体験談
不調のはじまり
約6年。
「学校に行きたくない」という息子と向き合い続けた時間です。
今度こそ調子が上向いたかと思えば、再び迷路に迷い込む。
紆余曲折をくり返す、長い道のりでした。
はじまりは高校2年生のとき。
息子に起立性調節障害の症状がみられるようになり、朝ぐったりとして起きられなくなってしまいました。サポートが必要だったので、わたしは毎日自転車を車に積んで、彼を学校まで送り届けていました。朝はぐったりとしていた息子も学校が終わる頃には元気を取り戻し、お友達と自転車で帰ってきます。高2から高3にかけては、常に不安と隣り合わせの、ちぐはぐで心もとない毎日を過ごしていました。
“高校中退”という言葉が頭をよぎったことは何度もあります。
けれども周囲に支えられ、何とか卒業。
さらにご縁があり、大学にも現役で合格することができました。
ただ、ひとつだけ心配ごとがありました。
合格した大学が遠方だったため、下宿しなければならなかったのです。正直、不安は拭えませんでしたが、苦労の末に受かった大学でもあります。その頃には起立性調節障害の症状も緩和しており、自分で起きられる日が増えていたので、気持ちを新たにがんばろうということになりました。
ところが新生活に入って間もなく、思いもよらない事態から暗雲が立ちこめることになります。

【お母さんのプロフィール】
3人兄弟のお母さん。次男さんは高校2年生で起立性調節障害からくる登校しぶりがはじまり、大学入学後も留年をくり返すことに。子育て心理学カウンセラー養成講座を受講したのは、次男さんが大学2年生の夏。
コロナの蔓延
きっかけはコロナ禍でした。
大学に入学して間もなく対面授業はなくなり、授業はオンラインに切り替わりました。
友達を作る間もないまま、新生活は画面越しにはじまったのです。
その後、コロナが少し落ち着き、大学での授業は再開されました。
けれども息子の人間関係は、ほとんど広がらないまま……。
「学校に行けば、友達に会える」
高校時代には、そんなあたりまえの楽しみがありました。
けれど大学では、その支えが見つかりません。
理由のはっきりしない不安に包まれ、息子の足はしだいに大学から遠のいていきました。
息子の中には、理想の姿があったそうです。
――起立性調節障害を克服し、今度こそきちんと通って、大学生活を楽しみたい。
思い描いていた自分と、大学に行けない現実の自分。
その差に苦しみ、次第に人と会うことが怖くなっていきました。
家から一歩も出られない日があったことを、後になって聞きました。
空白だらけの成績表
実は、息子がそこまで追い込まれていたことに、親であるわたし達は気づいていませんでした。
平穏な大学生活を送っているものだと、疑いもせずに信じていたのです。
ところが――
息子が大学2年生に進級した5月頃、自宅に送られてきた成績表を見て、わたしたちは言葉を失いました。
目に飛び込んできたのは、ほとんど空白の単位一覧。
単位を取るどころか出席すらできていなかったことも、そのとき初めて知りました。
息子の通う大学では、3年生に進級するために必要な単位数が決められていました。
ただ、1年生の単位が足りなくても、2年生には進級できる仕組みだったのです。
そのため、大学に通えていない息子の状況をわたし達がつかめないまま、ここまで来てしまったのでした。
息子は、なかなか打ち明けられなかったようです。
成績表を前にして事情を話したとき、どこかほっとした表情を浮かべていました。
――やはり、いきなり独り立ちするのはむずかしいのだ。
そう感じたわたしは、もう一度、息子のサポートをはじめることにしました。
朝はモーニングコールをして、体調や様子を気にかけながらこまめに連絡を入れました。
けれど現実は、思うようにはいきません。
「少し上向いてきたかな」
「また大学に行けそうだな」
希望を感じはじめた矢先に、また行けなくなる日が訪れる。
前に進んでいるようで、また戻る。
一進一退をくり返し、気がつけば2年の歳月が流れていました。
転機
