体験談
娘の家出
「出てきなさーい」
血相を変えて実家に駆け込んだわたしは、娘が立てこもっている和室のドアを何度も叩きました。
小学4年生の頃から、心が大きく揺れると衝動的に家を飛び出すようになった娘。
5年生の2月になると、家出の回数は目に見えて増えていきました。
行き先は、歩いて行けるわたしの実家。おじいちゃんとおばあちゃんの家が、娘の避難場所になっていたのです。一度家を出ると、数日は戻ってきませんでした。
「開けなさい。顔を見せて」
必死に声をかけても、和室のドアは決して開きませんでした。

【お母さんのプロフィール】
小学6年生の女の子のお母さん。小学5年生の2月からお嬢さんの癇癪が激しくなり、学校からも足が遠のく。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、お嬢さんが6年生の春。
中学受験のプレッシャー
家出が頻繁になった背景には、中学受験の勉強が追い込みに入ったことがありました。
娘が通っていた塾では、5年生の2月になると6年生のカリキュラムが前倒しではじまり、授業時間が長くなりました。
もともとロングスリーパーで、しっかり眠ることでバランスをとっていた子です。リセットの時間が削られるにつれ、表情に余裕がなくなっていきました。
「大丈夫? 」
「しっかりね」
励ましているつもりのわたしの言葉も、逆にプレッシャーになっていたのだと思います。
表情が曇り、やがて塾に行けなくなり、春休みに入った途端――
糸が切れたように動けなくなりました。
もう学校はムリ
春休みに実家の和室に立てこもった娘は、そのまま戻ってきませんでした。
新学期を迎えましたが、学校にも行こうとしません。
少しでも前向きな気持ちになればと思い、学校からもらったクラス名簿をスクショして送りました。
すると、電話越しの娘の声色がサッと変わったのです。
「あ、もう無理。わたし一生学校に行けない。」
実は娘には少し特性があり、低学年の頃にはトラブルもありました。
そのため学校にお願いして、「ちょっと無理」な子とは同じクラスにならないよう配慮してもらっていました。
新しいクラスには「ちょっと無理」な子はいなかったのですが、娘にとっての「隠れNGちゃん」がそろってしまっていたようでした。
名簿に〇と×をつけて送り返してきて、「NGが19人」と。
もう行かない。行きたくない。
娘の中では、はっきりと結論が出てしまったようでした。
導火線
その頃の娘は常にピリピリしていて、導火線がとても短くなっていました。
誰が何を話しても、ちょっとしたきっかけで癇癪を起こすのです。
たまに部屋から出てきた娘に、
「ご飯食べる?」
「おやつがあるよ」
と、誰かがごく普通に声をかけただけで
「うるさい」
「ほっといて」
ときつい反応。
少しでも気に入らないことがあると
「もういい!」
と地団駄を踏み、バーンッとドアを閉めました。
実家の壁やふすまには、娘が作った穴があいていました。
娘の昼夜は逆転し、引きこもっている部屋からは、ゲームやYouTubeの音だけが絶えず聞こえてくるのでした。
心理士さんに相談
娘に特性があったことから元々心理士さんとつながっていたので、3月から4月にかけては心理士さんに相談していました。
「とにかく見守りましょう」
心理士さんは、そうおっしゃいます。
けれど、わたしの中に疑問が残ってしまうのです。
「ただ見守っていたら、この子はどうなってしまうの?」
「見守った後はどうすればいいの?」
さらに、
「ゲームもやりたいようにやらせてください」
と言われたときには、正直反発を覚えました。
「え、放っておいても大丈夫なの?」
アドバイスのひとつひとつに根拠がないように感じてしまい、どうしても納得がいきませんでした。
ココロ貯金との出会い
ちょっとしたことで炎上してまわりにあたり散らす娘。
わたしだけではなく、実家の両親や同居している妹も、しだいに疲弊していきました。
家族がみな疲れきり、家の中がぐちゃぐちゃだったときに出会ったのが、ココロ貯金でした。
子育て心理学カウンセラー養成講座に入り、一番ありがたかったのは「選択肢が増えた」こと。
メンタルが荒れている娘に対して、できることは多くありません。
