上と下の登校しぶり、母の救いは君だった
わたしから見た次男は、ごく普通の元気な男の子。積極的で友達も多く、学校生活を楽しんでいました。小学6年生になると、応援団長に立候補。生活態度や課題などすべての条件をクリアして、他の候補者をおさえ団長の座を勝ち取るほど、やると決めたら力を出せる子でした。
小学生のときから登校をしぶり、行ったり休んだりの長男と三男に挟まれながら、
「俺は学校行くから」
とマイペース。学校に行かないのは“カッコ悪い”と感じているフシもありました。
「母として立っていられるのは、あなたがいてくれるから」という感覚で、わたしにとって唯一の“救いの子”だったのです。
【神代順子さんのプロフィール】
18歳、16歳、14歳の3人兄弟のお母さん。
それぞれ全く違うタイプの不登校に遭遇する。
ASD(自閉症スペクトラム)の傾向がある長男さんのお話は、『不登校の教科書』(東ちひろ著)に掲載中。
本コラムは、次男さんのストーリーを中心にお届け。お母さんがココロ貯金を学んだのは、長男12歳、次男10歳の頃。
学校には行きません
次男は順調に、中学に進学しました。サッカー部の練習に励んで、土日は試合三昧。母の理想とする学校生活を送ってくれる、“希望の星”だったのです。
ところが、中1の夏休み明け。
「俺、もう学校行かないから」
はっきりと言い切った次男の宣言に、膝からくずれ落ちました。青天のへきれき、寝耳に水です。
もともと、意思の強い子。長男や三男のような、行ったり行かなかったりの“登校しぶり”という段階は踏まず、“決定事項”として「学校には行かない」と言い渡されました。
まだ何か体験させてくれるの?
わたしは神さまを呪いました。「完全不登校」は次男がはじめてでした。
一番つらかったのは、「今日は休みます」という学校への連絡です。行かないに決まっているのに毎日かかさず連絡が必要で、電話しないと向こうからかかってきます。ブーッブーッと揺れる携帯に出るのがイヤで、ぼうっと眺めながら放置しつづけたこともありました。
やがて秋が来て冬になり、学校に行かないまま、次男の中1の課程は終了しました。暦が変わり、2年生。心を新たに登校してくれるのではとないかと期待しましたが、時間だけがむなしく過ぎていきました。
友達に囲まれて、キラキラと輝いていた次男。ここ一番でがんばれる、かしこい次男。一体どうして……?
長男は泣くことで、三男は怒りで感情を表現します。ところが次男は、自分の中に秘めるのです。怒るときは、静かに怒る。何を考えているのか一番わからないのが次男で、触れられない怖さがありました。
「連絡しません」宣言と、次男の告白
2年生で担任になった先生は、男の子4人のお母さんで話しやすい雰囲気の方でした。わたしは思いきって相談してみました。
「毎日つらくて仕方がありません。申し訳ないのですが、出欠の連絡をやめさせていただけませんか」
行くときも行かないときも連絡はしません。自分の思いを貫きとおす彼なので、行くことはまずないと思います、と。
すると、先生は応えてくださいました。
「わかりました。学校につれてくるのはお母さんなので、お母さんがつぶれたら意味ないですから」
本当に感謝しかありません。
日々のストレスが減って、わたしの覚悟も決まりました。
とにかく待とう。
本人が動く気にならないと無理なのだ。長男は小細工に乗ってくれることもあったけれど、次男は違う。ヘタに策を弄しても、すぐにバレてしまうだろう。
次男へのココロ貯金の大部分は、「待つ」ことだった気がします。そして、もう一つは「聴く」ことでした。こちらが話したいときではなくて、次男から話しかけてきたときに、しっかりと聴く。ここがチャンスだと、すべてを拾うつもりで、「そうかそうか~」とひたすら聴きました。
すると少しずつ次男の口数が増え、感じたことを話してくれるようになりました。そして、中学2年生も終わりに近づいたある日、ポツリポツリと話しはじめたのです。
「部活でさ」
「先輩とさ」
「ケンカしてさ」
