なぜ、息子は学校に行けなくなったのか——。
理由は複合的なものだったと思います。
初めてのクラス替えで仲のよいお友達と離れてしまったこと。
大好きな親友が転校してしまったこと。
そして決定的だったのは、担任の先生が変わったことでした。
1、2年生のときの先生は、温かくて優しくて息子にとって安心できる存在。
その先生のクラスでのびのびと過ごしてきた彼にとって、新たな担任の先生は、あまりにも違いました。
怖くて厳しくて、大きな声でどなって叱る。
始業式の日にその洗礼を受けてしまったことが、不登校の引き金になってしまったようでした。
「大丈夫。行ってみれば何とかなるよ」
最初のうちは、そう思っていました。
説得すれば息子の気持ちも落ち着き、また学校に行けるようになるだろうと。
「先生もクラスも、最初はみんなイヤだって思うものだよ」
「行きたくないって思うのも、普通だよ」
夫と二人で1週間、言葉をつくして励まし説得を続けました。
ところが、息子の心には届かなかったのです。
こちらが焦って必死になるほど、息子の気持ちは学校から遠ざかっていくようでした。
そしていつの間にか、学校に行かない日々が日常になっていきました。
親としてつらかったのは、不登校だけではありませんでした。
それまでがんばってきた、サッカー、ピアノ、お勉強、といった習いごとまで、辞めざるを得なくなったのです。
唯一続けられていたのは、大好きな先生のいるピアノ。
優しく寄り添ってくれる先生のおかげで何とか続けていたのですが、ついにそれさえも行けなくなりました。
「学校に行っていないのに、誰かに会ったらどうしよう」
そんな不安から、外に出ること自体がむずかしくなってしまったのです。
今まで積み上げてきたものを、一つずつ失っていく感覚。
学校には行けなくても、何か息子のやりがいになるものや、人とのつながりを残したい——。
そんな願いもむなしく、息子を見守るしかない苦しい毎日でした。
「先生が変わらない限り、復帰は難しいかもしれないね」
そんな周囲の声に、わたし達も次第に「このまま3年生が終わってしまうかもしれない」と、あきらめの気持ちを抱くようになっていました。
「学校に行けないなら、それでもいい。朝はちゃんと起きよう」
「起きてご飯を一緒に食べよう」
息子にそんな言葉をかけ始めた頃、「ココロ貯金」というメソッドに出会いました。
ちょうど「子育て心理学カウンセラー養成講座」が始まることを知り、少しでも息子のためになればと、思いきって受講してみることにしました。
まず取り組んだのは、毎朝毎晩欠かさずに名前を呼んで挨拶すること。
それから「大好きだよ」と素直に気持ちを伝えることでした。
寝る前に言葉で伝えたり、お互いにぎゅっと抱きしめ合ったり。
息子の温もりに愛しさがつのり、気持ちはきっと息子にも伝わっていると感じられました。
そしてもう一つ、とても苦手だけれどもがんばったココロ貯金があります。
それは「否定しないで聴く」こと。
わたしは、ネガティブな話を聴くのが大の苦手。
後ろ向きの発言には「でも……」と反論したくなってしまうのです。
「そうじゃないよ」と正して、前向きなアドバイスをしたくなる。
でも、それでは何も変わらなかったのが過去の教訓でした。
「そう思ったんだね」
と気持ちを受けとめて、否定せずに聴く。
わたしにとっては大変むずかしいことでしたが、一生懸命取り組みました。
ココロ貯金という考え方を知り改めて子育てに向き合うと、たくさんの気づきがありました。
1年生・2年生と多くの習いごとをこなしてきた息子。
「学校から帰ったらすぐ習いごと」という生活は大変だっただろうな、そのがんばりを認めてあげられていなかったな、と振り返りました。
「がんばれ、がんばれ!できる、できる!」と明るく励ましてきたけれど、それも違ったのかもしれない。
息子の気持ちを最後まで聴かず、親の勝手でポジティブに変換していただけだったのではないだろうか。
気づけば、これまでの自分の言葉や関わり方を、さまざまな角度から見つめ直していました。
それは、大きな学びの時間でした。
家庭でココロ貯金を続ける一方で、先生との連携も少しずつ試みていました。
不登校の理由を取り繕うことはできません。
