体験談
引きこもり
――そろそろ、空気を入れ替えたほうがいいかもしれない。
軽く息を吸ってから、娘の部屋のドアを小さくノックしました。返事がないのは、いつものこと。ほん
の少しだけ扉を開けた、その瞬間――、
「入ってくんな」
鋭い声が飛んできて、胸の奥がぎゅっと縮むのがわかりました。
高校2年生の冬休みが明けてすぐ、娘は学校へ行かなくなりました。いつも機嫌が悪く、話しかけても
返ってくるのはトゲのある言葉ばかり。会話はもう、成り立たなくなっていました。
一日中、ほとんどの時間をベッドの中で過ごす。
お風呂にも入らない。
部屋からはまず出てこない。
娘はまるで、人として生きるための営みを放棄してしまったように見えました。

【お母さんのプロフィール】
現在高校3年生の女の子のお母さん。お嬢さんは高校2年生の1月から不登校に。
子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが高校3年生の6 月。
不登校の兆候
学校をぽつぽつ休むようになったのは、高校2年生の10 月頃からです。
夏休みの明けのテストが終わると塾に行きはじめましたが、
「わたしは行かない」
そう言って、すぐに辞めてしまいました。
はっきりした理由はわかりません。けれど、ちょうどその頃から、学校を休む日が増えていったように
思います。
部活動は陸上部のマネージャーをしていました。
活動が活発な部で、土日も毎週あったり、雨の日でも外でやったり。
練習がない日でもマネージャーだけ行くこともあり、忙しそうにしていました。
そんな慌ただしい日々を、明るく朗らかに過ごしていた娘。
「部活もがんばるし、大学受験もがんばる」
前向きな彼女の言葉を、頼もしい思いで聞いていたのです。
止まった時間
それなのに、今は……。
学校に行けなくなっただけでなく、親子の会話すらできない状態。
――いったい何が起こったの?
娘の急激な変化を、わたしはなかなか受け止められませんでした。
気がつけば季節はめぐり、窓の外では明るい日差しを受けて葉桜がゆれています。
けれども家の中は冷え冷えとしていて、時間も季節も止まってしまったようでした。
かろうじて3年生に進級できたものの「不登校」の状況は変わりません。
勇気を出して娘に話しかけるたびに、刺々しい暴言が返ってきます。しだいに疲弊し、娘との会話を避
けるようになっていきました。接点が減るにつれ、どうすれば彼女の心に触れられるのか、ますますわ
からなくなってしまいます。
まるで暗闇の中にひとり取り残されたような、八方を塞がれたような、つらい気持ちでした。
ここから抜け出すには自分で動くしかない。
頭ではわかっているのに、どう動けばいいのかわからない――。
そんなときに出会ったのが「ココロ貯金」でした。
会話がなくても
東ちひろ先生の発信を追うようになり、真っ暗だと思っていた場所に小さな灯りがともった気がしまし
た。
どんな状態でも、たとえ会話がなくても「ココロ貯金」はできる。
その考え方に、深く救われました。
「〇〇ちゃん、おはよう! 起きたんだね」
名前を呼んで、挨拶をする。
目に入ったことを、そのまま言葉にして“実況中継”する。
ただそれだけの関わりで、子どもが前に進む力をチャージできるというのです。
また、娘の好きなご飯をつくってあげる“腹貯金”もできるだけ心がけました。娘は好き嫌いがはっきり
しているので、とてもよかったと思います。
ささやかなココロ貯金を重ねていくうちに、ピリピリしていた娘の空気がやわらいでいきました。やが
て少しずつ会話が戻り、彼女が抱えていた思いも知ることができました。
「大学に行かないのに、高校に行く意味がない。だから高校はやめたい」
娘なりに考え、一般的な価値観や親の期待を感じて、葛藤していたのかもしれません。
スイッチ
6月。
子育て心理学カウンセラー養成講座に通いはじめて、間もない頃のことでした。
学校の先生から、一本の連絡が入ります。
このままでは、あと〇日で卒業がむずかしくなる――
そんな現実を、静かに突きつけられました。
――とうとう、このときが来てしまった。
覚悟を決めて、娘に伝えます。
ところが意外にも、娘はある程度の出席日数を把握しており、置かれた状況もわかっていました。
そして、さらに驚くことが起こります。
その日を境に、毎日、学校に通いはじめたのです!
自分をつらぬいた夏休み
夏休みになると、娘の学校では、ほとんどの生徒が補習授業に通います。
6月、7月とほぼ毎日登校した娘でしたが、夏休みの補習は一切参加しませんでした。
空いた時間で、料理をしたり、お化粧の練習をしたり、ネイルに触れてみたり。
自分が「やりたい」と思うことにたっぷりと時間を使い、機嫌よく過ごしていました。
まわりのお友達はほぼ全員が補習に参加していたので、
「どうして行かないの?」
とたずねると、娘はあっさり言いました。
「授業を聞いてもわからないから」
受けても意味がない。
わからないまま座っているのが苦痛なのだ、と。
以前の娘なら、まわりに合わせて無理をしていたと思います。それを思うといい意味での図太さが備わ
り、自分を守る力が育ってきたように感じました。
未来へ
そして今。
驚いたことに娘は、大学への進学を希望しています。
「やっぱり大学に行きたい」
そう言って、勉強にも向き合うようになりました。
理由は、「大学生になりたいから」。
それだけです(笑)。
――どうか、高校だけは卒業させてください。
そう祈っていた一年前のことが、ずいぶん遠い出来事に思えます。
娘の暴言に傷つき、無力な自分に落ち込んでいたあの頃……。
当時の娘は、確かに大きな壁の前で立ち尽くしていました。
けれど、ココロ貯金で心が満たされはじめると、気がつけば自分の力で、その壁を越えていたのです。
親は、子どもの問題を解決することはできない。
子どもの心が動き出すまで、ただココロ貯金を続けるだけ。
ああ、それでよかったのだと、今はそう思っています。
◎お母さんが実践したココロ貯金◎
・名前呼び+挨拶
・実況中継
・腹貯金
・補習を受けないなど子どもが周りと違う行動をとっても、ただ見守る

