
「行きたいのに行けない」
そんな娘の気分が上向いたときには、集団登校の集合場所に一緒に行ったり、校門まで送ったりするようになりました。
そうなると大変なのが、仕事の調整です。心が激しく揺さぶられました。
「今日は学校に行ってみる」と言われるとうれしいはずなのに、「ああ、仕事はどうしよう」と思ってしまう。夜中に突然目が覚め、「2時間目から行くって言われたら、誰に送ってもらおう」などと考えはじめ、眠れなくなることもありました。
いっそ休んでくれたら、という気持ちは娘にも伝わっていたと思います。4年生の2学期は、「朝の会だけ」「1時間目だけ」とちょこちょこ学校に行きました。しかし3学期に登校できたのは、わずか三度ほど。わたしの疲れが原因でした。
いつまで続くのだろう。仕事をやめた方がいいのかな。
そもそも、わたしが仕事をしているから、娘の心が安定しないのかもしれない。
事情を相談した年上の方に、
「お母さんがそれだけ働いているとね」
と言われたこともありました。
「そうです……か……」
うまく言葉をつづけられません。
自責の念は、常にわたしに巻きついていました。
苦しい。きっと、わたしが悪い。
ココロ貯金との出会い
「5年生になったら、絶対に学校に行くんだ」
4年生のときから、そう言っていた娘。決意は固く、「5年生になったらがんばるので見ていてください」というお手紙を、先生に送ったほどでした。
もうすぐ、春が来る。
一筋の光を信じて、ときの訪れを待ちました。
桜が咲いて春休みが終わり、約束どおり始業式に出席した娘。
けれどもその後は、思惑どおりにいかなかったのです。先生が何気なくおっしゃる「これは4年生のときにやったと思うけど」というフレーズに、心がしぼんでしまうようでした。心機一転の再スタートを期待していたわたしのダメージも大きく、気持ちが沈みます。
今日は行くのか、行かないのか。学校や職場との調整に気が抜けない日々。疲れがピークに達し、駆け込んだのが、東ちひろ先生の子育て心理学カウンセラー養成講座でした。
春は過ぎ、夏が来ようとしていました。
相談できる場所があるだけで、なんて心強いのだろう。
まず、気持ちが軽くなり驚きました。わたしは、自分のココロ貯金を放置していたのだと気づかされたのです。そして、安定した気持ちでココロ貯金を実践すると早々に効果があらわれ、さらに驚くことになります。娘の瞳に力が宿り、表情が明るく変わっていったのです。
「ひたすら聴いてあげてください」
ちひろ先生のアドバイスは、それだけ。ときには聞き流してしまうことのあった「ママ、ママ」は、「上手に聴いてくれたら、わたし伸びますよ」というサインですよとおっしゃいました。
学校に行けなかった本当の理由
娘の話を聴くことを意識すると、より深い心の内を話してくれるようになりました。
クラスにおしゃべりできる子がいなくてさみしかったこと。自分から輪に入っていくのが苦手なこと。隣の男の子や先生が嫌だっただけではなく、本当は女の子の友達がほしかったのだとわかりました。
わかるよと労わりながら、たくさん話を聴きました。
多忙な日々の中で、もう一つ心がけたのは「腹貯金」。話を聴く時間が足りない分、好みの違う姉妹のために、メニューを変えて朝食を作りました。かなりバタバタしましたが、好物を食べるときのうれしそうな顔が励みになりました。「自分のために作ってくれた」という喜びが、パワーに変わることを祈りつつ。
ココロ貯金と腹貯金。嘘のようですが、たった二つの貯金で、娘は毎日学校に行けるようになりました。自分から、靴を履いた――あのときの感動は、今でも忘れられません。
第二の壁
ただ、学校に行けるようになると、新たな問題が浮上しました。思春期の入り口に差しかかった、女の子同士のつきあい方の悩みです。
やっとできたお友達の中に、「私とだけ仲良くして」という子がいました。娘が他の子と遊ぶと、帰宅後にメールが届きます。
「こういうことがイヤだった」
「ああいうのもイヤだった」
「今度やったら許さない」
激しい言葉が並ぶメールを、娘は泣きながら見せてくれました。学校に行きたくないと言う彼女に、
「こんな風に言われたらいやだよね」
「嫌だったら、遊ばなくてもいいんだよ」
と寄り添いました。わたしにできるのは、話を聴くことだけでした。
娘とわたしの成長
さまざまな関わりを経て少しずつ、娘の心は強くなったように思います。
「メールでケンカみたいになるのがいやだから、わたしのアドレス消して。わたしも消すから」
ある日、その子に伝えたのです。以後は二人では遊ばず、大勢の中の一人だったら遊ぶ、という距離の取り方をしているようです。
友達ができないと泣きべそをかいていた娘。そんな娘の心の中にいつの間にか、友達に依存しない自立心が育まれていました。
「お互いにしんどい友達関係なら、なくてもいいや」と思えるようになったこと。ケンカ腰ではなく、「あなたはそう思ったんだね、わたしは違うんだ」と伝えられた娘を、頼もしく感じました。
子どもの力は、本当にすごい。
「信じて待ってくれるなら、自分で伸びていくんだよ」
娘に教えられた気がします。
お母さんが実践したココロ貯金
・ひたすら「聴く」
・お姉ちゃんと別メニューの朝食で「腹貯金」