息子からきいたこと、先生を怖いと感じたことなどを率直に伝えました。
「申し訳ないのですが、息子はこんな話をしています」
勇気がいりましたし、迷いもありました。
けれども、どなったりみんなの前で叱ったりすることについては、お伝えすることで緩和していただけるのではないか——そう考えて、思いきって相談しました。
また、「どのように過ごしていけば、先生との距離が縮まるか」という課題について、教頭先生、担任の先生、夫とわたしの4人で話し合う場も設けていただきました。
「息子はサッカーが好きなので、一緒にサッカーをしていただけませんか?」
お願いすると快く応じてくださり、放課後に教頭先生をまじえて何度かサッカーをしてくださったのです。そのときの担任の先生はいつもの厳しい表情ではなく、楽しそうにニコニコと笑って接してくださいました。
「先生ってこんな風に笑うんだね」
「足が早いんだね」
息子はたくさんの発見をしながら、うれしそうにボールを追いかけていました。
サッカー以外にも体を動かす遊びに何度かおつきあいいただいて、少しずつ距離が縮まっていきました。
8月の終わり。
夏休みが明けた始業の日、驚いたことに息子は抵抗なくすんなりと登校したのです。
「もしかしてこのまま……?」
希望がよぎりましたが、残念ながら翌日からはまた“行けない日々”に戻ってしまいました。
その少し前、息子とこんな話をしていました。
「これからどうしようね」
「このまま4年生になるのかな」
本人にも、このままでは4年生になれないかもしれないという焦りがあって、
「やはり行かなきゃいけない」
「行こう!」
「でも……」
といった葛藤があったのかもしれません。
そして——忘れもしない9月25日。
息子は突然、はっきりと言ったのです。
「明日から行くよ」
「明日から行く」という宣言はきいたものの、わたしは半信半疑でした。
なぜならそれまでは、洋服に袖を通すという身支度すらできない状態だったからです。
——6時間もある日だけれど、本当に行くのだろうか。
そんな思いで迎えた9月26日の朝。
息子は淡々と着替えを済ませると、何の迷いも見せずひとりで玄関を出て行きました。
そして6時間の授業を終え、すっきりと晴れやかな表情で戻ってきたのです!
自宅では一切勉強していなかったので、授業の進み具合もわからない状態だったはず。
それも隣のお友達に教えてもらいながら、無理なく一日を過ごせたそうです。
そして、好きな漢字の授業では——なんと、手を挙げて発表までしたのだとか。
この日を境に、息子は毎朝自然に登校するようになったのです。
学校に通う日々が戻ってくると、息子の中に積極性が芽生えてきました。
「やっぱりサッカー、やりたいな」
ある日そう言い出した息子はチームを探して体験を受け、「このチームでやりたい」と入団するチームを自分で決めました。
それだけではありません。
サッカーと並行して、週2回のバスケットにも挑戦することに。
最初はお友達に誘われて「ちょっと体験行ってくるわ」という感じでした。
サッカーだけでなくバスケまでやるの? と驚きましたが、今でも楽しく続けています。
あれほど動けなかった日々が嘘のように、息子は軽やかに新しい世界へ踏み出していきました。
ふと気になり、担任の先生についてたずねてみました。
「なんか、やさしくなったよ」
もちろん、厳しく叱られることもあるそうです。けれども息子のキャパシティが広がったようで、「こういう先生なんだ」と受け入れられるようになったのだとか。もしかすると先生側も、叱り方がマイルドになるように意識してくださったのかもしれません。
息子が学校に行けなくなったとき、最初は焦り、その後は途方にくれました。
けれども運よくココロ貯金に出会い、愛情の伝え方を知ることができました。
話を否定せずに最後まで聴き、ただ寄り添う——自分の中にはなかった関わり方を学び、実践できるようになったのです。
半年という不登校の期間は、もしかすると短い方なのかもしれません。
けれども渦中にいるときは、ゴールが見えず何度も心が折れそうになりました。
——それでも、息子の力を信じてよかった。
ココロ貯金を頼りに、実践してきてよかった。
学校に行けなかった半年間で、息子もわたしも、少しだけ成長できた気がします。