――このまま同じことをしていても、何も変わらないのではないだろうか。
あるとき、ふと恐ろしくなりました。
もう何年も、2年生に留まり続けている息子。
本来ならば大学4年生。
就職先を考え、社会に出る助走をはじめる年齢です。
「今度こそがんばる」
その言葉を、これまで何度聞いてきたでしょう。
――ここは一度、子どもとの関わり方をきちんと学んだほうがよいのかもしれない。
「ココロ貯金」については以前から知っていました。
東ちひろ先生のメルマガもずっと読んできましたが、それでも受講には踏み切れずにいました。
でも……。
わたしなりにがんばってサポートしてきたけれど、状況は変わっていない。
その現実に、次第に焦りを感じるようになっていたのです。
学ぶことで何かが変わるのなら――。
これ以上留年すると、卒業できなくなるかもしれない。
そんなぎりぎりのタイミングで、子育て心理学カウンセラー養成講座の受講を決めました。
夏休みのココロ貯金
講座がはじまったのが夏休みの少し前だったので、ほどなくして息子が帰省してきました。
――これは、ココロ貯金をためるチャンスかもしれない。
そう考えて、まず取り組んだのは「腹貯金」でした。
息子の好きなおかずを用意し、少し意識して言葉をかけるようにしました。
「〇〇くん、これ好きだったよね」
息子は、好き嫌いが少ないほうです。
大好物というほどではないメニューでも、そんなふうに息子と料理を結びつけて伝えます。
兄弟がいるので、兄や弟の好きなものを作る日もあります。
そんなときは、忘れずにひと言を添えました。
「お兄ちゃんの好きなものだけれど、あなたもこれ、好きだったよね」
「今日は弟くんの好きなもの。明日はあなたの好きなものにしようね」
「いつも、あなたのことを考えているよ」
という気持ちが伝わるように、毎日心がけながら過ごしていました。
また、まわりのお友達から就職活動の話を聞いたときなど、息子が沈んだ表情をしているときがありました。
そんなときは努めて明るく、講座で学んだ励ましの言葉をかけました。
「今だけを点で見るとね、
学校に行けない子と就職が決まった子では、差があるように感じるかもしれない。
でも人生って長いよ。
あなたは“今”つまずいているだけ。
お友達だって、この先どこかでつまずくかもしれない。
だからあまり比べすぎずに、今できることをやっていこう」
離れていてもココロ貯金
息子が下宿に戻ってからわたしが心がけたのは、名前を呼びかけることでした。
LINEのメッセージの冒頭は、必ず名前から。
「〇〇くん、おはよう」
「〇〇くんお疲れさま、がんばってるね」
もともと話すことが好きな子なので、こまめに連絡を入れました。
ちょっとしたやりとりを通して、
「あなたを気にかけているよ」
という気持ちが、少しでも伝わるようにと祈りながら。
小さな変化
ささやかなココロ貯金を重ねていくうちに、少しずつ変化が見えはじめました。
ある日、息子がぽつりと言いました。
「運転してみようかな」
運転免許を取って以来、ほとんどハンドルを握らなかった息子がそう言ったのです。
「運転は神経を使うもの。気持ちが塞いでいるときは、運転するのが怖くなるんですよ」
ちひろ先生に報告すると、そう教えてくださいました。
運転したいと思えるようになったのは、メンタルが安定してきた証。
そんなふうに言っていただき、心がじんわりと温かくなりました。
さらに前進したことがもうひとつ。
短期でアルバイトしたことがあるラーメン屋さんから声がかかり、息子は週に2日ほど、継続してアルバイトに入るようになったのです。
――彼の心に、何かしらの変化が生まれたのかもしれない。
わたしは、かすかな明るい兆しを感じはじめていました。
けれど現実は、そう簡単にはいきませんでした。
大学を辞めたい
車の運転やアルバイトなど息子に前向きさが出てきて、
「いい流れかもしれない」
そう思っていた矢先のことでした。
寒さが深まってきた11月の終わり頃。
息子が突然口にしたのは、信じがたい言葉でした。
「大学を辞めたい」
――え?
