不登校と睡眠障害
「“睡眠酩酊(めいてい)”に近い症状ですね」
冷たく響くお医者さまの声。聞きなれない診断名に恐怖を感じたあの日のことは、よく覚えています。
中学2年生で学校に通えなくなった息子は、お昼過ぎに起きてきて、夜はゲーム三昧。完全に昼夜が逆転していました。そしてそのうちに、12時間以上眠っても起きてこない日が続くようになったのです。冗談ではなく、息子の耳元で空き缶をガンガン鳴らしたこともありました。そこまでしても、まったく反応がなかったのです。
「治ったら本が書けるよ」
という先生の軽口を笑う気になれず、ただ暗い気持ちで聞いていました。
幼い頃から息子は、育てにくいと感じる子でした。赤ちゃんの頃は寝つきが悪く、1時間おきに授乳。5歳まで乳離れしなかった記憶があります。小学校に入っても、ちょこちょこと問題が起きました。はっきりものを言うため、先生とぶつかることも多かったように思います。忘れられない事件は、小学校3年生のときに「お友達のものをとった」と担任の先生から言われたこと。後から濡れ衣だったとわかったのですが、誤解されやすいところがあったのかもしれません。
小1のときに夫が単身赴任してから4年間、子育てはわたし一人の肩にかかっていました。しっかり育てなければと気負っていたので、厳しく接してきたと思います。
「反抗的ではないが、学習意欲が薄い」
中1の2学期の三者面談では、厳しい表情で告げられました。先生の前でもゲームに熱中している。もっと授業に集中するようにと、きつくお叱りを受けました。親から見ても正しいご指摘でしたが、息子はその場でポロポロと涙を流したのです。そしてその翌日、「学校をやめる」と言いだしました。振り返ると、これが “不登校”を意識した最初の出来事でした。
次のきっかけは3学期。インフルエンザと胃腸炎が重なり2週間ほど休んだのをきっかけに、登校をしぶるようになりました。「中2になったら心を入れかえる」という言葉を信じて期待していましたが、今度は登校する時間がくると腹痛におそわれるようになったのです。
中学校へは電車で通っていました。おなかが痛くてその電車に乗れません。せっかく乗っても途中で降りてしまったり、最寄り駅に着いたのに戻ってきたり。トイレの中からSOSの電話をかけてくることもありました。まるで心を代弁するかのように、体が学校を拒絶しはじめたのです。
実は息子は小学生のときに胆のうの手術をしており、腹痛をおこしやすいと言われていました。ですから仕方のないこと。症状さえ落ち着けば、学校にも行けるようになると信じていました。けれども、腹痛は治まりません。中2の1学期後半からは10日行ったか行かないか、中3の担任の先生には一度も会わないまま、中学生活は過ぎていきました。
家ではこれといってやることがなく、ゲームばかりしています。海外の方に混ざって夜中にする(息子は幼稚園に入る前からインターナショナルスクールで4年間学んだため、英語はある程度話せます)ので、午前中は起きてきません。そのうち昼夜が逆転し、小児科の先生に睡眠障害の寮に入ることを勧められました。
寮から戻ってきて生活リズムが回復したものの、今度ははじめにお話ししたような過眠の症状が出はじめたのです。
ココロ貯金に出会ったのは、そのような時期でした。息子が「いらない」と言うので、病院にも通わなくなっていました。悪い方へ悪い方へと転がっていく気がして、ココロ貯金のカウンセリングでも顔をあげて話せません。空気が重い家の中で、泣き暮らす日々でした。
【お母さんのプロフィール】
高2男子と小5女子の2児のお母さん。
中1で登校をしぶりはじめた長男さんは、中2で登校時におなかが痛むようになり不登校に。
オンラインゲームにはまり、約2年間ほぼ自室で過ごす。昼夜逆転、睡眠酩酊などを経験。