しかもすぐに解決するものではないので、こちらも疲れてがんばれない日もあります。
そんなときは、ハードルを一段下げたココロ貯金をすればいい。
そう教えていただき、本当に気持ちが楽になりました。
わたしの考え方も大きく変わりました。
以前は、「ゲームを好きなだけやらせるなんて大丈夫?」と、悪い意味での放任のように思っていました。
けれどココロ貯金を学ぶうちに、ストンと腑に落ちた瞬間があったのです。
――ゲームすることが、今、娘がやりたいこと。
だとすれば、自由にゲームをさせてあげることが、娘を「承認する」ことになるのではないだろうか。
やりたいことをやりたいだけできる時期って、人生の中できっと短い。
今なら何の義務もなく、失敗してもまだ戻れる。
昼夜逆転? 死なないから大丈夫。
気が済むまでゲームをさせておくことがココロ貯金にもなるのだと、ごく自然に受け入れられるようになったのです。
スピーカーモードでココロ貯金
それからは、娘への関わり方が大きく変わりました。
いちばんの変化は「家に戻そう」としなくなったことです。
娘の気持ちを尊重し、無理に戻そうとしない。
話を引き出そうともしない。
――戻りたければ戻ってくるだろう。
そう考えるようになりました。
とはいえ、
「心配しているよ」
「大好きだよ」
という気持ちは伝えたかったので、毎日朝と晩に、実家に電話していました。
向こうでスピーカーモードにしてもらい、娘に声をかけます。
「〇〇ちゃん、おはよう。もう起きてた?」
名前を呼んで挨拶して、ひと言だけ。
返事がなくても気にせず、さらりと切り上げます。
「じゃあね。もし何か話したくなったら、いつでも聞くよ」
「今日こんなことがあったんだよ」
「今日ママはこれをやるんだよ」
たまにはそんな言葉を添えることもありましたが、反応は求めませんでした。
家族の協力
実家の親と妹には、
「ゲームをやっちゃだめ」
「早く寝なよ」
といった、娘の行動を制限するような声がけはしないようにお願いしてありました。
はじめの頃は娘を心配してくれて、彼女が起きているあいだは誰かが起きていてくれました。
でも、みんな少しずつ疲れていきます。
そこで、寝る前に
「〇〇ちゃんお休み」
という声だけかけて、いい意味で「放任」してもらうように頼みました。
小さな変化
4月の後半になると、娘の様子が少しずつ変わってきました。
「今日は何のゲームをするの?」
とたずねると、答えが返ってくることが増えてきたのです。
もともと話すのが大好きな子なので、誰ともしゃべらない状態がつらかったのだと思います。
「聞いて聞いて聞いて」
と、向こうから電話がかかってくることもありました。
一方的に話しては
「じゃあね」
と切られてしまうのですが。
実家からではありますが、学校にも少しだけ顔を出すようになりました。
先生に挨拶をしに行く。
保健室に1時間だけ顔を出す。
当時のメモを見てみると、4月は4日だけ学校に足を踏み入れていました。
「わたし、ゴールデンウィークには戻るよ」
連休中の塾のカリキュラムについて伝えたところ、娘ははっきりとした口調で言いました。
驚きながらも、平静を装って答えました。
「そっか。戻ってこられるんだ。じゃあ待ってるね」
「戻ってきたら家族3人で、ゲームしよう」
自宅から再スタート
そうは言っても、戻ってくるのは先になるかもしれない――
期待しすぎは禁物です。
できるだけ平常心で過ごしていましたが、娘は本当に、連休のはじめ(5月1日か2日頃)に戻ってきました。
そして連休が明けると、学校にも行くようになりました。
5月は20日のうち12日登校。
4月が4日だったことを思うと、大きな進歩です。
もちろん一日中いられるわけではなく、1時間だけ行って帰る日や、放課後だけの日もたくさんありました。養護の先生が仲良しだったので、保健室には行きやすかったようです。
委員の仕事
教室には行ったり行かなかったり。
ベースは1時間ほどの保健室登校、という日々が続いていました。
そのような状態でしたが、娘は色々やりたいことがある子です。
ほとんど学校に行けていない4月の段階で、修学旅行委員に立候補していました。
本当にできるの?