「やっぱり俺、無理だわ。こんな苦しい思いをして大学に行っても、意味がない」
一瞬は呆然としましたが、不思議なことに反対する気にはなりませんでした。
いつの間にかわたしの中に、息子に対する信頼が生まれていたからかもしれません。
――大学を卒業しなくても、息子なら大丈夫。
あなたがやりやすいようにすればいい。
そう伝えました。
ただ、電話で夫に話す勇気はなかったようで、冬休みに帰省したときに顔を見ながら伝えていました。
「どうしても無理なら、それも仕方がない。その代わりきちんと働きなさい」
夫なりの現実的な条件でした。
こうして息子は、働き口を探すことになったのです。
ハローワークと母校
街がクリスマスのにぎわいを見せる頃、息子はハローワークに通っていました。
大学中退の息子には多くの選択肢はありませんでしたが、何とか「ここなら受けてもいい」と思える会社を見つけ、年明けの面接を予約しました。
一方で、就職するとなかなか会えなくなるからと、高校時代の友達とも頻繁に会っていました。
みんなは大学4年生。就職を控えている仲間たちです。
ある日、友達のひとりが用事で母校の高校に行くことになり、「一緒に行ってくる」と言って、出かけていきました。
「学校は懐かしいけど、先生には会いたくないな」
友達が次々と就職を決めていく中で、自分だけが宙ぶらりん。
合わせる顔がないと思っていたようです。
「俺は駐車場で待ってるわ」
そう言っていた息子でしたが、最終的には、当時の担任の先生と進路指導の先生、ふたりと話をすることになったそうです。
この出会いが大きな転機になるとは、そのときは思いもしていませんでした。
方向転換
年が明けて、5日ほど過ぎた頃だったと思います。
「母さん」
呼びとめられて続いた言葉に、わたしは再び言葉を失いました。
「ごめん。俺、やっぱり大学がんばるわ」
まさに青天のへきれきでした。
母校の先生達と思い出話をする中で、息子は、大学を受験した頃の気持ちを思い出したそうです。
「俺って生物が好きだったんだよな」
「これをやりたいと思って、この大学に行ってもいいかなって、思ったんだ」
そんな初心を、思い出させてもらったのだと言いました。
わたしの気持ちは就職へと切り替わっていたため、正直とまどいながら訊ねました。
「じゃあ、大学の後期はどうするの?」
「4 月から本格的にがんばりたいから、後期は下宿に戻って大学に行く練習をする。保健室の先生にも自分の気持ちをきちんと話して、環境を整えてくる」
脱皮
「辞めるか留まるか」
ここ数年、何度も息子と話をしてきました。
決意しては挫折して留年する――そのくり返しだったのは確かです。
けれど今回は、これまでとは少し違う。
そんな感覚が、わたしの中にありました。
これまでの息子はどちらかというと、周囲のアドバイスに背中を押されて決断してきたように思います。
「せっかく大学に受かったんだから、最後まで行ったほうがいいよ」
親であるわたし達がエールを送る。すると息子は
「そうだよな、辞めてもどうしようもないし」
と考えて、がんばる道を選ぶ。
そんな流れが多かったのですが、今回は違います。
親からの助言はなく、自分自身で考え抜いて出した結論でした。
「環境を整えてくる」
その言葉からも、現実を見据えた覚悟のようなものが伝わってきました。
息子は今、ようやく自分の手で、殻を破ろうとしている――
そんなふうに感じたのです。
自分をさらけ出していい
息子は昔から、自分の弱い部分を友達に見せられない子でした。
「友達には、かっこよく見られたい」
そんな思いが強く、自分を飾ってしまうところがあったのです。
けれどわたしがココロ貯金を学びはじめた頃から、息子は少しずつ、友達に相談できるようになっていきました。
「大学にあまり行けていないんだよね」
そう打ち明けると、お友達は真剣に話を聴いてくれました。
「辞めるなら、資格を取るのもありじゃない?」
「大学辞めてもさ、お前はお前だろ」
温かな言葉に背中を押され、息子は
「かっこ悪いところを見せても、関係はくずれない」
そう感じられるようになったのだと思います。
大学に復帰して、迎えた4月。
新1年生の中に、気の合うお友達ができました。
年齢は4つ下ですが、今まで大学にあまり通えていなかったことも、素直に話せたそうです。
するとその子は、息子が授業に来ていないと電話をくれるようになりました。
逆に相手が来ない日は、
「授業行くぞ〜」
と息子のほうから声をかけることもあるのだとか。
「ダブっているから」
「ちゃんと通えていないから」
そんな理由で壁をつくっていたのは、息子自身だったのかもしれません。
壁は少しずつ消えていき、大学にも彼の居場所ができてきたように思います。
雨のち晴れ
先日、冬休みで帰ってきた息子は、明るい顔で言いました。
「前期の単位はほぼクリア。3教科だけ補習を受けたけど」
息子の様子から、心配はいらないことが伝わってきました。
後期についても今のところ順調だそうです。
大学を辞めようと決めていたあの頃。
息子の表情には、いつも翳りがありました。
楽しいことがあれば笑うのですが、心のどこかで
「自分は笑っていいのだろうか」
と、ためらいを抱えているように見えたのです。
それが今は――
胸につかえていたものが取れた感じ。
くもりのない、晴れやかな顔で笑っています。
◎お母さんが実践したココロ貯金◎
・気持ちを伝えながら腹貯金
・名前呼びの遠隔ココロ貯金
・息子の選んだ道を応援