ココロ貯金に出会ったのは、長男さんが“睡眠酩酊”と診断された中2の頃。
一粒の変化
その頃のわたしは、真っ暗なトンネルの中でもがいていました。
「学校とつながれるのはわたししかいない」
「学校に戻りさえすれば大丈夫」
自分に言い聞かせながら、先生やカウンセラーさんに相談するため足しげく学校に通ったものです。
けれどもココロ貯金を学び、「学校に戻ることがゴールではない」という、大切なことに気づかせてもらったのです。
「聴く」「触れる」「認める」という手ほどきを受けて、とにかくココロ貯金をためていくことにしました。
親子関係は悪いわけではありませんでしたが、中学生という多感な年頃です。引け目もあったようで、息子はほとんど2階の自室から出てきません。
少ない接点でどうやって、貯金をためるのか。すれ違いざまに触れたり、寝起きでぼうっとしているところを狙って頭をわしゃわしゃと触ったり、「おはよう」と背中をさすり「昨日は眠れた?」とたずねたり。
家族4人が顔を合わせるのは、彼が起きている夕食のときだけ。それ以外はノックして顔を見に行く「生存確認」がやっとでした。「○○、お茶飲んでね」と、名前を呼んでからお茶を渡すなど、ささやかなココロ貯金を試していました。
息子はチャットしながらゲームをしていて、時折楽しそうな声が聞こえてきます。話しをしている分ウツウツとはしないのでは、とその点だけは心配しませんでした。ココロ貯金を学んだことで、「声がするから生きてるね~」と、比較的ゆったりとした気持ちで見守れるようになりました。
正直、変化は感じづらい状態でしたが、週一で手伝いにきてくれる両親が「変わったね」と言うようになりました。
「帰ろうとしたら『気をつけて帰ってね』と2階から降りてきてくれたよ」
確かに大人を信じていないような目つきが影をひそめ、表情が明るくなったような気がしました。ただ、一滴のしずくが大地に落ちて所在がわからなくなるような、ささやかな変化でした。
崖っぷちの決断
中高一貫の学校に通っていた息子は、形式的な進級テストを受けて高校へ進むことができました。けれども、がんばれたのは最初の1カ月だけ。期末テストはほとんど受けられませんでした。高校は中学とは違い、単位が足らない場合は留年しなければなりません。1学期を終えた時点でリーチがかかり、あと1回休んだらアウトだよという教科もありました。
運命のテストの3日前。深夜、息子が部屋にやってきました。
「ママ、ぼく学校を変わることにしたよ」
開口一番、はっきりとした口調で宣言しました。
「じゃあ、今から話しを聴こうか」
驚きつつも、平静を装います。聞けば、オンラインゲームで知りあったお友達が通信制高校に行くのだとのこと。それを聞いて息子も興味をもったのだそうです。しかし、そんな会話をしていたとは。毎晩ゲームに興じながらも、彼らなりに前途を考えていたのです。
「とりあえず、高校は卒業することにしたよ」
「ぼくもネットで調べたんだけど、わからないことがたくさんある。ママも調べてくれない?」
“決定事項”として語られる進路変更にポカンとしながら、
「オッケー、わかったよ」
と応えました。
従来わたしは、柔軟に動けないタイプの人間でした。転校させるのは手間がかかりますし、「また嫌だと言いだすのでは」という不安もあります。嫌だと思ったら絶対にしない息子の頑固さは、身に染みていました。けれども、「子どもに寄り添う」ことや「傾聴」を講座で教えていただいたおかげで、スッと受けとめられたのだと思います。
夫は納得していませんでしたが、「本人が言いだしたことなので、いいと思うよ」と説きふせ、夜が明けるとその日のうちに学校見学に行きました。後にもう一校見学し、息子に寄り添ってもらえる気がした後者の学校を転校先に決めました。
君ならできる!