もしかしたらこれが、学校に行かないと決めたきっかけだったのかな。
青天のへきれきだった不登校宣言から半年近く。ようやく “話せる相手”として認められたのだと、感慨深い気持ちでした。
“ドライブスルー”で登校
中学に通っていない次男でしたが、先々は高校に行きたいという気持ちをもっていました。彼の思いを知っていたので、機嫌がよいときを見計らい「高校に進むのなら、登校日数や出席率も関係してくるのかもね」などと伝えていました。
ちょうど次男が心を開きはじめた頃、同じように学校を休んでいる子が夕方に登校しているという話を聞きました。
「みんなの授業が終わったあとに、学校に行ってもいいらしいよ」
と伝えると
「いや、行かないし」
と一蹴されて、ですよねと引き下がる。
「でも高校に進むのなら、登校日数もねえ……」
“あなたには言っていませんよ”という独り言の体で、あさっての方向に言葉を投げる。
何度かそんな会話を繰り返したある日、一緒に買いものに行く用事ができました。
「TUTAYAに行くついでに、学校に寄ってみない?」
気軽な調子で声をかけると、
「ああ、じゃあ」
との返事。たまたま波長が合ったのかもしれません。
これが“ドライブスルー登校”の始まりでした。
学校に着いたものの、
「降りねえから」
と言われ、そうだよね、来たことだけ伝えてくるね、とわたし。
先生にご挨拶すると、せっかくだから顔を見に行こうかなと、車まで来てくださいました。窓ガラス越しに呼びかけられ、うつむく次男。決して顔を上げない彼に、先生が明るく言いました。
「でも、来てくれたからね。またね」
1分ほどの短いやりとりでした。
それからは買いものがあるたびに、学校に寄らないかと声をかけました。車を降りないならいいよと言うので、通うだけのドライブスルー登校。先生へのご挨拶は、わたし独りで行きます。
「親子関係がくずれるのはいやなので、無理には連れて来ません」
先生には、息子の信頼をこわしたくない旨を伝えてありました。もう一つお願いしていたのは、「声がけして息子がいやだと言ったら、粘らずにスッと引いてください」ということ。それが何度も続けば「先生に悪いから、今日は行ってやるか」という日が必ずくる。申し訳ないなと感じる心はあるやさしい子なのでと、次男のトリセツも伝えていました。策を弄して「行けばいいって言ったじゃん。なんで顔出し勧めるの?」とならないようにだけ、心を配っていました。
先生とのタッグが功を奏したのか、徐々に教室が近くなっていきました。
「今日は調子良さそうかな? 教室に行ってみる?」
「え~、しょうがないな」
教室に足が向く機会が増え、少しだけ学習していけるようになりました。
「勉強したいなら、夕方でよければつきあうよ」
明るく微笑む先生との勉強が、だんだんと楽しくなっていったようです。5分、10分、15分、30分と学習時間が延びていき、そのうち自転車に乗って一人で学校に行くようになりました。“ドライブスルー登校”は、いつの頃からかしっかりとした“夕方登校”に変わっていました。
「一度テストも受けてみる?」
先生に勧められたテストは思った以上に出来が悪く、これはまずいと本人が気づいたようでした。先生との勉強に加え、タブレット教材にも一人で取り組むようになりました。タブレットの教材は、間違ってもA判定をとるまでくり返しできる仕組みになっています。生来の意思の強さを発揮した次男は、猛勉強。数学はリアルタイムで同級生が学習している課程まで、追いつくことができました。
とはいっても、努力している姿は見せません。「決してのぞかないでください」という鶴の恩返しのように、見えないところでがんばるタイプ。知らないうちに、数学が大好きになっていました。
通信制の高校へ
次男は現在16歳。通信制サポート校の2年生で、明日からは楽しい夏休みです。
今通っている学校との出会いは、中学3年生の秋でした。次男の進路を考えなければという思いを頭のどこかに置きながら、パラパラと地方紙をめくっていると、オープンキャンパスの案内を見つけました。
通信制もありなのかも!