学校に行けていない日の方が多いのに大丈夫?
心配でしたが、先生は明るい口調で言ってくださいました。
「せっかくやりたいと言っているのだから、挑戦してみましょう。できなかったら、そのときに考えましょう」
そして、委員の活動は6月からはじまるよと先生に聞いたとき、娘はきっぱりと言いました。
「6月になったら、わたしは学校にちゃんと行く」
「委員の活動もできる」
自己コントロール
6月になるとものの見事に、少なくても委員の活動のある日は、必ず教室に行くようになりました。
時期を同じくして、癇癪がほとんどなくなりました。
2月から4月の大荒れの時期を思うと、天国と地獄ほどの差です。
ときには
「ママ、ママ」
と自分から話しかけてきます。
2月から4月のあいだは、ハグしようとすると
「あー、うるさっ」
と嫌がっていたのに、自分からくっついてくることも増えてきました。
「夜は一緒に寝てほしい」
「でも触らないでほしい」
そんなふうに、自分の気持ちを言葉で伝えてくれるようになりました。
逆に朝は、娘のほうから布団に入ってきます。
「朝はスキンシップの時間」
「充電」
などと言いながら。
塾でものびのび
夏休みに入ると、娘は塾の夏期講習に通いはじめました。
それまでは、
「今日は1コマだけ」
「週3回のうち1日だけ」
というように、無理のない範囲で通っていましたが、ここにきて完全復活を遂げました。
「テストができないとクラスが下がる」
「席が後ろになっちゃうから それがこわい」
そんな完璧主義ゆえの臆病さがあったのですが、最近は開き直れるようになってきました。
塾の先生から見ても、娘は大きく変わったようです。
「人と比較しなくなりましたね。“自分は自分”という感じで、すごく落ち着いています」
以前はテストの採点結果を見て
「もうだめだ」
と思うと、トイレに逃げ込んで戻ってこないことがあったのだとか。
落ち込みが表情にありありと出て、その後の授業は上の空……ということもあったそうです。
けれど最近は不安そうな表情をしなくなり、淡々と採点して淡々と授業に入っているのだと聞きました。
ずっと心がけていること
ココロ貯金がたまってくると、一時的な結果に心を乱されず、前向きにがんばれる。
そう実感しています。
学びはじめた頃からずっと心がけているのは、娘に
「無理なことは言わない」
「いい意味で期待値を上げない」
ことです。
それから、娘の話をよく「聴く」こと。
あのどん底を経験して、娘と話せる時間がどれだけ貴重かを知りました。
だから話しかけられたときは、手を止めて聴くようにしています。
昔はよく、
「ママ、聞いてないでしょう」
と言われましたが、今はそんなことはありません。
「いっしょにゲームしよう」
と言われれば
「うん、わかった。マリオカート2回ね」
と応じます。
わたしは長くゲームをすると気分がわるくなってしまうので、回数で区切っています。
わたしのココロ貯金
実は11月から12月にかけて、娘に疲れが見えてきました。
基本的にまじめな子なので、先生に期待されると、無理をしてでもがんばってしまうことも原因です。塾に学校にとマックスに走り続け、疲れをリセットする余白がないようでした。
すると、どうなるか。
ゲームが途切れない。
携帯を2階にこっそり持っていく。
わたしが様子を見に行くと、背中の下にスイッチを隠して「何もないよ」と言ったりする。
「ああ、ココロ貯金が減っているな」とわかります。
けれど今は、何をすればよいかがわかっています。
感情にまかせて大きな声で叱ることも、ムダに不安になることもありません。
粛々とココロ貯金をためていくだけ。
娘のココロ貯金をためていくと、わたしまでエネルギーをもらえるから不思議です。
ココロ貯金は、いつもわたしが戻る場所。
枯れることなく湧き出て、どんなときも潤してくれる泉のようなものだと感じています。
◎お母さんが実践したココロ貯金◎
・余計なことを言わない・家に戻そうとしない
・スマホのスピーカーで名前呼び+挨拶
・返答がなくても、大好きだよ、大事だよと伝える
・無理なことは言わない。期待値を上げない
・回数を区切ってゲームにも応じる
・手を止めて話を聴く