案の定、はじめの1カ月は「思っていたような学校じゃなかった」と落ちこんでいました。大勢で授業を受ける形ではなく、個人指導塾のような形態にとまどったようです。友達の作り方もわからず、「不安だ」「違うところに行きたい」など、ネガティブな言葉ばかりこぼしていました。
けれども、サポート上手の先生方に救われました。どの先生もカウンセリングを学ばれているのではと思うほど、生徒を上手にのせて自己肯定感を上げてくださるのです。
息子の唯一の得意科目は英語です。英検の準1級を受け、見事合格できました。すると先生に、「英検対策したい子に教えてあげて」と頼まれ、友達の勉強をみるようになったのです。先生に頼られて大きな自信を得たのでしょう。週3~4日登校すればよいはずなのに、授業がない日まで学校に行くこともあります。そして、
「2年間ゲームしていた時間はムダじゃなかった。英語力も身についた。ぼくは悪いことをしていたわけじゃないよね」
などと言うようになりました。日頃から「あなたのその時間を無駄だと思ったことはないよ」と伝えていましたが、確かな実感とともに届いたような気がします。
また、とにもかくにも「大学に行くこと」だけを目標にしてきた息子に、
「もっと上を目指してもいいよ」
「君だったらここもがんばれそうだよ」
と前向きな言葉をかけてくださいました。おかげで息子は、「ぼくは何だってできる」という無敵モードに入っています。
先日は英検1級を受けて落ちましたが、「次は絶対受かる!」と言って、翌日から猛勉強をはじめました。以前の息子だったら心が折れていたと思います。
先生方は、生徒一人一人に合わせてカリキュラムを組んでくださいます。漢字が苦手な息子には、オリジナルの学習プリントが用意されました。部首の同じ漢字を集め、視覚的に記憶に定着されるよう工夫されたプリントです。「ぼくは満点をとらなければならない」と、息子は手厚い支援に結果で応えようとしています。
大学入試は教科を絞って受けられるところが魅力だと思います。息子は、英語・国語・社会・小論文の4科目で受験する予定です。得意な科目に特化して学べばよく、学習ブランクがある子にも勝機はあるのです。
また通信制の学校だと成績がよくつくことも多いので、よい学校を受けやすいという利点もあります。息子の通う通信制「サポート校」は受験にも力をいれていて、各科目のエキスパートの先生が一対一で教えてくださいます。政治経済の先生の話は「すごく頭に入る」と喜んでいますし、「古典も意外といける」のだそうです。何よりも、勉強を楽しんでいる息子の姿を見られることが、幸せだなあと思います。
息子の今
通信制高校に転校するまでは、精神は安定していても学校に向かう気力はまだないように見えていました。息子の心は満たされているのか、正直よくわからない状態だったのです。
ところが環境が整ったとたん、
「この変わりようは何!?」
と親が面食らうほど。息子は変わっていきました。
最近の彼の様子をお伝えします。
「ゲームは飽きた」そうで、夜通しするのは新たなイベントがあるときくらい。計画的に遊び、たまに徹夜することがあっても数日で生活リズムを戻しています。起きるやいなやデスクトップに向かい、椅子の皮が破けるほどゲーム漬けだった日々がウソのようです。真剣に勉強して、登校に疲れたときはオンラインの授業を受けています。
昔は1週間入浴しないこともザラだったのに、毎日お風呂に入り、眼鏡をコンタクトに替えてパーマをかけました。まるで大学生のように自由に暮らしています。アルバイトをはじめるというので「受験勉強しながら?」とたずねると、「時間はあるから大丈夫」だと言われました。
子どもの頃から抱えていた “生きづらさ”のようなものは、徐々に薄れているようです。
「ぼくはこういうのが苦手だから、君がやってくれたら代わりにこれをやるよ」
というように、自分の弱点を認め上手に伝えられるようになりました。
あれだけ悩まされた腹痛は、いつの間にか気にならなくなっています。
「もう心配ありませんね」
人に言われて、今心配していることは何だろうと考えました。
「来年は車の免許をとりたい」というので事故に遭わないかと心配です。
「遠方の大学行きたい」というので、そうなったらひとりで生活できるのかも気がかりです。
あら……? なんてうれしい心配事なのでしょう!
17年間がむしゃらにしてきた子育て。
「子育てが楽しみ」だと、はじめて言えるようになりました。息子の笑顔は、わたしを幸せにしてくれます。
厳しく育てた小学生の頃を振り返り、
「あのときはごめんね。お母さん、きつかったよね」
と謝ると、
「気にしなくていいよ。ぼく、言うこときかなかったものね」
という答えが返ってきました。
そして、こんな言葉をかけてくれたのです。
「ぼくは、パパとママにすごく感謝しているんだよ。この恩は絶対に返すからね」
息子の中の貯金箱は、特大サイズ。
ココロ貯金はたまっているのかしら? と、わからない時期もありました。
でも静かに着実に、彼の心は2階の小さな自室から、外に向かっていたのです。
お母さんが実践したココロ貯金
・すれ違いざまや寝起きを狙って「触れる」
・お茶を届けながら、「名前を呼びかけ」生存確認
・ココロ貯金をためながら見守り、息子からのアクションには柔軟に対応
「ママ、ぼく学校を変わることにしたよ」「オッケー、わかったよ」
・「あなたのその時間を無駄だと思ったことはないよ」と伝える