長男の卒業時に比べ、わたしの頭も柔軟になっていました
「こんな学校があるよ。見学に行ってみない?」
「行ってみようかな」
当日は、保護者のための説明会の間、子どもは先輩の話しを聴いたり、音楽に特化したカリキュラムの体験レッスンを受けたり。体験を通して、先生と生徒の距離感やコミュニケーションの雰囲気を心地よいと感じたようでした。
「どうだった?」
「なんかいいかも、この学校」
ここからの流れはとてもスムーズ。“何となくいい”と感じたフィーリングに従って、翌週の文化祭も見たいという次男につきあいました。
「俺、ここに行きたい」
まだ一校見学しただけだよと思いましたが、通うのは次男です。じゃあ決めようかと11月の終わりに試験を受け、12月には合格。早々に進路が決まったため、あとは気楽なものでした。
進路決定後も先生との補習は途切れることはなく、卒業するまでつづきました。
三人三様
ここで、わが家の3兄弟の近況を整理してみます。
・長男:通信制高校1年生
・次男:通信制サポート校2年生
・三男:中学3年生(絶賛不登校中)
自閉症スペクトラムの傾向がある長男は、最初に入った公立高校は1年弱で自主退学。家事手伝い、夫の仕事のサポートを経て通信制高校に入りなおしたので、学年が次男と逆転しています。
最初の高校に馴染めず、「俺は死んだほうがいい」とまで言っていた彼は今、自ら稼いだお金で授業料を払い、月3回の程よいペースで通学しながら、学ぶことを楽しんでいます(※長男の話は『不登校の教科書』(東ちひろ著)に掲載)。
次男も学校生活を満喫中。同じ通信制でも“サポート校”は毎日登校するため、友達を作りやすいようです。学校帰りにみんなでカラオケに行くなど、明るく人気者の彼に戻っています。テスト前には友達のために解説ノートを作るなど、この子は余裕があるのだなあと感じさせてくれます。高2になると中だるみで出席率が落ちましたが、自ら立て直し、夏休みの補習を回避しました。
中学3年生の三男坊は学校に行っていません。のびのびと不登校ライフを楽しみ、夕方には大好きな支援級の先生に会いに行きます。
忘れられないのは、彼が小6だったときの運動会。「観に来たら?」と先生に誘われ、同じく不登校のお友達と見学することになりました。誰にも見つからないすみっこで、ひっそり観ようと考えていた我々親は、彼らが確保した場所に絶句しました。なんと、退場門の真ン前だったのです。
「おおっ、速い、速い」
談笑しながらくつろぐ彼らは、不登校を恥じてはいませんでした。
不登校って悪いことじゃないよね。学校が合わない、ただそれだけのことなんだ。
大きな空の下で子ども達に教えられ、一つ成長できた気がしました。
兄弟3人の不登校に関わってきた、これまでの子育て。長いような短いような歳月でしたが、わたしの腕はずいぶんと上がりました。三男のときなどは慣れたもの。真っ先に「わが家は出欠連絡しないシステムでやらせていただいております」とお伝えし、穏やかに子どもの成長を見守っています。
三男の髪の毛は今、ちょうど甲冑のような長さです。髪を伸ばして顔を隠し、まさに鎧替わりなのでしょう。テンションが上がったときには、少しだけ顔がのぞきます。
面白いことに、修学旅行が近づくにつれ前髪が割れてきて、少しずつ表情が見えるようになりました。そして、ついには自分で髪をかき上げて修学旅行に参加、無事に戻ってきました。
まったく違うルートで成長を見せてくれた兄たちのように、三男も自分らしく歩むのでしょう。あの鎧も、いつかずっと外していられる日がくるだろうと、今は信じられるのです。
わたしにとってのココロ貯金は、「自分を正す術」でした。迷ったとき、ブレそうなときに戻る正しい場所。これからも無理なく楽しみながら、個性豊かな3人の成長を見守っていくつもりです。
お母さんが実践したココロ貯金
・本人が動き出すまで、信じて待つ
・話したいときではなくて、子どもに話しかけられたときにしっかりと「聴く」
・子どもの意思を尊重し、いやだと言ったらスッと引く
・子どものトリセツを伝え、先生と一緒にココロ貯金をする
・「動くのは子ども」だからと、子どものフィーリングを信じる